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いつの時代も自分を「美しく見せる」努力をおこたらないもの。
ただ、どれを「美しい」と思うかは各時代によって大きく変化してゆくのです×××
| 髪 | ゆする(米の研ぎ汁)を髪につけて櫛で梳く |
| 眉 | 自然眉は抜いて、眉と額の間くらいに描く |
| 白粉 | ハケで顔を白塗り |
| 紅 | 紅花の染料を口紅や頬紅として使用 |
| 歯黒 | 肌の白さを際立たせるため、歯を黒く染める |
| STEP1 ◆髪のお手入れ◆ |
平安時代、身の丈余る、といわれたほどの長さを誇る姫君の髪の手入れは
それこそ一日がかりの大仕事でした。
髪を洗い、櫛で梳いて自然乾燥させているだけでも手間がかかります。
そんな作業を毎日するわけにもいかず、更に陰陽道などによって
髪を洗ってはいけない日なども決められていましたから、姫君たちは普段
髪の手入れとしてはゆする(米の研ぎ汁)を髪につけて櫛で梳いていただけのようです。
櫛の目は十分細かかったから、これで埃くらいは取り除けたとか。
また丁子油などをしみ込ませた綿(脂綿)をつかって髪の光沢を出すこともあったようで。
| STEP2 ◆引き眉◆ |
奈良時代以降、日本でも唐文化に倣って眉化粧が始まった。
けれど、どんな眉が描かれたのかは時代・身分によって違うようです。
平安時代のような垂髪だと、額がとても広く見えてしまうため、顔との調和を図って
眉は額の中央付近に描かれました。
また、眉を剃ってしまうと白粉が塗りやすい、という事情もあったそうで。
現代も、眉の手入れって大切ですよね。
私は駄目人間なのでなんもやってないですが・・・電車の中とかで
一生懸命眉を描いている人を見ると日本の伝統文化を感じます(嘘)。
| STEP3 ◆白粉◆ |
奈良時代、女性は健康的な肌の色が美人だと言われていました。
しかし、平安時代になると女性はめったに屋外にでなくなります。
照明器具も発達していない薄暗い屋内でも美しく見えるよう、白粉の文化は始まりました。
白粉には、大きく分けると、植物性の白色顔料や鉱物性の白色顔料、
動物性の白色顔料をそれぞれ単品で使っていました。
米の粉などで作られた植物性の顔料は、肌には良いのですが、
伸びが悪かったり、付きが悪かったりと満足のいく仕上がりにはならなかったようです。
奈良時代になると大陸から「鉛白(鉛白粉)」や「軽粉(水銀白粉)」の製法が伝わります。
軽粉(水銀白粉)は、透明感のある美しい仕上がりになったことから、ハレの化粧として使われました。
余談ですが、私の住む村には「丹生(にゅう)」という地名があります。
伊勢白粉の水銀の産地としてかつては大変栄えた白粉町だったそうで、今でも
丹生の山には水銀を採取した跡が残っており、希望すれば鉱山を見ることができます。
「丹」とは水銀の原鉱である辰砂のこと。
白粉の勉強で、私は「丹生」という地名の由来を知ることができました。
| STEP4 ◆紅◆ |
紅は、紅花から抽出した赤色染料です。
粉を紅で染めたものを、頬紅としてつかったり、爪紅(マニキュア)として使ったりしていました。
意外に、口紅としては生産量が少なかったためか使用が少なかったようです。
口紅は塗らず、自然のままの口紅でいた姫もいたということ。
口紅が一般に普及するのは時代が下って、近世に入ってからだそうです。
| STEP5 ◆歯黒◆ |
これは・・・現代からみて気色悪い化粧NO1なのではないでしょうか^^;
平安当時、お歯黒は肌の白さを際立たせるために使用されていました。
いつごろからお歯黒をつけるようになったのかというと、大体10〜15歳くらいのようです。
「大人になった証」のようなものでありました。
そのお歯黒はどうやってつくられたのかというと、
まず平安中期までは、果実などを使って草木染のように染めていたようです
・・・が、次第に人工的に黒の色素が作られるようになります。
↓作り方↓
| 手順1 酒や酢などの液体に鉄を混ぜて酸化させる 手順2 その茶の液体に、五倍子粉(ふし粉)をまぜる |
この五倍子粉にタンニンが多く含まれており、黒を定着させる役目を果たしたとか。
なんか・・・本当に吐き気がするくらい臭い液体だったようです(汗)。
◆反省◆
・・・まだ勉強不足であいまいな表現が多くて申し訳ありません。
しかし平安時代の化粧って・・・怖い・・・(涙)。
今なら水銀で出来た白粉なんて怖くてつけられないけど、当時は
それを高級化粧品としてあんなにべた塗りしていたのですよ。
そら素肌も見せられなくなります・・・
<<参考文献>>
高橋雅夫『化粧物語』 1997 雄山閣出版株式会社