警察大学校等跡地への高層ビル誘致・・・・東京都が果たした役割
2007年9月5日、参議院の清水谷議員宿舎(東京都千代田区紀尾井町)の移転・建て替え計画をめぐり、東京都の石原慎太郎知事、猪瀬直樹副知事が現地を視察。石原知事は「都会にこんなにすばらしい緑地があるとは知らなかった。私は反対」、「新宿舎が必要と言う参院議員は現場を見てほしい。本当に必要なら現宿舎を改築すればいい」と述べたと報道されています。
警大跡地内の樹木については、財務省が調査をしておりますが、約1700本あります。その内、高さ10m以上のものが、約1割です。樹齢は不明ですが、中には、高さ20m、直径90pを越えるシダレヤナギ、直径95センチのメタセコイア、直径90センチのクスノキ、直径85センチのソメイヨシノなどがあります。これら貴重な緑を「なんとか21世紀に残して欲しい」との思いは、住民にとって共通する強い願いです。
すでに、警察病院の工事で、伐採されてしまった樹木もありますが、警大跡地内にだって、大きな樹木があり、貴重な緑地空間になっています。「都市再生」の名の下に、貴重な公有地を民間に売り渡し高層ビルをたてまくっておきながら、参院宿舎に「私は反対」などとお得意のパフォーマンスをやっておりますが、警大跡地内の緑地は「どうでもよい」とでもいうのでしょうか。
いったい、東京都は、この警大跡地への高層ビル誘致に、どのような役割を果たしてきたのでしょうか。このコーナーでは、それを検証していきます。それぞれの主な事項には、脚注で補足的に、かつ豊富に実証しています。合わせてご覧下さい。
目次
1.軌道をしいた東京都
2.都のまちづくり方針の恣意的解釈
3.都の恣意的解釈を、調査委託先に文言化させる
@中野駅周辺まちづくりフォーラム
A2005年5月「中野駅周辺まちづくり計画」
B2006年12月に発表された警大跡地開発の地区計画
4.10万人の避難場所は確保できるのか、未だ不明
@「避難有効面積15haをめざす」から後退しようとしているのに黙認した都の関係者
A「中野駅周辺まちづくり計画」、地区計画でも避難場所の後退について、都は黙認
5.再開発促進区の適用
@再開発促進区先にありき
A都心部の高度利用の手法を閑静な住宅街、避難場所に適用
B各種の都市計画手法の比較検討がない
6.2001年に関係機関が合意した従前計画からの変更過程
<資料>
高層ビル誘致に、大手デベロッパー、田中区長とともに、積極的姿勢にたった東京都の関係者
中野区・田中区長が、警大跡地に高層ビルを誘致する構想を公表したのは、2003年6月でした。また、その構想に基づき、 同年9月に「中野駅周辺まちづくり第1回調査検討委員会」を開催しました。その際に、東京都から派遣されていた那須井・まちづくり調整担当部長(以下、まちづくり担当部長)は、
- 中野駅周辺は都市計画マスタープランで描く「賑わいのしん」とする
- 道路、公園の都市基盤施設については公金を使わずに「開発者負担」方式をとる
- 都の都市づくりのビジョンの位置づけは、「都市環境再生ゾーン」であるが、「副都心」「新宿の周辺」=(「センター・コア再生ゾーン」)
などと説明。また、同じく第1回調査検討委員会に出席した都の関係者も、
中野区は大胆な(用途地域の見直し)見直しをやっていない。見直していくべきではないか。都としてサポートをしていきたい。
などと発言。(注1)
東京都は公式には「中野区の計画は中野区が決めること」と言いますが、このように現実の警大跡地開発計画づくりには、大手デベロッパーが好む高層ビル誘致のまちづくりに、田中区長とともにしっかりと推進役を担っていました。
それは、大きく分けると、
- まちづくりの基本方針、将来の姿について、警大跡地について軌道修正を図る上で大きな役割を果たしました。警大跡地の開発の基本的な考え方として、高層ビル誘致にレールを敷いたということです。
- 公園等の都市基盤整備をどうするかという計画の具体化で、実現性が乏しいにもかかわらず、まるで「開発者負担」で都市基盤整備ができるかのように区民をだまし、14haという貴重な公有地のほとんどを民間に売却し、区民要望の最も強い都市計画公園は新たに1haしか増やさないようにしてしまいました。
後者については、すでにこちらの頁で詳細に検証していますので、参照してください。
従って、このコーナーでは主に前者の検証をしていきます。
東京都が2001年10月に発表したまちづくりの基本方針、将来の姿である「都市づくりビジョン」は、主には「国際競争力をそなえた都市の活力の維持・発展」、そのために「東京のビジネス環境や産業活動の国際競争力を高める」というように、大企業、多国籍企業が経済活動をいかにやりやすい東京にするかというもので、住民本位のものではないという大きな弱点をもっています。
しかし、その「都市づくりビジョン」でさえも、これまでの都市づくりについて「右肩あがりの時代は終焉を迎え、安定し、成熟した都市型社会への移行がすすむ」とこれからの社会を展望し、こうした新しい状況のもとでは「業務機能の分散に重点を置いた都市構造の考え方は不十分」とし、「持続的反映を可能とする環境との共生」「独自性のある都市文化の創造」「安全で健康に暮らせる質の高い生活環境の実現」という課題も提起しています。
たとえば中野などの地域については、センターコアではなく「都市環境再生ゾーン」で「生活拠点」として位置づけました。
注)生活拠点について、都市づくりビジョンではどういっているか
今後、木造住宅密集地域の整備や都市型水害への対応により安全な市街地を形成するとともに、河川や道路も生かした緑の回復、通過交通の流入を防ぐ地域交通体系の整序、利便性に優れた生活拠点等における魅力的な都市型住宅の形成、低層住宅地の環境悪化の防止と住環境の向上、都市内農地の積極的な保全と活用、水辺を生かしたまちづくりや清流の復活などにより、生活の質の向上を図り、水と緑の調和した、健康で住み良い、魅力的な居住環境形成とコミュニティの再生を図る必要がある。
それがどういうわけか、まちづくり担当部長は2003年9月の第1回調査検討委員会で、中野は「副都心」「新宿の周辺」、すなわち「センター・コア再生ゾーン」=「総合的に国際ビジネスセンター機能を発揮する」地域と同等に扱うという解釈を全体に押しつけました。「右肩あがりの時代の終焉」ではなく、その再来を求めて高層ビル誘致しようと、恣意的解釈をしました。こうした基本的考え方が、そもそもずれていることになります。
この恣意的解釈は、その後の警大跡地開発での基本的な方向になっていきます。
2003年6月から検討が開始された警大跡地の開発計画の全体内容が、最初に区民に公表されたのは、2004年1月28日の「中野駅周辺まちづくりフォーラム」です。
ここで調査委託を請け負った新都市建設公社の理事が区民を前にして「(東京の新しい都市づくりビジョンの関係で)中野の位置というのはセンターコア再生ゾーンのちょっと端にございまして、むしろその位置だというふうに位置づけてもよろしいのではないかと」「(中野区のマスタープランについても)にぎわいのしんというものに位置づけられている」と、上記まちづくり担当部長と申し合わせているかのように瓜二つの解釈を示しました。
このまちづくり担当部長、新都市建設公社理事らの解釈は、都市づくりビジョンを素直に読めば、大変な無理があることがわかります。上記のように、「都市づくりビジョン」では警大跡地などは、「環境再生ゾーン」「生活拠点」となっています。これは、争う余地のない客観的な事実だからです。それを、「恣意的な解釈こそが正しい」とするわけですから、結局のところ当日のフォーラムの質疑応答でも、東京都都市計画局都市づくり政策部・森下部長もその恣意的解釈の説明を繰返し、説明の根拠も理由付けもできずに区民に押しつけて議論を打ち切るというものになっています。
また、中野区の都市計画マスタープランについても、まちづくり担当部長と同様に新都市建設公社理事は、警大跡地を「にぎわいのしん」と勝手に説明しております。(注2)
この恣意的な解釈が、実際の文書として形になるのは、2005年5月に発表された「中野駅周辺まちづくり計画」です。
その中では、「中野駅周辺のまちの位置づけ」という項で、[都市環境再生ゾーンに位置しながらも、センター・コア再生ゾーンに近接しており、広域的な位置づけとしては両ゾーンの機能が期待されるまちでもある。(平成13年10月東京都「東京の新しい都市づくりビジョン」)」などと、あたかも「都市づくりビジョン」に記述されているかのように、手の込んだ編集までして、恣意的解釈を押しつけています。
2005年4月には、調査委託先から2004年度「中野駅周辺まちづくり計画作成等支援業務委託」報告書ができあがっています。これは、2005年5月の「中野駅周辺まちづくり計画」の裏付ける基本資料というものです。 (注3)
そこでは、どのように引用しているのでしょうか。「都市づくりビジョン」とその「業務支援委託報告書」を比較してみてください。
都市づくりビジョン
業務支援委託報告書
木造住宅密集地域において、都市計画道路の整備や防災都市づくりによる不燃化などが進み、安全で利便性が高く良好な環境を持った住宅地が形成される。 木造住宅密集地域において、都市計画道路の整備や防災都市づくりによる不燃かなどを進め、安全で利便性が高く良好な環境へと誘導する。 土地区画整理事業を施行すべき区域では、土地区画整理事業のほか、地区計画など多様な手法を活用した整備が行われ、緑の中に戸建て住宅や中層の共同住宅が点在するゆとりのある住宅地が形成される。その他の住宅地においても、地区計画などによりミニ開発が抑制され、建物の壁面や高さなど街並みの整った良好な住環境が形成される。 土地区画整理事業を施行すべき区域では、土地区画整理事業の他に地区計画など多様な手法を活用した整備を行い、緑の中に戸建て住宅や中層の共同住宅が点在するゆとりとある住宅として整備を図る。また、建物の壁面や高さなど、街並みの整った良好な住環境にするための地区計画によるミニ開発を支援する。 身近なコミュニティには、特徴のある商店街やコミュニティインフラの整った生活中心地が暮らしを支え、鉄道駅などの交通結節点には、幅広いサービスを提供できる生活機能の集積した生活拠点が、複数の生活中心地とネットワーク構造をつくりながら形成される。 特徴ある商店街やコミュニティインフラの整った生活中心地が暮らしを支え、鉄道駅などの交通結節点には幅広いサービスを提供できる生活機能の集積した生活拠点の形成を展開する 2段目を見るとわかるように、「都市づくりビジョン」では「ミニ開発が抑制」となっていますが、「業務支援委託委託報告書」では「ミニ開発を支援」となっています。3段目をみると「業務機能の分散」という考え方はどっかへいき中野への業務機能の集中を望んでいるかのようです。ずいぶんと、勝手に書き換えているではありませんか。
そのほか、「都市づくりビジョン」は「形成される」と第3者的に書かれているものが、同様に「誘導する」「支援する」「展開する」と、主語はありませんが、これは中野区が税金を投入して大手コンサルに作成させたことを考えると、まるで田中区長の権限で、住民の居住権、私有財産が制限でもできるかのような書き方です。
さらに驚くべきことは、上記の「業務支援委託報告書」の文書が、そっくりそのままの形で、2006年12月に地区計画原案として発表された元となる「中野4丁目地区地区計画企画提案書」にも使われているということです。
この「地区計画企画提案書」とは、地区計画作成手続きに入る際に、中野区が警大跡地内の地権者の合意を得て東京都に資料として提出するものです。都は、この資料の提出をうけて、地区計画原案作成手続きにはいります。
東京都は、この「都市づくりビジョン」との矛盾した記述について、住民がそこまでチェックできるとは思わなかったのでしょうか。ノーチェックです。この地区計画手続きをおこなった都知事をはじめ、東京都都市整備局担当者も、問題とは思わないのでしょうか。
なお、この地区計画企画提案書には、中野区の都市計画マスタープランについても図面付きで引用しています。さすがに東京都も、警大跡地を「賑わいのしん」とすることの誤りが、中野区の都市計画マスタープランの図面で明確であり、後々問題になることを恐れたのでしょうか、中野区に訂正手続きに入らせました。(注4)
以上、主に3つの中に、警大跡地の地区計画の上位計画への都の恣意的解釈の押しつけという具体的な姿を見てきました。「これが、行政のやることか」と信じられない方もおられるかと思います。その批判は、是非、直接東京都、中野区等へ届けていただきたいと思います。また、自分の所はどうだろうかと、是非チェックしてみましょう。
@「避難有効面積15haをめざす」から後退しようとしているのに黙認した都の関係者
警大跡地は、約10万人の避難場所です。ここに高層ビルを誘致し大規模開発をする。いったい、避難場所はどうなってしまうのか、住民の不安は大変なものがあります。避難場所を指定している東京都は、この開発計画が進む中で、どういう立場にたってきたのでしょうか。(注5)
- 高層ビル誘致勢力が、動き出すまでは、ここは大震災時の「避難地としての役割」「応急対応活動、復旧活動等の総合的拠点」との位置づけで、中央部に防災公園を整備し、有効避難面積約15ヘクタールの確保を目指していました。(注6)
- そのため、上記で見てきた「都市づくりビジョン」では、。「環状7号線の周辺など救援、復興活動拠点となる大規模公園の迅速な整備を推進する」「都市の貴重なオープンスペースとして残されている大学移転跡地等の国有地を公園用地として活用できるように用地の無償貸付等を国に求めていく」(90 頁)と明記しています。(注7)
こうした計画については、どう考えられてきたのでしょうか。
避難場所としての機能の問題については、第2回検討委員会(03/11/6)になって初めて事務局より、「新規開発による不燃物で囲う部分を中央部に設けることで、避難場所の機能を確保できるのではないか」という考えが示されました。
警大跡地の高層ビル誘致を中心とした開発計画が区民に公表された2004年1月28日の「中野駅周辺まちづくりフォーラム」では、区民から避難場所としての機能を確保することを明確にすべきとの意見がだされましたが、それにたいする回答は曖昧にされました。
そして、第4回検討委員会(04/3/30)では、事務局からは、とうとう「建物に囲まれた3〜4haのオープンスペースの確保をめざす。足りない分は、中野区役所一帯なので、駅前広場、サンプラザ、区役所、中学校、警察署などの空地を入れて確保する」として、避難場所が高層ビル所有者のオープンスペース次第という大後退する案が示されました。(注8)
A「中野駅周辺まちづくり計画」、地区計画でも避難場所の後退について、都は黙認
そして、それはどのように具体化されていったのでしょうか。
まずは、「中野駅周辺まちづくり計画」ですが、
- 新たな人口増加を見込んだ必要な避難有効面積を確保する。
- 避難場所の中央部付近には、新たに防災公園(概ね1.5ha)を整備する。隣接する0.5haの公開空地等を併せ、およそ2haの防災空間を確保する。2haの防災空間と周辺のオープンスペースなどで3〜4haの緑地空間となる。
などとなっています。
避難場所としての安全性が確保できるかどうは別にして、とにかく警大跡地開発で明確にできるオープンスペースは最大でも4haということになります。
これでは、10万人の避難場所は確保されませんので、「跡地以外の避難指定区域内でも、建築物の構造や配置を適切に誘導し、オープンスペースを確保していく」と、もう一方で書いています。
ここで示している跡地以外の「避難場所区域内」は、すでに区役所所など建物はできています。新たな開発はかなり先のことですので、警大跡地の開発が終わった時点で、どれほどの避難有効面積が確保できているのかは計算できるはずです。少なくとも、跡地以外の区役所周辺で約6haのオープンスペースを確保しなければ、10haのオープンスペースになりません。ところが、東京都も、中野区も、明らかにすることを拒否しつづけています。(注9)
では、2007年4月に都市計画決定した地区計画ではどうなっているのでしょうか。
「避難場所としての地区の役割を継続」としているだけです。
これは、東京都の作成文書です。これでは、確保されるのは「避難場所としての役割」だけになってしまいます。何人の避難場所として確保されるのか、それをどう担保するか何もありません。
この地区計画の元になっている「地区計画企画提案書」を見ても、住民説明会でもっとも大きな関心事となっていた避難場所の確保について、目次の項目にすらなっていません。如何に、東京都、中野区が住民の安全という、住民としてのきわめて基本的な要望を軽視しているかが分かります。
よく見ると、わずかに、「(1u/人を基本に)開発にともなう人口増を見込んだ避難有効面積を確保する」と書いているだけで、それを担保するものは、何もありません。道路幅、容積率、高さ、壁面後退など具体的な数値が示されている一方、住民の命にかかわる避難場所が如何に、開発の犠牲になっているかが分かります。
このように、避難場所としての指定は東京都が責任を負うべきものでありながら、第1回から第4回までの検討委員会、区民を交えたフォーラム、実際の地区計画がつくられる時点にでも、従来から逆行する考え方、避難場所としての機能を後退させる計画が自分たちの目の前で進められようとしているのに、都の関係者からは何ら、責任ある意見がのべらるわけでもなく、また内容の不備指摘されるわけでもなく、過ぎていったということが分かります。
ここには、開発には恣意的解釈で加速させる一方、避難場所の確保については後退の動きがあっても黙認するという、高層ビル誘致勢力に迎合、一体化した東京都の関係者の無責任な姿勢が見えます。
警大跡地の開発計画に、都は再開発促進区の制度を適用しました。(注10)
その適用について、どんな問題があるのでしょうか、検証をしていきたいと思います。
警大跡地の開発の都市計画手法に再開発促進区を使うということが明らかになったのは、2004年4月です。東京都から派遣されたまちづくり担当部長から初めて区議会に持ち出されました。しかも、何の脈絡もなく、きわめて唐突に出てきたものです。それまで、区民も参加した区民検討委員会では一言も出ておりません。どこでどう検討されてきたのか全く不明なものを持ち出してきています。(注11)
再開発促進区の決定権は都にありますから、すでにまちづくり担当部長のもとでは、都の調整が始まっていたということになります。区民とともにまちづくりを検討した結果でた手法ではなく、区民のあずかり知らない部分で都等が調整した「はじめに再開発促進区ありき」ということがわかります。
再開発促進区の東京都の運用基準を見ると、基本目標として「センター・コア・エリアなどの育成」としています。現に再開発促進区に適用している事例を見ても、千代田区、中央区、港区、品川区、江東区(2005年1月末現在)です。(注12)
すなわち、もともとこの制度を活用すべきエリアは、都心、副都心でした。なぜなら、いかに高度利用をするか、そのために条件をどうするのかが、再開発促進区手法の主な柱だからです。それを、周辺が閑静な住宅街である中野区の警大跡地に適用しました。ここに、適用の第1の問題があります。
2005年5月の「中野駅周辺まちづくり計画」を決定する際に、区議会での説明で執行機関側は「警大等跡地は一定の高度利用により公園やオープンスペースを生み出す−これは再開発促進区の考え方ですが−ことを考えている」と説明しています。ここに適用の第2の問題があります。
もう少し説明を加えると、公園やオープンスペースを、区自身が取得するという方法ではなく、開発者に高層ビルを建てられるよう誘導して、その見返りに分けてもらう公園、オープンスペースという発想になっています。ところが、ここは区民の貴重な避難場所です。一定の広さの避難場所を確保するには、より高度な利用との引き替えになります。それにも限度があります。高層ビルの隣地が安全かという矛盾が避けられません。避難場所であるところに、高層ビルを誘導する手法を持ち出したという問題です。
第3の問題は、ここの公園が開発者次第のものだったということです。区民の公園を、それにふさわしい場所に確保するということではなく、開発者から提供されるオープンスペースと一体のものとするために、そうしやすい場所に設置させたということです。公有地の開発であるにもかかわらず、中野区、東京都が高層ビル誘致勢力に迎合した負のシンボルとしての最悪の環境の公園になっています。(注13)
仮に、高層ビルを誘致するのではなく、もともとの住民要望である、防災緑地を中心にした開発をするならまったく関係のない手法です。同じビル建設をするにしても高層ビルを規制するようなことを考えるなら、再開発促進区はなじみません。大学を誘致するなら用途規制をすればよいはずですが、その都市計画手法の検討は何もありません。あるのは財務省が売却する際に、10年間の用途規制だけです。このように「どういうまちづくりをするか。それに最適な都市計画手法は何か」との検討はしてきませんでした。
地区計画の文書では、再開発促進区手法を適用することに「土地の有効活用」「都市機能の増進を誘導する」とするとしています。高層ビル誘致勢力の要望を実現するためにとった手法であることがわかります。(注14)
以上、都が決定権者となっている再開発促進区という都市計画手法の適用についても、これまで解明した「東京都都市づくりビジョン」の恣意的解釈、それを「中野駅周辺まちづくり計画」に既成事実化してきたことと、非常に関連し、問題ある対応をしているかということがお分かりいただけると思います。
@中野区と東京都は水面下で合意?
次は、従前の計画からの見直し過程から都の果たした役割も検証してみなければなりません。もともと、この警大跡地の開発計画には、杉並区も参加してつくってきた「2001年転換計画」がありました。その従前計画から現計画へと変更される過程を見ることで、都の果たした役割が見えてくるかも知れないからです。(注15)
関係機関として東京都も入った「中野駅周辺まちづくり調査検討委員会」の第1回目が、2003年9月3日に開かれました。そこで、上記の転換計画との関係についてまちづくり担当部長が「現在生きている計画」があるが、清掃工場をつくらなくなったので「ご破算ではないが、見直しになった」と、一方的な解釈を示しました。あたかも関係機関3者間で合意して「見直しになった」かのように言うのはごまかしに他なりません。
仮に「現在生きている計画」と認めるなら、中野区として見直しの意向があることを明らかにして、この計画を合意してきた東京都、杉並区を含めて、関係機関で確認してから検討作業に入るというのが本来の筋道です。ところが、そんな手続きはとられておりません。しかも、上記の区民検討委員会にさえ、都を参加させていますが、杉並区は参加させておりません。そもそも、この検討委員会なるものの発足に至る過程が不明です。(注16)
杉並区民、杉並区を排除した関係機関を集めておいて「見直しになった」などと、よくも言えたものです。この「中野駅周辺まちづくり計画」が杉並区民を対象に、2004年5月から住民説明会が開始された後、杉並区民、杉並区議会、杉並区で大きな問題になったことを、どう説明するというのでしょうか。(注17)
この調査検討委員会には東京都からの出席者がおりましたが、彼らはこのまちづくり担当部長の解釈を黙認しました。ということは東京都と中野区の間で見直しに着手することがすでに水面下で合意がされていたと見られてもしかたない対応です。都からの出席者が誰一人この問題を指摘することができず、黙認していることに驚かざるを得ません。
さらには、中野区ばかりか、都も内容の検討もなしに「中野駅周辺まちづくり調査検討委員会」を根拠に「区民参加の中野駅周辺まちづくり計画」といって現計画を合理化しているわけですから、今となっては、この調査検討委員会もはじめからアリバイづくり的につくられたものと言われても仕方ないでしょう。(注18)
中野駅周辺まちづくり調査検討委員会 第1回(2003年9月3日)、第2回(同年11月6日)、第3回(同年12月19日)、第4回(2004年3月30日)
警大跡地に開発に係わってきて東京都職員の中野区での担当
宮村光雄(〜2001年3月都市計画部長、2001年4月〜2003年3月都市整備部長)、那須井幸一(2002年7月〜土木担当部長、2003年4月〜まちづくり調整担当部長)、石橋隆(2005年7月〜まちづくり総合調整担当部長)、谷村秀樹(2007年7月〜拠点まちづくり推進室長)
奥山宏二(〜2001年7月まちづくり課長)、久保田浩二(2001年7月〜2004年3月まちづくり課長)
中野駅周辺まちづくり調査検討委員会の東京都名簿・・・第1回調査検討委員会資料
都市計画局都市づくり政策部長 森下尚治 都市計画局都市基盤部長 山崎俊一 都市計画局都市防災部長 成田隆一 東京都第3建設事務所長 米田秀男 この名簿をみても、都あげての警大跡地開発支援体制をとっていることがわかります。
2004年1月28日の「中野駅周辺まちづくりフォーラム」でのパワーポイントから関係部分です。
- 警大跡地がまるで、首都高速中央環状線沿いになっていますし、そうなるように「都市環境再生ゾーン」の色を、その外側のゾーンとわざわざ同じ色にしております。
- 警大跡地がまるで、都市計画マスタープランで「賑わいのしん」に位置するかのようにしてあります。
2004年1月28日のフォーラムで報告した都市建設公社と警大跡地開発の関係は、こちらとかこちらを参照して下さい。
理屈、根拠が曖昧であろうと行政側の一方的解釈を押しつける方法は、この警大跡地開発における高層ビル誘致勢力がとってきた常套手段です。この計画は、住民合意でつくられたものはありません。
実際に中野区都市計画マスタープランの「修正」手続きがおこなわれたのは
この「地区計画企画提案書」を住民が目にすることができるようになったのは、都市計画手続きも終わって地区計画が決定したあとです。それ以前の段階では、様々な理由がつけられて、住民が見ることは不可能でした。実際にできていたのかどうか、その外観さえも確かめることはできませんでした。
このHPの各所で引用しているものですが、あらためてこちらでもリンクさせておきます。経過的なものは、あちこちで引用しております。
2001年6月 東京都、杉並区、中野区で合意した「警察大学校等移転跡地利用転換計画案 −緑豊かな循環型社会のコアづくり−」
詳細は、こちらを参照してください
「防災公園」構想を破棄し、警大跡地を大規模開発する計画・・・・中野区の責任は重大
警大跡地内はこれまで建坪率50%ですから、14haの警大跡地は少なく見積もっても7ha以上の避難場所がありました。実際には、建物はごくわずかに限られていましたので相当規模の避難場所の大きさだと予想されます。10万人の避難場所として10haの半分以上が、警大跡地内で確保されていると考えれます。
ところが、今の構想では3〜4haのオープンスペースですから、10万人の避難場所の半分も警大跡地内では確保できないということになります。おまけに、高層ビルの谷間ですから、危険きわまりないところが、避難場所に指定されようとしています。
こんな構想を東京都が一緒に参加して進めています。
10haの有効避難面積確保には、10haのオープンスペースでは足りません。なぜなら、避難場所としての安全性が確保できて利用可能かという判断がされるからです。詳細は、こちらで紹介しておりますので、参照してください。
住民が中野区にたいして提出した質問状と回答(避難場所の面積については、1番目にあります)
東京都にたいして提出した質問状と回答(9月提出分質問状 回答、11月に提出した抗議・要請文 その回答)・・・最終的には回答不能になっています。しかし、地区計画の都市計画決定の際には、住民から反論され回答不能になった説明を繰返して使うというお粗末ぶりでした。
「再開発促進区」は、都市計画法15条の5 3項で規定されているものです。東京都は、その運用基準を決めております。
都市計画法第12条の5 3項より
次に掲げる条件に該当する土地の区域における地区計画については、土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の増進とを図るため、一体的かつ総合的な市街地の再開発又は開発整備を実施すべき区域(以下「再開発等促進区」という。)を都市計画に定めることができる。
- 現に土地の利用状況が著しく変化しつつあり、又は著しく変化することが確実であると見込まれる区域であること。
- 土地の合理的かつ健全な高度利用を図る上で必要となる適正な配置及び規模の公共施設がない区域であること。
- 当該区域内の土地の高度利用を図ることが、当該都市の機能の増進に貢献すること。
- 用途地域が定められている区域であること
2004年4月21日 中野区議会中野駅周辺・警察大学校等跡地整備特別委員会
那須井まちづくり総合調整担当部長 一般競争入札というのは、財務省が土地の処分をすることというふうに理解して御答弁させていただきます。財務省が土地の処分をすることにつきましては、基本的には財務省の権限でございますので、今、区としてこの時期にこういうふうに処分するというのは申し上げられませんけれども、私ども行政がこのまちの規制を誘導していくんだと。とるべきオープンスペース、公園はとり、道路はとっていくということ、そういった方針をきちんと決めていくんだということを申し上げております。そしてその地区計画の再開発促進区という手続になりますけれども、その方針を決める。少なくてもその方針を決めないうちに処分ということになると、こういった規制誘導が基本的にはかけられない、または事後になってしまうということがありますので、この方針の計画決定の後ということになろうかと思っております。なおその方針の計画決定ですけれども、17年中にはしていきたいと現在考えているところでございます。
こちらに都議会の委員会資料として東京都の発表した資料があります。(2005年3月16日)
2005年5月10日中野駅周辺・警察大学校等跡地整備特別委員会
豊川課長 警大等跡地は一定の高度利用により公園やオープンスペースを生み出す−−これは再開発促進区の考え方ですが−−ことを考えているということでございます。
東京都にたいして住民団体が提出した質問状に再開発促進区部分があります。都の回答を見てください。都は回答不能になっています。
2001年土地利用転換計画については、経過的にはこちらから参照して下さい。
この見直しについて、どう見るかについては、こちらも合わせてご覧下さい。
中野駅周辺まちづくり検討委員会が発足したことは、下記の委員会で初めて明らかにされました。誰が加わるかは、どのような検討を経て構成メンバーが決められたのかなどは不透明で、同委員会では執行機関の説明は結果の説明に終始しています。また、検討委員会がいかなる役目を果たすのか、計画案をつくる関係はどうなっているかなど、根本的な議論がおこなわれましたが、区の説明は結果の説明しか答えられませんでした。
2003年7月8日 中野区議会中野駅周辺・警察大学校等跡地整備特別委員会
久保田まちづくり課長 調査そのものは6月13日付で契約をして開始したところなんですけれども、今後検討の組織の設置を考えております。ここには、2番目にありますように、学識経験者や区民の代表、その中には公募の委員を募集したいと。具体的には7月20日の区報で募集をかけたいというふうに考えております。そのほか関係行政機関から構成される、現時点では仮称でございますけれども、中野駅周辺まちづくり調査検討委員会というものを設置いたしまして、委託の一環として計画の素案づくりを検討したいと考えております。また、委員会の下部組織として、専門的な検討を行います専門部会と称しておりますけれども、関係の行政機関で行うような組織を設置したいと思います。
当時の詳細な経過はこちらをご覧下さい。
中野区の異常な対応は、杉並区議会でさっそく問題にされるとともに、住民団体も杉並区に要請、その後、杉並区は中野区へ杉並区の見解を示した文書を提出するということにまで発展しました。しかし、その文書をもみ消ししようとした中野区の対応が、中野区議会で問題にされるということにまで発展します。経過の詳細は、こちらを全てお読み下さい。
住民団体が東京都にたいして提出した質問状(9月提出分)とその回答、その回答をふまえて11月に住民団体が再度提出した抗議・要請文 その回答です。「住民参加」の根拠をどう説明しているかを見てください。最後は、回答不能です。
3月16日、都計審への意見書421件、内反対289件(69%)を参照してください。都市計画審議会には、回答不能状態になった前回答を基本にした回答をつかうというお粗末さです。このこと事態、都自身が住民参加への不誠実さを持つことを示すものです。
当サイトに掲載された記事・写真・図表等は住民運動を広げるためにご利用いただくのは自由です。リンクも自由です。連絡先