「中野駅周辺まちづくり計画」の区政への影響
「中野駅周辺まちづくり計画」の成り立ちの異常さと、「中野駅周辺まちづくり計画」が現在の区政にどのような影響を与えているかなどを、様々な資料を使って検証してみようという目的で、この頁をつくりました。これから、充実させていきたいと思いますので、これまで同様、みなさんからの情報提供、ご協力をよろしくお願いします。
「中野駅周辺まちづくり計画」立ち上げ時の異常さ
1.「2001年転換計画」から2003年6月「中野駅周辺まちづくり計画」調査委託開始までの空白
現在の区政への影響
1.都市計画マスタープランのみなおし
2.この2年で倍化した開発対象地域
1.「2001年転換計画」から2003年6月「中野駅周辺まちづくり計画」調査委託開始までの空白
@突然、浮上
2001年7月11日に、東京都、杉並区、中野区で合意された「2001年転換計画」を財務省に提出しました。その後、その計画は、実現にむけて、どのような経過をたどったのでしょうか。2001年10月26日に、「警察大学校等跡地利用連絡調整会」(以後、連絡調整会)が設置されましたが、それにもとづく動きが見えるのは、2002年3月8日の第2回連絡調整会までです。(注1)
その後、自警会だけが先行して、2003年6月の国有財産関東地方審議会で警察病院への処分が決まりました。(参照)
一方「2001年転換計画」は、2002年3月以後、計画の実現に向けての財務省との交渉などの動きは、まったく見えません。地区幹線道路1,2号の都市計画決定へ向けての動きがある程度です。いわゆるF字道路実現にむけての動きです。
そして、2003年4月、2003年6月に高層ビルを誘致する「中野駅周辺まちづくり計画」が突然、浮上しました。
A内容の空白
もちろん、経過だけの問題ではありません。内容についても、過去の計画とは何の連続性もありません。なぜ、「2001年転換計画」が「中野駅周辺まちづくり計画」にならなければならないのか、どのような検討がされて2003年6月に委託調査が持ち出されてきたのか、まったく検討状況が明らかになっていません。
そのことは、「中野駅周辺まちづくり計画」作成のために、「調査検討委員会」と並行して発足した専門部会の議論をおっていくと、中野区が単独で、過去の経緯を無視して検討に入ったことが明らかになります。(このHPで、情報提供済)
その専門部会での議論は、区議会、中野駅周辺まちづくりフォーラムでの関係者の説明からは想像も出来ないことが、現実におこなわれています。
- 財務省からの「前回の都市計画案(2001年転換計画のこと)ができておりこれで動くと思っていた」「これからも(2001年転換計画にそって)実現に向けて話を進めて欲しい」との発言があることでわかるように、上記の第2回連絡調整会以後の動きがストップしていた要因は、中野区側にあることがわかります。
- 各氏の話から見えるのは、中野区の「先に高層ビル誘致ありき」という姿勢です。それは、@「コンセプトが見えない」という複数の方からの発言。A区民からの要求、要望に基づいたまちづくりでないこと。B驚くべき事は、コンサルさえも「業務」という構想を持ち得ないということなど。こうした各氏の発言に見られるように、「中野駅周辺まちづくり計画」は、ごく一部の間でつくれらた構想にもとづいて、見切り発車したものであるということが言えます。
しかも、第1回目の(財)新都市建設公社の理事の発言「跡地処分の条件」「国が検討されてきたこと」などに見られるように、新たに立ち上げた「中野駅周辺まちづくり計画」関係者の間には、過去の調整経過がまったく飲み込まれていないことがわかります。
- この部会で高層ビル誘致に特に積極的な姿勢が見えるのは、(財)新都市建設公社の各氏の発言内容(「公」となっている方)です。中野区から調査委託をされた企業が、各氏の意見を真摯に聞くという姿勢よりも、積極的に「先に高層ビル誘致」の立場をあからさまに出していることに驚かざるを得ません。
このように、「中野駅周辺まちづくり計画」とともに立ち上がった専門部会での議論を調べることで、それまでの経過が無視され、「中野駅周辺まちづくり計画」が突如出てきたということがわかります。
B区民の前に全面的に情報公開を
以上、経過と内容の両面から、「2001年転換計画」から「中野駅周辺まちづくり計画」調査委託開始までの空白になっているところが、既存の情報でどこまで埋めることができるか見てきました。その結果、その範囲では空白を埋めるには情報が少なすぎることが分かったと同時に、一方で明らかに不連続があるということは立証できたと思います。
したがって、今後
- 「中野駅周辺まちづくり計画」を持ち出されたのは、2003年6月以降に田中区政の時です。中野区として公的に検討してきたというなら、それを区民の前に全面的にオープンされるべきでしょう。仮に公的な資料がなければ、調査されてしかるべきでしょう。
- このHPでは、中野サンプラザの売却方針との関連で一連の情報提供をしています。それとの関連で2001年6月「転換計画」は財務省も参加した連絡調整会のもとで検討に入ったものの棚上げにされ、警大跡地開発は駅前開発も含めた高層ビルを誘致する「中野駅周辺まちづくり計画」に変わっていきますと推論を含めながら、経過を示してきました。(参照)
これらと「中野駅周辺まちづくり計画」との関連について、その検討経過は全面的に明らかにされるべきでしょう。田中区政のもとで、その任期中に終わることのない中野駅周辺90haに関する再開発へ踏み出そうという無責任な構想計画を打ち出しています。だからこそ、いま、この開発計画の原点となっている「中野駅周辺まちづくり計画」について、上記のことを明らかにすることが、非常に重要となってくるのではないでしょうか。
中野駅周辺まちづくり計画は、警大跡地の開発について、都市計画マスタープランとの明確な矛盾がありました。(参照)
その矛盾を、きわめて問題のある修正手続きをとって解消しようとしました。(参照)
基本となる計画を、後から持ち込まれた計画との整合性をとるために、その都合に合わせて修正するというのでは、何のための基本計画かということになります。そんなことでは基本計画の意味をなしません。それをやってしまいました。
その修正手続きが提案された2006年11月8日の中野区議会建設委員会で、当時の担当参事は「基本構想あるいは『東京都市計画の整備、開発及び保全の方針』というのがありまして、そういったものを加味し」見直しが必要であるという認識を述べ、質疑は終わりました。
ここには、どのような問題があるのでしょうか。
第1に、区民参加で努力してつくりあげてきた基本計画も、その場、その場で必要があれば、より簡易な手続きで、その都合に合わせて見直すのは当然だという姿勢です。
第2に、ここでいう今の基本構想は、こちらを参照していただければ分かるように、素案が発表されたのは2004年12月です。すでに、都市計画マスタープランと矛盾する、警大跡地に高層ビルを誘致する構想で中野駅周辺まちづくり計画がつくられようとしているときに、それに合わせて後追いでつくられていったというものです。
第3に、「東京都市計画の整備、開発及び保全の方針」という東京都の都市計画マスタープランという上位計画との関係についても、すでにこちらで詳しく解明してきました。すなわち、中野駅周辺まちづくり計画は、東京都の都市計画マスタープランとも矛盾するものでありながら、恣意的で解釈で進められました。
このように、「中野駅周辺まちづくり計画」は、関連した基本計画につぎつぎと影響していきました。
警大跡地を中心にすすめられた中野駅周辺まぢづくり計画ですが、区民との合意もなしに、この「中野駅周辺まちづくり計画」の対象範囲がどんどん広域化してきていることです。
- 2005年4月に区民のパブリックコメントを受けた時の「中野駅周辺まちづくり計画」地域は、50ha。
- 2006年12月に「グランドデザイン」を発表した時には、80ha。
- 2007年7月に(独)都市再生機構東京都心支社との調査委託契約した地域は、90ha。
このように、開発対象地域は、この2年間に約倍化してしまいました。いったい、どこで、どのような手続きが経て、このようになってしまったのでしょうか。そして、この広域化の目的は何なのか。それを裏付ける財政計画は、どうなっているのか。再開発地域の広域化で、大きなメリットを受けるところがあるわけですから、情報はオープンにされてしかるべきです。(注2)
駅周辺の広大な再開発計画の情報が区民に開かれていないということは、過去についても、現在にも共通しています。警大跡地のわずか3.5haでさえ1000億円を越えるお金が動いているわけですから、こんなことが許されることではないと思いますが、いかがでしょうか。
このような広域化を進めておきながら、その一方で区には人材がいないと嘆いています。そして、莫大なお金が大手コンサルへ使われています。ここには、区民のためのまちづくりという姿勢は見えず、先に再開発ありきの実態があるように見えますが、区民のみなさんにはどのように見えるでしょうか。(参照)
また、区の拠点まちづくり担当室は、議会で「(警大跡地のような)大規模開発のノウハウがない」ということを認めていますが、ノウハウが無いのに、これだけの大規模開発をすすめようというのですから、驚きます。民間丸投げの状態であることを自ら認めたと言えますし、みずからの力で描ける構想でではないということも暴露してしまったことにもなります。(注3)
@さらに2008年度になって明らかになったこと
2007年7月に(独)都市再生機構東京都心支社との調査委託契約した地域は、90haであることを上記に書きました。
2008年度も(独)都市再生機構東京都心支社との調査委託契約したわけですが、これについても契約書では2007年度と同様に90haのままです。
ところが、2008年8月21日の区長対話集会で区民に示された「中野駅周辺まちづくりに関する動き」には、中野駅周辺まちづくりエリアが、区民が知らぬまに95haに拡大されています。
これまでと同様に区民との合意はそっちのけですすめながら、その一方ではデベロッパーとはよく相談しながら、ちゃっかりエリアを拡大しているとでもいうのでしょうか。区民に、しっかり説明していただきたいものです。
3.コンサルの報告書の公的な検討はされているのか?
その中身はあるのでしょうか。
2005年12月、中野区は三菱総研と「中野駅周辺まちづくり推進」調査委託を1300万円で契約し、その成果物の中に、「中野4丁目地区等の都市開発に伴う導入機能」というものがあります。全部で20頁ほどのものです。(注4)
最初に、「中野4丁目地区等における導入産業等の具体的な機能」なっていますが、全体の述語は「・・・をめざす」「・・・を誘致する」「・・・の集積を図る」「・・・を確保する」「・・・を講じる」として、その目的語に相当するものが、「業務・サービス業」「商業・エンターテイメント産業」「居住施設」とし、あらゆる分野の産業が羅列されています。
それを実現するために「まちづくり会社」をつくり、「産学官連携によるまちづくり」をするなどとしています。そして、このまちづくりによる経済波及効果まで計算しています。
別に、この調査報告書が中野区へ提出しようが、他の自治体へ納めても基本は通用するような内容になっています。
2001年9月7日 中野区議会中野区議会警察大学校等跡地利用特別委員会
久保田まちづくり課長 今後につきましては、財務省も参加いたします連絡調整会で、用地処分や事業計画等にかかわります具体的な調整を図っていくということとなっておりまして、現在その連絡調整会の設置に向けて準備作業を行っております。
2001年11月28日中野区議会本会議
神山区長 警察大学校等の跡地利用連絡調整会、これを設けて、この調整会で具体的な調整をやっていこうという話になりまして、現在これが動いているところです。宮村都市整備部長 10月末に財務省本省を含む関係機関で跡地利用についての連絡調整会を設置いたしまして、土地利用転換計画案ごとに調整等を開始したところでございます。
区といたしましては、財政負担をできるだけ軽減しながら、早期に地元要望に沿った跡地利用ができるよう、事業手法等について検討しながら、連絡調整会の場などで財務省等と協議、検討を行っていくことになります。とりわけ地区幹線道路につきましては、地元要望に沿った土地利用転換の基盤となるものでございます。また、警察病院や清掃関連施設などの導入予定施設の位置を確定するためにも、早期に都市計画を決定する必要があると考えております。そして、都市計画決定後の整備に向けて、さまざまな事業手法について現在検討をしているところでございます。
莫大な事業費計画305億円(318億円)は、合意が得られているのか?
中野区の「財政運営の考え方」に示されているまちづくりの事業費を見ると、警大跡地開発、中野駅地区整備、中野駅南口地区のまちづくりで、合わせて305億円(318億円)になっています。
2007〜21014年度 警大跡地 100億円
中野駅地区整備 140億円
中野駅南口地区 44億円
区役所用地取得 21億
(注)区役所用地取得については、08年度には34億円に変更されている。その場合、合わせて318億円になる。
2007年12月4日 中野区議会建設委員会
秋元拠点まちづくり担当参事 都市再生機構に対する委託につきましては、私どもが本会議の中でも御質問にお答えしているところでございます。中野駅周辺のまちづくりを一体的かつ総合的に推進していくということ、それから、残念ながら、私どもにあれだけの大規模開発のノウハウがない、そういったことから民間の力の活用をしていかなければいけない。その相手先としては、透明性、公平性の確保ができる都市再生機構にお願いしてきたというものでございます。
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