警察大学校跡地利用計画とは

警大跡地内の樹木の一つ

2001年の計画では有効避難面積15haの確保をめざす

 JR中央線・中野駅の近くに、警察大学校等が府中市等へ移転した跡地約14ヘクタール(財務省管理)があります。そこは、中野、杉並区民約10万人の避難場所となっています。
 2001年6月には、大震災時の「避難地としての役割」「応急対応活動、復旧活動等の総合的拠点」との位置づけで、中央部に防災公園を整備し、有効避難面積約15ヘクタールの確保を目指す「土地利用転換計画案」が、地域住民・団体参加で、杉並区、中野区、東京都が合意してつくられました。それは、中野区において、「都市計画マスタープラン」、「みどりの基本計画」、「環境基本計画」、「中野区地域防災計画」など、中野区全体のまちづくり、区政のあり方を踏まえ同様に位置づけられてきました。

 東京都「都市づくりビジョン」は、当該地域の将来像としては「利便性に優れた生活拠点等における魅力的な都市型住宅地の形成」「水と緑の調和した、健康で住み良い、魅力的な居住環境形成とコミュニティの再生を図る必要がある」(44頁)などとされています。「環状7号線の周辺など救援、復興活動拠点となる大規模公園の迅速な整備を推進する」「都市の貴重なオープンスペースとして残されている大学移転跡地等の国有地を公園用地として活用できるように用地の無償貸付等を国に求めていく」(90 頁)と明記しています。

田中区政のもとで高層ビル中心のまちづくり計画に変質

 ところが2002年6月に誕生した田中区政のもとで、2003年7月、中野区は1500万円の税金を使って新たな「まちづくり計画」を(財)新都市建設公社に調査委託(日建設計に再委託)し、2004年1月28日、中野駅周辺まちづくりフォーラム@ABとして発表。貴重な公有地のほとんどが民間の手にわたり、高層ビル中心まちちづくりに一変するものとなることがわかりました。

 その後、2004年4月に「中野駅周辺まちづくり計画検討素案」、同年5月に「中野駅周辺まちづくりの考え方」 、同年10月に「中野駅周辺まちづくり計画素案(たたき台)」、同年10月20日に「中野駅周辺まちづくり計画素案 (たたき台 NO.2)」を発表。

 2005年2月に大規模開発をすすめる「中野駅周辺まちづくり計画素案」を発表し、3月30日には「中野駅周辺まちづくり計画(案)」として、4月より区民に発表、4月25日までパブリックコメントの手続きをして、5月9日に、「中野駅周辺まちづくり計画」として、発表しました。

見直しを求める住民の声

 上記の計画が明らかにされていく中で2005年3月には、田中区長あてに計画の凍結を求める14,000筆の署名を提出。中野区議会へ「中野駅周辺まちづくり計画の見直し」、「防災公園を求める」など100本を超える陳情が出されました。その後のパブリックコメント手続きには300件以上の同様の声が寄せられました。

 杉並区議会にも、「2001年の転換計画にもとづく防災公園の確保を求める」など出され、杉並区議会による現地視察も行なわれました。杉並区としても、中野区にたいして2004年7月23日の6項目の要望を中心に、中野区に具体的な回答を求めました。

 東京都が都市計画手続きに入り、中野区都市計画審議会には意見書390件の内反対253件(65%)、東京都都市計画審議会には提出された意見書421件、内反対289件(69%)。また、、「拙速な決定はやめてほしい」との要請署名2765筆を届けました。

計画の問題点

  1. 21世紀のまちづくりに逆行

     第1に、国内では「高齢者も含めた多くの人たちが暮らしやすいまちづくり」「都市の既存ストックを有効活用する」「コンパクトなまちづくりの都市構造を実現する」「人口減少・超高齢化社会にふさわしいまちづくり」など進めようとする流れになっています。第2に、世界的に見ても、経済的繁栄や規模の拡大指向から環境・経済活動・社会的活力を兼ね備えた地域社会の豊かさの実現をめざしたまちづくりがすすめられています。第3に、それらのまちづくりの主人公は、行政と大手開発業者による従来のまちづくりから住民主体へと転換してきています。
     ところが、警大跡地では、緑の機能、ヒートアイランド・地球温暖化対策など都市環境対策、人口減少社会、防災都市づくりなどこそ、必要不可欠な視点として取り入れるどころか、貴重な公有地のほとんどが民間に売却され、高層ビル群のまちづくりになります。切実な、区民のための福祉施設は、影も形もありません。
     それどころか、拡張予定だった中学校用地は縮小、既存の体育館を移転して区役所を建替える計画になっています。

  2. 公園としての環境が配慮されない都市計画公園

     23区で最も都市計画公園が少ない中野区では、多く住民が公園を強く求めています。もともと、現在の都市計画公園の1.5haという大きさは、中野区が開発者負担の方法をとった場合の「現実的な数値」とされたものにすぎません。
     その開発者負担方式も破綻し、1.5haにこだわる理由はありません。もともと、2001年土地利用転換計画案では、4haの公園を核にして有効避難面積約15ヘクタールの確保を目指す計画があったわけですから、まちづくり計画そのものを見直す必要があります。
     現行計画の公園は、狭く、住民の要望と乖離しているばかりか、四方が高層ビルで囲まれるなど環境を確保できない最悪の計画で、公有地を使って、多額の税金を投入するのに、高層ビルの犠牲になり、失敗です。

  3. 中野、杉並区民10万人の避難場所としてきわめて危険

     第1に、警大跡地の避難場所は、現在の規定でも、23区内の他の避難場所に比較しても、一人あたりの避難面積は平均の1/3の広さです。都内にある9万人以上の大規模な避難場所には、どこも核となる大きな公園、緑地等の恒久的なオープンスペースがありますが、警大跡地の計画にはありません。第2に、この計画は高層ビルの脇に住民が避難することになり、きわめて危険度の高い場所です。第3に、高層ビル周辺の避難場所では、消防庁も言うように、火災旋風対策が必要です。しかし、東京都は「想定できない」と、考えること自体を放棄しています。第4に、もともと「2001年転換計画」では、有効避難面積15.2haの確保をめざしていました。従前の計画との継続性が皆無です。

  4. 中学校の南側に高層ビルを誘導

     住民にパブリックコメントを求めた案は、防災公園と中学校用地が一体のものとなる計画でした。
     ところが、財務省の2006年3月の土地処分案は統廃合予定の中央中学校の拡張用地が開発の犠牲にされ、さらに南側に高層ビルを誘導するものとなりました。当初の計画にない、図面になってしまいました。
     子どもたちの教育環境が悪化するわけですから、これも都市計画の失敗です。住民、教育委員会、中学校関係者には説明もなく進めてしまった東京都、中野区の責任は重大です。

  5. 2001年に掲げた都の方針と矛盾する

     もともと住民合意を前提に進めてきた「2001年転換計画」では、警大跡地は「総合的な防災拠点として位置づけていく」「核となる中央防災公園を整備する」計画でした。それ以外の開発的なものとしては、清掃工場をのぞけば「生活・文化拠点としての機能の充実」「区民のスポーツ活動、健康保持や福祉のための施設」などが公共施設中心で、高層ビル群が建つ計画はありませんでした。東京都の「都市づくりビジョン」でも中野の当該地域は、将来像としては「利便、性に優れた生活拠点等における魅力的な都市型住宅地の形成」「水と緑の調和した、健康で住み良い、魅力的な居住環境形成とコミュニティの再生を図る必要がある」(44頁)などとされています。「環状7号線の周辺など救援、復興活動拠点となる大規模公園の迅速な整備を推進する」「都市の貴重なオープンスペースとして残されている大学移転跡地等の国有地を公園用地として活用できるように用地の無償貸付等を国に求めていく」(90 頁)と明記しています。

  6. 既存の商店街の営業に影響、大気汚染も悪化

     大型商業施設を誘導するため、既存商店街の売上げに大きな影響を与えます。また、狭あいな道路しかない中野区の中心地に、マンション、業務商業施設、大学など設置し、新たに1日あたり7000台の車を誘導します。交通公害、大気汚染の悪化は必至です。23区内でもぜんそくなどの児童がトップクラスの中野区では深刻な問題です。公共交通として重要な役割を果たしているバス路線の利便性が失われ生活道路としての機能損失と同時に、産業界にとって物流機能などへの経済損失も大きなものとなります。
     しかも、大型商業施設を持ち込むために、中野区は「みどりとオープンスペースの拠点」と警大跡地を指定していた都市計画マスタープランを変更してしまいました。そのやり方も、字句上の変更と称して、当該部局内での処理で、報告で済ませてしまいました。

  7. 具体化がすすむにつれて崩れる青写真

     2005年5月の「計画」では、警大跡地内を細かく区切って「文教利用(大学)」、「公共公益利用」、「民間利用(住宅・商業・業務)」とする「複合的市街地の形成」とし、「賑わい」を創出するいってきました。
     しかし、計画が進むにつててその青写真はたびたびの変更を余儀なくされ、東京都が決定した地区計画では「大学教育機能・・・を導入」、「公共公益機能と居住機能を主体とした複合機能ゾーンとして更新を図る」、「商業・業務機能居住機能等が複合」などと、結局は進出事業者の意向で左右されるもので、計画性、将来性は何ら担保されたものではないということがわかってきました。
     また、中野区が「中野駅周辺まちづくり」として計画をすすめている最中に、中野駅南口の「賑わい」の中心拠点となっていた丸井本社が2006年8月に閉店することを発表。区議会も「深刻な事態」とし、丸井への要望書まで提出しました。
     これが、「まちの活性化」として具体化がされたきている実態です。

  8. 住民合意ができていない

     東京都は、住民から「この計画作成について『住民参加』の根拠」の説明を求めましたが、示すことができません。
     中野区は、住民が指摘してきた「都市計画マスタープラン」との矛盾も、都市計画手続きの直前になって認めざるを得ない事態に追い込まれ、字句を修正するという本末転倒の手続きをとりました。「住民参加で決定した」という「中野駅周辺まちづくり計画」も、今では住民が知らないうちに、なし崩し的な計画変更を続け、住民にパブリックコメントを求めた計画とは異なるもとになっています。「2006中野区政世論調査」は、「住みやすさの満足度」で「悪い」の上位は、「災害時の安全性」=57.5%、「騒音や大気汚染」=57.3%、「公園や広場」=53%、「緑の豊かさ」=51%です。
     これでは、住民参加、住民合意ができているとは言えません。

私たちの要求

  1. 関係者との合意を無視し、住民要求にもとづかずにつくりあげている「中野駅周辺まちづくり計画」を白紙に戻すこと。
  2. 警察大学校等跡地利用については、長い年月の努力を積み重ね、国、都、杉並区、中野区、住民と「広域的な防災公園として整備する」ことを第1に進めてきた経過を尊重し、区民を含めた関係者の合意のもとで見直すこと。

これまでの経過(2001年6月12日、2003年7月8日 中野区議会警察大学校跡地利用特別委員会資料より作成)

1988年7月 国の行政機関等の地方移転について閣議決定

1989年6月 区議会「中野駅周辺整備・警察大学校移転促進特別委員会」設置

1990年11月 「中野駅周辺地区整備構想」の策定

1992年5月 「中野駅周辺地区土地利用計画区民会議」が土地利用計画案を提言

1993年3月 「中野駅周辺地区土地利用計画(案)」の策定

1995年3月 中野2丁目地区市街地整備計画作成

1997年10月 中野区、東京都等で構成される「警察大学校等移転跡地土地利用転換計画検討委員会」を設置

1998年5月 同検討委員会が「土地利用転換計画案(中間まとめ)」を策定

1999年3月 同検討委員会が「土地利用転換計画案(中間まとめ2)」を策定

2001年3月 同検討委員会が「土地利用転換計画案」を策定

2001年6月 中野区、杉並区及び東京都共同の案として「土地利用転換計画案」を策定

2001年7月 財務大臣宛警察大学校等の跡地利用について要望書を提出

2002年7月 東京警察病院が基本計画概要を区に提示

2002年8月 サンプラザの譲渡について、雇用・能力開発機構が区に申し入れ

2002年10月 中野区医師会、中野区歯科医師会、中野区薬剤師会及び中野区の4者連名で東京警察病院長宛東京警察病院移転整備に関する要望書を提出

2003年4月 サンプラザについて、区が関与する形で取得する方針を決定 雇用・能力開発機構と協議を継続

2003年6月 国有財産関東地方審議会が東京警察病院用地の売り払いを適当と認める旨を答申するとともに道路の都市計画決定を了解

2003年6月 特別区長会長宛清掃工場用地に関する要望書を新宿・中野・荒川区長連名で提出

2003年6月 中野駅周辺まちづくり調査開始

2004年4月 「中野駅周辺まちづくり計画(案)」発表

2002年から このHPで問題点を指摘している期間の経過について知りたい人は こちらへ

2003年9月〜05年5月まで 中野区の警察大学校跡地計画についての検証は こちらへ

2005年8月から 4者協議に入ってから、処分方針が決まるまで(こちらです。)

2006年3月から 処分方針が決まって、地区計画案発表前まで(こちらから

2006年9月から 地区計画案の住民説明から(こちらから

2007年1月から 都市計画決定手続きへ(こちらから

2007年6月から 財務省が土地処分を開始(こちらから

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