自己紹介の部屋

(徐々に拡充の予定)

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好きな作曲家(敬称略)
(イキナリそれですか?)

     川井憲次(別格)

(以下順不同)
大谷 幸
菅野よう子
大野 雄二
三枝 成章
若草 恵
渡辺 岳夫
松山 祐士
岩崎 文紀
萩田 光男
中村 暢之
有澤 孝紀
すぎやまこういち
植松 伸夫
久石 譲
田中 公平
鷺巣 詩郎
増田 俊郎



他にも何人もいるのですが、とりあえず何らかのカタチでCDを所持している方のみ列記しました。
しかしまぁなんと偏った傾向でしょう・・・ 何人知ってます?

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これまでのあらすじ

・幼少期
スーパーカーブームの際、プラモに手を染める。以降泥沼人生へ(苦笑)

・小学生〜中学生
ガンダム未放映ながらガンプラブーム到来。ガンプラに手を染める。以降(略)
これ以降、アオシマのイデオン等、イマイ・アリイのマクロス、バンダイのバイファム、
タカラのダグラム、ボトムズ、ガリアン等々・・・連綿と続くロボットプラモを作り続ける事に。
当時の愛読書は「コミックボンボン」。
ただし、当時は絵を描くほうが好きで、将来はアニメーターになりたいと思っていた。
当時の愛読書は「アニメージュ」「週刊少年ジャンプ」「週刊少年サンデー」。

・高校生
ホビージャパンを買い始める。
ジャンプは立ち読みで済ませる様になり、アニメ誌はアニメージュからニュータイプへ鞍替え。
プラモは作り続けていたものの、発売ペースに製作が追いつかず、主役メカのみで満足。
そんな中「機動警察パトレイバー」と出会う。ジェガンを芯にファンドでイングラムを作ろうとするも、挫折。
顔が似ているだけではどうにもならない事を思い知らされる。

高三の夏、一念発起し、初期OVA版パトレイバーを制作していた某アニメスタジオを見学。
プロのアニメーターの仕事に触れる。アニメーターの過酷な生活の話なども伺う。
親をなんとか説き伏せ、期限付きで上京の承諾を得るも、先方との話の行き違い
(どうやら高校を中退してすぐ上京するつもり、と思われたらしい・・・)で話が「なかった事」になる。
悔しかったものの「プロの仕事の過酷さ」に不安を抱いていた事もあり、割とすんなり気持ちを切り替え
就職活動開始。
バブル期のお陰で地元企業の採用枠になんとか潜り込む事が出来、無事卒業、就職。

・社会人
絵の仕事を諦めた反動か、余り絵を描かなくなる。その分、模型製作に充てる時間が増える。
メカキットをメインに、当時流行だったソフビフィギュアも製作。ボーメ氏の作風に傾倒。

入社三年目、急遽東京のサービス部門への1年間の出向を命ぜられる。
辞令交付5日後には東京(住居(寮)は千葉)での生活を始める事に。
寮生活故、自由気ままに模型製作というワケにもいかず、ただし田舎と違い欲しいものは
何でも手に入る環境。在庫ばかり増える事に。

1年間のご奉公を終える一週間前に「もう一年どうだ?」と言われ、あっさり承諾。出向2年目に突入。
この頃になると、週に一度は渋谷に出向き、当時渋谷にあった海洋堂、ボークスを巡る様になる。
しかしカネはないので巡るだけ・・・

JAF−CONのコンテストに出品すべく、スクラッチを決意。ネタは当時大ハマリしていた
「セーラーマーキュリー」。
細々と作っていたドラゴンボールの孫悟空をベースに、一ヶ月でなんとか完成させる。
コンテストに出すも、当然「参加賞」。スカイラインGT−Rのプラモを貰う。
よせばいいのにこれに味をしめ(参加賞に目が眩んで、ではなくて「一ヶ月でもそこそこ作れるやん」
という大いなる勘違いを・・・)翌年ディーラー参加する事を決意。

翌年、ご奉公を終え地元に帰還。
海外出張などのトラブル?に見舞われながらなんとか参加申請、原型製作を進め、
「セーラー戦士5体セット」をなんとか完成まで漕ぎ着ける事に成功!!
(今考えても(出来はともかく)よく成し遂げたものだと自分で感嘆します)
・・・ただし、複製のノウハウが全くなかった為、5体分の型の製作が出来ずに「落とす」事に・・・(鬱)
(JAF−CON3日前に「複製出来ないので販売出来ません。どうしたらいいでしょう?」と電話したのは
今では懐かしい思い出・・・ まだその辺が大らかだった頃のオハナシ)

JAF−CON当日、「展示のみ」で参加。
まこちゃんを大層気に入られた方がいて、なんとか譲ってほしいと言われたもののお断りするしかなく
涙を呑む事に。来年への再起を誓う。
ちなみに、セーラームーンブームが来る前年だったので、ひとつの卓で5人全員揃っていたのはウチと
T’sSystem(宮川さん)だけだった模様。

翌年のJAF−CONには、ノンスケールのセーラーマーキュリー胸像(スケール換算すると約1/3程度。
あげたさんより私のほうが早かったのです!(笑))を申請したものの通らず断念。
(出来に自信はあったのですけど・・・)
出品作は「魔法陣グルグル」のククリ。価格が安かった事もあって、会場後1時間待たずに完売。
我が世の春(笑)

翌年、一年間じっくりと取り組んだ「98式AV イングラム」をJAF−CONに投入。
プロポーション取りや各部の形状には自信あったものの、メカモノに相応しからぬ精度の悪さ、
仕上げの悪さのせいか持ち込み数の1/3しか捌けず、昨年の天国から一気に地獄へ。

更に翌年、再び「魔法陣グルグル」でJAF−CON参戦。「ククリ&ニケセット」「キタキタおやじ&ジュジュセット」
を投入。持ち込み数の半分売れる。(この時のお客さんに一文字突破さんがいた事が後に判明)
また、この年はエヴァブームの兆しが見え始めた頃で、展示目的でシンジ、レイ、アスカの三体を
一ヶ月で製作。三体を絡めてちょっとしたドラマ仕立ての構成にしたところ、これが後にしんたさんとの
出会いに繋がるきっかけに。

この頃、友人の薦めでニフティ・サーブに入会。パソコン通信を始める。
真っ先に参加したのは当然「模型フォーラム」。「キャラクター会議室」「フィギュア会議室」の常連となる。
地域系某フォーラムにも入会。こちらもあっという間に常連に。「直情型爆弾キャラ」として名を馳せる(笑)
また、この時期に今でもお付き合いのある数多くの得難い友人達を得る。
本当にお世話になってます。今後とも宜しく〜

翌年のJAF−CONは綾波レイで参戦。結果はさっぱり(苦笑)
ただし、この時、私の作品ベースでしんたさん製作の綾波が創刊前の「レプリカント」誌取材陣の目に留まり、
創刊号に掲載される事に。
曲がりなりにも雑誌初掲載だったものの、当然「しんたさんの作品」として掲載。
しかもディーラー名が「しんたさん所属のバイクサークル」の名前になっていて微妙な心境に。
(しかも作品がなかなか戻って来ず、しかも戻ってきた作品の首が折れていてかなりげんなり。
お礼状の一枚も入って無く、暫くの間「反レプリカント」な心境に陥ったりも・・・
今ではそんな初期の「悪評」を払拭するに至っていますが>レプリカント誌)

JAF−CON故の制限(エロゲーキャラは無条件却下等々)、セラムン人気後退でJAF−CON故の
メリットに求心力が無くなってきた事などから、以降活動イベントをワンフェスに移行。
しんたさんとのユニット(というか寄生(汗))参加となる。

(以下続く)

(うろ覚えで書いているので、作品の投入年や前後関係など間違っている箇所もあると思います。
判明次第随時訂正します。)

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