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| 所在地 北区紫野雲林院町 アクセス 市バス大徳寺下車 旧大宮を南へすぐ | ||||||
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| このあたりは平安時代の初め広大な原野で狩猟地や遊歩道があった平安時代の紫野史跡です。ここに淳和天皇(在位823?833)の離宮が建てられ度々行幸されました。庭園は美しく、文人を交えて歌舞の宴も行われていたと伝えられています。 天長9年(832)雲林亭と改められ、その後、仁明天皇の皇子常康親王に伝えられ、親王出家の後、僧正遍昭を招いて寺とされ雲林院と呼ばれ官寺となりました。寺となってからの雲林院は菩提講が名高く、歴史物語「大鏡」は、この菩提講で落ち合った老人の昔話として書かれています。 源氏物語にもしばしば雲林院の名前が出ていますが「古今集」の歌枕、謡曲「雲林院」でもその舞台として名を知られています。雲林院は鎌倉時代に入ってからすっかり衰えて、跡地に大徳寺が建立されました。 しかし、鎌倉時代にはすっかり衰え、雲林院の跡地に大徳寺が建立された。現在、大徳寺によって再建された観音堂一宇が、わずかに昔の雲林院の由緒を伝えるにすぎません。 先年行われた雲林院の発掘調査で離宮跡を裏付ける出土品が発掘され文化博物館で展示されました。北大路大宮東入に建設されたマンションが発掘現場で、以前は川島織物の工場でした。雲林院町は相当広い範囲で今も町名として残っています。 |
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![]() 天つ風 雲のかよひ路 吹きとじよ をとめの姿 しばしとどめむ 六歌仙の一人として有名な僧正遍昭の歌碑 僧正遍昭 桓武天皇の孫,仁明天皇の寵愛を受けたので出家,雲林院を賜って花山に住み花山の僧正と呼ばれ六歌仙の一人素性法師の父にあたる |
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最近境内が整備され井戸や庭が配された。 |
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| 昔この地一帯は雲林院村と呼ばれ近隣の若宮神社・玄武神社の神職は雲林院村の有力者が務めていました。:現在の雲林院は大徳寺の塔頭で本堂はありませんが、大徳寺によって再建された観音堂があり寺の由緒をつたえています。小さな観音堂ですが雲林院の名を留めていて信仰厚い人々のお参りが絶えません。 謡曲「雲林院 ;日本史上最高の美男で歌人の在原業平を主人公とした名曲の一つです。 芦屋の公光という男、伊勢物語を愛読の余り夢の告げを受けて雲林院を訪れる。美しく咲く桜の枝を折ろうとすると老人が現れこれをとがめる。 風流の物語の後、老人は業平の化身と暗示して去る。花の下にまどろむ公光の夢に業平が現れ、伊勢物語の秘伝を教え、二条の后のもとへ忍んで通った様を優雅な舞に見せると見て目覚める。 辞典より 雲林院の詳しいことは「源氏の部屋」の雲林院をご覧下さい |
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