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ザンビアにおける
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新聞記事より
 
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コンゴ民主共和国
(旧ザイール)内戦

植民地の歴史/紛争の概略
利権争い・民族紛争-周辺諸国の軍事介入
停戦に向けて

 1998年8月に勃発したDRコンゴ紛争は、周辺諸国7ヶ国を巻き込み、アフリカの歴史上初めての世界戦争とも言われています。
紛争の背景には、水といった資源や、高級鉱物などの天然資源を巡る、政治的なせめぎ合いがあり複雑です。
資源利権の行方に関心のある国々や多国籍企業などが、武器の手配や軍隊の訓練などをして、内戦をあおり支援しているため、紛争は激化・長期化してしまいました。
被害は大きく市民を苦しめ、2002年5月時点で、死者250万人、200万人以上が難民となっています。


歴史
◆ベルギーの植民地支配
1885年、ベルギーが植民地支配を始め、75年間支配下におかれる。
1960年、ベルギーが政権を明け渡す。
ルムンバ氏、国家元首となり、独立を果たす。
その数ヶ月後、欧米の冷戦同盟国の後押しを受け、モブツ氏がルムンバ政権を倒す。

その裏では、有用価値が高く、安く手に入る、豊富な天然資源を狙った、欧米の策略が働いたのでした。

◆冷戦時代のアメリカの策略
アフリカに及ぼすコミュニズムとソ連の影響と戦うべきだと、アメリカは自らの政策をモブツ氏に説明していました。

しかし、その本意は、ザイール(当時のDRコンゴ)の安定と平和の支援を目指したわけではありません。

ザイールには豊富な資源があり、アメリカは

その資源へのアクセス権を有利にしたり、移
送ルートを確保することを狙っていたのでした。

次第に、民主改革や人権問題へと表現のポイントを変えていきましたが、それは依然ザイールのことを考えてのことではなく、アメリカ経済と戦略的な利益拡大を真の目的としていたのでした。

◆モブツ政権
モブツは権力を握り、独裁者と化しました。

汚職、私的財産の搾取、銅の価格の急落、さらに増え続ける負債が、大変な経済景気下降をもたらしました。

2001年4月のWWI(ワールドウォッチ研究所)のDavid氏は、「モブツは死んだが、120億もの負債という遺産が残った。それは、理論上で、国民一人当たり236ドルの借りがあることになる。 一人当たりの年間所得が110ドルの国でのことだ」と指摘しました。


紛争の概略
◆ルワンダにおける紛争に端を発した、コンゴ民主共和国での内戦

<ルワンダ紛争とは:>
1973年から独裁を続けてきたハビャリマナ政権に対する、反政府運動が活発化して、1990年に勃発した内戦。
政権側は、反政府勢力と緊張関係が続く中、【フツ族の民衆】を煽り、対《ツチ族》闘争をしかけて戦乱を起こした。結果、【フツ族】による《ツチ族》の大量虐殺という悲劇が起こった。

1994年、ハビャリマナ大統領が暗殺され、紛争は集結。

これまで【フツ族】が主体を占めた閣僚に代わって、《ツチ族》主体の暫定政権が樹立された。

◆モブツ政権 VS 
 ツチ族+カビラの政権転覆野望
 +ツチ系3国のフツ族弾圧


【フツ族】対《ツチ族》の対立が、ザイールに飛び火しました。

報復を恐れ難民としてザイール東部に逃れた【フツ族】と、ザイール在住の【フツ系インテラハムウェ族】が、ザイール在住の《ツチ系:バニャムレンゲ族》を迫害しました。

死者は数千人、家を失った人は7万人近くに達したと言われています。

こうして【フツ系】対《ツチ系》の勢力争いが、当時のザイールにまで広がったのです。


1996年8月、《ツチ系:バニャムレンゲ族》が一斉蜂起。政権打倒を狙っていたカビラ議長率いる『コンゴ・ザイール解放民主勢力連合・ADFL』が、この動きに乗じて進撃しました。その背後には、フツ族弾圧を狙うツチ系3国のルワンダ、ウガンダ、ブルンジの支援がありました。

◆1997年「モブツ」から「カビラ」へ
"ザイール"から"コンゴ民主共和国"へ

(※「コンゴ民主共和国」を当HPでは「DRコンゴ」と表記します)

1997年5月18日、『ADFL』が首都キンシャサを制圧。
32年も続いてきた、モブツ大統領の独裁体制は崩壊しました。

カビラ議長が大統領に就任。
1971年来の「ザイール」という名から、「コンゴ民主共和国」に国名を変更しました。(※隣国に「コンゴ共和国」という国もあります。)

民衆は、今度こそ民主政権になると期待していました。

しかし、新生政権はツチ族主導の、民主主義からはほど遠いものでした。
また、人々からの信頼の厚い「民主社会進歩同盟(UDPS)」という民主活動のリーダーも閣僚に含まれておらず、民衆はカビラ不振を強めていきました。

これは、陰でツチ族+ツチ系3国(後ろ盾となったルワンダ、ウガンダ、ブルンジ)が、独裁を狙い、フツ族弾圧を期待した結果と思われます。

民衆の反感はとうとう、5月末の反ADFLデモを起こしました。


結局、カビラが戦ったのは民主主義の為ではなく、自分の権力欲しさのためだったのです。その証拠に、カビラ大統領はダイヤモンド採掘権の独裁支配を強めていきました。

モブツ独裁に疲れ、真の民主主義を求めていた民衆は、新たに独裁者になりあがろうとするカビラ大統領に対して、反政府活動を活発化していきました。
◆内戦突入-複雑な相関関係
 @国民 VS ツチ族
 Aカビラ VS ツチ勢力
 Bカビラ VS 打倒カビラ勢力 

政権転覆を成し遂げたツチ族(ツチ系3国も含む)が、政権内や領土内であまりにも権力を誇示しようとしたため、DRコンゴ国民の反ツチ族感情が強まりました。・・・@

それに伴い、カビラ大統領はツチ族軍勢力の追い出しを始めます。
モブツ党閥のために共闘したルワンダ軍勢力を追い出そうとしました。・・・A

1998年8月3日、DRコンゴ東部で「コンゴ民主主義運動(CDC)」が、打倒カビラ、民主主義を求め一斉蜂起。(しかし、彼らの求める民主主義の実態は明らかではありません)・・・B

カビラ大統領は「反政府勢力にルワンダが関与している」とルワンダを強く避難。
その結果、モブツ政権打倒に協力した経緯があるにも拘わらず、ルワンダは一転して打倒カビラの動きを支援するようになりました。続いて、同じくツチ系国家のウガンダ、ブルンジも反政府勢力の軍事支援を始めます。・・・A

結局、8月3日の一斉蜂起が引き金となり、内戦に突入しました。

利権争い・民族紛争-周辺諸国の軍事介入