このページでは浄土山の風景を紹介します。
地獄谷から見た雄山と浄土山。
室堂からでは、両山の全体系は分かりにくい。
雄山から見た浄土山。一の越からの登山道がなだらかに続いています。
浄土山はなだらかな二つの山が繋がった形(竜王を入れて三つか?)をしていて、頂は広く突出した山頂は存在しない。
左側が竜王、登山道が突き上げた先に富山大学の施設、右側が山頂で、ココには宮跡が在る。
一の越からの登山道途中で。
雄山から剱御前までの三山縦走路が、28mmレンズでギリギリ収まる。
左の奥は剣岳で、雄山に映る影が浄土山。
秋になると一の越からは浄土山に隠れて夕日が見えなくなるため、この時期に夕日の写真を撮るためには、雄山、或いは浄土山に登らなければなりません。
竜王岳から見た浄土山。
手前の緑色の建物は富山大学の施設で、元は帝国陸軍測量部の施設だったと聞いている。
一番奥は奥大日岳だけだが、真ん中の山も浄土山である。
浄土山の広さが分かって貰えるでしょうか?。
五色ヶ原、薬師岳方向。
五色の名は、高山植物が咲き乱れる様を表している。
五色ヶ原の山腹はスッパリと切れ落ち、巨大な生物が引っ掻かいた様なキズが幾筋も入っている。
ココは今も崩壊を続けており、積雪期には雪の上に崩れた土が被さっています。
この引っ掻いたような崩落の跡は、浄土山から弥陀ヶ原に至る斜面にも見られる。
それは何故かと言うと・・?。
浄土山の南西に広がる、深くえぐり取られた谷は立山カルデラと呼ばれ、底には工事現場のような景色が広がる。
カルデラは、遙か昔に在った火山の跡で、爆発を重ね、いわば内容物を吐き出しきった末に、自らの体を支えきれなくなって崩壊。
火山の姿は跡形もなく消え去った。
山肌に残る傷跡は、五色から弥陀ヶ原、千住ヶ原を山裾とした火山の崩壊跡である。
安政5年(1858年)この辺り一帯で起こった大地震で、谷には大量の土砂が堆積。
堆積した土砂は富山平野に土石流と成って押し寄せ、甚大な被害を及ぼすようになった。
これを防ぐために、現在も巨大な砂防ダムが幾つも造られている。
写真中央の緑に覆われた山は織田家の武将で、越中の國を治めた佐々佐 成政が埋蔵金を埋めたとされる鍬崎山。
また秀吉と敵対した成政は、家康に秀吉との戦いを促すため、厳冬期にこの谷を通って、ザラ峠、後立山を越えて駿河に向かい家康に会ったのち帰ってきたとされる。
岸に打ち寄せる、波のような雲海。
足下から、水平線の彼方に広がる姿は圧巻です。
夕暮れ時は、ご覧の通り。
秋になると、雲海の彼方に太陽が沈む光景が見られるようになる。