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「徳永善也を送る会」 |
UP 2004年10月29日

遅ればせながら、今までメモ帳に断片的に書き連ねていたものを、気持ちの整理も込めて、きちんと整理して、
このたびやっとページを作りました。 よかったらご覧下さいませ。
1.心境 いよいよ今日、9月13日がやってきました。 昨日の夜までは、まさかこんな複雑な心境になるとは、あんまり思っていませんでした。 もっと静かに厳粛かつ、愛情に満ち溢れた形で、送れることしか考えてなかったのに・・・。 前日まで、ふみぃライブのために遠征していて、そこで会った参列できない友達たちの託された思いをしっかり抱えて、 それぞれのメンバーの気持ちもだけど、ご親族、その他身近な人たちの気持ち、そして何よりも本人はお空の上で、果たしてどんな気持ちでいるんだろうかと考えてしまった。 |
2.出発 朝から落ちつかず、東京駅に向かう。一応喪服といかないまでも、普段着にも見えるようなおとなしめの黒い服を選んだ。 そこはさすがチェファン アブラファン、ライブ大好きな我々、ある意味喪服候って感じの服装じゃなくて、 私も、喪服に近い格好だと、逆に暗い気持ちになっちゃうし、クロベエを明るく送るためには、っと、あれこれ前日から考えたもの。 新幹線構内には、あっちにもこっちにも似たような年代の似たような人たちを見かけました。 その黒い服を着た人たちが、揃いも揃って皆、同じ京葉線の方向に向かっていくのは、やっぱり一般の人から見れば、尋常じゃなく、何かあるといった感じでありました。 全国からこんなに集まって来てるんだね〜、本当すごいね。サニーって。。。しみじみ。 いい会になるといいな。 私も友達と合流し、agehaに向かう。新木場駅に着くと、普段はこの駅では滅多に人がこんなに降りないぞってくらいの降車率。それもほぼ全員が黒づくめ。 案内などなくとも、黒い集団が同じ方向に蟻のように向かっていくから、たとえ初めてでも絶対迷うはずないじゃんって感じ。 橋を渡ると、見慣れたagehaが見えてきた。 |
3.到着 会場に到着し、いつもどおりagehaの構内に入れる階段の前に立った。 しかし、「徳永善也を送る会」と書かれたボードを目の前にして、私たちは全員、誘導員に素通りさせられるままに、そこからはるか先の、何か会社の駐車場のような空き地に並ばされた。 そこは、何の屋根もないし、きちんとそれ用に整備されてるわけでもなく、ただの芝生。 天気は良好。9月中旬と言えどもまだまだかなり暑い、正に夏日。 これもクロベエのためだから我慢できるけど、私たちの並んだすぐ後にもあっという間に列が延びていった。 見上げると、お日様は容赦なく私たちを照らす。こんなんじゃ日焼けも覚悟って感じ。 そのすぐ隣に隣接して立っているビルの窓から、その様子をじっと眺めてるサラリーマンの姿も見えた。 しかし、一体いつになったら列が動くだろう。 そしてやっと1時頃になってのろのろと少しずつ動き出す列。 私も昨日知ったばかりの情報だけど、享氏はじめ、メンバーの会見はもう終わったんだろうか。それともこれからなんだろうか。 最初のアブラの心の時は、マスコミもここまでかぎつけてなかったくせに、今回はハイエナのように、面白がってネタを漁りに来ているようなヤツらばかりに見えた。 その間、私達のすぐそばのagehaの駐車場から、物々しく窓から見えないように覆われた黒っぽい車が一台出ていった。 思えば、ファンだけでもすごい数なのに、クロベエ本人や、メンバーの関係者、親族など、本当にはかりしれないほど大勢の人がクロベエとお別れをするためにここを訪れていることになるんだ。 今、agehaの中では一体何が行われているのだろうか。外に並んでいるだけでは、全く送る会の様子など微塵も感じられなかった。 おそらく、ここへ来るまでに、送る会の会場が決まった時点で、献花、お参りが流れ作業的に行われるだけで、送る会の模様すべてをその場で見ることができないことは予想がついていた。 そして、agehaがもう目と鼻の先に来たあたり、やっと係員の誘導が。 止まっていた列が動き出す。私たちが先頭になって進み始めた途端、カメラフラッシュがたかれる。 ああ、撮られてしまったか。でもまあOAされるとは限らないか・・・。そんなことはどうでもいい、やっと中に入れる? そう思って足早にageha外の階段を駆け下りた私。 |
4.号泣 まつりの時に露店とかが開かれていた駐車場のスペースには、まだまだ何列にも折り返すように長い列ができていた。 まだここから先も長そうだ。でもあの何もない炎天下の芝生に立ちっぱなしでいるよりも、少しでも建物の側に居られるだけでも充分体も気持ちも楽でした。 何よりも、ちょっとずつでも流れが動いていくのが見えるし。 列に並んでいると、ハンカチで顔を覆いながら、目を真っ赤にしながら一般献花を終えた人たちが通り過ぎていく。 それを見て、それまでは、猛暑の中、長時間と立ちっぱなしのけだるさと闘うことで精一杯で、友と気を紛らわしながらおしゃべりしていたけど、急に本来の目的を思い出して、切なさが襲ってきた。 駐車場のスペースにやっと入ることができたと思ったその時、奥の方に、中の様子をモニターで映している大型スクリーンを搭載したトラックが止まっていて、 この時はこれがリアルな中の様子なのか、録画されたものなのかわからなかったが、一般献花も始まっていることだし、これは、リアルではなく、録画されたものを、会場に並んでいる人たちのために、何度もリプレイしているんだろうなということはすぐわかった。 きっと長丁場だし、会見もあることだし、時間的にももうメンバーや関係者は会場内にはいなんだろうな。 歩き進むと、いつもグッズを販売していた駐車場手前の、ブースのあった辺りに、供花を送られた方の全員の氏名が書かれたボードがあった。 列は進むし、その数もものすごい数で、しかも小さい字のため、とてもそこから自分の名前を探すことは至難の業でした。 その辺りから、享氏の声も聞き取れるようになっていてきて、はっきりとはわからないが、時々、嗚咽を混じって話す言葉が断片的に聞こえてくる。 皆長い列がやっとここまできたという感じで、疲れきっていて表情もあまり感じられないほどだったけど、回りの人たちは、そんな享氏の様子を見るや否や、耐えきれずハンカチを取り出す人ばかり。 やっと、列が折り返し、その巨大スクリーンの目の前にやってきて、享氏の、雄たけびに近いクロベエへのメッセージが聞こえてきて、皆声をあげて号泣してました。 はっきりと記憶できませんでしたが、 享氏も涙でぐしゃぐしゃで何度も言葉に詰まりながら、本当に言葉にならないって感じでした。 送る会の進行役&司会を務めていたのは、フジテレビの山中秀樹アナ。 彼が次に紹介したのは、隈さん。 隈さんの挨拶は勿論あの独特の博多弁のまんま。 隈さんがどれほどクロベエを大切に思ってきたか、痛いほどよくわかって、享氏とはまた違った、隈さんの同志への熱い思いに、私は享氏の時以上に号泣。 「お前とはまだまだこれから色々一緒にやりたいことがあった。」 「お前と一緒にバンドをやれたことは本当に幸せだった。」というような内容もあったと思います。 大体の内容はこんな感じだったと思うけど、詳しい言葉を覚えておられる方、どうか教えてください。 その後、山中アナから、沢山の弔電が届けられたことが告げられました。 全部は紹介できませんが。。。っということでしたが、二つほど弔電を読み上げてくださいました。 ひとつめは、黒柳徹子さんからのもので、もう、その名を聞いただけで涙が出そうになりました。 ふたつとも、全文を読み上げてくださいましたが、黒柳さんの弔電が特に印象的でした。 勿論すべての内容ははっきりとは記憶できませんでしたが、最初にこんな感じの内容が読まれて、ますます号泣。 あのベストテンの番組では、色んな時代に渡り、当然チェだけでなく数々の歌手と接したきた彼女ですが、 クロベエは本当に色んな人に愛されてきたんだなぁと思えて嬉しくなってしまいました。 それから続く山中アナの紹介。 「徳永さんが生前リーダーとして所属していたバンド、アブラーズの会計係担当を務める、大土井裕二さんからの謝辞を頂戴いたします・・・」 これには、今までそこにいるだれもが号泣し、涙を拭き拭きしていたにもかかわらず、思わずどっと、笑いが起きました。 そして、淡々と裕ちゃんのお言葉が始まる。 しかし、残念なことに、裕ちゃんのお言葉は、お声がかなり小さくて、殆どと言っていいほど聞き取れなかたの。 それから、続く映像は、発起人の献花。 そこに映し出されていた祭壇に飾られたクロベエの写真は、先日のあぶらまつりで販売されていたあぶら公式のブロマイドのアップのものでした。 それから、山中さんの「在りし日の徳永さんの姿を皆様、しばしご覧下さい」みたいな話の後、生前のクロベエの姿がスクリーンに映し出されました。 その最初のクロベエの笑顔が映し出された瞬間、私たちの回りからは、深いため息のような嗚咽のような声があちこちから漏れてきました。 |
5.献花 「アブラーズの心」で、初めてここを訪れたのは、ちょうど一年前。 あの時の伝説の奇跡のライブが、あの時の熱い思いが甦ってきます。 勿論つい一ヶ月半ほど前に、あぶらまつりで来たばかりなので、久しぶりって気は全くしなかったけど、あれからほんの2ヶ月足らずで、再びこんな目的で来ることになるなんて。 同じ場所なのに、今日は全く違う場所とも思えるくらい。 むしろ、もうここは私たちにとっての聖地のような場所。 入り口ロビーからすぐにフロアの中に入る。 後ろの方の少し段になっているところでは、二人くらいのスタッフの方が献花用の花を一輪ずつ手渡してくださいました。 フロアの中は、勿論既に発起人や、関係者などの姿はなく、全くの一般の方の焼香、献花のみが執り行われていた。 私はできるだけ、長めの、中央寄りの列に並ぶことにしました。 本来なら誰でも短めの列に並ぶというのが普通の人間の心情なんだろうけど、今日ばかりはすこしでも長くその場にいたかったから。 ステージの奥に緞帳が引かれ、その前に祭壇が設けられてました。 祭壇の写真はかなり大きくて、一番高い位置にあったので、どこからでもクロベエの顔をしっかり見ることができました。 皆、順番を待ちながらクロベエになんて言葉をかけようかという表情に見えた。 そして、やっと私の献花の順番が。 このステージで、あの時、あのスポットの下にクロベエが居た。それが今日はこんなに沢山の花々に囲まれて、今日の主役の当の本人は、きっと皆の様子を見守りながら、なんだかテレ笑いでもしているかのように感じました。 あの時、またいつか必ずここで元気にドラムを叩くクロベエが見られるって思って信じて止まなかったのに、その思いは二度と叶わぬ夢になってしまいました。 私の記憶の中に残っている、「心」と「まつり」の時のクロベエのひとつひとつの行動や表情を噛締めるように必死で思い出そうとしました。 何を話しかけたのかあんまり覚えていないけれど、クロベエが無事に幸せに天国で暮らしていけますように。 いつまででもその場にいたかったけど、まだまだ後には献花の順番をひかえた人が山といらっしゃる。 |
6.感謝 フロアを出ると、暗い中とうって変わって明るい太陽に日差しが眩しいくらいだった。 目頭押さえつつも、そのメッセージを歩きながら読むと、また再びますます涙が溢れそうになっちゃって。 私たちが献花を終えた後でも、フロアの外には恐ろしいほどの長蛇の列がずっと続いていて、皆、私たちと同じように、何度も流されている送る会の映像を見ながら、ハンカチで目を押さえている人たちばかり。 フロアの中に居られた時間は正味ほんの5〜10分くらいだったと思うけど、これだけのためにも来れて本当によかったと思った。 献花も終わってしまったし、もうそのまま帰るしかないけれど、私たちはとてもすぐに帰るにその場を離れられず。 列のために張られたロープの外から、再びそのスクリーンを駐車場脇の方で、後ろ髪ひかれる思いで見つめておりました。 献花を終えて出てきた人たちも、すぐには帰れない様子で、献花を終えてからもそこに立ち止まって映像を見つめる人もちょっとずつ増えてしまった。 わかっちゃいるけど、途中からしか聞けなかった享氏の映像だけはどうしてももう一度見ておきたかったのよ。。。 だんだんと誘導の人に追いやられてしぶしぶ前に進む。 私は、発起人こそはなっていないものの、そのメンバーに加わっている、加わっていないとかに関係なく、彼らもその場に来るべきだと思うし、当然来てくれてることが単純に嬉しかった。 そんな今日という日があることに感謝せずにはいられない。 |
7.放心 ageha敷地内を出る手前、駐車場入り口あたりの一般供花の名前のとこでもう一度立ち止まったけれど、 そこで立ち止まっちゃうと、また誘導の人も困るし、実際ここで立ち止まる人が多いのか、誘導のお兄さんはちょっぴり切れかけていたしね。 他の場所の誘導の人は、この場が場だけに、いつものライブのようなうるさいしつこい無理な仕切り方はしなくて、ありがたいなって思っていたけど、 供花したからには自分の名前だって探したいし、やっぱ今日ここに来たからには、すぐに流されて出てしまうよりも、思い出の多いagehaという場をしっかりと心に焼き付けておきたかったのだ。 けど、誰しもが立ち止まることも許されない上、しかもあの小さい文字での表記では、自分の名前を見つけられた人は恐らく殆どいないだろう。 それにしても、ただでさえ平日の昼間、よくぞ全国からこれだけの人が集まってきたものだ。 私たちがageha構内を出て、駅とは反対の後方を振り返り、さきほどの芝生までの道を見ると、まだまだ最後尾が見えないくらいの列が延々と続いていた。 新木場駅とagehaの間にある橋の辺りでは、献花を終えた人たちが、やはり帰るに帰れず、その余韻に浸っていた。 私たちも 橋の向こうにかすかながらも見えるスクリーンの様子を見ようと、ちょっとでも見える位置に立ちながら、agehaの方を見つめていた。 普段新木場の駅自体、本当に港町の埋立地にあるような、工場地帯のような場所にある。 今日のこの事情を全く知らない通行人たちの、いぶかしそうな視線も感じつつ、私たちは無事クロベエを送れて満足したでもなく、悲しみに憔悴仕切ったわけでもなく。 橋の上ではどんな気持ちからか、思わず「クロベエ〜!」って叫んでいらっしゃる方もいらした。 そう思ってぼーっとしているうちにも、まだまだ駅の方からこちらに誘導されながら向かってくる人たちの列が見える。 |
8.前進 東京駅に着いてもすぐには帰路につけず。 午前中から並び始めたので、きちんとお昼ご飯も食べていなかったしで、またお腹もぺこぺこ、喉もカラカラだったんで、少し喫茶店で休息。 新幹線に乗り込んだのは夕方遅く。家に着いたころには22時を回っていることだろう。 見ると、黒っぽい服で、携帯の待ちうけやストラップなどで、判別できちゃう。行きもそうだったけど、この新幹線だけで、果たして参列者が何人乗っていたんだろう。 クロベエの力ってホントすごいね。クロベエ一人のために、日本中で人がこんなに今日動いたんだもんね。 喉も潤い、足の疲れは、ちょっとは取れたけど、なんだかさすがに疲れたな。体だけでなく、感情もすごく動いた一日だったからね。 享氏や隈さんの映像を見て号泣こそはしたけれど、(裕ちゃんは笑った) これが十代の頃だったら、すごいことになっていたかもしれないけど、一人の人間の死をきちんと冷静に受け止め、自ら動いてこれた一日だった。 悲しいでもなく、切ないでもなく、なんだか特別に何かしらの感情もあまり湧いてこなかった。 ただ、未だ実感がなかった、クロベエの死を、これからは本当にきちんと受け止めていかねばならないんだという思いがこみ上げて、 でも、こんなふうに丸一日をクロベエのために費やすことができて、丸一日クロベエのことだけを考えて過ごせた今日という日を、 |