まえがき

 日本の主要四島の一番南の九州と台湾の間にある列島は南西諸島と呼ばれている。それは四つの諸島、す
なわち奄美諸島、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島から成り立っている。この島々は民謡が豊富で世界の「民
謡の宝庫」の一つといわれている。
 奄美の島唄は奄美の島民が作り、唄い続け、継承し、保存してきたものである。それぞれの唄が、いつ作られ
たか、は殆ど不明である。近世に作られたものもあり、あきらかに薩藩時代に作られたものもあり、琉球王国と
の相互関係の見られるものもある。琉球王国の支配以前に作られたものもあるはずであるが、どの唄がもっと
も古い時代に作られたものであるかは知る由もない。13世紀後半から17世紀初頭まで奄美は琉球王国の支配
下あり、17世紀の初頭から1871年ころまでは薩摩藩の厳しい支配下にあった。島民たちは貧しい困難な生活
環境のなかで自然と人生、愛の喜び、悲しみ、を唄い上げたのである。先人たちは唄遊びをしながら、浜辺に打
ち寄せる波の響きと月光の中から美しい島唄を織り上げたのだ。島の岡に掛かっている雨雲を眺めながら、恋
人のことを偲んだ愛の唄もある。島唄の歌詞のいくつかは叙情詩として第一級のものであるがその作者はすべ
て無名の島民だった。無名の先人たちがこの偉大な叙情詩を唄い上げ美しい唄を残していったということは実
に驚異的なことである。苦しい生活のなかから創り出された奄美の島唄は、その殆どが哀調を帯びているが、そ
の哀調は独特の幽玄さを秘めている。もっとも美しい島唄の一つである「しゅんかね節」から一節を引用してみ
よう。

    さんしんぬ くぅまや       三線の駒は
    ちるかむぃてぃ たちゅり    弦を支えて立つ
    わぬや かなしぬでぃ      私は愛しい人を偲んで
    みちに たちゅり         道に立つ

 何と美しい叙情詩であろうか。この唄を武下和平さんのテープで初めて聞いたとき、私はその歌詞と曲の美し
さに魅了された。同じ唄につぎのような一節もある。

    ゆるはらす ふねぃや      夜航海する舟は
    かくれじが かたき        隠れた瀬が敵
    かなまちゅる ゆるや      愛しい人を待つ夜は
    どぅしどぅ かたき         友達こそ敵

 何と興味深い叙情詩であろうか。奄美の島唄の優れた歌詞は無数にある。
ロマンチックなもの、情熱的なもの、気のきいたもの、また滑稽なもの。悲恋を唄ったものに「かんつめ節」や「塩
道長浜節」などがあり、ユーモラスなものに「ヨー加那節」や「豊年節」などがある。
 外国の民謡はたくさん日本に取り入れられて愛唱されている。「ロッホロモンド」、「アニー ローリー」、「ダニー
 ボーイ」、「埴生の宿」、「燃えろ燃えろ」、「サンタ ルチア」、「森へ行きましょう」、「おお ブレネリ」、「雪山賛
歌」、「レッド リバー バレー」、「わらの中の七面鳥」、「峠のわが家」、「聖者の行進」、「揺れるチャリオット」、
「アメージング グレイス」、「ともしび」、「トロイカ」、「一週間」、「カリンカ」、「ステンカ ラージン」などなど、私たち
に親しまれている外国の民謡は無数にある。ところが日本の民謡で外国で唄われているものがいくつあるだろ
うか。ましてや奄美の島唄で外国で唄われているものは一曲もない。外国どころか日本本土でも一部の研究家
を除いて奄美の島唄はあまり知られていない。よく知られている「島育ち」や「島のブルース」は20世紀に作られ
たものであり島唄とはいえない。沖縄はどうか。昔の曲で本土で唄われているのは「安里屋ユンタ」くらいのもの
だ。よく唄われている「芭蕉布」も「花」も「しまうた」も現代の沖縄の人が日本語で作ったものであり厳密な意味
で島唄とはいえない。
 奄美の島唄は言葉が日本語と大分違うので本土で一般的に知られていないが日本民謡大会で1979年に築
地俊造さん、1989年に当原ミツヨさん、1990年に中野律紀さん、がそれぞれ日本民謡大賞を受賞した。これは
奄美の島唄が日本人の胸を打つ何物かをそなえているということを示している。広瀬輝夫氏は『奄美島唄楽譜
集』(音楽之友社)の「あとがき」に「第八回日本民謡大賞をテレビで見ていたところ、鹿児島県代表の「黒だんど
節」を聞いた時背筋が寒くなるような感動を覚えました。これが私の奄美島唄に接した最初です」と書いている。
築地さんと中野さんはフランス、ルーマニア、アメリカでも奄美の島唄を公演したことがある。1990年には朝崎郁
恵さんの奄美民謡団グループがニューヨーク・カーネギーホールで公演した。1999年紺にはフランスのロデスで
開催された国際音楽祭で喜界島出身の前岡愛子さんが「行きゅんにゃ加那節」の一節を特訓したフランス語で
唄って喝釆を受けた。それは次の一節。
 

   みぬさみてぃ ゆるやゆながとぅ     目が覚めて 夜は夜通し
   みぬさみてぃ わきゃかなくとぅ      目が覚めて私の愛しい
    うむてぃ                   人の事を思って
   ねぶららんど                 眠れないよ
   スラ ねぶららんど              スラ 眠れないよ

 2000年秋には奄美の若手の唄者二人貴島康男、中孝介の両氏がルーマニア、チェコ、ポーランド、イタリアの
四カ国で公演した。いま外国で奄美の島唄が注目を浴びつつあるのは奄美の島唄がその特異性のなかに人間
の魂を打つ魅力をそなえているということの証明である。
 私は東洋大学で1961年から1997年の定年退職まで英語と英米詩を教えている間、ずっとチョーサー、シェイク
スピア、ワーズワース、キーツ、ロビンソン・ジェフアーズなど英米の詩人たちの作品を研究して
きたが、いまでは奄美の島唄の魅力に取りつかれている。奄美の島唄を英訳し世界に紹介したいということは
私の長年の夢であった。私はかつて1993年夏ハワイ大学のハミルトン図書館を訪れたことがある。ハワイには
沖縄県出身者が多数移住していて一世、二世、三世、四世、五世までいるので沖縄民謡の英訳書は既にある
だろうと思い調べてみた。すると驚いたことに沖縄民謡の英訳書は一冊も見当たらなかった。ハワイで琉球の島
唄が英訳され出版されることを期待したい。わが国における琉歌英訳は平良文太郎『英訳琉歌集』(My 
Favorite Okinawan Songs)(球陽堂)と西原洋子『八重山の心』(The Soul of Yaeyama:Tubaroma and Life)(国
文社、1995)がある。奄美の島唄が英訳され出版されるのはこれが初めてである。
 優れた唄者たちが録音したテープは聞けば聞くほど、私たちは奄美の島唄の特別な魅力に深く感動する。こ
の本は、奄美の言葉、日本語、英語の三つの言語による対訳版である。読者の皆さんが原歌と日本語訳と英
訳を比べて楽しんで欲しい。英語の好きな主婦、サラリーマンの方たちが、そして学生たちが英語の勉強を楽し
むのにも使えると思う。島唄の豊かな魅力が、原歌の響きのなかに、そして英訳の響きのなかに、感じ取られる
ことを期待したい。
 この本を纏めるにあたっては、『南島歌謡大成X奄美編』から多くの歌詞を選んで翻訳した。この『南島歌謡大
成X奄美編』は記念碑的な著作で、もっとも包括的で、島唄をもっとも多く収集した大冊である。日本語訳も自
由に使わせて頂いた。文英吉著『奄美大島民謡大観』および久保けんお箸『南日本民謡曲集』からも歌詞をいく
つか使わせて頂いた。名瀬のセントラル楽器制作・販売のテープ、CDに付いている歌詞カードの歌詞もいくつか
使わせて頂いた。小川学夫著『奄美の島唄』『歌謡の民俗一奄美の歌掛け』『奄美シマウタへの招待』、仲宗根
幸市著『「しまうた」流れ』『「しまうた」を追いかけて』も参考にした。これらの文献資料の編者、著者、製作者に
深く感謝申し上げる。テープの歌詞についていろいろ教えて下さったセントラル楽器の指宿正樹社長にも感謝し
たい。第二次世界大戦の戦中戦後に笠利方面で唄われていた「くるだんど節」の新しい歌詞を提供して下さり、
かつ島唄の歌詞についていろいろと教えて下さった当原ミツヨさんにもお礼申し上げたい。セントラル楽器を通じ
て歌詞の不明な点についていろいろ教示して下さった坪山豊さんにもお礼申し上げたい。手作りの歌詞集を提
供して下さった徳之島の義憲和、喜界島の服部恒子の両氏にもお礼申し上げる。喜界島で「民謡教室」を開き、
小、中、高校の生徒たちに島唄と三味線を教え郷土文化の保存と発展に尽力しておられる安田宝英さんが「民
謡教室」を見学させて下さったことにもお礼申し上げる。資料提供、情報提供その他で援助してくれ、励ましてく
れた生野勇一、本田徹夫の両氏にも感謝したい。楽譜の作成にあたり援助して下さった音楽教室の先生、福田
房子さんにもお礼申し上げたい。英語の説明文の文体に関していろいろ助言して下さった東洋大学専任講師ジ
ョセフ・デイレンシュナイダーさんにも感謝申し上げる。島唄の歌詞、日本語訳、注、を校閲、助言して下さり推薦
の言葉を書いて下さった大分大学の田畑千秋教授と、英文に目を通し編集し、序文を書いて下さったアメリカ人
作家リーザ・ロウイツさんにも厚くお礼申し上げる。出版にあたり助成金を出して下さった奄美文化財団に厚くお
礼申し上げる。本書の出版に当たって原稿が本になるまでいろいろとお世話して下さった北星堂編集部の本城
正一さんにも厚くお礼申し上げる。
                                         郡山 直    
                                         相模原市弥栄にて  
                                         2001年4月25日

                                              
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