| 東村山市の「郷土研究会」が平成4年より市内の古老より聞き集めたものです。 A5版で市内の本屋さんに売ってますのでここに掲載したもの以上を読みたい方はお求めください。 本には240の話があります。その中のいくつかを紹介します。話をしてくださった方の名前と、 話の中の姓は省略してあります。 |
| 郷土研究会:昭和45年発足。東村山及び周辺の地理・歴史・民族の調査と研究をする。もちろん私も会員です。会費会員ですが・・・・(^^) |
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| カテゴリー | 自然・地名 | 動 物 | 狐・人魂 | 信 仰 | 教 育 | 生 活 | |
| 自然・地名 |
| 雹 雹 雹 |
| 昭和27年5月29日、3時頃から湧いてきた入道雲におののいている間もなく大豪雨。雷鳴は空襲の爆弾の音より凄かった。あたりはたちまち夜になった。豪雨に雹が混じってきた。はじめは小砂利が降るようだと思ったが、だんだん「ガラガラ、ゴロンゴロン」と岩石が投げ落とされるような音。「これは天変か?」と青ざめた。家族はひとところに集まって恐怖が終わるのを待った。恐る恐る外を見て驚いた。雹は直径5センチ。まさに氷の岩だった。 当時我が家の冷蔵庫は氷を上の扉に入れる型だったので、転がっている雹を拾って洗い、氷の代わりにした。 |
| 当時、冷蔵庫があったというのはすごいですね。 |
| お寺の怪音 |
| 春、芽吹きのころ「お寺の脇を通ると気味悪い音がする」とよく言われた。梅岩寺(ばいがんじ)には東京都指定天然記念物の「大けやき」が山門近くにある。また「大けやき」ほどでもないが、何本かの欅が寺の塀の内側にぐるりとそびえている。 「サワサワ」「シュルシュル」「ササアー」夕方や夜、まして墓地の多い側で聞くと不気味さは倍になる。何とその音は、欅が芽吹きのために大地から吸い上げる水の音なのだ。昨今、市街の騒音にかき消されているが、芽吹きを仰ぐと昔の怪音も懐かしい音として思い出される。 |
| こんぴら山・おんだし坂 |
| 野口町一丁目、清正公(せいしょうこう)さまや猿田彦神社のある高台をこんぴら山と言った。松林の山だった。 江戸時代、伊勢と並んで一生に一度は参拝すべきものと四国の金毘羅参りは庶民の間に広まった。 金毘羅さまを信奉する○○文衛門は、天宝14年(1843)この山に石祠の琴平様を祀った。金毘羅宮である。航海安全・家内安全・息災の神である。 志木街道はこのこんぴら山の脇を通っており、坂道となっていて、この坂を「おんだし坂」という。押し出す、つまり車を押し出し、坂道を上がりきったということである。志木街道は新河岸との交易で往来が多かった。 |
| 恩多の後家通り |
| 恩多の辻から柳窪(東久留米)へ通じる道が、昔、後家通りと呼ばれたのは有名な話だ。 そのわけは、辻にあった地蔵さまを分教場ができるので、大泉寺(稲荷神社となり、今は廃寺、墓地は残っている)に移したんだって、どうしたわけか、その地蔵さまの通り道沿いの家の主人が次々に亡くなって、後家さんになった家が多くなってしまった。すると、「あの地蔵さまはあらたかで、動かしたりするからタタリが起こるんだ」という話が出た。しばらくたって灯篭も地蔵さまもみなもとの辻ん所に戻して納められた。その地蔵さまが通った道が後家通りと呼ばれたわけだ。今考えると流感か何かのはやり病で多くの人が死んだんではないかと思う。 |
| 分教場:化成小学校の分校 |
| 動 物 |
| 狸と狢(むじな) |
| ずっと古い話ですが、村山貯水池から山口貯水池の前の方に私の実家(瑞穂町)の山があるんですが、その山に大きな木があって、そのくぼみに狸が棲んでいたんです。毎年子供が生まれるらしく、親と子がパラパラ駆けていくのが見えました。 冬枯れで、山の斜面が透けて見える頃になると、狩人や私の親戚の人が鉄砲でよく撃ちました。「怖いなあ」と思いましたけれど、水飲み場に連れてきたのを見ました。これは狢(むじな)というんでそうです。狸とちょっと違うみたいでした。犬よりちょっと大きくて口がちょっと細いみたいでした。 |
| むじな:@あなぐまの異名 A狸のこともいう。似てるため混同される。 |
| 麦畑の野兎 |
| 昔の野行(久米川町1丁目)は畑続きの広い野原だった。学校から帰り、麦畑に行くと野兎がよくいた。麦が食われてしまうので追い回したものだ。 これも子供の仕事の一つであった。 |
| 蛇みこし |
| 十三歳か十四歳ごろのこと。家の西脇で、おふくろが「みんな早く来て見ろ」と呼んだので、かけて行ったら、茶畑の間に灰ざる(直径40cmくらいのざる)一杯分もあるほど、小さい蛇がウジャウジャいてびっくりした。みんなで見ていたら、一番てっぺんの蛇が首をキュッと立てた。 おふくろが「あれは蛇みこしと言って、あのとぐろのてっぺんに、かんざしを立てられた者は長者になれんだとよ」と言った。やがて蛇の山は崩れて四方八方へいなくなった。 |
| かっぱへび |
| 子供の頃、田んぼのあぜ道脇の流れに小便をすると、おやじに「かっぱへびっていう、おっかねえのが出てくるからやめろ」と注意された。もししちゃったら、「かっぱへび、で〜るな」と言っておけばいいと言われた。 「かっぱへび」などというお化け動物はいるはずはないのだが、子供心に、ちょっと気味が悪かった。 大切な稲を育てる用水を汚さないようにとの、気遣いがあっての戒めだったのだ。 |
| 狐・人魂 |
| 狐の火の玉 |
| 昔は、年上の子供が幼い弟や妹のお守りをさせられた。 私は、いつも近所の仲良しの友と一緒に弟や妹をおんぶして子守して歩いた。 昭和10年ごろ、雨がしとしと降っている夕方だった。徳蔵寺のあたりから八国山を見たら、山の中腹を赤い火の玉が10個ぐらい、ついたり消えたりするのでおもしろいから二人で見ていた。そしたら、仲良しのおふくろさんが迎えに来て、「あれは狐の火の玉だから化かされると大変だよ」と言われて帰ったことがあった。 |
| 青い火の玉 |
| 私が六年生の時、自転車で停車場(東村山駅)へおつかいに行った帰りに、天王森のお不動様の前の所から、直径5、6センチの青い火の玉が一緒に走ってきて、すごく怖かった。当時は街灯がついていないので真っ暗だったから、それだけでも怖かったのに、50メートルくらい、青い火の玉が一緒についてきたのだから、それはとても怖かった。 |
| 狐のお祭り |
| 舅の清次郎が本家のおじさんと一緒に、夜、お天王様(八坂神社)へお祭りのしたくのことで、相談に行った。帰りに鎌倉道を来て、白山神社の鳥居前から、西宿に来ようとした時、なんと上宿さんの方から提灯がいっぱい行列してくる。そして本物のお祭りのように、笛や太鼓を上手に鳴らして、いい調子だったそうだ。でも不思議なことに、行列は往ったり来たりしながら、突然ふっと消えた、と思うと、また現れたという。 本家のおじさんは「おもしろいから見ていくべえ」と言ったけど、舅が「よく見ろ、人間の家の提灯にゃ家の名や、屋号や印があるけど、ありゃぁ字がねぇから狐だ。そんなもん見てんと化かされて、どうにかなっちまぁから、早く帰んべぇ」とせかせたという。上宿さんの隣の石屋の後ろにお稲荷様があるが、そこのお狐様かな。 狐に化かされると、ぼんのくぼあたりが、ゾクゾクするという。畑の肥溜めの中で「いい湯だ、いい湯だ」と、浸かっている人もあった、という話はよく聞く。 |
| ぼんのくぼ:首のうしろのうなじの中央のくぼんでいるところ。 |
| 狐に化かされた正ちゃん |
| 俺より一つ年上の天王森の正ちゃんが十二か十三の時のことよ。 陸橋(所沢方面)の方へ「ガチャガチャ」捕りに行くって出かけていった。いつまで待っても帰ってこねぇから、組合中で探し回ったら、荒幡(所沢市)の富士のところでめっかってな。「おめえ、どうしたとよ」ってきいたら、「印ばんてん着たおじさんが、俺がガチャガチャ捕ってやんから、ついて来いって、いっぺえ捕ってくれた。なんだか水の中へ入ったり、さつま畑の中を、深い深いって歩いた」って話したとよ。 めっかった時の正ちゃんの顔は真っ黒け。着物は泥だらけだったと。狐に化かされただな。 |
| ガチャガチャ:くつわ虫の俗称 |
| 信 仰 |
| 土祖荒神(どそこうじん)さま |
| 昭和12年に姉がリュウマチで苦しんだ。下里(東久留米市)の信心者にみてもらったら、「屋敷内に何様かあっただろう」と言われた。おじいさんが「そういわれれば、俺の小さいころに、この辺に何かあったような気がする」と言って、掘ったら、「こま犬」の足みたいなかけらが出てきた。そこでお社をつくり、野口のお稲荷様から来てもらって、「土祖荒神さま」ということでお祀りした。姉のリュウマチも落ち着いた。 |
| お諏訪様のご神体 |
| お諏訪様の社は、お祭り以外はあけないから分からなかったが、ある時、泥棒が縁の下から入り込み、床から打った釘先を打ち上げて床板を持ち上げ、中に入ってお賽銭を盗んだ。 こんなこととは知らず、お祭りの準備で主人達が社を開けたら、床板は持ち上げられ、お賽銭は盗まれ、驚いたことには、大事なご神体がない。辺りを探したら、脇の竹薮の中に放り出され、泥で真っ黒になっているご神体を見つけた。泥棒が捨てて行ったのだろうか。 ご神体はきれいに洗って、色を塗り直してお祀りしたそうだ。 |
| お地蔵さま |
| 久米川の実家では子供が生まれても次々に死んでしまって育たなかった。祈祷師にみてもらったら、お地蔵様を建てなさいと言われた。家の入り口に建てたら、十番目の子供が育った。それが私の父である。 年が過ぎて事情があって、お地蔵様をとりこわしたら、おばあさんが目の病気に罹り、それから次々と悪いことが続いた。お地蔵様と関係があるのではないかといわれた。 |
| 動かせない稲荷様 |
| 家から二キロほど離れた梅岩寺道隣に、先祖代々お守りしてきた稲荷様が祀られている。 普通、稲荷様は豊川稲荷さんからお札をもらってきて祀るとかだが、二つある北側のは違う、あの場所にご神体が来られて、居座られたので社を造った。 遠いので動かそうと、宮司さんにみてもらったところ、「動かすと祟りがある」と、いまだに動かすことができず、毎月一日、十五日にはお参りしている。 お稲荷様の「ご神木」(かやの木)は古いので枯れたけど、根本から新しい木が育っている。 |
| 教 育 |
| 本校のものは先輩面 |
| 秋津・大岱(おんた)・回田の分校は、二年生までで、三年生になると本校に移ったんだが、一年からずっといた本校のものが、先輩面をいていた。本校は、だいたい、野口・久米川のものだが、本校意識が強くてね。 |
| 学校に行きたかった |
| 昔は「学校に行くより家の手伝いをするものだ」と一般にいわれていました。私も小学校六年生までは、大好きな学校を休まないで通うことができましたが、その後の二年間(高等科)は、半分しか通学できませんでした。 春は蚕が始まると桑摘むをして、それが終わると麦刈りが始まり、手伝っているうちに夏休みになってしまいます。 昔の子供はもう一人前の働き手でした。 |
| 大運動会 |
| 娯楽の少なかった昔は、村をあげての大イベントの一つに、化成小学校の大運動会がありました。化成本校のほか、廻田・大岱(おんた)・秋津分校の全生徒とその家族が見物と応援をかねて一堂に会する、大レクレーションの場となりました。 開催日は、農作業の終わった十一月二十日でしたから、運動場はもう霜で真っ白でした。万国旗がはためく運動場を、霜を踏んで裸足で駆けたことは忘れられません。運動会のしめっくりは、各部落対抗のリレーで、三年生以上の選手がバトンタッチして最高学年の走者がゴールして号砲一発。「秋の日はつるべ落とし」周りは薄暗くなっていました。 |
| 部落対抗:旧五か村(大字野口・廻田・久米川・大岱・南秋津) |
| 生 活 |
| 年 始 |
| 昔は、年始に行くにも、道は泥んこだし、霜柱で滑ったりする。うちのおじいさんは、きちんとした人で、年始には、つぎが幾重にも当たっている古足袋をはき、草履で出かけたそうだ。そして、きれいな足袋と高歯(高下駄)を持参した。訪問先で、「すすぎ」をもらい、足を洗わしてもらって、足袋を履き、高歯に履き替えてから、座敷に上がらしてもらったと聞いた。 |
| 小正月 |
| 一月十五日は小正月。「まゆだんご」を樫の木に挿す。繭の形や、さつま(さつま芋)の形もある。みかんも飾りにして、石臼の台に立てる。 そして、このころ三河万歳が、家々をまわって、鼓を打って、歌ったり踊ったりして祝う。それはそれは楽しそうにまわって歩く。昭和十三年ごろまで来たと思う。 |
| 昔の子供の生活 |
| 昔の子供たちは、学校から帰ると、家の仕事の手伝いや、子守などをしてよく働いた。勉強をしている子なんていなかった。 運動会のころになると、夜、秋津神社の境内で、かけっこの練習をした。土瓶に石油を入れて、芯を口の所から引き出し、灯をともす。地面に並べ、足元が明るくなるので、走るのに都合がいい。 境内には篠やぶがあった。 下駄履きだった。運動会にははだし足袋をはいた。足袋底に芯が入っていたかな。昭和二、三年のころのことだ。 |
| 子守奉公 |
| 昔は、貧乏人の子沢山で、年上の子供は、家の手伝いや弟妹の世話もしたが、奉公に出された。 私は十二歳のころ、久米(所沢市)の酒屋に子守にやらされた。 夕方、子守をしながら八国山の方を眺めていると、涙がボロボロ出た。夜は山に狐っ火が燃えて恐ろしかった。 十五歳のころ、家でまとまったお金が必要になり、小川(小平市)の大百姓の家へ四ヶ月間奉公することになり、父親に連れられて歩いていった。 一ヶ月五円の賃金で四ヶ月二十円のうち、十五円は「先借り」して、五円は私に残して父親は帰っていった。 朝は五時から夜は八時まで働いた。小川から津田塾の方の畑へ毎日行った。 がまんして、早く四ヶ月過ぎればいいと思って奉公した。 |
| 火事場のにぎりめし |
| 火事があった時、近所や親戚は、焼け出された人や片付けに来てくれた人たちに、「炊き出し」といって、手早くご飯を炊き、「にぎりめし」を作って届ける。 昭和十三年、私どもが都内から転居し、家ができる間、母の実家にお世話になった。ある日、母が残りご飯を三角のおむすびにむすんだ。その時、祖父があわてて「あんだやぁ、火事場のにぎりめしはやめろ。丸くむすび直せ」と言った。 火事場へ持っていくのには三角の方が「きりだめ」に並べて急いでガタガタ持っていっても、下が安定しているからいいのだという。 また一説には、三角の破風のある棟があがるようにと縁起を担いでの意味もあるという。 |
| きりだめ:切った野菜や作った料理などを入れておく長方形の浅い木箱 |
| 火事場のたくあん |
| 食卓にお馴染みの「たくあん」をお箸でつまんだ時、切り通らずにつながっていたりすると、「おめぇ、こりゃぁ 火事場のたくあんだぞ」と言われる。 不幸にして火災になった家には、消防や近所の人など、皆が片付けに来てくれる。その人たちに食べてもらうように「炊き出し」の「にぎりめし」に添えて「たくあん」を届ける。火事場だから立ち食いである。一切れ一切れご丁寧に切り離さない。下側は残して、上だけ切れ目を入れる。これを一本丸ごと皆の前に突き出せば、手伝いの人は二切れなり三切れなり、ちぎりとって食べる。 このことから、つながっている「たくあん」を「火事場のたくあん」という。 |