名古屋の“覚王山(かくおうざん)”は、不思議な街です。「覚王」とは「悟りを開いた人」すなわちお釈迦様のことで、明治時代にタイ王国(当時は“シャム”)から日本にもたらされた、お釈迦様の真骨を安置するために建てられたお寺「覚王山日泰寺」の門前町というのが、ごく普通の説明です。従って、毎月21日には縁日が立ち、多くのお参りの人で賑わいます。街そのものも、古い建物が多く、独特の風格のある町並みを形成しています。
一方で最近は、インドや中国などの輸入雑貨やファッション、エスニックフードを扱う店も増え始め、それに昔懐かしい雰囲気の店や、ギャラリーなどが石材店や仏具店に混ざって並んでいて、一種無国籍・無時代的な雰囲気を醸し出しています。およそ、大型店やチェーン店に縁のない(最近とうとうというか、やっとというか、“スターバックス”が進出しては来ましたが)街です。
日泰寺本堂 ちょうどお彼岸で、露店も出ていました。 |
日泰寺参道。紅茶とインド料理の「えいこく屋」。 左下の手製の看板が、ご愛敬です。 |
石材店前の、釈迦誕生仏。 |
石材店の招き猫。 |
この覚王山界隈は、また違った意味で“不思議”な雰囲気が漂っています。
街そのものが、明治から昭和40年代くらいにかけて発展してきたところで、そのころの建築や遺物・祈念碑の類があちこちに残っています。それが何か、古いアルバムや古本のページをめくるような感覚…“怪人二十面相”か何かにでも出てきそうな、怪しげな雰囲気を醸し出しています。それは、日泰寺の参道から既に始まります。
参道に沿って続く、重厚な石壁の塀。その塀には、中国風の連続模様(ラーメンの丼の縁に描いてあるようなヤツ)が線彫りされてます。そして塀の向こうには、赤い壁に半円形の窓枠の家。
裏通りに入ると、今度は重厚なマンションが2棟。それも“バウハウス風”というのか、“モダニズム風”というのか、四角いコンクリートの箱を積み上げたような建物。機能性だけを考えた今風のマンションとは、明らかに一線を画した建物です。そのマンションの裏に回ると、ものすごく急な下り坂がありました。4WD車でも昇るのに苦労しそうな坂が、いかにもあっけらかんと口を開けています。
道はその急坂をいったん下って、すぐ登りになりますが、そこで振り返ると、さっきのマンションが2棟、向かいの丘の上に見えました。そのマンションは、月夜の晩にさらに巨大化し、伸び上がり、周囲の細かい家を吸い付けて、最後に東山のタワーを乗っけて、合体ロボにでもなりそうな雰囲気に見えました。
”バウハウス風(?)”マンション |
上の写真のマンション遠景。 |
名古屋市の東部で少年時代を過ごした私には、この付近の丘陵地帯は、比較的馴染みのある場所でした。当時は名古屋でも、空き地や古い空き家が残っていました。そんなところを、よく“探検ごっこ”と称して、歩き回ったものでした。草むらの向こうに、怪人や怪物が潜んでいるところを想像したり、空き家の一室に何処かの国のお姫様が捕らわれていると勝手に思いこんだりして、ドキドキしながら、その怪しげな場所を通り過ぎたものでした。
この覚王山一帯は、そのころの“探検ごっこ”のときに抱いた感覚を、呼び覚ましてくれます。行く先々が、いちいち古くて不思議で、そして面白くて。想像力の翼を限りなく伸ばしてくれる場所が、覚王山です。
”谷”へ降りる坂道。下りきった先には、一面の空き地が残っています。 |
”谷間”に咲く、曼珠沙華。 |
空き地の上から見下ろした、名古屋市街。 |
実はこの写真と同じ風景は、もう見ることが出来ません。
上の写真を、クリックしてください。
関連するリンク
四観音道地区環境を守る会
のホームページ
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明国から帰化して、尾張徳川家に勤めていた医師”張振甫”の持仏堂と伝えられる、薬師堂。内部に円空作の十二神将像などを祀っています。日泰寺の縁日と同じ、毎月21日に一般公開されます。
「鉈薬師」本堂 |
鉈薬師堂の山門前には、 中国風の石人像が立っています。 |
鉈薬師近くのお宅の門柱。 ギリシャ風のタイルが埋め込まれています。 |
1つ向こうの“城山”の丘に、尖り帽子の塔を見つけました。これこそ想像力をかき立ててくれる建物、「旧昭和塾堂」ですが、そちらは次回のお楽しみ…
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Data:
散歩した日、写真撮影した日、共に2003年9月23日。
覚王山へのアクセス:
名古屋市営地下鉄東山線、「覚王山」駅下車。
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