人が人らしく生きるために
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◎人権と生存権
人がよりよく生きるためには何が必要か、人たるに値する生活とは何か、人間の尊厳とは何か…。
戦争の記憶は、今や遥か遠い昔となってしまった。
思想統制、強制連行が横行した絶対天皇制・ファシズム下にあった当時の時代の空気がどんなものであったのかは、歴史ドラマを見てたまに感じる程度である。
現代を生きる日本人にとって、多くの者は何不自由のない暮らしができ、豊かな暮らしの中で、基本的生存とはかけ離れたところで、贅沢な悩みに翻弄される日々を過ごしている。
しかし一部の者は、この豊かなモノが溢れた時代にあって、ある者は家庭崩壊で一番大切なものを失い、ある者はホームレスとなって路頭をさまよい、ある者は借金の取立屋から逃げ回る日々を過ごし、ある者は預金通帳の残高とにらめっこしながらいつ見つかるとも知れない仕事を探し続ける日々を過ごしている。
またごく一部の者は、犯罪や、国家・企業など巨大権力の理不尽に巻き込まれ、命を落とし、報われないままの者もいる。
人が人らしく生きるためには何が必要か? 人権とは何か?
それは空気のように当り前のものである。だから普通に暮らしている多数の者は、あまり考えたこともないだろう。
私は、そのヒントに次の2つを挙げる。
一つは今話題になっている北朝鮮問題である。北朝鮮人民の生活を注意深く見守ると、人権とは何かが少し分かってくる。
特に収容所の報道では、人が生きていく極限状態が描かれている。
そしてもう一つは、我が国の憲法である。(→憲法と人権のページ)
我が国の憲法の根本原理は「人間尊重主義」、ただ1点である。
憲法を読むと、人権の何たるかがわかってくる。人権を保持することの大切さがわかってくる。人権を保持することの難しさもわかってくる。
我が国ではすべての国民にすべての人権が保障されている。
しかし、保障されていると言っても、国家が責任を持つわけではない。国家は国民の人権が保持できるよう、努力する義務があるだけである。
結局のところ、人権は生まれながらに与えられるものではなく、自らの手で、勝ち取るものなのである。時に国民同士で連帯を重ねながら。
私はあるとき、「生存権」喪失の危機に陥った。
たびたびの失業は、ついに人権喪失の瀬戸際まで来た。
国家は憲法で保障する、といっても失業保険で生活費の補填をほんの短期間援助するだけ、生活保護は適用されず、「ダメな人間は、他人に迷惑をかけず、勝手に死になさい、めんどうはみません」と国家から宣言された自分を発見していた。◎勤労権
人は生き物である以上、命を保ち続けることが目的以前に第一本能である。
命を維持するために必要なものは衣・食・住、つまりは「金」である。
金を稼ぐ方法は大多数の人間は唯一「労働」である。
憲法で規定する人権のうち「勤労権」はこの労働を保障したものである。
ただの労働ではない、「人たるに値する生活を営めるような就労条件による」労働を保障したのである。
しかし、先の生存権と同様、日本社会の就労環境は、たいていの企業において勤労権の保障に足り得る職場ではなかった。◎人がよりよく生きていくには
「人たるに値する生活と人権」。
決して特別なものを求めているわけではないのに、この当り前のことを少なからぬ国民がこれを享受できずにいる。
これだけ物資に溢れ、民主主義が発展し、福祉国家を標榜する社会において、このことは実に重大な問題である。
今を生きる、しがない一人の中小企業サラリーマン。
このホームページは、まったくの無力者、虫けら同様の私が企業社会から受けた様々な理不尽に対し、全力を投じて発した命のエネルギーである。