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平成17年5月16日

労働者の人権

〜人らしく働き、人らしく生きる権利〜


目    次
T.問題提起
U.人権総論
V.労働者の生存権と人権
W.労働者がよりよく生きるために必要なこと
X.労働者の基本的人権は28条労働基本権にあり
Y.慣習化している労働強制と人権侵害
Z.退職理由から探る労働人権
[.労働人権回復の手段
\.労働組合
].最後に  〜労働人権を守るために〜

別表 「退職を決意する会社への不満の種類と例」


T.問題提起

私たちは何故、これほど強いストレスを日々受けているのか?
私たちは何故、これほど強い不平不満を抱えているのか?
私たちは何故、これほど長い時間(サービス)残業をしなければならないのか?
私たちは何故、モチベーションが下がり続けるのか?
そして、私たちは何故、会社を辞めるのか!! 

U.人権総論

私たち日本人は、日本に生れ落ちたそのときから、日本国憲法によって「人権」が保障されている。
憲法で保障されている「人権」の中身をひと言で言い表すと次のようになる。
「人間が、社会を構成する自立的な個人として自由と生存を確保し、その尊厳性を維持するために必要なすべての権利」。

例えば、私たち国民は、他人や国家に対して、次のような権利を持っている。
○暴力を受けない権利
○脅迫、強要されない権利
○中傷、罵倒され、名誉を汚されない権利
○いいがかり、嫌がらせ、いじめ、つきまとい(ストーカー行為)等を受けない権利
○奴隷的拘束を受けない(自由に行動できる)権利
○財産を奪われない権利
○思想・宗教、良心・信条、支持政党の自由を侵されない権利
○居住場所、結婚、出産の自由を侵されない権利
※これらの権利が侵された場合、相手を訴えて刑罰に処したり、損害賠償金を得たり、権利の回復を実現することができる。

V.労働者の生存権と人権

私たちは、このように自由と生存、人としての尊厳を保持する権利を有している。
しかし、ひとたび会社に入るとこれらの権利は、いっぺんに剥奪されたような気になる。
いや、現実に多くの人権が侵害されている。
それは一体何故だろうか?

1.労働者の生存と労働

日本は自由主義国家・資本主義国家であるから、国家からの強制事項は少ない代わりに、自分の生活費は自分で稼がなければならない。
私たち労働者が働く目的の第一は、生活費を稼ぐためである。
憲法25条1項で国民は最低限度の生活を営む権利が認められており、同時に27条で勤労の義務が課されている。
25 @すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
27 @すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
一方、国家は雇用の直接提供を行っていない。その代わりに職業の紹介を行っている。しかしこれは企業と労働者のペアリングであるから、両者が合意しないと決まらない。企業の方も労働者を選択する自由があるわけだから、それはそれで当然である。

2.権利はあっても保障なしの生存権

問題は、労働を拒否したわけではないのに、労働に就けない場合の措置である。
25A国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
憲法25条1項で謳われている生存権は、権利として認めているがそれを国家が保障するとまでは言っていないところに注意が必要である。
同条2項で国民の生存権が確保されるよう国家の努力義務が謳われているだけであって、保障はされていないのである
!!
その結果、国家は「雇用保険」や「生活保護」によって一定の国民について経済的援助を行い生存を支援しているが、その範囲は極めて限定的なものに留まっている。
失業者のホームレスが都会に溢れているこの社会の実態に目を向ければ一目瞭然である。
生存権。この保障なき権利は、権利とは言えず、結局のところ国民の生存は「自ら働く場所を探し、守る」という自助努力に任されている。

3.労働者の保護法制

資本主義社会では、国民は資本家と労働者の2つの階級に分けられる。
強者と弱者に完全に色分けされた2つの階級が存在する中、自由社会の原則である契約自由の原則をそのまま持ち込んでは、弱者たる労働者は不利な労働契約を強いられ、その結果厳しい生活を余儀なくされ、生存さえも否定される状態に立たされることになる。社会全体としても正常な発展が阻害されることになる。
この弊害を避けるため、憲法は労働者階級に対し、労働基準(27条2項)と労働基本権(28条)を設け、労働者階級がよりよく働くための道具を用意した。
すなわち、次のとおりである。
27A 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
28 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
憲法27条2項では、労働条件の最低基準を定めて、労働者の人たるに値する生活を保障し、28条では、資本主義社会体制上、不利な立場におかれる労働者を対等な立場に立たせるために必要な権利として労働三権を保障している。

W.労働者がよりよく生きるために必要なこと

人がよりよく生きる、人らしく生きるためのすべての権利を総称して「人権」といい、人権は憲法によって認められている。
ここでは人権をより具体的にイメージするため、次の2項目に敢えて絞って考えてみることにする。
@経済的に人らしく生活できる状態
A人間の尊厳性を保って過ごせる状態

1.経済的な人らしい生活

日本をはじめ資本主義社会の労働者は、原則として労働することによってのみ生活費となる給料を得て生活ができるしくみになっている。
そして労働の場は自ら探す自助努力に委ねられている。労働の場は主に企業である。
つまり、労働者はいずれかの企業等に自ら応募し、雇用され続けることによってのみ、経済的に人らしい生活が可能となる。(労働者の配偶者となって扶養される主婦を除く。)

2.新たに深まる生存権の危機

日本の昨今の雇用情勢を鑑みると、終身雇用制が崩れ、転職がかなり増えてきたものの、その一方で中高年の就職が極めて困難な実態が浮かび上がっている。
日本の雇用事情は今、明らかにいびつな状態にある。
終身雇用制が崩れたのであれば、開かれた自由な転職市場がその代わりに形成されなければならないのに、転職には依然として様々な障害が残されたままである。
この状態が意味することは、「労働者の生存権がますます危機にさらされるようになった」、ということである。

3.人間の尊厳性を保てる会社生活

完全な失業保障や次の雇用先の保証があれば、あるいは転職市場が完全に開かれておれば所属する会社や仕事が気に入らなければ自由に辞めることができる。
しかし現実にそれらの保障はなく、転職に不利な点は多い。まして中高年の再就職は極めて困難な現状である。
労働者としてはそうそう安易に会社を辞めれば、経済的に生存の危機が訪れる。
反対に企業としては、いくらでも代わりの労働者に事欠かない。
こんな事情の中で、私たち平凡な中小企業労働者は、上司、経営者たちから様々な形で、人間の尊厳性を軽んじられ、踏みにじられながら、忍耐の会社生活を余儀なくされている!!
これらの労働諸事情を鑑みた上で、人権を国家から与えられた私たち労働者が取るべき道は、せめて35歳を過ぎたら、会社に絶望し、あきれ果てて退職することではない。不当な解雇処分に従順に従うことでもない。
在職しながら、労働者にわざわざ与えられた権利を有効に行使することによって人らしい生活、幸福を追求することではないだろうか!!
私たち労働者が守るべきものは、具体的には
@継続安定雇用
A労働法
B人間の尊厳性
3つである。

X.労働者の基本的人権は28条労働基本権にあり

近年の労働運動と労働組合は縮小の一途を辿っている。
一番の原因は、国民・労働者の生活水準の向上であろう。
そのことは大変に喜ぶべきことである。
しかしこのまま労働運動・労働組合をこの社会から封印してしまってよいのか。
労働組合は歴史的にその役割を終えた、と言えるのか。
その答えは断じて否である。
確かに生きるか死ぬかの瀬戸際を綱渡りする貧困生活を送っている労働者の割合は、戦後に比べて大きく減少した。
しかしながら日本国民は、人らしく生きる権利を認められている。人として生まれてきたからにはせめて人間としての尊厳を保ちたいと思うのは、当然である。
「生きるか死ぬかの瀬戸際」を基準とした場合には、確かに労組の意義は小さくなったが、「人らしく生きる」、「人権尊重」という基準に立った場合、日本の労働者の一部または多くは、その権利の一部を現実として侵害され、制限されており、この基準を達成するために労働組合、労働運動は不可欠な存在であり活動である。
社会的強者たる企業の高圧的、不当な行為によって、労働者の生存権が危機に瀕し、人権が侵害されているとき、それを回復するための手段は、労働基本権の行使しかない!!
労働者が人間らしく生きたいと真に願うなら、多くの職場で抑圧されている労働者が団結して企業に処遇改善を要求することが必要なのである!

Y.慣習化している労働強制と人権侵害

日本の労働者は、会社から様々な労働強制、人権侵害を受けている。
それを労働者がはねつけることができないのは、ひとえに会社と労働者が強者と弱者の関係にあるからである。
そしてどこの世界でも同様であるが、「勝てば官軍」の言葉のように、強者が定めたルールが正義であり、秩序であり、長く続くとそれが「当たり前」になっていく。
かくして私たち日本の中小企業労働者も、自ら日々会社から受けている様々な労働強制、人権侵害を、当たり前のこととして受忍してきている。
実際、世の労働者はこのことをどれほど認識しているのだろうか?
労働法も満足に知らない労働者が多い中で、このことを認識している者は非常に少ないと思われる。
労働強制、人権侵害をされているということにさえ、多くの人は気づかずにいるのである。
私たち労働者は、一刻も早くこのことに気づくべきである!!
日本社会は歴史的に、契約文化社会ではなく、歪んだ儒教文化社会である。
国や企業など、お上、主人、上位者に当たる者には尊敬、感謝をしても非難をするなどもってのほか、の文化である。だからこれらを非難することはタブーであったし、今でもその傾向は残っている。
しかしながら、近代的法治国家、平和国家、人権尊重社会、契約社会として突き進んでいる現代にあって、もはや前時代の亡霊に惑わされる時代ではない。
正当なプロセスによって定められた社会のルールであるならば、お上だろうが、主人だろうが、ルールを破るものは悪い者として罰せられ、改められなければならない。
こういう私もつい最近まで自分が労働現場で「人権を侵されている」という確固たる認識を持っていなかった。社会保険労務士の資格と経験があるので、労働法の違反かどうかという判断はすぐにつくが、どうもそれ以外の部分で、何となくおかしい、納得のできない、という感覚があった。
そしてそれは、憲法で保障されている人権の侵害という重大な問題だったのである。

Z.退職理由から探る労働人権

労働者が会社当局への不満が元で離職する具体例から労働の問題点を探ってみる。
具体的に抜き出してみたものが、別表である。
不満内容を大別整理すると次の3項目に分けることができる。
@不適切な経営者、上司の職務執行、命令
A不適切な社風・慣行
B不適切な人事
また、上記不適切な理由は次の3種類に大別される。
@法令違反(会社の措置命令が、労働法令等に違反しているもの)
A人権侵害(会社の措置命令が、契約強者であることを利用して強制しているもの)
B無秩序経営(会社が組織として正常に機能せず、様々な不都合が生じているもの)
読者の皆さんには、別表のような事例に身に覚えはないだろうか!!

[.労働人権回復の手段

別表の事例について、これらを労基署や民事裁判に訴えた場合、思い通りに改善されて自分の身も安泰という例は、現実にはほとんどない。改善された例を見ても、それまでに多くの労働者が傷つき、退職した後の是正措置である。
会社が労働法を遵守していれば、多くの問題は解決されると考える人も多いかもしれない。
確かに問題の一部は解決されるが、それですべてではない。
強者と弱者という力関係が存在する以上、必ずその力関係に乗じて巧妙な人権侵害が行われるのである。
一般に対等な立場における契約であれば、契約当事者の一方に不満・不都合が発生した場合、他方にその旨を伝えて、両者は誠実にその問題の解決のために協議する。
雇用契約も本来そうなるべきである。
しかし現実は、不満をなかなか会社側に伝えることさえできない。
なんとか意を決して伝えることができたとしても、たいていの場合下される結論は、却下、問題視、不当差別、嫌がらせ、退職勧奨、解雇などである。
会社は強者たる立場をもって正当な意見具申、改善要求を一刀両断に切り捨てる場合が多い。
つまり、労働者が労働現場において正当に人権を確保するためには、会社と対等な立場に立たなければならない、ということになる。
大多数の平凡な労働者にとって、そのための唯一の方法が労働者相互の連帯・団結である。

\.労働組合

1.労働組合とは

労働者が団結連携するためには、「労働組合」という法的に擁護された団体を結成しなければならない。
労働組合とは、 労働者が団結して会社と交渉するために組織する団体である。

2.労働組合の変貌

労働組合は終戦後の最盛期には、生活できる賃金額の獲得を求めて激しい運動を行い、大きな成果を挙げてきた。
しかしその後日本経済は著しい成長を遂げ、国民生活も総じてゆとりが持てる暮らしぶりが実現されるようになった昨今、労働組合も大きな変貌を遂げていった。
変貌の中身は次の2つである。いずれも悪い方へ。
@組織率が最盛期の50%強から現在は20%弱へと大きく衰退した。
A圧力団体として、不当な圧力、不正、違法行為を行い、悪の権力者として権勢を振るう団体も続出している。

3.弱小労働者の壁

日本の労働組合の形態は、その大半が企業別組合であるため、労働組合が存在しない中小零細企業の労働者の大半は労働組合には入れないのが現状である。
また、最近増えている有期契約社員は、個別企業への在籍期間が短いため、労働者相互の連携がなかなか難しい。
中小零細企業の労働者が唯一加入できる組合として一般・合同組合というのがある。
いわゆる「一人でも加入できる労働組合」と呼ばれているもので、所属企業が異なる者同士が集まって団結連携し、それぞれの所属企業当局と交渉していくものである。
職場も違えば、交渉する相手企業もそれぞれ違い、連携団結して団体行動することは、企業別組合に比べると格段に困難性が高い。

].最後に  〜労働人権を守るために〜

私たち、特に中小企業労働者または期間契約労働者は、職場において様々な形でよりよく生きる権利が侵害されている。
これは、経営者の労働者に対する権利侵害と明確に受け止める必要がある。
経営者がすべて悪質というわけではなく、資本主義社会における資本家と労働者の構造的立場の無理解から起こっている問題ではないかと思われる。
私たちは憲法で保障されたよりよく生きるための正当な権利を追求することに躊躇する理由はない。
仮にどんなに労働に理解のある経営者であったとしても。
私たちは、何もしなくても国家が私たちの生活を守ってくれるわけではないことを併せて認識する必要がある。
憲法
121項に、自由と権利を守るために自ら努力しなければならないと謳われているところでもある。
私たちは労働現場において、権利が侵害されたとき、法律によって直ちに国家機関からその権利の回復を得られるという、淡い期待はきっぱりと捨てた方がよい。
自助努力が必要とされるのである。それがすなわち労働組合活動である。
「労働組合」と聞いたとき、最近の印象は実に悪い。
それは大手あるいは公官庁労働組合の一部が、圧力団体として不当な要求を繰り返しているからである。
労働組合は、社会的弱者が社会的強者と対等に問題点を交渉するための道具である。
社会的弱者とは言えない公務員の組合は、その存在の正当性自体も疑われ、交渉内容も本来の目的から外れてきた。
今、労働基本権を積極的に行使する必要がある階層は、中小企業労働者非正規労働者である。
彼らが団結できる場は既存の器では一般・合同組合しかない。
しかしこの組合は数が少なく、力も弱く、なにより使い勝手が良くない。
このように考えていくと、現在私たち弱小労働者を取り巻く環境は、極めて絶望的ともいえる。
しかし、目指すべき方向は明らかに見えている。労働者が団結すればいいだけの話である。
私は、いつかどこかで新しい形の労働運動が芽生えることを願いながら、自らその模索を開始するつもりである。
自分は悪くないのに、もうこれ以上逃げるのは、疲れた!
今度こそ戦いたい!
人としての尊厳を確保したい、ただそれだけのために。