日々雑感


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90.壊れたセーフティーネット

平成20年5月12日

昨日放映されたNHKスペシャル「セーフティーネットクライシス」。
医療保険に入れない人が続出。
医者にかかれず救急車で運ばれた時は手遅れで死亡する者が1年間に全国で470人。
非正規社員が加入する国保、国年。特に国保保険料の割高感が広まっている。
正社員の平均年収600万円弱で健保保険料割合は収入の6%なのに対し、非正規社員の平均年収300万円弱で国保保険料割合は12%。
国保料が年間52万円となるスポーツ用品店を30年経営する主人は払いたくても高くて払えないという。
52歳で正社員の職をリストラされた男性は、持病を持つ妻がいるため、国保料の納付が欠かせない。今後も正社員の職を得ることができなければ、国保料は納められなくなるという。正社員だった時は、会社、社会に守られていたんだと改めて感じるという。
社会保険料の負担感を感じている人は、生活者だけではない。企業経営者の約8割以上が感じているという。
これらの企業のうち、正社員を非正規社員に切り替えて対処したという経営者が約3割もいた。

また、ある中小企業経営者は、あるとき経営難に陥って、1000万円以上の社会保険料を滞納したことがあったという。
介護保険は新施行後まだ10年も経っていないのに早くも財政難に陥り、「自立支援」という詐欺言葉を使って政府は給付を引き下げた。
40年も働いた72歳の一人暮らしの女性は、脳溢血で半身麻痺となり、介護保険を利用してきたが、給付引き下げでそれによる自己負担額は月6万円。支払いきれずにやむなく利用回数を減らした。彼女は今後の生活不安でいっぱいだ。
離婚して3人の子どもを育てる母。
生活保護を利用していたが、これも「給付の適正化」という小泉時代の聖域なき財政改革で保護を見直され、たびたび打ち切られた。
ついに生活保護の場合、これまで「錦の御旗」であった「母子家庭」までも標的とされるようになった。
福祉事務所からは早く仕事を見つけろという催促の電話がサラ金の取立てのようにかかってくる。
母親はストレスと不安で体調を崩し、満足に働けない。高校生の子どもがアルバイトを始めたことを理由に生活保護が打ち切られた。ついにこの子は高校を退学してアルバイトに専念。中学生の子は昼食の弁当が持参できないことが原因で不登校に陥った。
番組の構成は、これまで庶民の生活を支えてきた「企業」と「家族」に扶養機能がなくなったことを原因に挙げていた。
政府は金を生み出す源である企業の意志を重視して、これまでの数十年、社会保障の削減と労働者の身分・賃金等地位の低下策を打ち出してきた。
それで起こった現在の状況。格差社会、貧困層の再生産、ワーキングプア、年金・医療保険制度の崩壊、少子化…。
私たち庶民が、次の希望ある一歩を踏み出せないのは、最低限の生活保障がないからだ。
政府、企業や彼ら寄りの学者は、給付と負担の適正化、生産性の向上、グローバル競争の生き残りを重視する。
しかし、最低限の生活保障もない状態で、「痛みを我慢して頑張ろう」などというのは、貧乏人の生活を理解していない人たちの理屈でしかない。

89.よくがんばった! 偽装請負告発の吉岡さん

平成20426

「偽装請負 直接雇用命じる」本日朝日新聞朝刊一面トップの見出しである。

★事実の経過
20041月 請負会社の社員として松下PDPの工場内で働き始める
20055月 松下PDPの偽装請負を告発
20058月 松下PDPの期間工として6ヶ月契約で直接雇用される
20061月 契約期間満了で失職

☆判決
松下電器の子会社「松下プラズマディスプレイ」の工場で偽装請負で働かされた吉岡力さんが雇用の確認などを求めた裁判で、大阪高裁25日、「当初から労働契約が成立している」として毎月24万円ずつの賃金を支払い続けるよう同社に命じた。

◎解説記事
20062月以降の契約更新拒否は、「解雇権の濫用」に当たる。雇用契約は多数回に渡って(請負会社の時代も含めて換算している)更新されており、実質的に期間の定めのない常用契約とみなす。
・期間工として直接雇用された20058月以降、「長時間・長期間にわたって孤独な作業を強いられた」と指摘し、松下が内部告発などへの報復という不当な動機や目的から命じたと認定した。解雇権の濫用とあわせ、判決は合計90万円の慰謝料を払うよう命じるとともに、この作業に就く義務のないことも確認した。

実に画期的な判決であり、胸のつかえがとれたようにスッキリした気分である。
これだけすっきりとキメてくれると私の意見は蛇足であるが、私が画期的と思ったのは次の点である。
●請負会社の社員として請負業務についた時点から、請負元の会社との雇用関係が成立したと解釈したこと。
●不当な職務命令・内容は、たぶん民法違反(不法行為か債務不履行か記事からは不明)であり、賃金を受ける権利は発生する一方で、「職務命令に従う義務がない」としたこと。
吉岡さんの頑張りと支援者の方々の努力は、日本中の弱小労働者に勇気と希望を与えてくれたことだろう。

88.悪知恵跋扈

平成20419

昨日のNHK番組「特報首都圏」では高年齢者の雇用延長制度の問題について触れていた。
高年齢者雇用安定法によれば、60歳から64歳(現在時点では63歳)までの人には、希望者全員に何らかの雇用継続措置を取らなければならないことになっている。
テレビで紹介された事例では、グループ会社でもないただの取引会社に出向に出すという形を採り、労働契約条件は時給1000円、1ヶ月で12万円の給料、仕事内容は当然今までとはまったく違い、労働時刻も時に夕方からとか、深夜のシフトもあるという内容。
高齢者雇用安定法は年金法の受給開始年齢が60歳から65歳に先送りされることに対応して導入された制度である。
日本人の寿命も長寿化し、国家財政も厳しくなっていることなど総合的に勘案すれば、妥当な考え方であるといえる。

紹介された60歳の男性は、60歳を過ぎてもまだまだ家計収入の担い手であるらしい。
本来なら年金受給年齢の引上げに直接的に連動させ、措置方法は定年の延長のみに限定するべきであった。しかし企業の負担や諸事情を勘案して定年延長以外にも再雇用などの制度を置けばよいとされたものである。
しかし、当該事例の再雇用制度は、法の欠陥をついたあくどいやり方である。
法は処遇について何ら規定していなかったため、再雇用で職務内容も、賃金もまったく予想もしなかった劣悪な内容にされてしまったわけである。
月給12万で肉体的労働では、再雇用制度を使わなくても、自ら探すこともそう難しいことではない。つまりこのような法の欠陥を突いた裏技を使えば、高齢者雇用安定法は「有名無実」な法に成り下がってしまうのである。
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私たち労働者はこれまでも様々な法の抜け道を使われてきた。
●派遣法
派遣労働は、臨時的業務に対応するため絶対禁止とされている「間接雇用」を例外的・限定的に容認した制度であり、派遣の一定期間が経過したら、「直接雇用に切り替えなければならない」という定めが置かれている。
企業はこれを、「短期期間契約による直接雇用」に切り替え、期間満了とともに契約終了として会社から追い出す方法を採った。
最初にこれを聞いたとき、法の趣旨をないがしろにするとんでもない裏技があるものだと思った。
●請負労働
構内請負の場合、他社の工場・現場が勤務場所でありながらも、指揮命令は自分が所属する会社の上司の命令を受けて仕事をする形態である。
しかし、実際に業務を仕切っているのは、当該工場を運営する企業(メーカー)であり、メーカーの社員の幹部が、当該請負業務においても実質的に仕切っており、彼の指示によらなければ仕事が成り立たない。
そこで考えた松下電器。松下電器の社員を請負会社に出向させて彼を請負会社の社員という身分に就かせ、彼が構内請負の正当な指揮命令者として、実質的に間接雇用を適法に行なうずるい方法を考えた。
結局これは、厚労省によって、実態的に間接労働であり違法であると解釈されることとなった。
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一方で私たち労働者も法の抜け道を有効に利用している例がある。
●出産手当金
出産手当金とは、出産のため労務に服することができない一定期間、所得補償として賃金の6割を健康保険から補償しますという制度である。
現在は廃止されたが、この出産手当金、かつては会社を退職しても退職後6ヶ月以内の出産であれば支給が認められていたのだ。

会社を退職したのなら所得を補償する理由はない。にもかかわらず補償金を出すという、理由のわからない制度であった。
●失業保険(雇用保険)
失業保険の趣旨は、労働者が失業した場合に、求職中の生活保障をしようというものである。
失業給付の種類の一つに「高年齢求職者給付金」という制度がある。
失業給付は年齢によって「基本手当」と「高年齢求職者給付金」に分かれる。失業した日が65歳に達した日の前なら基本手当、後なら高年齢求職者給付金である。
どちらか多く支給されるかといえば基本手当の方である。
だから退職の日を微妙に1日調整して多くもらえるようにしている会社や個人がいる。

しかしそもそも高年齢求職者給付金の趣旨は、長年雇用保険料を納付したがそれを使うことなく引退年齢を迎えた人に対する功労金たる意味合いであって、失業保険の本旨ではなく妥協の産物であるから、別にうまく利用するに越したこともないだろう。
●社会保険料
かつて会社を中途退職するとき、こんな技が盛んに使われていた。
会社天引きの厚年・健保保険料。知っている人はいまさらの話であるが…。
退職日は月末日とするところを月末前日とする。例えば区切りよく630日とするところを629日とする。社会保険の資格加入期間は歴月単位で数えられる。
「保険料の額は、月を単位によるものとし、資格取得の日の属する月分から資格を喪失した日の属する月の前月分まで算定される」
「喪失日は、退職日の翌日である」
つまり設例の場合、退職日を629日にすれば、6月分の保険料は取られないが、630日にすれば6月分の保険料を取られることになる。
これから失業者となる不安を考えると1か月分の社保・厚年保険料の数万円は小さくない。
しかし、これはよく考えると必ずメリットとも言えない!
厚生年金は将来の年金額に跳ね返ってくる。6月分の厚生年金保険料は会社からは徴収されないが、6月分の国民年金保険料は全額自分で払わなければならないし、厚生年金保険なら半額は会社負担であるし、年金額も国年より多い。
失業中自分で加入する国民健康保険も、私の場合詳細は忘れたが確か強制的に資格喪失日(設例の場合なら630日)から入れられた気がする。そうならば6月分の医療保険料も得をしたことにならない。
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世の中は狐と狸の化かし合いか…。
法の裏技を多く持つ弁護士、税理士、社労士、経営コンサルタント、企業幹部、政治家たちが持てはやされる。

87.激流中国

平成2049

最近NHKで「激流中国」と題して中国の現状をリポートするドキュメンタリー番組が不定期に放映されている。どうやら昨年4月から12ヶ月に1回程度放映してきたようだ。
私が気づいたのは昨年暮れ位からだったが、内容の凄さに見終わった後、いつも呆然としている。
中国はなかなかの報道規制が敷かれているらしく、これまで人々の暮らしぶりが報道されることが少なかったということらしい。だからこそこれほどビックリするのだ。
何に驚いたかといえば、一言で言えば社会生活の混乱ぶりだ。
上海、北京といった有数の大都市では、超高層ビルが立ち並び、想像を超えた桁違いの金持ち連中が優雅な暮らしをしている。ビジネスをやれば、高度成長期の中国では倍々ゲームのように金が増えていく。
しかし実は彼らはほんの一握りの成功者であり、その一方で、大多数の地方農民が市場開放のあおりを受けて、苦しい生活を強いられている。
インフレで既存の生活が破壊され、村ごとなくなった部落もある。
不慮の事故や病気になると医者にかかる金がない。
既存の農業収入では暮していけず、家族の働き手はやむにやまれず都会へ出稼ぎに行く。しかし行った先の都会でも充分な仕事に就けない場合も多いし、賃金不払も横行している。
家族が豊かに暮らすための唯一の方法は、子どもに勉強させて無理して金を作り大学に入学、卒業させていい待遇で就職させることだ。
そのため、勉強にかけるエネルギーは日本では想像もできないほど必死である。
子ども本人と親の両方ともである。まして中国は一人っ子政策で夫婦に子どもは基本的には一人しかいないから、親の干渉も、日本で若者が親に対して使う「ウザイ」という感情の10倍くらい激しい。一家の将来が一人きりの子どもにすべて託されており、子どもには想像を絶するほど激しく悲しいほどの重圧がかけられている。
親も子どもも勉強していい大学を卒業していい就職をする。それが彼らの価値観のすべてのように写る。
友達選びも学級委員選びも勉強ができるかできないかで判断する。
優秀な生徒が勉強時間に支障が出るといって、決められた学校の掃除をさぼる。
他人に対するやさしさ、思いやり、共感といった人として社会生活として大切と思われる事柄が学校でも家庭でもまったく教えられていない。

こんな子どもたちが将来世界をリードする国の一つである中国という国を作っていくわけだ。
テレビを見たとき、末恐ろしさに背筋に寒気が走った。
社会主義国家であり、政治的には共産党独裁でありながら、経済的には自由競争主義となっており、私もよくわからないが、この部分がメチャクチャな国家・社会の根源ではないかと推測する。
自由経済ということは、私有財産と生活手段を認め、保障する代わりに自分の食い扶持、生活費は自分で稼げ、ということだ。
しかし自由主義の体制が整っていないから、国家対私人、私人対私人の間にトラブルが激増する。私有財産も生活手段も保障せずに、自分の裁量で生計を立てろといい、トラブルに対して国家に都合が悪くなると「共産党の指導」などという詐欺の言葉を用いて弾圧する。
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有名過ぎる、かの「天安門事件」
あのとき何と 人民解放軍が人民に銃を向けた!!
政府があんなことをするとは多くの人が信じられなかった…。
そしてその体質は現在まで引き継がれていた。
チベット自治区のデモに対する政府軍の発砲事件である…。
現在この事件は、世界各国の人々が人権蹂躙への非難の声を高め、北京オリンピック開催に異を唱えている。
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人権については、私は最近特に考えているところである。
少なくとも生存・命・身体に関しては「絶対的人権」と言えるだろう。
「その他の人権」は、その国の法律が決める。
資本主義国においては、「私有財産権」が特に重視される。民主的先進国ならば、「社会権」「人格権」「自由権」が重視される。福祉国家ならば、社会的弱者、貧困層に対して生活援助が為されてすべての国民に「生存権」が保障される。
この点について中国の国家体制はあいまいかつ不十分だ。
そのことにより、日本では想像もできないような「国民の権利の侵害」が国家によって数え切れないほど、日常茶飯事的に行なわれている!!
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人間社会。しかも人類の歴史は4000年を超え、高度な文明を作り上げた21世紀にあって、いまなお世界各地で想像もつかない理不尽、貧困、飢餓、殺戮、強奪が行なわれている。

86.2つの人権から考えたこと

平成2042

月が改まり、先月の話になってしまったが、民法のバラエティー番組「金スマ」のスペシャル版ドラマとしてお笑いコンビ麒麟・田村の自叙伝「ホームレス中学生」の映像版を放映していた。
豊かと言われ、モノに溢れる日本。
ネットカフェ難民やワーキングプアは数年前から社会問題とされているが、少なくとも彼らは大人である。
中学生のホームレスとは、一体どんな事情で、どんな暮らしをしていたのか、以前から気になっている本であったので、興味津々で見た。
父親の生活上の借金で家を差し押さえられ、一家離散、衝撃的なひとり公園野宿生活だった。
もちろん、田村氏本人には何の責任もない。
こんなことが現実に今の日本にあるわけだ!!
世の中の事情がわかるようになった大人の私は、ホームレスがどんなに苦しく惨めなものか想像がつき、ホームレス転落は何としても避けたいと思い、会社を転職しながらも、意に沿わない仕事を黙々と続けている。
大人の場合は、すべてとは言わないが、自己責任がある。
しかし、彼は突然に何の構えもなく、いきなりホームレスになってしまった。しかも圧倒的に無力な子どもである。
終戦後の戦争孤児でもあるまいし、子どもを保護、養育するのは親や社会の義務である。
相当重度な部類の人権侵害である。
テレビ放映の後、本も買って読んだが、やはり呆気にとられ、最大級の心細さを共感し、同時に彼の逞しさと母親を慕う気持ちに感動し、そして、神が人間に与える宿命に戸惑う。
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同じく先月、放映したテレビドラマであるが、「東京大空襲」を見た。
フィクションであるが、その背景は戦時中の様子を再現していた。
太平洋戦争末期、米軍は広島、長崎、沖縄、東京その他日本各地の非武装の一般人に対して、爆弾、銃弾による無差別殺戮を行なったことは歴史上の事実である。
圧倒的なスケールで、これでもかと続く殺戮襲撃と人々が逃げ惑う場面。
人間の存在など少し大きな力にかかれば、虫けら同然であると観念せざるを得ない。
こんな時代に生まれてきた不遇とあきらめるしかない。
これこそ人間にとって最大級の人権侵害であろう。
戦争とはこういうものである。
この時代、人権などという言葉に意義などなかった。
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これらの人権侵害を考えると、いずれも大いなる神が人間に与えた宿命を感じる。
只々、人間の無力さを感じるのみである。
私がこれまで肌で感じてきた人権侵害は、この2つと比べるとまったく次元が低い。
しかしながらあれも人権、これも人権である。
人間がいかに無力であろうと、いかに神に宿命づけられた人生であろうと、田村氏のようにわけがわからなくても精一杯生きようとすることが、人間として生まれてきた意義なのであろう。
生きている限り目指すべきものを目指していくべきであろう。子孫を残すことを最大の目的としている下等動物のように、人間も社会が目指すべきものを、別の人間に引き継ぎながら、人の寿命の何十倍もの長い期間にわたって、よりよい社会を人間社会全体として目指していくべきなのだろう。

85.人権について改めて考えよう

平成2039

人権。中学校で誰もが学び、すべての国民が知っているようで実は知らない。
私も今さらながら、人権について、やっと学びの入り口に入ったばかりのように、改めて人権問題の広さと深さを実感しつつある。
人権、人権問題などと、人々は当然知っているように言葉を使うが、その理解の程度は千差万別である。
例えば私自身も、サイト内で人権という言葉を使っているが、私がこれまで想定していた人権は、勤労権生存権人格権くらいであった。
もっとも基本的な人権である身体(行動)の自由権精神(思想・信条・信教)の自由権などは当然のことと流していた。
人権は、自分の身が実際に侵害・蹂躙されないと、当たり前にあると思っているから、意識していない。
知っていてもそれは言葉上だけで、実感として想像できなければ知っているうちには入らない。
日本国民が憲法で保障されている人権は、すべての人権である。
それは国家や他人から身体と意思の自由を侵されない権利、所有物を奪われない権利をはじめ、平穏に暮らすためのすべての権利である。
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最近の大きな社会問題としての人権侵害事件は次のような事件を思い出す。
●北朝鮮拉致事件
●薬害エイズ事件
●薬害肝炎事件
●アスベスト事件
●生活保護殺人事件
上記事件はすべて、不当に命が奪われるという最大級の人権侵害事件である。
他の人もそうだろうが、新聞等で報道されていても関心がなければ目や耳には入らない。これ以外にも教育現場などで人権侵害事件があったかも知れないが、私にとって関心の薄い領域の事件では、よほど大きな報道がされないと目や耳に入らない。
まして報道されない事件は、なおさら知りようがない。

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このたび私は、意外なことで他の人権を考える機会を得た。
人権が侵されるとき、たいていの場合、加害者は刑法その他の法律に抵触する。
新たに私の思考に入ってきた法律や刑罰は次のものである。
●住居侵入・不退去罪(刑法)
●強要罪(刑法)
●脅迫罪(刑法)
●詐欺罪(刑法)
●不法行為(民法)
●国家賠償法
●非弁行為(弁護士法)
34日に不動産仲介会社光誉実業が非弁行為容疑で逮捕された事件は、私には訳あって特別な印象を与えた。
非弁行為」という言葉を、この事件で初めて知った。
「(前略)弁護士は、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とし、(中略)資格もなく、何らの規律にも服しない者が、自らの利益のため、みだりに他人の法律関係に介入することを業とするような例もないではなく、これを放置するときは、当事者その他の関係人らの利益を損ね、法律生活の公正かつ円滑な営みを妨げ、ひいては法律秩序を害することになる」(昭和46年弁護士法違反被告事件最高裁判決中、弁護士法72条の非弁行為を禁止した立法趣旨)
当該非弁行為は、不当に不動産所有権等を侵害する人権侵害につながる。
この事件ではビルのロビーで大音量のお経を流して嫌がらせをしたらしい。
音量による嫌がらせで思い出したのが、騒音おばさん事件。
この事件は20054月に逮捕された事件だが、今頃になって私の心に届き、調べた。
調べたところ驚いたことは、罪名が「傷害罪」であること。
公共の場以外で「音量を規制する法律がない」ということだ。
毎日毎日大音量の騒音を我慢して、その結果身体が壊れたとき、初めて法律に抵触して加害者が罰せられ、被害者が救済されるというものだ。
庶民が平穏に暮らすために、一定以上の「音量」が障りとなることは、言うまでもない。
そしてそれを規制する法律が存在していないということが驚きだ。
数十年前、「日照権」という言葉が大いに使われ、争われた。
しかし、この10年以上はまったくこの言葉を聞かなくなった。
どうやら、国民の権利として新しい人権として認められ、建築系の法律で、日照権を侵害しないようなビルの建て方をしなければならないように法律が改正されたということらしい。
少し、私には疎い他の分野に頭をめぐらせて見ると、子どもの人権や教育権は充分に擁護されているか、介護などの現場で老人の身体の自由その他の人権は尊重されているか…。
人権には、さまざまな分野でその種類がある。
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人権。それは庶民が平穏に暮らすための権利。
@人権には様々な分野のものがあるということ。
Aそして、現在の日本国民は、充分にすべての人権が保障される体制にないということ。
今はこの2つを肝に銘じ、大いに勉強していきたい。

84.官の不作為 有罪確定へ
〜薬害エイズ事件〜

平成2035

本日付 日経新聞朝刊一面で、標記の見出しが躍っていた。
薬害エイズ事件で担当公務員であった厚生労働省生物製剤課長松村明仁被告が業務上過失致死罪で有罪となった最高裁判決が報道されたものである。
公務員や国家こそが国民に人権侵害を行なっている真の主・親玉であることを主張した矢先の事件であったから、この記事は私の目に真っ先に飛び込んできた。
以下は記事の一部抜粋である。
●「重大な危険があったのに行政上の対策を怠り、患者を死亡させた。」(判決より)

●「行政の不作為」について官僚個人の刑事責任が確定するのは初めて。

●エイズウイルスの混入した非加熱製剤は1400人以上が感染、600人以上が死亡。

●「薬務行政上の防止義務だけでなく、刑事法上も危害の発生を防止する注意義務が生じた」(判決より)

●官僚個人に刑事責任を負わせるケースはある意味異例

●組織に問題があっても、国民の生命や健康に責任を持つ重要なポストにあった官僚がその権限を行使せず、危険を放置したことが許されるわけではない。

●「厚生労働省の職員一人ひとりは決定を重く受け止めて欲しい。」
「厚労省は同じ問題を繰り返している。担当者が何ら責任を負わず異動するからだ。」(川田龍平参議院議員)
「行政官の不作為」の数々は、誠に腹立たしい限りである。
個人的には職安、労基署、警察などが過去にあった。
他人事としてもこのところの新聞報道事件等で、警察、福祉事務所、厚生労働省、農林水産省、国土交通省、社会保険事務所、労働基準局などあらゆる官庁、役所の杜撰で無責任な対応に、私の怒りはその矛先が集中しているところだった。
それだけに、この判決は、私にとっては大いに胸のすくものであった。
国民が平穏に暮せる社会、人権が守られる社会であるためには、公務員がまともな仕事をすることが大前提である。
公務員にまともな仕事をさせるためには、怠慢行為や不正行為、違法行為を公に訴えることが必要である。大企業がそうであるように、公官庁にも自浄作用などない。外圧こそが必要である。
行政オンブズマンなど国民的な行政監視の空気の高揚が望まれる。
私も次の機会が来たときは警察を国家賠償法で訴えたいと思っている。
その機会が来るまでに、人権と法律をしっかり勉強しておきたい。

83.それでもボクはやってない
〜人権軽視の国家を糾弾しよう〜

平成2032

映画「それでもボクはやってない」。
2007120日ロードショー公開
200783DVD発売

200831日テレビ地上波初公開
痴漢冤罪をテーマとしたもので、実話を脚色したものらしい。
昨日私はこの映画をテレビで見て感動した。というか強い嫌悪感を覚えた。
私の感想は一言、警察、検察、裁判官のひどさに腹が煮えくり返った。
――――――――――――――――――――――
私は常日頃から厚生労働省(本省、社会保険庁、労働基準局他)の職務怠慢を糾弾している。
昨年は生活保護殺人事件が大きな話題となったが、これにより生活保護行政の実態等を知ることとなり、「福祉事務所」の違法行為などをHPで取り上げたところである。
私生活では、最近少し警察と関わる場面があった。
警察との関わりは2度目だが、こちらも福祉事務所と同じような感触を得ている。
福祉事務所は保護申請を相談に留めて、申請を受け付けない水際作戦を常套手段としているが、警察署も被害の届けや告訴に訪れた者を「相談」として話を聞くだけで訴えを受理しない方法で追い返しを図る団体である。
追い返しといえば、古くから得意なところが労働基準監督署の労基法違反申告者に対する追い返し行為である。
その他の監督権限を持つ国、都道府県、市区町村の少なくない部門で国民の申告に対して、追い返しや杜撰な対応が行なわれている。
例えば、ミートホープ事件における農林水産省出先事務所や北海道庁、毒餃子事件における保健所などが代表例である。
偽装問題の発端となった姉歯事件も、私は一番悪いのは監督検査機関であると思っている。
しかもこの場合監督検査機関はそれだけを専門としている機関であった。そして検査機関が偽装設計を見逃してしまった。それで責任が問われないなら、存在価値などないではないか。

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国家の意義を一言で言えば、国民が平穏に暮せるようにすることである。
そのためにという社会生活上のルールを作り、それをみんなが守ることで争いごとを防ぐわけである。ルールを管理し、ルールを破ったものには強制的な力で罰則を加える。その権力を公務員に付託した。
公務員が公僕として公正・真摯に職務に当たらないのであれば、国家の前提自体が成り立たない。
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人権」について、憲法から簡単に検証してみよう。
身体(行動)的自由権18条、22条、31条〜34条)
精神的自由権(思想・信教・学問・表現)(19条〜21条)
財産私有権29条、35条)
社会権(生存権25条)・教育権(26条)・勤労権27.28条))
参政権(15条)
人格権・その他幸福追求権13条)
中でも身体を傷つけたり、拘束したりする行為(=身体の自由を侵す行為)は、最大の人権侵害である。
痴漢冤罪は、人権侵害を取り締まり、裁くための専門機関である警察、検察、判事が、自らの手で身体を不当に拘束し、無実の罪をなすりつけ名誉を汚す、重大な国家機関による犯罪である!!
中でも警察のうそやでっち上げは痴漢冤罪だけでなく様々な事件で多用されており、特にひどい。
人権は、最優先で守られなければならない。
公務員がまともに仕事をしなかったら、法治国家ではなく、「放置国家」となり、国民は国法を守る意識が薄れ、社会はメチャクチャになる。
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公務員のルーツを辿れば、江戸時代は武士であり、農民に対し「切り捨て御免」などというとんでもない殺人行為を合法的に行なっていた。
近代に至っても「御上(オカミ)」と呼ばれ、庶民の上に立つ身分として、庶民に対し口答えするだけで刑務所に入れるなどの横暴が行なわれていた。
そして先の経済成長現代、国民の生活水準と教育水準の向上とともに人権意識は高まってきた。
そして今、私たちは、人権について再度よく考える時期にきた。
国民の人権を侵している者たちの真の正体は誰か??
国家ではないか!!? 公務員ではないか!!?
ウェブ上をざっと見渡してみると、「人権」をカテゴリーとするホームページはある。
しかし、人権の領域が部分的であったり、全体的なものは抽象的であったりして、総括的な内容とするものが見当たらない。
「人が人らしく生きるために」。
私はこのホームページでは、生存権と勤労権そして人格権を強く主張してきたものであるが、それ以外の人権も併せて、実質的に尊重されてはじめて、人は人らしく生きられる。
総括的に国民の人権を主張していこう。
そしてその敵は、国家権力である。

82.お金と資本主義が地球を滅ぼす

平成20223

1.総説

現代。
国家や地方公共団体、有力企業の無責任、偽装、不正はとどまるところを知らない。
職場や学校、地域でも、鬼のような世間と化している。
世界各国が利己主義を通し、気がついてみたら地球環境が破壊されて深刻な事態となっていた。
何故こんなふうになってしまったかをよくよく考えてみたら、「お金」に突き当たった。
ほぼすべての地球上の人間は「お金が欲しい」と思い、そのための生活活動の結果、気がついてみたら、人の心が歪んで社会がグチャグチャになってしまった
日本だけの話ではない。中国はもっと深刻である。
日本の国民総生産は平成不況の10数年の間でさえ、減少の年はほんの数年に過ぎず、経済はほぼ一貫して成長し続けている。世界全体でもそのはずである。
人口は増加しているものの、経済成長はそれを遥かに上回っている。
それなのに貧困と飢餓は日本でも世界でもなくならない。
その理由が、今問題になっている「所得格差の増大」である。
仮に富裕者の富・財・金の一部が貧困者に渡れば、地球上から飢餓や貧困は解消する。
全世界の富はそれだけ増えている。
しかし日本や世界の富裕者に、「分け与えろ」と正当に言えるかといえば、言えない。
自ら稼ぎあるいは相続されて所有する富は、私有財産として好きなように使えることが、資本主義社会の大前提であるからだ。
問題は一部の大富豪たちの富の占有に限ったことではない。
私たちごく一般の庶民にも当てはまる。
一般庶民が、ホームレスに財産の一部を分け与えなさい、と半強制されたらどうだろう。
まったく同じ理屈が成り立つ。

2.お金絶対主義の弊害

自由競争、所有権絶対主義。これらを指導理念とする資本主義は、人間の欲望によくマッチしていた。
その結果が、科学技術の発展を促し、商業、工業は高度に発達し、人の生活は実に便利になった。
しかし今、資本主義の弊害が深刻に顕れてきた。
人間の価値観が「お金至上主義」になってしまった。
人は、他人や自然と共存しなければならない。
本来そうしなければ生きていけない存在である。
ところが「お金至上主義」は、この人間にとって一番大切な理念を捨て去ってしまった。
自分と家族や恋人だけが大切。それ以外の他人や自然環境は一切関知しない。
他人の権利や地球環境を侵しても構わない。自分のために利用するだけの存在となった。
それどころか自分の家族や恋人さえも自分のために利用する存在となりつつある。
まことに恐ろしい社会に変貌しつつある。
気がつけば周り中が鬼だらけ。
利己主義者たちは、やがてはこんな冷たい社会に自分の子どもや子孫たちが晒されるであろうことなど気が回らない。というか究極の利己主義者は、自分の子どもや子孫さえも関係ない、と思っているかもしれない。

3.資本主義の短所

行き過ぎた資本主義は、私たちの生活のあちこちから地球環境に至るさまざまなところでほころびを見せている。
資本主義の長所は、これまで存分に人間社会に活かされた。
しかしそろそろ私たちは、「資本主義の短所」をしっかり押さえる時期にきた。
●資本主義とは、自由競争社会であり、競争に負けた者に本来生存権は与えられないものである。
●資本主義の特徴として、よりよく暮らし続けるための前提として、社会経済の成長・発展・拡大が常に求められる。
しかし経済には必ず波がある。よって下降局面で社会の、特に弱者たちに大きな無理が伴うことは体制的に必然である。
●競争と経済発展を繰り返すたびに、所得格差・貧富の差は、広がり続けることは必然である。
●資本主義は、利潤を上げることを究極目的としている。利潤を上げるために事実上手段は問われず、人として社会として大切なことまですべて消し去るような欲望追求主義である。現に利潤を上げた者だけがすべてを手にできる。
●資本主義とは、裕福な資本家階級が貧しい労働者階級を支配する身分制度体制である。
そもそもが身分制度社会であるから、支配される労働者には、様々な形で搾取・収奪、抑圧・弾圧、人権蹂躙が行なわれてしかるべき体制である。
労働者階級から資本家階級に成り上がる者もいるが、成り上がったとたん労働者に圧力をかける存在となる。
資本主義は、今や行き過ぎた。
カネのために、地球環境まで破壊されている。これはどう考えてもまずい。

4.国家理念と資本主義の乖離

資本主義の性格をよく見極めれば、日本国憲法の理念(国民の最低生活の保障、すべての国民の人権尊重など)はそもそも実現不可能であることがわかる。
戦後60数年の間、数十人の総理大臣がそれぞれ立派な公約・所信表明をなされてきたが、その結果が、現在である。
どんな優れた人が国政を担当しようと、大きな限界が「資本主義制度体制」に内在しているのである。統治者の失政、能力不足だけでは説明できない部分があるわけである。
地球環境汚染という大きすぎる課題を抱えた今こそ、「カネ」を人間生活の価値観の中心に置いた「資本主義社会」そのものに変化が求められている。小手先の手法で解決できるような話ではなくなっている。

5.共産主義の失敗

かつて新しい社会体制と目された「社会主義、共産主義」は完全に失敗し、世界から姿を消しつつある。
失敗の原因は、人間の「」にあった(特に権力者や公務員)。
自分だけいい暮らしをしたいと思う気持ちが、理想社会実現という夢多き可能性を秘めた手段を失敗・撤退に追い込んでしまった。
新しい社会を模索するに当たり、この轍は踏まないようにしたい。

6.新経済体制の模索

新しい社会体制と言っても、資本主義をまったく捨て去る体制は今のところ考えられない。
資本主義の体制は残しながらも「お金絶対の価値観」を消し去ることができるほどの大幅な修正が必要であると私は考える。
現在の社会でもっとも深刻な問題を持つ領域が「経済」である。
かつての共産主義、社会主義は、経済活動のみならず、思想、身体まで国家に拘束された。
経済以外の部分は現行の路線を踏襲し、経済体制と国民の良識を大きく変える必要がある。
以後は、私の未熟な空想である。
例えば、第一の国家理念は、「共存共生主義」などとする。
国民の最高の栄誉的行動は、人類の共存共生に向けた貢献であるという意識・社会風潮を定着させる。
経済以外の部分について、「国民の自由と権利」等は今以上に実質的に保障する。
一方経済体制について、「自由競争」「所有権絶対の原則」などの看板は下ろす。
私企業が経済活動を行なって生み出した利潤(富、金)の帰属は一旦すべて国家が所有することとする。その上で、私企業に成果配分することとする。
(今の体制は、自らに帰属してその後税金で徴収するから、税金を「取られた」という意識が芽生える。国是を「利益の個人所有)から「共存共生」と変えれば、このことも当然のこととなる。)
こうして国家に金を充分に集める。
このとき、権力者と公務員に念には念を入れた厳重な監視体制を敷き、共産主義、社会主義の失敗を決して繰り返さないようにする。
そして金の第一の使途として、すべての国民の最低生活費の確保を最優先する。
国民生活に重要な仕事に公務員の人数を充分に当て、犯罪や不正や違法行為の摘発を徹底する。
このようにして、国民生活の安心を今のようにポーズだけでなく、実質的に保障して国民の生活上の不安感を払拭する。
このような体制をつくれれば、自然に「お金絶対の価値観」は消え去り、共存共生の精神が芽生え、社会に正義と思いやりが戻ってくるだろう。

7.現在の日本国の体制と今後

現在の日本国は、「資本主義制度」を大原則とし、付録的に「福祉制度」を置いて、国民生活の安全を保障するという体制を採っている。
日本は戦後より、徐々に経済は復興、成長し、国民生活も相当豊かな内容になってきた。
ある時期、「モノの豊かさから心の豊かさへ」というフレーズが多用された。
経済成長で「一億総中流」と国民が意識した後の時期である。
このような国民生活の向上とともに国民の権利意識も徐々に高まり、「安心して暮す権利」や「人権が尊重される権利」、そして「福祉制度」の向上が意識されるようになってきた。
そしてバブル崩壊と長期平成不況が訪れ、経済の急降下・長期不況で経済社会は大いに混乱し、国民生活は深刻な打撃を受けた。
何と言っても資本主義経済の発展は、「金がすべて」という風潮の世の中になっていた。
そして社会から金が不足すると、一気にひずみが噴出した。
しかし一度気づいた、国民の安心、人権、福祉の権利意識の要求が収まることはない。
金がない政府は、どんな優秀な人が担当したとしても、今の体制では物理的に無理なのである。
資本主義は進みすぎて、貧民層は今後もますます増大する。
昨年は、我慢の限界を超えて、生存と死のはざまにいる者たちが、声を上げ始めた。
時の状況次第で政権は自民党から民主党に移るかもしれない。
しかし民主党とて、「資本主義経済体制+付録としての福祉制度」という理念は変わらない。
今、社会から「お金絶対の価値観」を消し去るための革命のような抜本的改革こそが必要である。
「バカな人間は自ら滅んだ」という映画「猿の惑星」。
猿が地球を支配することは今のところは考えられないが、将来充分に考えられることは、「地球環境が人間の手で汚染されて、人類は自業自得で死滅するかもしれない」ということである。

81.受忍限度と鈍感力

平成20年2月13日

複数の人が集まる社会。人が自分の思いや権利や利益を主張すると、それが他人の思いや権利や利益を侵害することがよくある。それは家庭の中でさえ例外ではない。
これらのことを丸く治めるために、「受忍限度」という概念がある。
「受忍限度」とは法律用語で、被害や権利侵害の程度が、社会通念上さほどでないと認められるときは、耐え忍ぶべき範囲内とされ、権利や利益の侵害には当たらないとされる。
受忍限度とされる程度とは、法的には「社会通念上」という基準で測られる。
しかし、被害・権利侵害の内容と程度によって受忍限度は、人それぞれ大きく違うものである。
個人差は、簡単に言えば、我慢強さとか感受性の強さ・感覚の敏感さとかである。
俗な例を挙げると、汚い部屋にいて気になって掃除を始める人と、気にならない人がいる。
上司や夫で強圧的で口うるさく嫌味なタイプの人に対して、いちいち気にする人、怖がってしまう人、それほど気にしない人、心の中で腹を立てている人・恨んでいる人、いちいち逆らう人、とにかく避けようとする人、ご機嫌を伺ってばかりいる人など様々に感じて様々に対応する。
さて、私たち生活者、労働者は、生きていく上で、どの程度の「受忍限度」が必要であろうか。
社会は様々な理不尽で溢れている。
マスコミでひとたび事件が報道されると私たちは、ひどい会社だねえ、ひどい人だねえ、ひどい親だねえ、ひどい国の対応だねえ、などと口にする。
しかし、マスコミで取り上げられなくても、世の中の犯罪や不正、さらにいじめ、陰口などを含めた悪事は、私たちの周辺にずっとずっと以前から起こっていたし、今も起こっている。
そして今では、「カネがすべて」の世の中となり、「人の道」を重んじる空気は世の中からなくなった。
「他人を思いやる」ということが世の中から消えつつある。
他人の気持ちを考える必要のある相手は、上司や得意先などビジネス、カネがらみの人だけとなってしまった。
(それ以外は異性の関心を買うときぐらいだろうか。)
こんな中で、私たち生活者、労働者の「受忍限度」は、ますます幅を広げていかないと、まともな神経では生きていけない世の中になってしまった。
鋭敏な感受性、木目の細かい他人への配慮・おもいやり、そして正直さ。
これらは人間としての「優れた能力」である。
しかし、今の社会は、こんな「人としての大事な感情」を寄せ付けず、極めて「鈍感」である。
(新聞でこんな記事を読んだ。今、会社の人事考課で実際に評価される能力は、「弁解力」「偽装力」「謝罪力」だそうである。)
「受忍限度」は、昨年流行った言葉「鈍感力」とオーバーラップする。
私たちは今、「自分の受忍限度」「鈍感力」を高めていかなければならない。
我慢の限界を超えたら、気が狂ってしまう。
気が狂ったら、仕事を失い、家族は崩壊し、破滅する。
だから我慢の限界を超えないように自分の我慢の限界を高めていかなければならない。
努めて鈍感になる必要もある。
ときに、見ざる聞かざる言わざるを実行せざるを得ない。
見てしまっては、聞かざるを得ず、聞いてしまっては言わざるを得ない。
そして正しいことを言えばその社会から厄介者扱いされる。
(もちろん、断固として主張すべき場面では別であるが。)
少なくとも見なくていいもの、聞かなくていいもの、言わなくていいものは、関わらない方が賢明だ。
心無い人間の言動をいちいち鋭敏に反応していたら、苦しくなるばかりである。
まともに相手にせず、明るい気持ちで過ごす方がずっといい。
できれば、カネや肩書き・地位・名誉などと一切無縁な場所を会社以外に見つけて、そこで自分本来の優れた能力を発揮して、人として大切なものを見失わないようにしたいものである。

80.心高鳴る年越しに思う「心」の大切さ

平成2011

年末年始の季節は、行く年を振り返り、来る年に希望を祈る厳かな気持ちになる時期だ。
また大晦日は、テレビを中心に1年で最も日本中の人々の気持ちが盛り上がる日だ。
私のホームポジションは、長らく「失業」にあったので、在職で年が越せることにまずは何より安心している。
昨日の大晦日は、私の中では、夜10時を過ぎてから、やっと盛り上がってきた。
久々に10時以降のテレビは、NHKの紅白歌合戦に専念した。
「偽」「嘘」などが蔓延しきった2007年。
普段はまったく見ない歌番組だが、選りすぐりの歌と歌手を揃えた紅白歌合戦の後半は、このような世相の中で、心に響くような歌が披露された。
このくらいのレベルになると、流行歌ではなく、「芸術」の世界に入る。
いい歌には、メッセージ性がある。そしていい歌手は、感度が優れた媒介であり、それ以上に歌手自身がメッセージそのものであったりする。
メッセージの内容は、「人の心」であり、「理想」である。
昨日、私がことさらに感動したのは、世の中が乱れきった中で、「純粋な人の心」のメッセージとしてそれを聞いたからであろう。
歌の文句には、「カネとか打算とか経済とか悪意の嘘とか」、まったく出てこない。
ひたすら出てくるのは、「人の純粋な心、思い」である。
いい歌・いい歌手が、本当にいいと評価されるのは、多くの人が共感するからである。
人は、心が主で、身体は従である。
しかし私たちは、現実の生活の中では、「心」に重きが置かれず、カネとか打算とか経済とか悪意の嘘とか」、つまりは「身体」のことにばかり執着しているわけである。
人間は、身体を維持するために、カネがなければ生きていくことができない。
しかしそのために、実社会では「心」をないがしろにせざるを得ない厳しい社会である。
本末転倒な人間の習性である。
心を活かすためにこそ、身体があるのに、身体を維持することに精一杯で、心を失くしてしまう。
心を活かすために、身体つまり財産にゆとりを持たせようと思って、無理な働き方をする過程で、肝心の心を失ってしまう。
一昨年、旋風を巻き起こした「千の風になって」が昨日も披露された。
人は、身体は死んでも、心はずっと死なない。
どうしようもなく生きにくい世の中になっている。
世の中ここまで乱れたら、もはや身体や生命の維持にそんなに執着することもない。
生命に執着するあまり、生きながら心が死んでしまっては、生き続ける意味もない。
今は厳かな気持ちになれる年末年始の数少ないいい機会である。
神様が餓死・凍死させたいのなら、それに甘んじてみよう、と、もう一度「心の大切さ」を再考してみてもいいのではないだろうか。
自分が遠い昔に持っていた「純粋な心」をもう一度思い出してみてはいかがだろうか…。

79.一年を水に流した納会

平成19年12月29日

今年のカレンダーによれば、小売・サービス業等を除く多くの会社や公官庁の仕事納めは28日になっている。
私の所属する会社も昨日の28日、大掃除と納会が行なわれて、一年の締めくくりとなった。
私は現社に入社して5年目を迎えている。
仕事そのものは単純で、雇用は安定しているのだが、仕事を取巻く諸環境が悪く、今年も3年連続でうつ病が再発した(今は治っている)。
今年も特に人間関係に関して、嫌な思いをしっぱなしの一年間だった。
そんな思いの中で迎えた今年の最終日。
大掃除も終わり、今年やる仕事は一切終えたあとでの納会。
場所は社内の大会議室で、もちろん会社の費用、全員参加で、時間はわずか1時間強。
実にすっきりとした気持ちで一年の最後を終えることができた。
これで今年のすべてが終え、明日からは年末年始の休みに入るとあって、社員・役員全員の気持ちが穏やかになっている。
●仕事では対立気味の社員とも酒を注ぎあった(この点は大人としての最低の包容力がある会社と社員だ)。
●帰りの挨拶は、どこの会社でも同じであるが、「今年一年お世話になり、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします」とお互いに言いあって別れる。
無能力無気力無責任な私の上司である社長兼経理部長もその例外ではない。
今日だけ(それ以外は年始の挨拶くらい)は、お互いにしっかり目を見て気持ちを込めて自然に挨拶ができた。
●帰り道は駅まで中途の同期入社で同職の同僚と一緒だった。
今年の納会はすっきりとしましたね、と話しかけたら、今日一日の段取りがよく開始時刻が勤務終了時刻前に始まり、短時間で中締めが入ってそれで全員がお開きになったから、あまり深い話が出る間もなく、当社の社風としてはそれがよかったんでしょう。
彼との別れ際、お互いに「あなたがいたから一年間なんとかやってこれました。ありがとうございました」。
彼は、私と年齢、経験、性別、仕事上の常識感覚が近く、私にとって心強い唯一の同僚だが、私に比べて、人格円満で、人間の出来・魂の高さが数段優れており、日常は私が精神的に世話になりっぱなしの関係だ。
だから私の方は当然の言葉を言っただけだったが、彼は私が言うより先にしかも自ら手を差し出して言ってくれた今年最後の言葉に、わずか一瞬、心が感極まった。
一人になった帰宅途中、大事なことに気がついた。
対立気味だった社員への憎しみ・こだわりの感情が、自分の中から自然に消えていることに。
私にとっては、一年を水に流すことのできた素晴らしい納会だった。
私はこの2年、あれこれと不愉快なので、職場の忘年会は欠席を続けている。
しかし、「忘年会」の意味は、まさにこの「一年を水に流す会」のことだ。
昨今、現実の多くは、ただの定例飲み会に成り下がってしまっている忘年会であるが、今回は忘年会の本来の意義を納会で実感することができた。

78.人それぞれの経験、試練と魂の成長 2007

平成191217

先週、清水寺で今年の世相を表す漢字が発表された。
今年の漢字は 「」。
一昨年は「建築設計偽装」、昨年は「偽装請負」、そして今年は「食品偽装」。
寺の住職は、「こんな漢字が選ばれるなんて情けない」と憤っていた。
世の中ますます乱れきっている。そんな中で終わろうとしている2007年だ。
今や「偽装社会」と「人間不信」は当然のような世の中になってきた。
私自身も「理不尽な社会と会社はもう相手にしない(NO.57)」と宣言して生きたこの1年だった。できれば社会も人も信用したいと心の隅で思いつつも、終わってみればますます氾濫した偽装と利己主義だった。
年金問題は実は50年前から想定されていたが、後世に回したツケが今年回ってきたものだ。

地方自治体の一部でバブル期のツケが回って財政再建団体になっているように、国も借金を後世に回しているといずれどこかでハジけるだろう。
地球温暖化防止会議も数値目標を削除して採択。環境破壊のツケは数百年後、とんでもない惨事を後世の人々にもたらすことだろう。
薬害問題は、患者にしてみればとんでもないトバッチリだ。エイズも肝炎も国に健康を侵されて殺されるようなものだ。
北朝鮮拉致問題は、一向に進まない。
24年後幸いにも帰国できた人がいたが、暴力によって他国へ連れて行かれるという、とてつもない理不尽が元々のベースにあって、そこで結婚して子供も作って生活をする、ということが一体どれだけ辛く、苦しく、複雑な胸の内であったことか見当もつかない。
北九州市の生活保護殺人事件、今年も減らない過労死・過労自殺も本人には責任はない。
毎年1年ずつ歳をとり、人の世の全貌が少しずつ見えてくると、世の中には「あり得ないと思っていたことが、いくらでもある」ことがわかってくる。
自分の親や多くの先人、先輩たちが、歩んできた人生や暮らしを見て、自分の場合もだいたいこんな風に展開するだろうと漠然と想像していた自分の未来・人生が、時にあり得ないような出来事に遭遇し、考えてもいなかった、想像だにしなかった方向へ展開していく。考えもしなかったいい方向に展開すればよいが、それがまた人生で悪い方に展開していく。
この世は、「理不尽」が集まってできたようなものだ。
そしてその「理不尽」から学ぶように仕組まれて私たちは生まれてきた。
そもそも人生は他人との比較ではない。人それぞれ、違う目的・目標を持って生まれてきた。
他人と「比較」をするから、余計に、うまく行かない自分の運命を嘆く…。
いろいろと細かく比較すれば、自分の方が他人より優れていたり、うまくいっていたりすることもあるのに、得てして他人の生活や境遇はいいところしか目がいかない。
自分より苦しんでいる人には目がいかず、いい待遇や生活をしている人に目がいって、羨む。
最近、人間不信が高じて、他人に優しさを持てないようになってきた。
そしてそのことによる自責の念は自分自身へと向かう。
今後乗り越えて優しさが取り戻せるか、あるいは自責の念で苦しむ経験が私の宿命の中で求められているのか、いずれにしても、すべては仕組まれた人生だ。
「理不尽」に耐えることは、報われない努力をするように辛い。
しかし、これからも寿命が尽きるまで、毎年「理不尽」を経験し、学ぶ。それが人の人生だ。

77.船場吉兆労働者の悲哀

平成191115

船場吉兆が菓子や総菜の賞味・消費期限を偽装していた問題で、当局は「偽装はパート社員の独断」として本社の関与を否定してきたが、パート女性らが1114日記者会見をし、九州を統括する湯木尚治取締役から偽装を指示されたと証言した。
証言内容は次のとおり。
●現場責任者が賞味期限まで1415日となったちりめん商品の扱いを湯木氏に電話で尋ねた際には、「そんなん、日持ちするんやで。1ヶ月くらい延ばせ」と大声で言われた。
●偽装が発覚した直後の1031日の夜、吉兆博多店で湯木氏らから、「商品管理をしていたのは現場責任者」とする内容の「事故報告書」に署名と押印を要求された。
111日、吉兆博多店のマネージャーから白紙の紙を渡され、「なぜ賞味期限切れの商品を売ったのか書け」と求められた。
1031日、111日とも2時間程度、深夜まで説得されたが、署名を拒否。湯木取締役は、「何としてでも会社を守らなあかん」と言い、署名を拒むと「やったのはあんたやないか」と怒鳴った。トイレにもなかなか行かせてもらえなかった。
●記者会見に臨んだ4人の女性たちは店側への反感を次々に口にした。
●湯木氏から偽装のリーダー役と指摘されたパート女性は、「ずっと我慢していた。(湯木取締役の主張への反論は)言えないですよね、怖くて…」とこれまで反論しなかった理由をこのように語った。
●保健所の立ち入り調査後、湯木氏から「あんたのせいやで」としかられた。
111日の作業を終えた夜、当日が期限切れの黒豆プリンが残っているのに気がついて、電話で判断を仰いだところ、湯木氏から「頑張って売ってくれ」と言われた。翌日も指示が覆らず、閉店後に女性が自らプリンを買って帰った。
●売れ残りが気がかりで責任者だったパート女性に値引の販売を持ちかけ、そのパート女性が湯木氏に電話したが、とりあってもらえず、やむなく賞味期限のシールを張り替えた。
会見は弁護士立会いで、再就職に悪影響が及ぶとして4人の氏名や年齢は伏せられ、写真・テレビカメラ撮影は禁止された。(以上、1115日付朝日新聞より抜粋)
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私は知らなかったが、吉兆と言えば、大阪以南では有名な高級料理店らしい。
しかしちょっと調べるとやはり湯木という一族の同族経営であった。
会見に臨んだ方たちは、偽装労働を命じられたとき、偽装労働を行なったとき、偽装が発覚したとき、偽装がパート社員たちの独断で行なわれたと偽りの発表がされたとき、記者会見を決断したとき、記者会見を現に行なったとき、それぞれの瞬間、どんな気持ちを持っていたのだろうか?
偽装を命じられ、偽装を自らの手で行なったとき、心はどのくらい痛んだろうか。あるいは職務命令と割り切ってまたは私の知らない他人が食べるのだから私は関係ないと思って平然とやってのけたのだろうか。数え切れないくらい毎日毎日日常的に偽装労働を命じられて行なっているうちに、罪の意識はだんだん薄れてなくなってしまったのだろうか。
売れ残りが気がかりで仕方なく、値引販売を提案したと告白したパート社員の方は、少なくとも罪の意識を持ちつつ、穏便に現状の問題を解決する方法を探っており、前向きさが感じられる。
そして偽装が発覚し、その後偽装は「現場担当である自分たちの独断」と偽りの発表が本社からなされたとき、彼女たちの怒りが沸点に達したことは容易に想像できる。
記者会見で「再就職に悪影響が及ぶ」として配慮されたことは、奉公人としての限界を如実に物語っている。
そう、奉公人たる私たち労働者未満の労働者たちは、「蜜蜂の一刺し」で自分の退職と刺し違えることでのみ、唯一会社に一矢報いることができるのである!!
ミートホープの田中稔社長や船場吉兆の湯木尚治取締役のように圧倒的な権力を振りかざす者の前で、労働者は、声も出せない。
最低限の自己の主張もできない世界は、人が人らしく生きられる世界ではない。動物の世界に等しい。
下等な動物は自分の身体が大きく破損しても痛みを感じないように作られている。まして下等動物に他人の痛みなど知るよしもない。
人が人らしく生きられない世界では、自己防衛本能により、自分の痛みもなるべく感じないようになってしまうかもしれない。まして他人の痛みなどいわんやおやである。
不当・不法な会社で、抗議や提案がまったく通らない社風であるとき、だからと言って、経済弱者の労働者は、