廃線後5年目の春
(旧大日影T東口)
2003、5/6


 

  初鹿野(現甲斐大和)−甲府間が開業したのが1903年(明治36年)6月11日。その中でも初鹿野ー塩山間(当時勝沼駅は無し。)の横吹第2トンネル(426.6m)は建設時から亀裂の発生など難工事で1917年(大正6年)には横吹高架橋を経て新横吹第2トンネル(254.22m)へ線路が付け替えられました。
しかし新横吹第2トンネルも山の動きに起因されると思われる輪切り状の亀裂が発生したため、1997年(平成9年)2月23日に新横吹第2ー深沢ー大日影トンネルが並行して掘削された新深沢第2ー新大日影第2トンネルのルートに切り替えられました。

 一方、勝沼駅(現勝沼ぶどう郷)の開業が1913年(大正2年)4月8日の開業で当初からスイッチバック駅として建設されましたが1968年(昭和43年)8月30日複線化及び旅客の電車化により勾配発進可能となった事から25‰勾配上にホームが建設されてスイッチバックは廃止となりました。

  現役時代と比較しながらこの廃線跡を辿ってみたいと思います。


甲斐大和側より見た旧線との分岐点付近。現下り線より左側に旧線が分岐しています。
左側より、新横吹第2トンネル(1917〜1997、2/22)
横吹第2トンネル(1903、6/11〜1917)
新深沢第2トンネル(1997、2/23〜、現下り線)
新深沢トンネル(1968、8/30〜、現上り線)

左より順に大正、明治、平成、昭和のトンネルが並びます。 

*EF64の写真をクリックすると別ウィンドウで拡大写真が見られます。
廃線跡
現役時代
2002,5/12撮影    現役時代:1992,3/7 5461レ
 勝沼ぶどう郷側より見た分岐点です。旧線は赤線部に分岐していました。現役時代写真で右側に地震中継信号が見えますが切り替え後は廃止されています。
1903、6/11〜1917の間に使用された
横吹第2トンネル。建設時は亀裂など難工事
の連続でした。
 *この区間の廃トンネルは全て鉄柵が 有り
通りぬけ不可です。

 2002、5/12撮影
2002、5/12 撮影 現役時代:1997,1/18 5481レ  
かつての撮影名所である横吹高架橋は橋脚は撤去されてますが石積の橋台がここに線路があった事を教えてくれます。現役時代は高架橋を渡るとすぐに新横吹第2トンネルに突っ込みました。法面のコンクリートは1980年頃に工事されたものです。
  2003,3/29撮影  現役時代:1994,8/26
新横吹第2トンネル東口。現役時代より危険なために接近出来ないのが残念です。
現役時代、1995,2/25
2457レ(地主氏より許可得て撮影)

新横吹第2トンネルの上のぶどう畑から横吹高架を行くEF64貨物を狙ったものです。
 2003,3/29 撮影   現役時代: 1994,5/16 5461レ
左:横吹第2トンネル、右:新横吹第2トンネルです。現役時代からレンガのトンネルが寄り
添って並ぶ姿は奇妙かつ珍しく見えました。当時ここは鉄道以外は生活の臭いは感じられ
ませんでした。廃線後もいち早く自然に還りつつあるように見えます。
横吹第2トンネル内(1917年廃線)より。深沢トンネル東口はこのトンネルに対し真っ直ぐの位置に見えます。

手前の小屋(廃線後撤去)の中には地震計があり、地震警戒信号機と繋がっていたようです。それほど新横吹第2トンネルが危機的な状況だったのかも知れません。

 1996,1/1撮影

この場所は現在は立入禁止です。
横吹第2トンネル内(1917年廃線)より。
上写真の場所から甲斐大和方面を撮影。

1996,1/1撮影

この場所は現在は立入禁止です。
横吹第2トンネル内(1917年廃線)より。
トンネル内の待避所。

1996,1/1撮影

この場所は現在は立入禁止です。
  2003,3/29 撮影   現役時代:1993,12/4撮影
新横吹第2トンネルを出て40m位で深沢トンネル(1105.74m)に入ります。現在は樹木
の影で写真ではトンネルはわかりにくいですが現役時代の写真を見ると、わずか40mの間
で合流させる関係で左側を広げたので左右非対称となっています。(線路、架線の位置が
中央でない事からわかります。)
現役時代に深沢トンネルに入る「かいじ」


陰でトンネルと車両の隙間が広いように見えますが実際は20〜30cm程度しかなく、これがEF641000など一部の車両の入線制限となっていたのかも知れません。
現役時代:1996,1/1撮影
現役時代、深沢トンネル横から見た新横吹第2トンネルです。わずかな明かり区間でよく合流していたものと感心します。でもこれがスーパーあずさの走った本線とは思えないほど一時代前を感じる雰囲気です。

 1994、4/2撮影
  1997,8/27撮影
 現役時代:1994,10/1 2457レ
あれ????架線がない。...
廃線後2ヶ月後の深沢トンネル西口です。
1997,4/4撮影
深沢トンネル西口は現在では半分位埋められて、コンクリートで封印されています。1kmを
超えるトンネルだけに横に広いポータルは威圧感があります。(現在は立入禁止です。)
 2003,1/24撮影  現役時代:1994,5/3撮影(後追い)
深沢トンネルを出て深沢橋梁を渡ると大日影トンネル(1368.34m)に突っ込みます。(トンネル手前に橋台が見えます。)このトンネルもポータルに威圧感があり、赤茶けた所にいろいろな列車を見てきた年月を感じます。
  1999,2/21撮影  現役時代:1993,4/30撮影。5461レ
大日影トンネル西口ポータルは尖った迫石が特徴です。ここを出ると新大日影第2トンネル
を出た現下り線と合流し勝沼ぶどう郷駅に到着です。この駅は開業時は無く大正2年4月8
日に信号所から駅に昇格し菱山から勝沼と改名されました。
 上の撮影場所から勝沼ぶどう郷駅方面を見たものです。バラストがそっくり残っており旧線の雰囲気がなかなか。この先、100mほどで現在線と合流します。

2002,1/4撮影。
上の写真の撮影場所のすぐ下にスイッチバック時代の着発線跡が残っています。橋台は開業当初からでなく後から延長したものです。

1999,2/21撮影
勝沼スイッチバック時代のホームが現存しています。現在では桜が植えられて満開の季節となると到着する普通列車の車内から歓声が聞こえるようです。

2003,1/6撮影。(現在のホームより。)
塩山方より勝沼ぶどう郷駅を見たもの。赤線部がスイッチバック時代の引き上げ線のあったあたりです。

2002,7/20撮影。
おまけ。

横吹第2トンネルがあれば第1は?って疑問が出ると思います。
第1は高尾ー相模湖間の下り線に現役で実在。写真ようにコンクリートポータルに変わっていますが手前の石積みが趣があってGOOD。

1994,4/17撮影


参考資料:鉄道写真記録集、鉄道青春時代ー中央線ー(電気車研究会)、鉄道ピクトリアル
(NO467)、建設工業新聞(1997、2/28)、建設通信新聞(1997、2/21)、
D51から振り子電車へ(鉄道友の会長野支部)、大和村史