福沢諭吉

 私が住んでいるところは、埼玉県の東部に位置する蓮田市である。東京から35キロメートル、J R 上野駅から宇都宮線で38分。人口64500人あまりの、水と緑ゆたかな田園都市である。栽培面積県下3位をほこる梨は「甘くておいしい」と有名である。

 そんな鄙びた蓮田が、ゴールドラッシュで沸いた。05年1月29日、市内の用水に大量な1万円札が浮いていたのを、隣接するグラウンドで野球の練習をしていた少年が見つけたのが発端である。マスコミは1500万円あった、と大々的に報じた。空にはヘリコプターが舞い、現場を見てきた人たちは「やじ馬が多かったよ」といっていた。

 私と家内はいつも7時過ぎ、愛犬を連れて散歩にでかける。家内が犬の綱を引き、私は黙々とついていく。45分、70分、90分の3コースがあり、朝は45分コースが常である。この日は日曜日で1時間おくれの8時過ぎに家をでた。寒い朝だった。マスクのせいで眼鏡が曇る。

 きのう大騒ぎのあった用水は、私たちの朝の散歩コースの側を流れている。今朝は嘘のように人の姿もなく、いつもの静かな裏道にもどっていた。
 大金があったのはこの辺りだな、と私が用水を覗き込む。水の流れの底にホログラムのキラキラと輝く1万円札、福沢諭吉は涼しい顔をして沈んでいた。まとまって沈んでいたところから下流に5、6メートルも散らばっていただろうか。
 おくれてきた家内に、
「ちょっと見て、お金がいっぱい沈んでいるよ。……冗談じゃないよ、ほんとだよ」
 誰もいないのに小声になっているのがおかしい。
「そんな……あるわけないじゃん」
改めて一緒に覗く。
「これ、本物?」
「本物だと思うよ。ほら、銀色に光っていて時々色が変わる、ホログラム、というらしいけど、……あれがあるから」
「どうするの、 拾うの?」
「拾ったり、触ったりしてはだめだよ」
 と、私。
 1500万円は本物だったと、きのうの報道にもあった。今度も真券にちがいない。事件性ありと直感し「現場保存」を家内と決める。家内を近くのコンビニへ走らせた。私は犬とともに警官がくるまで現場を見張っていた。
 現金を目の前にしても私は驚かなかった。やはり、あったのか、と思っただけである。家内はドキドキと動悸が激しく110番の通報中、とちったりしたという。
 20分ぐらいたって、駆けつけた警官に現場を引き渡し、私どもはその場を去った。
 新たに200万円発見! この報道で現場には再び人々が押しよせた。どこをどう調べたのか、私のところにも取材がくるようになった。聞けばコンビニで姓だけを聞きだし、当家を尋ね当てたという。

 マスコミは、やりかたがうまい。初めは、
「真正面からは撮らない、横から撮るから……マスクに帽子をかぶっているからいいでしょう」
 と撮影がはじまる。
 TVをみた知人、友人から電話が入る。声ですぐに分かった……と。
「残念だったねえ、惜しかったねえ、……でも、あんたらしいと思ったよ。私たちにはこれが正解なんだよねえ。ほんとのところ、拾わなかったら駄目なんて知らなかったなあ。勉強になったよ」
冗談に、正直すぎるよ、あんたは……、という人もいたが、ほぼ全員が同じことを口にした。よかった。間違ってはいなかった、と安心する。

 2月4日、新たな展開があった。盗んだ金を捨てたという女性がでてきた。また家にマスコミの取材がくるようになった。
「あんたの場合、落とし主が届け出なくとも、お金は1円も貰えないんだから、顔をだしてもいいんではないか。金を貰えれば支障があるだろうけど、ねっ、名前もいいでしょう?」
 インタビューの持って行き方もよく考えられている。“残念だった、200万円あればなあ……”といわせるように、いわせるようにと持っていく。シナリオがすでにあるのだ。よい返答? が得られないと、さりげなく話の途中でまた同じ質問をしてくる。面倒になり“そうですねえ……”最後の一押しで“惜しかったですねえ、200万円!”といわされるように仕組んでいるとしか思えない。放映する側、それを見る人にはその方が面白いのはたしかだ。
 でもそんな手にはのらない。なぜって、はなから変な考えはなく、私の基本は振れないのだから……。
 拾って、届けなければ拾得者になれない……は、すでに去年、私は学習すみであった。放置されていた多段変速機つき高級自転車の届け出を所轄警察署にした。自転車には盗難予防のための県警の登録ナンバーがあった。盗難に遭った人は困っているだろうと思って届けた。引き取りにきた2人の警官は自転車を車に積み込み、若いほうの警官が私に言った。2週間+6か月が経過して持ち主が現れなければ自転車はあなたのものになります、といって走り去った。5分ほどして、その車が引き返してきた。
「先ほどの件、間違えましたので取り消します。届け出は確かにあなたですが、引き取ったのは私たちです。持ち主が現れなかったときは権利は警察に移ります。あなたが拾得者になることはありません……」
 県警の登録ナンバーがあるので、調べればすぐに持ち主がわかる、と思っていたから気にもしなかった。でもそのあと、待てよ? そんな馬鹿な話が……と思ったのである。引き取りは警察の職務ではないのか。それに発見→通報、がなければ引き取りはあり得ない。変な法律があるものだと、そのとき思った。

 そんな経緯があったから、今回も驚かなかった。もう頭の中に刷り込み済みだった。だからマスコミの、手を替え、品を変えての誘導的な質問にも迷わされなかった。
「私らのことはもういいですよ……。終わった話ですから。これをきっかけに、これからは誰もが納得できる法律なり制度にしていかなければ世の中おかしくなっちゃいますよ。第一発見者にも報われるようにする必要があると思いますよ」
と、取材側に訴えた。
 今度のことがきっかけで事が改まれば、私たちの行為は小さな事柄だが意義あるものになる。そんな大それたことも考えていた。でも、そんなことは僅かしか放映されず、記事にもならなかった。……残念!!

 一部 TV 報道で「知らない人が多かった。啓蒙になったのでは……」というコメントはあった。
 一連の報道の中で、作家の、なかにし 礼氏のコメント
「見つけたもの、拾ったものは届ける。これは日本人の美徳ではないですか。これが失われたら淋しいですよ。こんなことが続くと誰も届け出なくなっちゃいますよ」
私たちも、美徳の持ち主! じーんときた。嬉しかった。 
また、タレント飯島 愛嬢のいった、
「……それはないですよ。可愛想じゃないですか、あのおじいちゃん。正直なあのおじいちゃんに、なにかお礼を上げてよ! あのおじいちゃんに……」
も忘れ難い。
 家内はおじいちゃん、おじいちゃんはないよねえ、といっていたが、72歳は立派なジィージである。

 ともあれ、いろいろな人に会った。なかでも共同通信の記者に好感を持った。終始冷静で穏やか。探りを入れるような様子は微塵もなく、真面目な取材が気に入った。同社が2月3日に配信した記事に私は満足している。

共同通信が報じた、背景や解説記事を割愛させてもらい、私に係わる部分だけを抜粋させてもらう。
   
 現金を見つけても自分で回収しなければ拾得者にはならない。1月30日、犬の散歩中に約210万円を発見した男性(72)は、奇特にも拾得者の権利がなくなることを知りながら「現場保存を考えて」県警に通報。所有者が見つからず県のものになったら「どうゆう使い方をするか見てみたい」と達観している。

 昭和の1けた生まれらしく、いままで愚直な生き方をしてきた。こんどの行動もその延長線上にあると思っている。変な言動をしなくてよかった。盗まれた人、捨てた人が判明した今となれば、なおさらである。

 報道や現場周辺の騒ぎは、1週間あまり続いた。


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