寸止め
みんなとはいわないが、老人の運転は総じて危なっかしい。でも、当人は誰もが、「俺は、みんなとは違う」
と思っている。私もそう思っていた。でも、年を重ねるとともに反射神経が鈍ったな、と感じるようになった。
何年かまえ、信号の赤を見落としたことがある。
「お父さん赤だよ、赤っ! ……もう、ホント何を考えているの」
そんなとき、本人は必ずなにか他のことを考えている。前方を見ているものの、信号は見えていないのだ。もう車の運転は止めよう、とそのとき思った。その後、足の震えるようなブレーキの踏み方がなくなると、運転を止めようという思いは薄れてしまった。
「なに、注意して運転しているから大丈夫。俺は1級運転手さ。事故は起こさないから……」
と思いつつここまできた。
そのくせ、シルバーマーク車の後について(何やっとんじゃあ)と思うことも多かった。そういっていた自分の運転もいまでは同じように見られているのだろう。たしかに、息子を乗せて走るときなど、もたもたしてると、
「そんな走り方、後続車に迷惑だよ。流れに乗らないと……」
またほかにも、何をそんなに急いでいるの? 赤だよ。青だよ。ブレーキ、ブレーキ! もっと早く踏んでよ。きょろきょろしないで、まっすぐ前をみて運転してればいいの! などと初心者並みに注意される。
(分かっているよ、もう何十年も乗っているゴールド免許保持者だ。事故もなく、問題も起こしていない)
というプライドはある。しかし、若い人から見たら危なっかしい運転をしているに違いない。無理もない、もう間もなく74歳だ。
いまだから白状する。昨年ブレーキとアクセルの踏み間違えが3回もあった。
初めは暑い夏場だった。直進する道は混んでいる。すぐ前の信号の待ち時間が長いためである。そこで細い横道に入り、左折し、広い道路にでて左折、次の信号で右折しようと考える。この迂回により、敬遠した信号の先に進めるからだ。
横道に入るために、こちらにくる車列を見た。先頭の車は20メートルほどに迫っていた。アクセルを踏み込み、両側がコンクリート擁壁の少し登りになっている道路に入った。……と、上から車が迫ってきた。急ブレーキをかけた。だが、右折の角度が緩かったのですれ違いはできない。尻を左に寄せるるため、ハンドルを左に切りバックした。慌てていたのだろう、ギアが切り替えてなかった。踏み込んだアクセルでエンジンがうなった。でも、咄嗟に間違えたッ! と気づく。間に合うか?……思い切りブレーキを踏んだ。
擁壁に接触した感じはなかった。脚がビリビリとしびれた。危ないところだった。もう運転も限界かな、と思った。
でも、衝突の寸前で車を止めた。剣を扱う人がいう〈寸止め〉だ。
あとで「寸止め」という言葉が気になり調べてみた。私は、剣道で竹刀や真剣を使って行う〈型〉の一種だと思っていた。それがどうも違うらしい。
「寸止めとは、空手の試合で攻撃する部位に拳・蹴りなどが当たる寸前に止めること」
と[大辞林]に載っている。なぜか広辞苑や大辞泉・国語大辞典には載っていない。正確には、空手に関しての特別な用語なのだろう。読書をしていても気になる言葉を調べる癖がある。文脈から大体理解できても……。ところが、ご名答とならないものが結構ある。常日ごろ使っている言葉も同様であり、言葉って奥深いなあとつくづく思う。
10月にまたブレーキとアクセルの踏み違えをやった。このときは、ゆるい上り勾配の停止線だった。慌てずにペダルを踏み、無事だった。
さらに12月の17日。T字路のやや上り道。前の車は右折のウインカーをだして止まっている。ブレーキを踏み直そうと思ったらアクセルだった。前車との間隔は1メートル半くらいか、
「おっと、あぶねえ!」
上り勾配が幸いして接触事故にはならなかった。3度とも上り勾配のところで問題を起こしている。オートマチックの車では、上り勾配のとき進む力と、止まる力がバランスするので、アクセルの上に右足を軽く乗せるのが癖になっている。これがアクセルとブレーキの踏み間違い、勘違いの原因だ。
こんなことは今までなかった。1年で3回もヘマをやるなんて。いよいよ俺も焼きが回ってきたな。免許返上も時間の問題か……。 あとはそのタイミングだけだ。でも、そのトキが問題である。事故を起こしてからでは遅いのだ。
「もう……、気をつけてよ。何回やったら気がすむの! 危なっかしくて乗っていられないわよ。ほんと、気をつけてよ」
家内にさんざ小言をいわれ、返す言葉もなかった。
機嫌の直ったころを見計らっていってみた。
「ものは相談だけど、もし俺が免許証を返上したら、行きたいところへ、どこえでも連れて行ってくれる?」
「免許返すならいいわよ……」
「ほんとにいいの?」
「うーん、そんなに急にいわれても。……ちょっと無理かもね。とにかく気をつけて運転してよ」
免許があれば便利だ。急用のとき、遊びのとき。でも、老いからくる反射神経の鈍り、判断の甘さ、まだらボケなどが心配である。高速道路の逆走などがいい例だ。
一番の解決策は、人に言われる前に(ウン? ヤバイな!)と考えた時点で、思い切って免許証を返上すことだ。
今でこそ誰も彼も免許証を持っている。2、30年前までは免許証はあっても、だれもが車を持っていたわけではない。
スローライフも悪くはないよ。何年か前の生活に戻ればいいだけだ。もう一回考え直してみよう。近くへは歩きか自転車、ちょっとしたところへは家内の運転する車で行くのも悪くはない。
「はい、はい、運転するわよ」
と、家内が賛成してくれるかどうか、話は別だけれど……。
なに、それは、もっとアブナイ話か。いや、冗談、じょうだん。
私は、「もう運転、やめて」と家内や息子にいわれれば、すぐに止めてもいい、と思っている。
参考にすべき話がある。私の知人は、私より1歳年下の男性。私と同様にヨボヨボしているけれど車を運転していた。おばあさんの杖代わりの自転車と一緒で、歩くのは辛いけれど車の運転に支障はなかった。
ある日、運転を誤り縁石に乗り上げた。人身事故にならなかったのは幸運だった。その夜、神奈川から息子夫婦がやってきた。
「怪我人がなくてよかったよ。一歩間違えば、死んでいたんだろ。お父さんか誰かは分からないけどさ。うん、うん、っていってるけど、ほんとに分かってるの? お父さんねえ、もう運転止めようよ。今度やったらおしまいだから。何か用事があったら、すぐに俺くるからさ。遠いったって大したことはないよ。いつも心配しているよりはずっと増しだもん。お母さんもいいよね。あんたはどう? ……ほら、嫁も、お父さんがそれでよければ、といっている。お父さん、そういうことにしよう。はい、ではそれで決まり! 心配ないよ、電話くれればいつでも飛んでくるからさ」
親父さん、しばらく考えていたが小さく首を縦に振るしかなかった。
次の日の昼前、業者がセダンを引き取っていった。電光石火の早業だった。親父さんは、車を見送ることもなく部屋から一歩もでなかった、という。そのご何度か神奈川に電話をしたものの、息子はこなかった。
つい最近、大型2種の免許は期限が切れて無効になった。
こんなことを見聞きしていると、免許を返したあとが気になる。事故の不安はなくなるが、急ぎのとき、いますぐ! というとき車を使えるのに……、という誘惑に勝てるだろうか。
割り切ったつもりでも、やっぱり不便だろうなあ。
[06・2・18記]