Für Die Wehrmacht ...
〜昔日なるや、ドイツ国防軍〜
ナチスドイツ軍。それは第2次大戦中の「ドイツ軍」として、圧倒的にポピュラーな呼称である。鷲と逆卍の徽章は当時のドイツ軍の象徴である。
が、いわゆる「SS(Waffen-SS=武装親衛隊)」ではなく、さらに別の徽章を持つ軍隊が存在していた。ビスマルク時代以来の伝統の三色旗・・・Das Deutsche Reich、ドイツ帝国の旗、帝政三色旗の軍隊。徴兵制を柱とする
正規軍。ドイツ国防軍(Die Wehrmacht)である。
彼らは第一次大戦前からの「プロイセン軍」すなわちドイツ軍が、戦後のワイマール体制化(実際の国名は決して教科書的な「ワイマール共和国」ではなくDas Deutsche Reichがそのまま使われた)でも縮小されながら生き残り、1933年にナチスが「合法的に」
政権をとった後も軍備を増強しつつ存在、第2次大戦時「ドイツ軍」の主要構成要素となったものである。戦時中は北はスカンジナビア半島、西はグレートブリテン島、南はアフリカ、
東はコーカサスと、古代ローマ帝国並の活動範囲を有し、大戦極末期には首都ベルリンで「国」と運命をともにした。
第2次世界大戦(1939年9月1日〜1945年5月8日)における彼らの戦闘は第2次大戦の戦況そのものであり、前半における勝利から次第に敗北へと向かう姿は
地理的、作戦的側面はかなり違うが、大筋で日本と変わりはない。
では、なぜここで「ドイツ国防軍」なのであろうか?ドイツ第三帝国元首たるヒトラーを最高司令官に擁する「ナチスドイツ軍」には違いはないではないか?と、大部分の方が
お考えのはずであり、歴史教育の中でも「ドイツ国防軍」などと言う用語はまずお目にかからない。が、予備院生としては彼らの存在を考えることが、戦後日本における「戦争問題一般」を
考えるうえで欠かせないと思うのである。
ご存知の方もいると思うが、ここ15年ほどの間にドイツ、オーストリアで二つの事件があった。一つは・・・日本でも多少報道があったと思うが・・・いわゆる「ワルトハイム事件」。
ワルトハイムは1971年から国連事務総長を10年ほど務め、1986年にはオーストリア大統領選に出馬したのだが、ナチス戦犯としての嫌疑がかけられる。しかし国際世論の反発にも関わらず「国内世論」
は彼を支持、大統領となった事件である。彼は戦時中ドイツ国防軍の将校であった。
そして今ひとつは、近年の「ドイツ国防軍の犯罪」と題するドキュメント展覧会である。簡単に言えばナチス親衛隊だけではなく、正規軍であるドイツ国防軍も戦争犯罪に加担していたと
いった内容である。「ナチス」に戦争責任を負わせたドイツ世論はずいぶん荒れたという・・・
これらの事件に象徴されることは、少々乱暴ではあるが、一般ドイツ人が「戦争責任」なるものをどのように捉えているかという点に帰結されるのではないだろうか。ドイツ国防軍はドイツ
国民である以上、少なくとも当時は避けては通れない道(=徴兵制)であった。そのドイツ国防軍が組織的に戦争犯罪をしていたとなると、極論「ナチスの最初の犠牲者」たるドイツ、オーストリア(1938年
にオーストリア人の圧倒的多数の支持を得て合邦しているので一つと考えるべきである)の善良な一般国民の過去に汚点を残すことになる、、的な論法である。
確かに、ドイツは「ナチスによる」戦争犯罪を積極的に認め(オーストリアについてはきわめて難しい問題があるが)、戦後補償、個人補償についても日本に比べ、客観的数字では充実しているのは
事実であり、評価すべきであろう。しかし、「ナチスによる」なのである。「ドイツによる」とは微妙に違うのである。
そこで我が日本。当然日本には「国家社会主義日本労働者党=ナチス日本」なるものは存在せず、代わりにあるのは国民世論の反映とはとても言えない「大政翼賛会」に極右的な陸軍の「皇道派」?
といっても2.26事件の後は衰退してしまうわけだし・・・かの東条英機総理大臣兼陸軍大臣は皇道派に対抗する「統制派」の元締めだったし・・・一筋縄ではいかない。要するに日本の場合は「ナチス」のようなスケープゴートもなければ「ヒトラー」のような元首としての独裁者もいない。あくまでも「臣」である。
ここから先へは現時点では進むべきではないので一旦停止するが、結局「皇軍」であり、かつ「正規軍」たる日本軍の「戦争責任」は構成要素である一般日本人が負う、というのが現在の「日本における戦争責任論」という
ことになるのではなかろうか?そこに、日本のなんとも煮え切らないアジア諸国に対する「誠意」が見え隠れし、一方で歴史教科書問題となるのである。誰の責任にする
?って「ナチス」の仕業にできない以上、まともに我々一人一人の日本人に降注ぐのであるから。あるいは辛うじて「軍国主義」なる曖昧、抽象な用語があるだけである。
ここに、ドイツと同じ土俵で論じてしまうアンチョクなメディアの責任と言うものを感じはしないだろうか?日本人は文字通り「逃げも隠れもせず」全てを認めるチャンスを、まだ持っていると思うのは私だけではないと信じたい。
もっとも、あくまでも「事実」について・・・「虐殺」という観点のみに絞って言えばドイツの「ホロコースト」に対し、陸軍の「南京」、海軍の「マニラ」など、きりがないが・・・全てを認めるべきで、「便乗」には断固たるべし、である。
しかし、・・・だ。戦争参加者(ここでは第1次世界大戦以後の「総力戦」に鑑みて、敢えて交戦国国民全体とする)を「加害者」と「被害者」に分けること自体どうであろうか。
現在に至るまで一定の条件下で発生した戦闘は合法であるとされるので、この問題は究極的には「戦闘員」と「非戦闘員」の区別に帰結されると思われる。正真正銘の「戦闘員」であればいざ知らず、そこには必ず正真正銘の「非戦闘員」までの間に
極めて重層的な身分構造があるわけである。上官や作戦によっては両者の区別は十分無意味になる訳であり、そこにまた個別的な悲劇が内在するのである。銃を持っていれば(軍の制服を着ていれば)「戦闘員」で、持っていなければ(かつ着ていなければ)「非戦闘員」などと区別できない現場世界が存在するのである。あるいは高度3000m〜10000mから爆撃照準器で
一人ひとりの人間が見えるはずもない※1。詰まるところ「勝者」による判定を待つしかないのであろう。そして、重層的身分構造とはパラレルに、正真正銘の「加害者」から正真正銘の「被害者」までの重層的段階がある、と解せはしないか??
本論はじめに印象的な写真を選んでみた。子供を抱き、微笑むドイツ国防軍の兵士である。彼ら一人ひとりに家族があり故郷があり、平和が戻れば就くべき仕事があるはずである。そして、この時点では「信ずるもの(それが何であるかは彼らのみぞ知る)」に全幅の信頼を寄せていたことであろう。
が、これからの彼らを待ち受ける運命は「加害者」としての「恥辱」か、「被害者」としての「顕彰」か・・・?それ自体が悲劇というほかはあるまい。そして、この原写真上部には高らかに翻るハーケンクロイツ・・・しかしそれは当時のドイツ国旗・・・あるいは写真の撮影地は1938年のズデーテン・・・
つかの間の安息を過ごす彼らの姿に悲劇を見るか、あるいは所詮は「ナチス」と、一刀両断にしてしまうか・・・私は人類史上類まれな激動の時代を生きたドイツ人の姿とだけ捉えたい・・・
戦争責任、戦争犯罪とは、一体なんなのか?
映画「戦場のピアニスト」でユダヤ系ポーランド人シュピルマンを救ったホーゼンフェルト国防軍大尉※2。1944年7月20日の「ワルキューレ作戦(ヒトラー暗殺計画)」のシュタウフェンベルク大佐はじめとするドイツ国防軍有志。終戦目前の1945年4月末、ベルリン近郊ハルベの森にて、ソ連軍により包囲全滅、4万人の戦死者を出し「玉砕」したドイツ国防軍第9軍・・・
それらも事実は事実として存在しているのは確かである。そして、彼らは「追悼施設」などを通して、「祖国のために(ナチスを含むあらゆる敵と)闘った国防軍の英雄たち」として、一般ドイツ人の心に刻まれている・・・※3
戦争は多面的であるのは誰だって分かっている筈であろう。しかし、一面を以って全てとするような論調ばかりがいつまでたっても多すぎるのは何故なのか?
あるいは
「過去に盲目なものは未来にも盲目となる」(独ワイツゼッカー元大統領)
というには、まだまだ長い道程である、ということか??
さらに付け加えれば
ドイツ国防軍※4は多くの「旧軍将兵」を吸収しつつ1956年復活し、現在は「海外派兵」も「合憲」である。
人類とは、そういうもの、、ですかね。
※1
しかし、高度がほんの100〜300mだったらどうなるか・・・見えてしまうのである。この点、大戦末期に日本本土を空襲に来た米艦載機。これらの機に搭載されたガンカメラはご丁寧にもカラー映像で機銃掃射の状況を映し出している。そこには明らかに子供と思われる一般人を含むかなりの数の人間が、機銃掃射の曳光弾から逃げまどう姿がかなり鮮明に
映し出されている。近年この手の映像は全く放送されないが、NHKアーカーブスにある2,30年ほど前のドキュメンタリー番組の中には入っているので必見である。立派に確信犯(証拠も)も存在しているのである。
※2
この映画は、是非ドイツ兵の「襟章」に注目して観て頂きたい。襟章が国防軍の兵士は決して「無抵抗な」ユダヤ人に対して引金を引かないのだ。もっとも、「当時の全員が」そうであったかは正直言って到底信じがたい。戦争とはそういうものである。「善いドイツ人」と「悪いドイツ人」を描き分けるところにこの問題の重厚な難しさがある。
ちなみに欧米戦争映画の「日本兵」は殆ど「悪役揃い組」である。その意味からも宗教的・哲学的背景を踏まえつつ「日本兵」を人間として描き(少なくとも相当な努力をしているのは十分わかる)、かつアメリカ側の「残虐行為」も少々描いた「THE THIN RED LINE(シン・レッド・ライン)」(監督TERRENCE MALICK)は必見である。もっとも見方によってはアメリカ人にも日本人にも
辛い内容とも言えるが(ただ単に難しすぎる内容とも)。ちなみに「戦場のピアニスト」主役シュピルマンを演じるエイドリアン・ブロディ。「シン・レッド・ライン」ではファイフ伍長役で出演している。この映画についてはいずれ取り上げてみたい。
※3
他に「白バラ」抵抗運動のショル兄妹の件があるが、本論ではあくまで国防軍関係に絞った。
※4
現行ドイツ国防軍は第三帝国時代のWehrmachtではなくBundeswehrと呼称されている。そして日本で紹介されるときは「ドイツ連邦軍」なる用語を用いたりもしているが、公平の観点と、歴史的一貫性を鑑みて本論ではよりナチュラルな呼称として「ドイツ国防軍」で統一した。この点、我が「自衛隊」については恐ろしく難しい問題をはらむが、
各自衛隊の精神的支柱、すなわち「祖国を守る」という点に限って言えば、現時点でも一貫性を認めうる部分は多々あるといえなくもない、とだけ付け加える。もっとも私はそれが必然であり、必要であると考えるのだが。実際に少しでも「そういう状況」に陥ってみたことのある人なら黙諾するはずである。そして、自衛隊イラク派遣群。自衛隊自体生まれてこの方
生身の人間に実弾を撃ち込む事の無かった希有の集団であるが、彼らに十分あり得る「不測の事態」が発生した場合、当事者は刑事被告人として数千キロ彼方の日本の裁判所で、司法試験合格者たる判事の前で裁かれるのである。「現場」とはなんであろうか。
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