光射す水の面に……
by 真島 愛

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うたたね / 最終章



「今度はノブさんまで行ってしまうんやね」
 結愛 ( ゆめ ) が隣の座席で溜息をついた。
「また、ちょくちょく遊びにくるから」
 信之は笑って結愛の手を握った。

 あの晩以来、結愛 ( ゆめ ) は信之とすっかり仲良くなっていた。

「結愛 ( ゆめ ) ちゃんにはおかあさんがいてるやんか」
 信之はそう言うと、冴子の方へ振り向いた。
「本当によかった。ふたりが一緒にいられるようになって。これで安心して東京にいけるよ」
「学兄ちゃんも、同じようなこと言うてたな」
 結愛が横から口をはさんだ。
「学のやつ、生意気なこと言うて」
 あきれたように笑う信之の目にほんのりと温かい光が宿った。

 学は日本建築の学校に通うため、一足先に東北へと旅立っていた。

「あいつ少し変わったな。おとなしくなったっていうか。優しくなったっていうか」
「そうやね。最初会った時なんか人相が悪くて家に上がられるの嫌やったけど、二度目に会った時にはすごく優しくて結愛のこと可愛がってくれたし」
「成長したんやな。あいつも。結愛ちゃんのおかげで」
「私もそう。この数ヶ月で成長したと思うわ。私の場合はノブのおかげかな」
 冴子はそういうと目を潤ませた。
 信之は冴子の横顔を見た。車窓から入る陽射は冴子の頬の稜線を縁取る微かな産毛を映し出していた。緩く結んだ口元はほのかに笑んでいるかに見える。

「おかあさん、ここ地下鉄やんなあ。なんで上走ってるの?」
 結愛 ( ゆめ ) は車内を見回して聞いた。
「うーん。なんでかな?わからへん」
 冴子は結愛の突然の質問にとぼけてみせた。目の前に迫っている別離を思って、答えるどころではなかったのだ。おかあさんは全然私の話聞いてくれない、そう突っ込まれるかと思ったが、結愛は黙ったまま母を見上げている。娘が気を遣ってくれている、そう思うと冴子は少しだけ気が楽になった。

 あっという間に電車は目的地に着いた。
 この駅でノブは新幹線に乗り、旅立ってしまうのだ。冴子は結愛の手を強く握った。そうしなければ足に力が入らない。座席から立ち上がれない。
 大きな荷物を持つノブの後を冴子と結愛は寄り添う形で追い、三人は列車を降りた。エスカレーターを降り、地下鉄の改札を出てJRの改札をくぐる間、誰も言葉を発しなかった。たくさんの人々がせわしなく行き交う中をを三人は時に押さればらばらになりながら、進むしかなかった。

「ひかり124号、26番線ね」
 冴子は上を見上げ、案内を探した。そして、出発まであと数分しかないことを改めて知らされた。

 長いエスカレーターに乗り、26番ホームに上がった。
「自由席でよかったのに」
 信之は切符を確かめながら冴子に微笑みかけた。
「いいよ、それぐらい」
 冴子は信之を大きな瞳で見つめた。
「おかあさん、私、売店見てくるわ」
 結愛 ( ゆめ ) が急に向きを変え、背後にある売店へと走っていった。


「冴ちゃん」
 冴子は振り向いた。周囲の喧騒にところどころかき消されながら、信之の言葉が聞こえる。冴ちゃん、今までありがとう、短い間だったけどとても楽しかった……、と。
「私も」
 精一杯思いを込めて答える冴子に信之は小さな包みを渡した。
「帰ってから開けて」

 そのとき発車を知らせるベルが鳴り、二人は焦った。
「ノブ」
 列車に飛び乗る信之の背中に冴子は呼びかけた。伝えたかった思いを口にする間もなく、扉は閉まった。動きはじめたガラス越しに一瞬信之が頷くのが見えた。


 あっけない別れだった。二度と会えないわけではないにしても。

「おかあさん」
 呆然と立ち尽くす冴子の傍に結愛 ( ゆめ ) が帰ってきて、母親の手を取った。冴子は我に帰った。
 精一杯快活を装って冴子は娘に言った。
「結愛、これからデパートにでも寄って帰る? 流行の服欲しいって言うてたし」
「ええ、いいの? でも高いよ。私の欲しいのは」
「いいのいいの。ただし、今日だけやで」
「うんうん」



 冴子と結愛 ( ゆめ ) は大きな荷物を抱えて、帰りの電車の中にいた。
「おかあさん、ありがとう。こんな一杯カワイイ服買ってくれて」
「どういたしまして。でもやっぱりお財布にはきつかったわ。今度から、もう少し安いのにしていい?」
「うん、いいよ。おかあさんも大変やしなあ」
「はいはい、お気遣いありがとう」
 二人は笑った。

「あのさあ」
 急に結愛が真面目な口調になって言った。
「なんで、ノブさんとお別れしたん?おかあさんとノブさん、両思いやったんやろ。そやのに、なんで」
「なんでって……」
 冴子は困った。
「結愛はおかあさんがノブさんについて東京へ行っちゃってもいいの?」
「それは、寂しいけど、おかあさんにも幸せになって欲しいしなあ」
「何言うてんの、この子は」
「でもさあ」
 結愛が続ける。
「なんでやろ」
「なんで男の人しか好きになれへん男なんておるんやろ」

 冴子は驚いて娘を見る。
「学兄ちゃんて、そうやってんで。男の人と一緒に住んでて、抱き合ってたりしててんで」
「そんなこと、なんで知ってるの?」
「でも学兄ちゃんはその人のこと本当は好きやなかってん。学兄ちゃんの好きな人ってノブさんやったんちゃうかな」
「結愛 ( ゆめ ) 」
 とめどなくしゃべり続けそうな娘を冴子は制した。

「人間って不思議なものよ。みんなそれぞれおかしなところをひとつは持ってるし。それぞれに悩みや苦しみがあるしね。学兄ちゃんはちょっとだけその度合いが大きかっただけ」
 そして冴子は心の中で信之のことを思った。
 ……ノブもそう。学と同じ、少しだけはみ出ているだけ。
 彼には自分らしく生きてほしい。冴子は新幹線のホームでノブに伝えられなかった言葉を胸の内で繰り返した。繊細なノブは男を愛せない自分を一生受け入れられないで苦しむにちがいない。もしも音楽で成功して名前が売れれば、ノブは自分の性癖を隠すのに一層苦労するだろう。
「傍にいてあげたいと思うけど、私にはそれはできない。なぜなら、私は彼の本物の恋人になれないから……」

 再び考えこむ冴子の服の裾を結愛 ( ゆめ ) はひっぱった。
「おかあさん、今日は泊まっていっていいやんなあ」
「うん、おとうさんにもちゃんと言うてあるから、大丈夫やで」
「やったあ」
 結愛の笑い声が冴子の沈みそうになる心を救った。
 二人は古びた冴子の家へと帰っていった。


 台所で冷たいジュースを飲みながら、母と娘はじっと顔を見合わせた。
「そうや、おかあさん」
 結愛 ( ゆめ ) は急に思い出したという風に言った。
「なあに」
「おかあさん、駅でノブさんに何かもらってたやろ」
 結愛は知らんふりをしながらも、しっかり別れの一部始終をみていたらしい。
「それ開けてみよ。見たい、見たい」

 冴子は結愛に促されるまま、信之にもらった包みを開けた。包みの中には、MDと小さなメモが入っていた。

 冴ちゃん、いままでありがとう。
 冴ちゃんと一緒にいた間に浮かんだフレーズがやっとちゃんとした曲になったので、このMDに録音しました。
 是非聞いてください。

 メモにはこんな言葉が記されていた。

 冴子は信之と暮らしはじめてから買ったプレーヤーにMDをセットした。信之が何度も指で弾いていたギターのイントロが部屋の中に響いて、滑らかなノブの声がふたりの耳から全身に沁みこんできた。
「おかあさん、この曲、おかあさんのこと歌ってるね」
 結愛は冴子に抱きつきそう言うと、キラキラした瞳で冴子を見つめた。冴子は涙ぐみ、娘の温かい体に顔をうずめた。


              < 完 >


あとがきを書きました。よかったら読んでやってください。

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