第1章
新陳代謝における自己同一性保存の謎
(C) Sumio Baba 1980
★★★ 新陳代謝 ★★★
人間の身体を構成している物質は、食物の摂取と老廃物の排出により、少しず
つ外部の物質に入れ代わっていく。これを「新陳代謝」と呼ぶ。この点に関して
時々書物の中で、次のような記述を見かけることがあるかもしれない。
脳だけは例外で、身体の他の細胞と違い、新陳代謝しない
しかし、ここで言う「新陳代謝」は、また少し意味が違っている点に注意が必要
である。
例えば、一人の人間の正常な脳に約140億個存在すると言われるニューロン
のどれか1つに注目し、これをニューロンAと呼ぼう。確かにニュローンAは、
生後決して細胞分裂しないらしい(最近は「そうでもない」という報告も有るよ
うだが?)。つまり、ニューロンAが死滅しても、その代わりにニューロンA’
が新しく発生する、といった意味での「新陳代謝(世代交代)」は、殆ど見られ
ないらしい。だからこそニューロンの数は、年齢とともに減少の一途をたどるこ
とになる。
では、ニューロンAを構成する物質は、いつまでもそこに留まり続けるかとい
うと、そうではない。ニューロンは、おもにブドウ糖をエネルギー源として活動
するから、外部からブドウ糖や酸素を取り入れ、逆に二酸化炭素や水を老廃物と
して捨て去る。従って、ニューロンAを構成している物質も、やがては殆ど全部
外部に捨て去られ、新しい物質に置き換えられることになる。つまりニューロン
も、そういう意味では立派に「新陳代謝(物質交換)」していると言えよう。こ
こで利用するのは「新陳代謝(世代交代)」ではなく「新陳代謝(物質交換)」
の方であるから、脳も例外ではない、として話を進める。
★★★ 【質問A】と【質問B】 ★★★
さて、仮に「霊魂」と呼ばれるような、身体から分離可能な非物質的実体が実
在し、しかも一生自分の身体に宿り続ける、と仮定してみよう。すると、身体の
物質の新陳代謝に伴い、面白い現象が生じる。現在、自分の身体を構成している
全原子の数をP個とし、適当に番号を付けたとして原子1〜Pと呼ぶことにする
と、これらはやがて新陳代謝により、外部の原子1'〜P'にほぼ全部入れ代わる
にも拘らず(脳も例外ではない)、自分の「霊魂」は宿ったままである。つまり、
原子1〜Pの身体に、自分の「霊魂」が宿っている状態
から、
原子1'〜P'の身体に、自分の「霊魂」が宿っている状態
へと変わる。言わば、
現在の自分の身体(原子1〜P)のコピー(原子1'〜P')を作り、
自分の「霊魂」をオリジナルの身体(原子1〜P)からコピーの身
体(原子1'〜P')へと、移し入れたような結果になる!
と言える。これは大変面白い現象であり、本当に「霊魂」が実在するかどうかを
判断する、またと無いチャンスを与える。
***
そこで次の質問を考えてみよう。
【質問A】
実は今、すでにキミ(原子1〜P)のコピー(原子1'〜P')を作
って隣の部屋に置いているのだが、どちらか一方を殺さねばならな
い。オリジナルのキミ(原子1〜P)の方が、身代わりに死んでく
れないか? そうすればコピーのキミ(原子1'〜P')に1億円を
与えよう。
さて、どう答えるだろう?
万歳!! 1億円儲かった!
と大喜びしながら、オリジナルの自分(原子1〜P)は自主的に自殺するだろう
か? そうではないだろう。
隣の部屋に居るというその人間が、自分にどれほど似ているのかは
知らないが、自分は自分、そいつはそいつであって、どうして自分
がそいつの身代わりに死なねばならないのだ? 冗談じゃない!!
これが常識的な答だと思われる。
コピー人間だからといって、二人の間にテレパシーが通じるなどといった非科
学的な想定をしてはならない。自分はあくまで五感により、コピー人間を外側か
ら観察することしかできない。それゆえ、もし自分に秘密でこっそりと誰かがコ
ピー人間を作ったとしたら、コピー人間が存在している事実にさえ、オリジナル
の自分は気が付かない。隣の部屋でコピー人間が、全身に針を刺される拷問を受
けていたとしても、オリジナルの自分には、少しも痛みは感じられない。街です
れ違ったとしても、顔をよく見なければ、互いにただの他人だと思って通り過ぎ
るだろう。
1億円では少ない。
という意味ではない。100億円でも1兆円でも、答は同じである。
たとえコピーの自分が1億円もらって幸福になったとしても、掛け
替えの無い唯一の人間であるオリジナルの自分は、1円も貰わずに
ただ殺されてしまうのだから、そんな事は絶対にイヤだ! コピー
の自分が1億円得をしても、それはオリジナルの自分にとっては他
人事であり、自分の事として喜べない。
という意味である。
***
それならば、次の質問はどうだろう?
【質問B】
現在原子1〜Pで構成されているキミの身体は、新陳代謝により原
子を次々と外部のものに入れ代えていき、1年後には完全に外部の
原子1'〜P'に入れ代わってしまう。実はこれから1年間、キミの
老廃物の中から原子1〜Pを全部拾い集め、1年後それでキミ(原
子1'〜P')のコピー(原子1〜P)を作る。そしてその後、どち
らか一方を殺さねばならない。果たしてその時、キミ(原子1〜P)
とキミ(原子1'〜P')のどちらを生かし続けて欲しいか? 現在
のオリジナルのキミ(原子1〜P)の意見に従おう。
これだと、答は逆転する。すなわち、
原子1'〜P'に入れ代わってしまっている自分の方を生かし続けて
欲しい
である。もちろん、「逆に答えるなら、生き残った方(原子1〜P)に1億円与
えよう」と言われても、絶対に応じられない。
これら2つの質問に対する答は、明らかに「霊魂」の実在を示唆しているよう
に見える。以上がこの論法の要旨であるが、もう一度これらの内容を、より厳密
に説明してみよう。
★★★ 唯物論と霊魂説 ★★★
近代科学以前の世の中では、
「身体(脳)」という物体に「霊魂」という非物質的実体が宿り、
この「霊魂」の機能こそが「心」である。 ...(1)
と考えられて来た。このタイプのモデルを【霊魂説】と呼ぼう。一方、現代の科
学者の大半は「霊魂」の実在を否定する。そして「心」を脳の機能であり、一種
の「ソフトウェア」であると見做す傾向がある。
「身体(脳)」と「心」の関係は、コンピュータの「ハードウェア」
と「ソフトウェア」の関係に等しい。 ...(2)
これを【ソフトウェア説】と呼んでおく。
すべての物体は、その「質料」が特定の「形相」を持った状態であると見なす
ことができる。「質料」すなわち、分子、原子、素粒子は、実体を持つ物理的実
在であるが、「形相」はその物体の物質構造に関する情報(それらの「質料」を
空間内でどのように配置するかに関する情報)であり、実体を持たない。「質料」
「形相」という概念を発明したのは、アリストテレスだと言われている。
現在の自分の身体(もちろん、脳を含む)を構成する全原子の数をPとし、す
べての原子に1つずつ、1〜Pの番号を付けたとしよう。自分の身体の原子は、
新陳代謝により、やがて外部の原子に入れ代わっていく。もちろん脳も例外では
ない。便宜上、身体の構造変化を無視し、新しい原子に1'〜P'の番号を与えよ
う。自分の身体の「質料」は、原子1〜Pから原子1'〜P'にほぼ完全に入れ代
わるにも拘らず、自分が他人になっていくとは感じない。自己同一性は保存され
ている、と実感する。この事実をどう説明すべきだろうか?
***
唯物論者とは、物質以外の「質料」の存在を認めない人である。宇宙の森羅万
象は、物質という「質料」の様々な「形相」に他ならない、と考える。もちろん
人間の「心」も同様であると考え、非物質的実体「霊魂」の実在を否定する。今
の場合、身体(脳)の「質料」は全部入れ代わったのに、自分の「心」の同一性
は保存される訳であるから、唯物論者としては「心」の同一性を純粋に「身体の
形相」の同一性として扱うしか無くなる。
【唯物論の説明】
新陳代謝により、自分の身体(脳)の「質料」はほぼ完全に入れ代
わるが、自分の身体の「形相」はあまり変化しない。(もちろん多
少の変化は有るが、自分の身体(脳)の個性の本質的な部分は保存
される。だから友人は、1年後にも私を私であると認識してくれる
し、記憶の連続性から、私自身もそう認識する。)それゆえ「自分
の心」の同一性が保存されるのだ。 ...(3)
これが唯物論者の説明であり、また、これ以外に説明のしようが無い。この説明
によると、二人の人間の身体の「形相」が全く同じであれば、それだけで二人は
「同一人物」であると判断され、その「質料」が原子1〜Pか原子1'〜P'かと
いった理由で二人を他人のように区別することは、一切無意味となる。すなわち
唯物論者は、必然的に【ソフトウェア説】を取るしか無くなる。
これに対し「霊魂」の実在を主張する人々は、違った説明をする。人間の主観
的な心は「霊魂」の機能であり、それは身体から分離可能な非物質的実体である
と、彼らは主張する。
【霊魂説の説明】
新陳代謝の場合、自分の身体(脳)の「質料」は原子1〜Pから原
子1'〜P'に入れ代わるが、心の「質料」である自分の「霊魂」は
出て行かずに、自分の身体(脳)の中に完全に存続する。それゆえ、
「自分の心」の同一性が保存されるのだ。 ...(4)
これが「霊魂説」の説明である。「霊魂」は無数に存在するが、自分の「霊魂」
は、この宇宙に唯一無二の存在であるという。
唯物論は「物質」だけを根源的な実体と見做す、という意味で【一元論】と呼
ばれることも有る。唯心論という「心」だけを根源的な実体と見做す立場も有る
ので、正確には唯物論を【物質一元論】、唯心論を【心一元論】と呼ぶべきだろ
う。それに対して霊魂説は、「物質」と「心」を全く異質な2種の実体と考える、
という意味で【二元論】と呼ばれる。
★★★ 【質問0】 ★★★
さて、【唯物論】と【霊魂説】のどちらが正しいだろうか? それに答えてみ
よう。少なくとも新陳代謝に関する限り、これら2つの説明はどちらも成功して
いるので、これでどちらが正しいかは判断できない。それを判断するためには、
特殊な状況を設定し、【唯物論】と【霊魂説】とで答が反対になるような質問を
想像してみると良い。そして【唯物論】と【霊魂説】のどちらにも偏見を持つこ
と無く、我々の良心・本心をもって、その質問に答えてみる。その答がどうなる
かで、【唯物論】と【霊魂説】のどちらが人間の「心」をより的確に捉えている
かの、公正な審判としよう。
では、その特殊な質問とは何か? これは理詰めに求められる。【唯物論】に
よると、二人の人間の身体が全く同じ「形相」を持っていれば、それだけで「同
一人物」と判断され、一方は原子1〜Pで他方は原子1'〜P'で構成されている
という「質料」の違いは、無視せねばならない。なぜなら、現在の自分の身体を
構成する原子1〜Pは常に新陳代謝で外部の原子1'〜P'に入れ代わっているが、
そのために「自分が他人に変わっていく」とは少しも感じないからであった。こ
れに対し【霊魂説】によると、「本当の自分」と認め得るのは、自分の「霊魂」
がそこに存在している身体だけである。たとえ自分の身体のコピーが作られ、コ
ピーとオリジナルの間で原子1個の物質構造差さえ無かったとしても、オリジナ
ルにとってコピーは、ただの他人である。なぜなら、この宇宙に唯一無二である
自分の「霊魂」は、オリジナルの身体だけに存在し、コピーには移動していない
から。それゆえ、求めている特殊な質問とは次の通りである。
【質問0】
「キミをA室に座らせ、そのコピーを作ってB室に座らせた後、ど
ちらか一方の身体を分解して殺す」という実験を今から行なう。ど
ちらの室内の身体を生かし続けて欲しいか?
(コピーを作ってしまった後だと、どちらの意見を聞いて良いのか
判らなくなりそうなので、コピーを作る前のオリジナルのキミの意
見に従うことにしよう。)
これこそが「思考実験」であり、実現は不可能でも良いのであった。
なお、ここで「殺す」というのは、単純に「苦しい体験を強要する」の意味で
あり、「拷問する」などで置き換えても良い。また、自分は生に執着した利己的
な人間であり、自分が生き延びるためには、親や子でも平気で見殺しにできるも
のと仮定しよう。たまたま自分は、自殺志願の厭世家であったとか、他人が殺さ
れるのを見るくらいなら自分が死ぬ方を選ぶ慈悲深い神父であったとか、余計な
仮定をしてはならない。あるいは早くも「霊魂」の実在を仮定し、たとえオリジ
ナルの自分が殺されても、そこに宿っていた自分の「霊魂」がコピーの身体に移
動すれば良いではないか、などと早まった事を考えてもいけない。さて、どう答
えるだろう?
オリジナルの方を「自分」、その「心」を「自分の心」、コピーの方を「自分'」、
その「心」を「自分'の心」と呼ぶことにしよう。「自分'」の存在のために、ど
う答えて良いのか判断が難しいようであれば、「自分の心」と「自分'の心」とが
独立していることを利用し、【質問0】の中から「自分'」に関する記述を省いて
みると良い。すなわち、次の【質問0'】に変形することができる。
【質問0'】
「キミをA室に座らせる。その後、A室のキミを殺すか殺さないか
どちらかにする」という実験を今から行なうが、殺して欲しいか?
それとも生かし続けて欲しいか?
こう問えば誰もが、
絶対にA室の身体を生かし続けて欲しい!!
と答えるだろう。そのためには、B室にどれほど自分によく似た人がいて、それ
が殺されようと、他人事で知ったことではないはずである。そしてこれは、【霊
魂説】から必然的に予想される答であった。
逆にもし【唯物論】(【ソフトウェア説】)が正しいなら、【質問0】への答
は、次のようになるはずである。
A室の「自分」(原子1〜P)とB室の「自分'」(原子1'〜P')
とは、物質構造が完全に同じなのだから、どちらも「同一人物」で
あり、どちらを殺されようと同じことだ。
この答は、明らかに我々の本心に反するように思われる。
第三者の立場から「客観的」に見れば、二人の自分は同一人物であって、いつ
置き換えても構わない、という見方もできる。しかし、オリジナル本人(あるい
は、コピー本人)の立場に立って「主観的」に見ると、互いに相手はあくまで他
人であって、身代わりに死んでも良いとは感じない。これを、次のように表現し
ておこう。
身体の物質的な完全コピーにより「客観的自己同一性」だけは作り
出せても、「主観的自己同一性」の方は作り出せない。 ...(5)
★★★ 【質問1】 ★★★
次に、身体を動かした場合に「心」がどうなるかを考えるため、2つめの質問
を想像しよう。
【質問1】
「キミをA室に座らせ、そのコピーを作ってB室に座らせる。そし
て両者ともそれぞれ椅子に座らせたままで第三者が運び、場所交代
させる。この状態で、どちらか一方を分解して殺す」という実験を
今から行うが、どちらの室内の身体の方を生かし続けて欲しいか?
(コピーを作ってしまった後だと、どちらの意見を聞いて良いのか
判らなくなりそうなので、コピーを作る前のオリジナルのキミの意
見に従うことにしよう。)
これならば当然、我々の本心による答は、
絶対にB室の身体を生かし続けて欲しい!!
である。「自分の心」はずっとオリジナルの身体の方に存続しており、どちらか
一方を殺そうという時点において、この身体はB室に置かれているからである。
もちろんこの答は【霊魂説】の正しさを支持している。もし【唯物論】(【ソフ
トウェア説】)が正しいのであれば、ここでも【質問0】と同様、次のように答
えねばならなくなる。
A室の「自分」(原子1〜P)とB室の「自分'」(原子1'〜P')
とは、物質構造が完全に同じなのだから、どちらも「同一人物」で
あり、どちらを殺されようと同じことだ。
この答は、明らかに我々の本心に反している。
「自分'」の存在のため、どう考えて良いのか惑わされてしまうようであれば、
ここでも「自分の心」と「自分'の心」とが独立していることを利用して、【質問
1】の中から「自分'」に関する内容を省いてしまい、次の【質問1'】に変形す
ると良い。
【質問1'】
「キミをA室に座らせる。その後第三者が、キミを椅子に座らせた
ままで、B室へ移し入れる。この状態で、B室のキミを殺すか殺さ
ないかどちらかにする」という実験を今から行うが、殺して欲しい
か? それとも生かし続けて欲しいか?
こう問えば、唯物論者でさえ(あるいは《主観的面》の存在を認めようとすらし
ない「行動主義者」でさえ)「B室の身体の方を生かし続けて欲しい」と実感で
きるだろう。確かに、【唯物論】よりも【霊魂説】の方が、我々人間の「心」を
より的確に捉えているように思われる。これを次のように表現しておこう。
身体の物質構造を保ったままで移動させると、その内部の「心」も
身体とともに移動する。 ...(6)
★★★ 【質問2】 ★★★
いよいよ問題の本質に迫る3つめの質問である。物質的には【質問1】と全く
同じ身体の場所交代であるが、その物理的手法が大きく異なる。
【質問2】
「キミ(原子1〜P)をA室に、そのコピー(原子1'〜P')を作
ってB室に座らせる。そして、対応する原子1と原子1' とを交換
する。次は原子2と原子2',原子3と原子3'、・・・ と交換を続け、
原子Pと原子P’まですべてを交換した状態で、どちらか一方を分
解して殺す」という実験を今から行うが、どちらの室内の身体の方
を生かし続けて欲しいか?
(コピーを作ってしまった後だと、どちらの意見を聞いて良いのか
判らなくなりそうなので、コピーを作る前のオリジナルのキミの意
見に従うことにしよう。)
これは少々非現実的で、考えにくいかもしれない。しかし、原子1個ずつの交
換というのは、新陳代謝を数学的にスムーズに扱うためのデフォルメであり、次
のように考えれば良い。
A室に入れられた「自分」は、食物の摂取と老廃物の排出により、身体の物質
を少しずつ入れ代えていく。 この場合の食物とは、実はB室の「自分'」の老廃
物の中から原子1'〜P'を拾い集め、それを再構成して作られたものであり、逆
にA室の「自分」の老廃物の中から原子1〜Pを集め、それを再構成して作られ
た食物が、B室の「自分'」に与えられる。それを繰り返すうちに、A室の身体は
原子1〜Pから原子1'〜P'に完全に入れ代わり、B室の身体も原子1'〜P'か
ら原子1〜Pに完全に入れ代わった、とするのである。仮に1年くらいで、入れ
代わりが完了するものとしよう。この事実を知らされなかったとすると、【質問
2】は次の【質問2'】と同じことになる。
【質問2'】
「キミをA室に入れ、そのコピーを作ってB室に入れる。そして二
人とも、その部屋の中で1年間生活してもらう。(食物はきちんと
与えるし、トイレにも行かせるから、心配はない。)そして1年後
に、どちらか一方を分解して殺す」という実験を今から行うが、果
して1年後、どちらの室内の身体の方を生かし続けて欲しいか?
(コピーを作ってしまった後だと、どちらの意見を聞いて良いのか
判らなくなりそうなので、コピーを作る前のオリジナルのキミの意
見に従うことにしよう。)
ここでもまた、A,B両室の各々の身体に存在する「心」が、常に互いに独立
していることから、【質問2'】は、その中からB室の身体に関する内容を省いた、
次の【質問2''】と同等であることが解る。
【質問2''】
「キミをA室に入れ、その中で1年間生活をしてもらった後、A室
のキミを殺すか殺さないかどちらかにする」という実験を今から行
うが、殺して欲しいか? それとも生かし続けて欲しいか?
こう考えると、答は明白だろう。もちろん「A室の身体を生かし続けて欲しい」
である。新陳代謝によって、初めの物質(原子1〜P)は全部外部に排出してし
まっているが、「自分の心」が存続しているのはA室の身体の方だと感じるから
である。それを構成する原子が、原子1'〜P'に代わってしまったのか、それと
もまた別の原子1''〜P''か、あるいはそれらの混合物か、といったことには無
関係である。一方1年後には、B室の身体の方こそが原子1〜Pで構成されてい
るのだ、と教えられても、やはりそこに存在するのは「自分'の心」であって、
「自分の心」ではない、と実感する。だからこそ、次のように答えるのである。
絶対にA室の身体(原子1'〜P')の方を生かし続けて欲しい!!
そのためになら、B室にどれほど自分によく似た人がいて、それが
殺されようと、他人事で知った事ではない。
もちろん、【唯物論】すなわち【ソフトウェア説】の立場なら、ここでも答は
【質問0】や【質問1】と同じく、「どちらでも良い」になる。つまり、
A室の「自分」(原子1'〜P')とB室の「自分'」(原子1〜P)
とは、物質構造が完全に同じなのだから、どちらも「同一人物」で
あり、どちらを殺されようと同じことだ。
これが人々の常識的感覚に反しているのは、明白だろう。
この【質問2】(および【質問2'】【質問2''】)に対する返答の考察から
言えることをまとめると、次のように表現できる。
身体の物質を、少しずつ外部のものと入れ代える操作の繰り返しで
全部入れ代えても、「心」は完全なまま存続する。 ...(7)
★★★ まとめ ★★★
以上、【質問0】【質問1】【質問2】に対する我々人間の素直な本心によれ
ば、【唯物論】(すなわち【ソフトウェア説】)よりも【霊魂説】の方が、人間
の「心」をより的確に捉えているように見える。(4)の説明を思い出そう。
A室の「自分」の身体を構成する物質は、新陳代謝により、原子1
〜Pから原子1'〜P'に入れ代わったが、自分の「霊魂」は出て行
かずA室の身体に存続し、その結果自分の「霊魂」を、原子1〜P
の身体から原子1'〜P'の身体へ移し入れたのと同じ効果が生じた。
...(4')
我々は、まさにそう実感しているのである。
「心とは何か?」を論じる時、「自分の心」と「自分'の心」とを区別してみる
ことが、絶対に必要である。「主観的な心とは、身体(脳)の機能(ソフトウェ
ア)にすぎないのか、それとも身体(脳)から分離可能な非物質的実体(霊魂)
なのか?」を問題にしているのである。そして新陳代謝の現象を利用し、2つの
身体の間で「心」が交換されたかどうかを見てみよう、というのである。その時
に、「いや、身体の物質構造が全く同じならそれだけで同一人物と見做し、それ
以上の区別はしない」というのであれば、話にならない。たとえ主観的な「心」
が本当に交換されていたとしても、それを見逃してしまうのは当然だろう。オリ
ジナルの「自分」という主観的視点に立った時に初めて、「自分の心」が原子1
〜Pの身体から原子1'〜P'の身体へと移し入れられる事実を、ありありと実感
できるのである。
***
【質問0】【質問1】【質問2】に対する答をまとめておく。
A:A室の身体の方を生かし続けて欲しい。
B:B室の身体の方を生かし続けて欲しい。
C:どちらでも良い。どちらでも同じ事だ。
と略記しよう。【唯物論】すなわち【ソフトウェア説】の立場に立って答えると、
【質問0】【質問1】【質問2】の3つともCであり、これを「C,C,C」と
表現する。ところが我々人間の本心だと、【質問0】【質問1】【質問2】の順
にA,B,Aであり、これを「A,B,A」と表現する。この答こそ【霊魂説】
に則った答にぴったりと一致しており、特に「A,B,B」とならない点が、注
目に値するのであった。
★★★ 【実体を持つ存在】と【実体を持たぬ存在】 ★★★
オリジナルの身体「自分」(原子1〜P)と そのコピーの身体「自分'」(原子
1'〜P')とを比較する時、これら2つを「同一物」(同じ身体)と呼ぶべきだ
ろうか? それとも「別物」(別の身体)と呼ぶべきだろうか? どちらか一方
が正しく、他方が誤りだと決め付けることはできない。どちらも正しいと言うべ
きである。しかし、この2つの解釈の差を利用し、【実体を持つ存在】と【実体
を持たぬ存在】の逆定義を与えることができる。
「自分」の身体(原子1〜P)と「自分'」の身体(原子1'〜P')
とは、全く同じ「形相」を持つ物体であるから、それだけで「同一
物」と見做し、その「質料」が原子1〜Pか原子1'〜P'という違
いは無視する。 ...(8)
「自分」の身体(原子1〜P)と「自分'」の身体(原子1'〜P')
とは、確かに「形相」は全く同じであるが、一方は原子1〜P、他
方は原子1'〜P'で構成されているという「質料」の違いが有るか
ら、やはり「別物」とする。 ...(9)
(8)のように、同一性の判断を「形相」の同一性だけで判断する時、これを
【実体を持たぬ存在】としての捉え方、と呼ぶ。(9)のように、同一性の判断
を「形相」の同一性だけでなく「質料」の同一性をも合わせて判断する時、これ
を【実体を持つ存在】としての捉え方、と呼ぶ。
原子1〜Pと原子1'〜P'とが「質料」として別物と見做される理由は、同一
時刻に異なる空間位置を占めているからである。もちろん、対応する原子は同種
の原子である。 例えば、原子1が酸素原子なら、原子1'も酸素原子。原子2が
水素原子なら、原子2'も水素原子。・・・ 。また「コピー」とは必然的に、「形相
は同一だが、質料は別物(他所から持って来たもの)」である。「形相」が異な
れば「コピー」では有り得ないし、逆に「形相」だけでなく「質料」までが同一
だったら、それは「コピー」ではなく「オリジナル」そのものになってしまうか
ら。宇宙には、同種の素粒子(そして、原子、分子)が複数個存在するからこそ、
「コピー」なるものが考えられる訳である。
これで【実体を持つ存在】と【実体を持たぬ存在】の判別法が得られた。もう
一度次のように表現しておく。
【実体を持つ存在】 =「質料」+「形相」 ...(10)
【実体を持たぬ存在】= 「形相」 ...(11)
そして、厳密な一致ではないけれども、「ハードウェア」が【実体を持つ存在】
に、「ソフトウェア」が【実体を持たぬ存在】にほぼ対応する。
***
全く同じ「ハードウェア」を持つ2台のコンピュータA1とA2で、全く同じ
「ソフトウェア」a1とa2を作動させている状態を考えよう。
A1とA2は【実体を持つ存在】であり、「質料」と「形相」を持っているか
ら、たとえA1とA2の間に「形相」の差が何も無くても、A1は原子1〜Qで
構成されているが、A2は他所から持ってきた原子1'〜Q'で構成されていると
いう具合に、「質料」の違いで両者を区別することができる。それゆえ次の{1}
と{2}を区別することは有意味である。
{1} A1がX1室に、A2がX2室に置かれている状態
{2} A1がX2室に、A2がX1室に置かれている状態
{1}と{2}では、確かにA1とA2がX1室とX2室との間で、場所交代さ
れている。奇数回場所交代すれば{1}と{2}が入れ代わり、偶数回場所交代
すれば元に戻る。
一方、a1とa2は【実体を持たぬ存在】であり、「形相」だけしか持たない。
だから、a1とa2の「形相」が全く同じであったら、両者は直ちに同一であり、
次の{3}と{4}の区別は無意味である。
{3} a1がA1の中で、a2がA2の中で作動している状態
{4} a1がA2の中で、a2がA1の中で作動している状態
{1}と{2}の区別が有意味なのは、A1とA2とが【実体を持つ存在】だか
らであり、{3}と{4}の区別が無意味なのは、a1とa2が【実体を持たぬ
存在】だからである、という点に注意。
他の例を挙げれば、「本そのもの」は【実体を持つ存在】であるが、「本に書
かれていること(意味的な内容)」は【実体を持たぬ存在】である。仮に私と友
人が同じ本を1冊ずつ買って来たとする時、「私の本と貴方の本を交換しよう」
というのは有意味であるが、「私の本と貴方の本とで、書かれている内容を交換
しよう」というのは無意味である。
★★★ 心は実体を持つ? ★★★
果たして「心」は、【実体を持つ存在】と【実体を持たぬ存在】のどちらに属
すだろうか? この点を明らかにするために、次の{5}と{6}を比較するこ
とになる。
{5}「自分の心」が原子1〜Pの身体に、
「自分'の心」が原子1'〜P'の身体に存在する状態
{6}「自分の心」が原子1'〜P'の身体に、
「自分'の心」が原子1〜Pの身体に存在する状態
つまり、自分の身体(原子1〜P)のコピー(原子1'〜P')を作り、「自分の
心」と全く同じ「形相」(機能・構造)を持つ「自分'の心」が、コピー人間の中
に発生したと仮定することになる。この{5}と{6}とを区別することは、果
して有意味か無意味か? これが問題である。
コピー人間を作る時、【唯物論】によれば、次の主張は必然である。
オリジナル(原子1〜P)の中の「自分の心」《主観的面》と全く
同じ機能・構造を持つ「自分'の心」が、コピー(原子1'〜P')の
身体の中に発生する。 ...(12)
一方の【霊魂説】によれば、
コピーの身体(原子1'〜P')に「霊魂」が宿らない限り、コピー
の方は「心」《主観的面》を持たない。 ...(13)
との主張になるだろう。理論的には両方の場合を考えてみる必要が有るが、【霊
魂説】の主張の方を正しいと仮定すると、直ちに「霊魂」の存在が証明されたこ
とになるため、詳しく議論する必要が残るのは、【唯物論】の主張を正しいと仮
定した場合だけである。だからここは【唯物論】の主張をに譲歩して話を進める。
【霊魂説】の場合には、「自分の霊魂」と全く同じ機能・構造を持つもう1つの
「霊魂」が、コピーの身体(原子1'〜P')に宿ったと想定しておけば良い。
もし「身体(脳)」と「心」の関係が、【唯物論】(【ソフトウェア説】)の
主張するように、コンピュータの「ハードウェア」と「ソフトウェア」の関係に
等しいのなら、「心」は「ソフトウェア」すなわち【実体を持たぬ存在】という
ことになり、{3}と{4}の区別が無意味であったのと同じく、{5}と{6}
の区別も無意味なはずである。ところが我々人間の本心は、{5}と{6}の区
別を決して無意味とは感じない。コピー人間の身代わりに死んでも良い、という
人は一人もいないし、どちらか一方を殺すと言われたら、現在の状態が{5}な
のか{6}なのかで、生きるか死ぬかの違いが有る。つまり{5}と{6}の区
別は{3}と{4}の区別ではなく{1}と{2}の区別と同種のものであり、
これは「心」が【実体を持たぬ存在】ではなく【実体を持つ存在】である事実を
示している。
しかも「自分の心」は、原子1〜Pの身体から原子1'〜P'の身体へと移し入
れることができた。【質問0】および【質問1】(あるいは【質問A】)の場合
には{5}であったが、【質問2】(あるいは【質問B】)の場合には{6}に
変わっていた。ゆえに「心の質料」は「身体の質料」である原子1〜Pでも原子
1'〜P'でもない、非物質的実体「霊魂」なのではないか?との疑問に到達する
のである。
★★★ 現代科学の盲点 ★★★
現代科学の盲点を明確にするため、次の問題提起をしてみよう。SF小説に出
て来そうな、現実離れした話ではあるけれども、「心」の理論的定式という点で、
大変重要な内容である。
現在の自分の脳を構成する全原子を1〜pとし、不幸にも自分は、この脳の一
部に小さな損傷を受けたとする。放っておくと悪化すると言われ、手術で治療す
る決心をしたが、その方法に次の2つが有ると言われたとしよう。
「ジグソーパズル方式」
損傷を受けた部分だけを切開し、あたかも粉々に砕けたガラスの破
片をピンセットで1個ずつ元通りに並べて修復するかのように、時
間をかけてじっくりと治療する方法。
「コピー入れ代え方式」
損傷を受ける直前の自分の脳と原子1個も異ならぬほどのコピー脳
を、他所から持って来た原子1'〜p'で別に作り、現在に到るまで
の細々した記憶まで完全にコピーした後、原子1〜pの脳を捨て、
原子1'〜p'の脳でそっくり置き代える方法。
「ジグソーパズル」方式だと手術は極めて面倒で、相当な費用と日数がかかるが、
「コピー入れ代え方式」だと特殊な装置が利用でき、費用も時間も1/10ほど
で治療できるらしい。それに、脳の物質構造に関する限り、どちらの方法も完璧
に治療でき、両者の間に優劣の差は無い、という。さて、どちらの方法を選ぶべ
きか?
「コピー入れ代え方式」の方が経済的ではあるが、これを選ぶのは自殺行為で
ある。原子1'〜p'で作った脳は、物理的機能においては完璧であっても、そこ
に存在する(と仮定される)「心」は、やはり「自分'の心」であり、本来の「自
分の心」とは別の心である。もしこれを採用されたら、本来の「自分の心」は原
子1〜pの脳とともに外部に取り出され、ゴミ箱に捨て去られるか、ホルマリン
漬けにされ、無惨な最期となるだろう。その代わりに、原子1'〜p'の脳の中の
「自分'の心」が身体を与えられ、自分がコピーであるとは知りもせず会社に勤め、
家族といつものように暮らし続けたとしても、本来の「自分の心」にとっては、
あたかもインベーダーに自分の立場を乗っ取られたような、不満が残るだけであ
る。だから、たとえ費用と日数はかかっても、ここは「ジグソーパズル方式」を
選ぶべきである。
では、「コピー入れ代え方式」ではなぜダメなのか?
原子1〜pの脳こそ常に本来の「自分の心」が存在し、原子1'〜p'
で作った脳だからこそ「自分'の心」が存在するのだ
と決め付けられないところに、「霊魂」実在の疑いが発生したのであった。実際、
原子1〜pの脳と原子1'〜p'の脳とを、一度にそっくり入れ代えるのは困るが、
新陳代謝の現象を見る限り、原子1個ずつ交換していくのであれば構わない、と
いう気がする。では、ニューロン1個ずつの交換なら良いのか? 脳の機能単位
と言われるニューロン1万個くらいから成る組織である「コラム」1個ずつの入
れ代えならどうなのか? ・・・ など、様々な問題が発生する。
この大問題に対して、現在の科学(この場合、特に医学)は、何と次のように
的外れな態度しか取れないのである!!
脳の物質構造を元通りに修復し、精神現象の《客観的面》の機能を
正常に戻すことだけが医学の課題なのであり、そこに本来の「自分
の心」が存続しようが、あるいはそれが捨て去られて「自分'の心」
に乗っ取られようが、知った事ではない。そういった《主観的面》
の問題は、宗教か神学にでも任せておけば良いのであって、自然科
学の研究対象ではない。 ...(14)
このような態度で、平気で「コピー入れ代え方式」を用いるのだとしたら、そん
ないい加減な手術など、受けられたものではない。何故なら本来の「自分の心」
の存続こそ、人間にとって最も重要な関心事だからである。本来の「自分の心」
と「自分'の心」とを明確に区別し、原子1〜pの脳と 原子1'〜p'の脳のどち
らに本来の「自分の心」が存在するのかを自然科学的に判別することが、絶対に
必要であると実感できるだろう。そのためには、ここで提起した問題から目を背
ける訳にはいかないのである。
***
もう1つ、似たような問題を提起しよう。将来、火星に巨大都市が建設された
とする。火星まで旅行したいのだが、ロケットで自分の身体(原子1〜P)を地
球から火星まで運ぶのは、あまりにも費用がかかり過ぎて、手が届かない。これ
は古い方法である。ところがもう一つ、安価な方法が開発された。新しい方法で
は、自分の身体の構造についての情報だけを地球から火星へ光で送る。火星には、
酸素、水素、炭素、窒素、・・・ などの原子がタンクに貯蔵されており、その中の
原子1'〜P'を用い、自分のコピー人間が作られる。その後、地球上のオリジナ
ル(原子1〜P)は殺されねばならない。火星にいるコピー(原子1'〜P')は、
火星の観光旅行ができる。新しい方法は、古い方法の1/10しか費用がかから
ないというが、自分はこの新しい方法を利用すべきだろうか?
確かに新しい方法は、とても経済的である。しかし新しい方法を選ぶというこ
とは、自分にとって自殺することを意味しないか? なぜならコピーは、オリジ
ナルにとってただの他人に過ぎないから。ではなぜ、コピー(原子1'〜P')の
持つ「心」は「自分'の心」であって、本来の「自分の心」ではないのか? それ
はコピーが原子1〜Pではなく、原子1'〜P'で構成されているからか? そう
ではなかった。新陳代謝により、「自分の心」が自分の身体(原子1〜P)から
自分の身体(原子1'〜P')へ移し入れられる事は、すでに見てきた通りである。
物質以外の何かが、それを決定しているのではないだろうか?
***
【唯物論】は人間を、高度な機能は持つが、あくまで1個の「物体」であり、
ただの「道具」に過ぎない、と見なしているように思われる。そして、人間の本
質である主観的な「心」を、無視しているように見える。だから、機能の全く等
しい人間はいつでも置き代えて良いし、機能の優る人間の前で、機能の劣る人間
は全く価値無しと判断することになる。
しかし我々人間の本心は、決してそうは実感していない。たとえ自分のコピー
を100個作っても、掛け替えの無い本来の「自分の心」は、宇宙に1つしか存
在しない。しかもそれは、原子1〜Pの身体から原子1'〜P'の身体へと移し入
れられるように実感する。人間の価値の本質は、身体の物質構造の素晴らしさで
はなく、「自分の心」が決してコピーで置き代えることのできない、この宇宙に
唯一無二の存在だからなのである。それゆえにすべての個人は、能力の優劣を超
越して、無限の価値を持つのではないだろうか?