第2章
 意識を構成する非局所的相互作用
          
           (C) Sumio Baba 1990


         ★★★ 物質と心の違い ★★★



 ここでは「心」「意識」「自我」という言葉を、純粋に精神現象の《主観的面》
の意味で用いる。これを《客観的面》ですり替えてはならない。そして、《客観
的面》と《主観的面》とが別物であることを明確にするために、理論的思考実験
を用い、次の{馬場の定理}(Baba's Theorem)を証明しよう。

              {馬場の定理}
  脳の物理的メカニズムが、すべて光速の限界を伴う「局所的相互作
  用」によるとする限り、脳で作り出せるのはたかだか《客観的面》
  の機能だけであって、《主観的面》の方は作り出せない。脳全体を
  マクロな「非局所的相互作用」で結び付け(binding し)、脳全体
  に統合された《主観的面》を作り出している何かが実在する。

 ここでは一応「脳」という言葉を、約140億個のニューロンから構成される
「大脳皮質」くらいの意味で用いる。これが適切でなければ、「脳全体」や「身
体全体」に拡張しても良い。

                 ***

 相対性理論によると、あらゆる物理的相互作用は、光速以下で空間を伝わり距
離ゼロまで接近して初めて作用し合う「局所的相互作用」でなければならない。
「非局所的相互作用」とは、空間的距離を跳び越えて作用できるものであり、こ
れを用いて超光速の情報伝達が可能だとすると、因果律が破壊され、すべての物
理法則が無意味になってしまう恐れが出てくる。かつては遠隔作用と見做されて
いた電磁気力や重力も例外ではなく、電磁気力を伝える素粒子が光子であり、重
力を伝える素粒子が重力子であるが、重力子(重力波)の方は微弱なためまだ検
出されていないにも拘らず、どちらも光速でしか伝わらない「局所的相互作用」
だと確信されるに到っている。
 また量子力学には、EPR現象やBellの定理で表現される「非局所性」が
よく知られているが、これは「非局所的相互作用」とは別概念である。1個の素
粒子の波動関数が、空間内の広い領域に広がることは有っても、相互作用する時
は1個の点粒子として「局所的相互作用」するだけである。その点は、粒子とし
ての性質が強い電子などの「フェルミオン」だけでなく、波としての性質が強い
「ボソン」である光子もまた同様である。観測による波動関数の収縮は、超光速
で伝わるように見える場合も有るが、これは観測可能量ではないし、これを用い
て情報伝達はできないので、因果律の破壊にはつながらないと説明されている。

                 ***

 なぜ「物質」で「心」は作れないというのか? この点を簡単にイメージして
みよう。
 現代の物理学によれば、すべての物理的相互作用は、光速以下で空間を伝わり、
距離ゼロまで接近して初めて及ぼし合える「局所的相互作用」である事が、常識
となっている。相対性理論と量子力学とを融合しつつある「場の量子論」によれ
ば、空間には、光子、電子、陽子、重力子、・・・ など各種素粒子に対応する様々
な場、すなわち、「電磁場」「電子場」「陽子場」「重力場」・・・ などが全宇宙
空間内に広がっている、と考える。そして空間内の位置座標が異なる任意の2点
は、互いに独立した自由度を持ち、光速以下で伝わる「局所的相互作用」だけで
影響し合う、という大前提が有る。ということは、空間内のどの点も、「自分は
自分の状態しか知らない」のであり、「他の点の状態は、光速以下で伝わって来
る局所的相互作用から推測するだけ」になる。
 個々の点にまで分解しなくても良い。正常な人間の脳Bを、n(n≧2)個の
部分B1〜Bnが接続されている、と解釈しよう。客観的に第三者の立場から見
ると、個々の部分B1〜Bnは、まるで各部が全体の状態を知っているかのよう
に、見事な分業態勢で協力し合っているように見えるかもしれない。しかしB1
〜Bn間の相互作用も、すべて光速の限界を伴う「局所的相互作用」だというの
であれば、個々のB1〜Bnは、本当は何も知らないのではないだろうか?
 例えばB1は、B2〜Bnの存在や状態を、決して本当には知らない。B2〜
Bnの存在や状態を知るためには、「局所的相互作用」によってB2〜Bnに関
する情報を伝えてもらい、B1の中にそれをコピーすることが必要である。しか
しこの場合も、B1は「B2〜Bnに関する情報を模写した状態にあるB1自身
を認識しているだけ」である。その証拠に、仮にB2〜Bnを切り取って捨てて
しまったとしよう。ただしB1には、今でもB2〜Bnが接続されていて、B2
〜Bnが実際に様々な情報を送って来ているかのような、ニセの「局所的相互作
用」を与えたとしよう。するとB1は、B2〜Bnの不在に気付けず、今でも正
常なBを構成していると錯覚し、Bを構成していた時と全く同様に機能し続ける。
というより、もともとB1の機能は、その「初期状態」および「周囲からの局所
的相互作用」の2つで完全に決定するのであって、本当にB2〜Bnが接続され
ているかどうかには無関係なのである。
 「自分は自分の事しか知らない」という立場を、哲学では「独我論」と呼ぶ。
「自分の心」は、外界の様々な物体(空、太陽、道、車、建物、人、・・・ その他)
を知覚することができる。しかし、厳密に言えばこれも、

  「自分の心」は、空、太陽、道、建物、人、・・・ その他を知覚して
  いる状態にある「自分の心」自身を認識しているだけ

である。もしかしたら、それらはすべて「自分の心」の中だけに存在する幻かも
しれない。実際に「夢」がそうである。「自分の心」から独立して、外界なるも
のが実在しているのかどうかは、決して知る事ができない。ただ、いかにも実在
するかのように見えるので、実在するのだろうと推測するに留まる。
 今は、脳Bの中の一部B1について考えたが、もちろんB2〜Bnも同様であ
る。どれもが「自分は自分の事しか知らない」「他者の存在や状態は、周囲から
の局所的相互作用により推測するだけ」という「独我論」状態にある限り、それ
らを接続して正常なB状態にしても、相変わらずB2〜Bnは「独我論」状態の
ままで、B全体に「1つの心」という統一性は生まれないのではないか?
 逆に、「自分の心」の持つ「1つの心」Mという統一性の不思議について考え
てみよう。「1つの心」Mの各部分M1〜Mnは、いかにして他の部分の存在や
状態を知るのだろう? やはり「局所的相互作用」による情報伝達だろうか?
だとしたらM1は、本当にM2〜Mnが存在しているのかどうかを、決して知り
得なくなる。たとえM2〜Mnが存在していなくても、あるいはM2〜Mnを消
滅させても、今でもM2〜Mnが存在するかのような「局所的相互作用」をM1
に与えてやると、M1はM2〜Mnの不在に気付けない。というより、初めから
M1の状態は、その「初期状態」と「周囲からの局所的相互作用」だけで完全に
決定し、本当にM2〜Mnが存在するかどうかには無関係だったことになる。た
だ「周囲からの局所的相互作用」により、M2〜Mnの存在と状態を推測してい
ただけ、という意味である。つまり、M1〜Mnはどれも独立しており、それぞ
れが「独我論」状態にあると考えねばならない。
 「1つの心」Mという統一性を産み出すには、一々情報伝達しなくても、M全
体がM全体の存在や状態を知っている必要が有るのではないか? つまり、Mの
部分と部分が「局所的相互作用」し合い、互いの存在や状態を推測し合っている
のではなく、M全体が「非局所的相互作用」で結び付いていることになってしま
うのではないか?



         ★★★ 思考実験 ★★★


 まず、次の[A]と[B]を公理として仮定する。するとどう考えても矛盾が
生じることを示し、[A]と[B]の少なくとも一方は誤りであることを導く。
初めに、量子力学を含まない古典物理学(的決定論)の立場で話を進め、最後に
量子力学についても考察する。

                [A]
  脳の物理的メカニズムに「非局所的相互作用」は存在せず、脳の各
  部分の機能は、その「初期状態」と「周囲からの局所的相互作用」
  の2つだけで、完全に決定する。(量子力学は無視して良い。)

                [B]
  「心」は脳の機能である。(広義の【心・脳同一説】。全く同じ脳
  の機能には、必然的に、全く同じ状態の「心」が随伴する。いわゆ
  る「霊魂」と呼ばれる非物質的実体は存在しない。)

 通常、一人の人間の正常な脳Bは頭蓋骨の中に入っていて、目や耳からの情報
を受け取りながら、各部が親密に連絡を取りつつ、様々な情報処理機能を発揮し
ている。例えば映画を観賞している時には、映像を見、音声を聞き、ストーリー
を楽しみ、その他様々な機能を持ちながらも、全体として1つに統合されている
かのように感じる「心」Mが、脳Bに随伴している。この時のBの機能を機能X、
Mの状態を体験Xと呼ぶ。
 まずこの人の脳Bを頭蓋骨の中から取り出し、培養液の中に入れたとしよう。
脳以外の身体は捨ててしまって良い。そしてこのBに対し、機能Xを再現させる
ための「初期状態」および「周囲からの局所的相互作用」と全く同じものを、人
工的装置Dから与えたと仮定する。もちろん実現は不可能だが、古典物理学を仮
定しているので、「思考実験」としては理論的に可能である。すると培養液の中
の脳Bに、体験Xをする「心」Mが発生することになる。なぜなら[A]の仮定
により、培養液の中のBの機能は、頭蓋骨の中で映画観賞していた時の機能Xと
全く同じになるし、[B]の仮定により、そこに発生する「心」Mもまた、全く
同じ体験Xをする状態になるからである。
 次に培養液の中の脳Bをn(≧2)個の部分B1〜Bnに分割切断し、しかも
特殊な装置に接続して、今でも正常なB状態にあるかのように、機能Xを再現さ
せることを考える。脳の最小単位を個々のニューロンだと見做すなら、B全体で
k個(約140億個)存在するニューロンを、k1個含むB1,k2個含むB2,
・・・ ,kn個含むBnに分割する、と考える。そして機能Xの再現とは、すべて
のニューロンの発火タイミングが完全に一致している状態の再現を意味する。よ
り厳密に、脳の最小単位を個々の物質粒子(分子、原子、素粒子)や光子の運動
だと見做すなら、B全体でk個(約10の28乗個)存在するそれらの粒子を、
k1個含むB1,k2個含むB2,・・・ ,kn個含むBnに分割する、と考える。
そして機能Xの再現とは、すべての物質粒子(分子、原子、素粒子)や光子など
の相対的運動が、個々のB1〜Bnの中で1個も異ならない状態の再現を意味す
る。もちろんどちらの場合も k=k1+k2+ ・・・ +knである。nの値と分
割の仕方は任意で構わないが、話を理解し易くするため、nを100くらいとし、
ほぼ同じ大きさの100個の部分に分割した場合を考えておくと良い。
 分割された個々のBkには、それをすっぽり包み込む形で装置Dkが接続され
る(1≦k≦n)。そして各Bkに対し、機能Xを再現するための「初期状態」
と「周囲からの局所的相互作用」が、各Dkから与えられる。BkとDkとを合
わせて、系Skと呼ぶ。異なる2つのSkとSjの間では(k≠j)、電磁気力
や重力など、光速の限界を伴う「局所的相互作用」を用いた情報伝達は一切行な
わない。にも拘らず[A]の仮定により、個々のB1〜Bnは、正常なB状態で
機能Xを発揮している時と全く同様に機能する。ただそれが、Bという1つの固
まりではなく、B1〜Bnに分割されていて、それら相互間には「局所的相互作
用」が何も無い、という違いがある。
 培養液の中で、1つの固まりとしてのBに機能Xを再現させている状態を【接
続状態】と呼ぶ。一方、B1〜Bnに分割した上でD1〜Dnを用い、それらす
べてを合わせると機能Xに等しくなるよう制御している状態を【擬接続状態】と
呼ぼう。方法としては次のように考えておくと良い。【接続状態】でBが機能X
を発揮している時、各Bkの「初期状態」および、各Bkが受ける「周囲からの
局所的相互作用」がどのようなものかを、予め全部調べておくものとする。B1
〜Bnに分割した上で、もう一度各Bkを全く同じ「初期状態」に戻す。各Bk
に対してDkが及ぼすべき「周囲からの局所的相互作用」はすでに調べてあるの
で、各Dkはそれを忠実に再現するだけで良い。それには、テープレコーダーや
タイマーを用いると考える。D1からB1に与えられる「周囲からの局所的相互
作用」には、B2〜Bnからのものはもちろん、必要が有れば外界からのものも
含まれる。D2〜Dnも同様。
 あくまで思考実験であるから、Dkの構造を具体的に示す必要は無い。ただ次
の点は重要である。第一にDkは、Bkから及ぼされる物理的作用に対し、リア
ルタイムで返答を計算する高度な機能を持つ必要は無いという点。だからB1に
接続するD1が、B2〜Bn全体と同じだけの高度な機能を持つ必要は無い。第
二に、D1〜Dn相互間で情報伝達する必要も無い点。従って4次元時空の中で
S1〜Snを、どの2つを選んでも、相対性理論が因果関係を認めない「空間的
(space-like)な位置関係(距離)」となるように配置することもできる。
 こうしてB1〜Bnを分割・独立させ、しかも全部合わせると正常なBの機能
Xと全く同じものを再現する時、つまり【擬接続状態】において彼の「心」すな
わち《主観的面》は、一体どうなっているのか? 以下の(1)(2)(3)ど
う考えても矛盾が生じることを示そう。

                (1)
  今でもB1〜Bn全体に、統合された「1つの心」Mが随伴してい
  る。

                (2)
  B1にM1,B2にM2,・・・・・ , BnにMnと部分的な「n個の
  心」M1〜Mnが、互いに「独立」して随伴している。(M1〜Mn
  の中には、殆ど「心」らしい「心」とは認められないものも含まれ
  る。)

                (3)
  我々は「1つの心」Mを持つと感じているが、それは錯覚であり、
  本当は「n個の心」M1〜Mn(n≧2)を持つのではないか?
  「1つの心」Mはそのまま同時に「n個の心」M1〜Mnでもある、
  と解釈できないか?



        ★★★ (1)の検討 ★★★


 まず「1つの心」という言葉の定義を与えるため、[A]と[B]を公理とし
て、次の定理[C]を導こう。

                [C]
  B1とB2の間に、相互作用(「局所的相互作用」および「非局所
  的相互作用」)が何も無い時、B1に随伴するM1とB2に随伴す
  るM2は「独立」している。(M1の状態はB1の機能だけで、M2
  の状態はB2の機能だけで完全に決定し、互いに相手の存在や状態
  に何の影響も受けない)。

 証明は簡単である。まず[A]から、B1とB2の機能はそれぞれの「初期状
態」および「周囲からの局所的相互作用」だけで完全に決定するが、両者の間に
相互作用が何も無ければ、互いに相手の存否や状態に何の影響も受けず、その機
能は独立している。そして[B]から、M1はB1の機能、M2はB2の機能で
あるため、M1とM2もまた互いに相手の存在や状態に何の影響も受けずに「独
立」している(証明終)。
 敢えて[C]を明記したのは、《客観的面》と《主観的面》の違いをはっきり
させるためである。例えばS1〜Snを、正n角形の頂点の位置関係に配置して、
B1〜Bnを制御したとしよう。S1〜Snの間に「局所的相互作用」は何も無
い。それにも拘らず第三者は、ここに正n角形の存在を認識できる。この正n角
形は、S1〜Snのどれか1つが持つ性質でもなければ、S1〜Snが1/nず
つ分担して持つ性質でもない。個々のS1〜Snには無かった性質が、全体の関
係性の中に「創発」したのであり、全体が持つ「非局所性」の一種である。もし、
どれか1個を少し移動させると、その瞬間に正n角形は消滅する。しかしだから
といって、何かがS1〜Sn全体を「非局所的相互作用」で結び付けていること
を意味しない。いわば、このn個の位置関係を認識している第三者の心の中で、
これらn個が概念的に結び付けられ、正n角形の存在が認められたり認められな
かったりするだけの話である。

                 ***

 これに対し《主観的面》の方は、S1〜Sn間に相互作用が何も無い限りM1
〜Mnは互いに「独立」していることを主張するのが[C]である。M1の状態
はS1の内部だけで完全に決定し、S1〜Snが正n角形に配置されているのか、
それとも一直線上か、本当にS2〜Snが存在しているのかどうかにさえ、影響
を受けない。S1〜Sn相互間に「局所的相互作用」は何も無い、と仮定してい
る。それなのに、もしM1の状態がS1内部だけで決定できず、S2〜Snの存
在や状態に影響を受けているとすれば、(すなわちS1〜Sn全体に随伴するM
が、独立したM1〜Mnの総和に還元できないという意味での「非局所性」が存
在するとすれば)、その時はS1〜Sn相互間に「非局所的相互作用」が働いて
いる、と結論できる。
 「心」Mが、n個の「独立」した「心」M1〜Mnの総和であると見做せる時、
Mは「n個の心」である、と表現する。どう解釈しても、nの最大値が1の場合、
Mを「1つの心」であると定義する。この定義によれば、もし(1)を正しいと
仮定すると直ちに、S1〜Sn相互間に「非局所的相互作用」が働いていると結
論できる。逆に、S1〜Sn相互間に「局所的相互作用」はもちろん「非局所的
相互作用」も無いとするなら、【擬接続状態】における「心」の状態は、[C]
から必然的に(2)であることが結論できる。



        ★★★ (2)の検討 ★★★


 (2)の方が(1)よりは合理的に見える。しかし、これもまた矛盾が示せる。
というのは、もし(2)が正しいとするなら、もう一度B1〜Bnを接続して正
常なB状態に戻し、この【接続状態】で機能Xを再現した場合も、「n個の心」
M1〜Mnは「1つの心」Mに融合され得ないことになってしまうのである。
 【擬接続状態】と【接続状態】において、各Bkが与えられる「初期状態」と
「周囲からの局所的相互作用」は全く同じであるから、[A]の仮定により、各
Bkの機能も、【擬接続状態】と【接続状態】において全く同じになる。そして
[B]の仮定により、全く同じBkの機能には全く同じ状態のMkが随伴するこ
とになる。従って、各Bkに随伴する各Mkの状態は、【擬接続状態】と【接続
状態】において全く同じである。【擬接続状態】においてM1〜Mnが「独立」
しているのならば、【接続状態】に戻してもM1〜Mnは「独立」していること
になる。

                 ***

 第三者の立場からは、現在の脳が【接続状態】と【擬接続状態】のどちらにあ
るのかを簡単に識別できる。だから《客観的面》に関する限り、【擬接続状態】
ではB1〜Bnの機能に分割されていたが、【接続状態】に戻すとBの機能に統
合される、と考える。例えばnを約140億とし、Bを個々のニューロンB1〜
Bnに分割した場合、【擬接続状態】にある個々のニューロンは、インパルスを
発火するか否かという単純な機能しか持たない。これらを140億個ばらばらに
与えられても、高度な情報処理機能はどこにも見い出せない。ところがそれらを
特殊な空間内配置にした【接続状態】に戻すと、B全体の中に高度な情報処理機
能が「創発」する。個々のニューロンの機能は【擬接続状態】と【接続状態】と
の間で何も変わっていないのに、である。この場合、何かがB1〜Bnを「非局
所的相互作用」で結び付けているという訳ではない。
 ところが《主観的面》に関してはこれが言えない。たとえB1〜Bnを再び接
続して【接続状態】に戻しても、個々のB1〜Bn(M1〜Mn)はその事実に
気付けず、今でも【擬接続状態】にあると錯覚しており、自分以外のn−1個が
本当に存在しているのかどうかも知り得ずにいる、と表現しよう。そうすれば、
【接続状態】すなわち正常な脳Bの状態に戻しても、相変わらずM1〜Mnは独
立したままである事実が理解できるだろう。
 M1はB1の機能、すなわちB1の「初期状態」とB1が受ける「周囲からの
局所的相互作用」だけで決定する「心」であり、B1に接続されているのがB2
〜BnかD1かには依存しない。つまりM1は、M2〜Mnが近接しているかど
うか、M2〜Mnが本当に存在しているかどうかに無関係に、その状態が定まる
「心」である(M2〜Mnも同様)。ゆえにM1〜Mnは、【接続状態】に戻し
てもばらばらのまま「独立」しており、「1つの心」Mには融合できない。逆に
【接続状態】に戻した時、なぜかM1〜Mnも融合してMになり、しかもMが、
独立した「n個の心」M1〜Mn(n≧2)の総和とは異なる「1つの心」Mだ
というのであれば、その時はM1〜Mnが「非局所的相互作用」で結び付いた、
と結論できる。



        ★★★ (3)の検討 ★★★


 (1)も(2)も、「非局所的相互作用」の存在が導かれてしまった。では、
(3)ならばどうか。本論は、[A]と[B]を公理として仮定すると矛盾が生
じることを示すものである。まず、【接続状態】でBが機能Xを発揮している時
には、様々な機能を持ちながらも「1つの心」であるかのように統合されている
と感じる「心」Mが随伴し、体験Xの状態にある。次にBをB1〜Bnに分割し、
再び接合する過程を考えると、正常な脳Bの状態に戻っているのに、「心」の方
は「独立」したM1〜Mnのままであることが導かれた。公理系[A][B]が
無矛盾であるためには、あらゆるn、あらゆるB1〜Bnへの分割に対し、「独
立」したM1〜Mnの総和とMとが等しくなければならない。つまり、Mを「1
つの心」だと感じるのは錯覚ではないのか、という疑問である。
 そこでnを大きく取り、脳Bを約140億個のニューロンB1〜Bnに分割す
る場合を考える。仮に「独立」したM1〜Mnの総和とMとが等しいと仮定して
みよう。すると、正常なBの機能Xに随伴して体験Xをしている状態と全く同じ
「心」Mが、もはや何の物理的相互作用もしていないばらばらのニューロンB1
〜Bn全体に随伴している、と考えねばならなくなる。これは明らかにおかしい。
やはり(3)もまた、誤りと結論される。
 もっとも正常な脳Bの状態だからといって、常にB全体に「1つの心」Mが随
伴しているとは限らない。「心」MがBのごく一部に偏在したり、「n個の心」
M1〜Mn(n≧2)に分裂・融合を繰り返しているようなモデルも考えられる。
もちろん融合は「非局所的相互作用」による。もし、脳の中に「非局所的相互作
用」が全く無くなったとしたら、たとえ脳は正常な状態Bであっても、Mは個々
のニューロン、個々の素粒子にまで分解し、消滅してしまう。



          ★★★ 結論と考察 ★★★


 以上、(1)(2)(3)どう考えても矛盾に到達することが示せた。従って
[A]と[B]の少なくとも一方は誤りであると結論される。
 S・ハメロフとR・ペンローズは、[A]が誤りであると考えている。最近は、
意識の科学的説明に量子力学を用いるのが流行になっている傾向さえ有る。しか
しこれに反発する科学者も多い。その一番の理由は、超伝導が起きるくらいに低
温でない限り、脳ほど自由度が高くノイズの多いマクロな物体全体に量子力学の
「非局所性」が及ぶことは、非常に考えにくいという点である。しかも、ニュー
ロン発火に到るシナプス結合の化学的メカニズムは、だいぶ解明されて来た。い
わゆる「神経伝達物質」と「受容体」の間の「局所的相互作用」である。「鍵」
と「鍵穴」の関係にも例えられるこのメカニズムこそ、近接してみて初めて合う
か合わないかが判明するのであるから、ニューロン以上のマクロなスケールでは、
脳の情報処理メカニズムに「非局所的相互作用」は存在しない事実を示唆してい
るように思われる。
 さらに「非局所性」と「非局所的相互作用」とは別概念である。現在の量子力
学(場の量子論)は、波動関数の「非局所性」は取り入れているが、相対性理論
に反してしまう「非局所的相互作用」は取り入れないのが普通である。それでい
て量子電磁力学(QED)などは、理論値と実験値が見事な高精度で一致してい
る。物質粒子や光子の間には「非局所的相互作用」は存在しないことが、すでに
実証されたように思われる。そうすると[B]の方を疑わざるを得なくなる。脳
以外に何か別の実体が関与している可能性も、真剣に考慮する必要が有るだろう。
 ここでは[A]と[B]のどちらが誤りかは、敢えて結論を下さずにおく。量
子力学の「観測問題」は未解決な部分を残しており、何が波動関数を収縮させる
のかが不明である。理論に改良の余地が有るのか、それとも脳以外に何か存在す
るのか、両方の可能性が残っている。ただ少なくとも、{馬場の定理}だけは証
明できた。つまり脳全体をマクロな「非局所的相互作用」で結び付け、《主観的
面》を作り出している何物かが実在する。物質や光の中に「非局所的相互作用」
が存在するのに、現在の物理学がまだそれを解明できていないのか、それとも脳
以外に「非局所的相互作用」で脳B全体を結び付けている何かが存在するのか、
どちらかである。

                 ***

 なお、デジタルコンピュータの情報処理は、量子力学の不確定性・非局所性に
は影響されず、完璧に古典物理学的決定論に従うように設計されている。それゆ
え、たとえ人間と同等な精神機能を持つ人工知能AIが完成できたとしても、そ
れは《客観的面》だけであって《主観的面》は随伴していない、と断言して良い。
 また、D・ボームの「ホログラム仮説」は、「脳」Bと「心」Mの間にいわゆ
る「フーリエ変換」の関係、すなわち、Bの一部がM全体に、Mの一部がB全体
に対応する「多:多対応」の関係を示唆していて面白い。



        ★★★ 思考実験の実現不可能性 ★★★


 理論科学の「思考実験」は、実現可能である必要は無いことをすでに説明した。
たとえ実現不可能でも、物理法則に反しない仮定(状況設定)の上で、特定の理
論の矛盾を示せれば、立派にその理論の誤りを証明したことになる。
 「脳」で考えにくければ「デジタルコンピュータ」で考えてみるのが良い。デ
ジタルコンピュータの場合には、ここで考えた思考実験は、そのまま実現可能で
ある。1個のチップは、コンピュータを構成している時も、1個だけ取り出して
いる時も、1ビットも異ならない同じ入力に対しては、1ビットも異ならない同
じ出力をする。
 一方脳の方は、ニューロンを流れるインパルスはデジタルでも、シナプス結合
の化学反応はアナログであり、無限小の差がすぐ大きな差につながる「カオス」
が伴い、実現はほぼ絶望的である。さらに、全く同じ「初期状態」や「周囲から
の局所的相互作用」と言っても、量子力学によると必ずプランク定数ほどの不確
定性が含まれるため、同じ原因から異なる結果が生じる可能性も出てくる。
 しかし思考実験の特権を利用して、「初期状態」や「周囲からの局所的相互作
用」の誤差はプランク定数くらいに小さくできたと想定し、さらに同じ原因から
異なる結果を生じる可能性は有るが、偶然にも同じ結果が得られたと仮定しよう。
もちろん同じ結果が得られる可能性も有るはずだから、この仮定は物理法則に反
しない。そうすればアナログ性から来る「カオス」も、量子力学から来る「原因
・結果の1:多関係」も無視して良いことになり、脳も古典物理学的決定論に従
うとして議論ができる。少なくともこれらが、脳全体に「1つの心」を作り出す
ことに貢献しているとは思えない。それゆえ「デジタルコンピュータ」について
言える事が「脳」についても言えるはずだ、と推測できるのである。

                 ***

 幾何学を考えよう。2つの三角形ABCと三角形PQRの間で、AB=PQ,
AC=PR,∠A=∠Pの3つの条件がそろえば、この2つの三角形は「合同」
だろうか。もちろん、黒板に書かれている三角形ABCと完全に「合同」な三角
形PQRを実際に書こうとしても、実現は不可能である。どんなに正確に同じ長
さや同じ角度を再現しようとしても、必ず誤差が生じる。チョークには幅がある
し、黒板もいくらかゆがんでいるだろう。しかし幾何学は、こういった実現可能
性について議論する学問ではない。プラトンの言うイデアの世界において、仮に
これら3つの条件がそろえば、それで「合同」だと結論できるかどうかを議論す
るのである。ユークリッド幾何学なら、この3つの条件で「合同」であるし、も
しこの3つの条件だけで「合同」でないのなら、非ユークリッド幾何学であるこ
とになる。
 本論の場合も、[A][B]の仮定をしている以上、B1の機能は、その「初
期状態」と「周囲からの局所的相互作用」の2つだけで決定し、B1に接続され
ているのがB2〜BnかD1かには依存しない。それゆえ、たとえB1〜Bnを
分割しても、この2つが完全に同じならB1の機能も必然的に同じことになるし、
もしそうでないなら、[A][B]の少なくとも一方が誤りであると、理論的必
然性で結論できるのである。もちろん、現在の科学技術で可能だと主張している
訳ではないし、やがて実現できるだろうと主張しているのでもない。



      ★★★ 脳と心の局所対応原理 ★★★


 いま脳Bを、任意の部分bと、それ以外の部分が接続されている、と解釈す
る(B=b+)。bとの境界面はbの方に含める。そしてbの表面外部に、
bをすっぽり包み込む微小な厚みε(>0)の表面膜領域bεを想像する。
らbεを除いた部分を−bεで表す。これでBは、b、bε、−bεの3つ
の部分に分けられる(B=b+bε+(−bε))。bεの存在のため、bと
−bεとは接しておらず、両者の間に「局所的相互作用」は有り得ない。また、
B内部に「非局所的相互作用」は無いと仮定しているため、bと−bεの間に
は何の相互作用も無い。(−bεからbεを通過してbに至る作用はもちろん
有り得るが、その場合もbは、bεと「局所的相互作用」するだけである。電磁
気力や重力も例外ではない。bの外部から光子や重力子が空間を伝わって来ても、
                    bεを通過しない限りbとは相互作
                    用できない。bεは物質としての部
    図2-1.        分脳だけでなく、その空間領域をも
                    意味している。)
  従って[C]により、−bεの
 存在や状態は、bの機能およびbに
 随伴する「心」mの状態に、直接何
 も影響を与えない。bの機能および、
 mの状態を決めるのは、bの「初期
 状態」および、bがbεから受ける
 「局所的相互作用」の2つだけであ
 る。だからこそを人工的装置で置
 き換えても、この2つが完全に同じ
 なら、bの機能とmの状態も全く同
 じになる。
  もっともbεはbと「局所的相互
 作用」をしているので、bの機能お
 よびmの状態に無関係とは言えない。
                    ところがε→0の極限を考えると、
                    bεは厚みと体積を失ってbと
境界面になり、−bεはになる。そして次の[D]に達する。

                 [D]
  B内の任意の部分bについて、bの機能およびbに随伴する「心」
  mの状態は、bの「初期状態」およびbがその表面より受ける「周
  囲からの局所的相互作用」だけで完全に決定し、残りの部分(=
  B−b)の存在や状態には直接何の影響も受けない。

これもまた[A]と[B]を公理として導かれる定理であり、【脳と心の局所対
応原理】と名付けよう。bを、B内部の個々のニューロン、個々の素粒子に取れ
ば、mは「心」としての性質など何も持たないだろう。B内部に「非局所的相互
作用」が何も無いとすると、「心」Mは個々のニューロン、個々の素粒子に分解
し、消滅することを意味する。
 逆に[D]が成立しないと仮定してみよう。の中に存在する点Pを考える。
点Pはbとの境界面上には無く、の内部に在るとすれば、点Pからbまで
の最短距離dは、必ずd>0である。そこでd>ε>0となるようにεを取る。
すると点Pは、bの内部にも無ければbεの内部にも無く、−bεの内部に在
る(図2-1)。仮にbの機能やmの状態が、bの「初期状態」および、bがbε
から受ける「局所的相互作用」の2つだけで決定できず、点Pの物理状態にも直
接影響を受けているとしてみよう。すると点Pは、bεの境界膜領域を通過して
bに影響を及ぼす「局所的相互作用」とは別に、bεの境界膜領域を通過せずに
跳び越えて、bの機能やmの状態に影響を及ぼしていることになる。これが「非
局所的相互作用」である。

                 ***

 より厳密には、脳Bの機能を4次元時空内に広がる多数の素粒子が描く「世界
線ネットワーク」:Bであると解釈し、Bの任意の一部をb、残りの部分を
した場合にも、同じことが言える。物理法則は、bとの境界において、運動量
やエネルギー等の保存則が成立していることを要求する。しかし物理法則は、b
の状態だけからの状態を決めるほどの拘束力を持たない。bの状態をそのまま
に保ち、を全く異なる世界線ネットワーク’で置き換えながら、bと’の
境界で運動量やエネルギー等の保存則を満たすことができる。
 bはどこまでも小さく取れる。Bを構成している1個の素粒子の世界線の、ど
んなに短い部分でも良い。例えば、Bを構成している1個の素粒子の世界線の、
時刻t0〜t1の部分をbとしよう。△t=t1−t0を十分小さく取り、b全
体で、この素粒子は一定の運動量pで直進しているとしよう。ところがこれだけ
の情報では、この素粒子が、時刻t0以前にどういう運動をして来たか、t1以
後にどういう運動をするのか、どちらも不明なのである。t0以前もずっと運動
量pで直進して来たのかもしれないし、t0以前は異なる運動量p’だったのが
t0に光子(運動量p−p’)を吸収して、運動量pに変わったのかもしれない。
t1以後もずっと運動量pで直進するのかもしれないし、t1に他の素粒子と衝
突して、異なる運動量p”に変わってしまうのかもしれない。
 この素粒子の世界線の時刻t0〜t1の部分であるbの立場に立つと、この素
粒子の世界線の時刻t0以前やt1以後の部分は、に含まれる。第三者の立場
からは、bとと両方の状態(形状や構造)を認識できるので、bにもにも単
独では存在しない機能や構造が、B=b+全体の中に存在(創発)することを
も認識できる。しかし、脳B内部に「非局所的相互作用」が存在しない限り、b
は決しての状態を知り得ない。だから、bに随伴する「心」mの状態もまた、
bの状態だけで決定されねばならない。逆にもし、bに随伴する「心」mの状態
がbの状態だけで決定できず、の中の点Pの物理状態にも直接依存するという
のなら、「心」mは、素粒子の世界線などでは表現することのできない「非局所
的相互作用」で、点Pの影響を受けていることになる。

                 ***

[C]により、もしbとの間に「局所的相互作用」も「非局所的相互作用」も
無い時、bに随伴する「心」mとに随伴する「心」とは、相手の存在や状態
に何の影響も受けず「独立」している。これを「完全独立」と呼ぶ。 図2-1の
ように、bとが近接して「局所的相互作用」し合う時は互いに影響を及ぼすこ
とはできるが、「非局所的相互作用」が働かない限り、mとは「1つの心」に
は融合されず「独立」したままである。これを「不完全独立」(または「影響独
立」)と呼ぶ。
 bとを【接続状態】から【擬接続状態】へと変えることにより、mとの状
態を何一つ変えずに、「不完全独立」から「完全独立」の状態に変えることがで
きる。だからこそ、bとが「局所的相互作用」でどんなに親密に影響を及ぼし
合っていても、「非局所的相互作用」が無い限り、mととは「1つの心」には
なっていない。「1つの心」になり得るのは「非局所的相互作用」で結び付いた
領域だけである。