第3章
    第三の腕のパラドックス

           (C) Sumio Baba 1990


          ★★★ 思考実験 ★★★



 人間の脳は、身体の感覚を感じる主体ではなく、身体の受けた物理的刺激に関
する情報を心に伝達するための「通路」でしかない、という事実を示唆してみよ
う。
 人間の脳は、左右2つの脳半球から成り、右腕の感覚領域は左脳の中に、左腕
の感覚領域は右脳の中にと、交叉して存在することが解っている。自分の右腕,
左腕,左脳,右脳に、次のように記号を付けよう。

  RH:右腕,   BRH:右腕の感覚領域(左脳)
  LH:左腕,   BLH:左腕の感覚領域(右脳)

対応関係の方を重視しているので、左脳がBRH、右脳がBLHと逆表現になっ
ている点に注意(図3-1)。
 さてここで、第三の脳半球と、それに神経でつながる第三の腕を用意したとし
よう。これにも記号を付ける。

  MH:第三の腕, BMH:第三の腕の感覚領域(第三の脳半球)



 そしてこのBMHを、
人工脳梁を用いてBRH
+BLHに接続し、3つ
の脳半球を対等な関係に
したとする(図3-2)。
MHに針を刺すと、BM
HがMHの痛みを感じて
いる時の興奮状態になる。
果してこの時、「自分の
心」は、MHの痛みを感
じるだろうか? また、
もし感じるとしたら、ど
こでそれを感じるのだろ
う? BMHか? BRH
+BLHのどこかでか?
それとも自分の「霊魂」
                         か?

                 ***

 「霊魂」の存在を否定する【心・脳同一説】(心は脳の機能に他ならない)の
立場に立つと、当然次のように考えねばならない。

           【心・脳同一説による説明】
  「自分の心」は、RHの痛みを、その感覚領域を持つBRHで感じ、
  LHの痛みを、その感覚領域を持つBLHで感じる。同様に「自分
  の心」は、MHの痛みを、その感覚領域を持つBMHで感じる。

3つの脳半球は物理的には対等な関係であるため、【心・脳同一説】を支持する
限り、BMHだけを仲間外れにすることはできず、BMHも「自分の脳の一部」
になる、と考えるしかない。そうでないと、BRH+BLHとBMHとの間に、
何か「非物質的」な違いが有ると、認めたことになってしまうから。

                 ***

 ところがこの全く同じ図3-2の状態に対し、もう1つの解釈が成立する。「自
分の心」の存在領域はあくまでBRH+BLHの2つだけであり、BMHは「そ
こに接続された、ただの異物」と見做してみよう。するとBMHは、MHの受け
た刺激に関する情報をBRH+BLHに伝えてくれるための、ただの「通路」に
過ぎない。図3-2の下3分の1を、手で隠してみよう。上3分の2は図3-1と
全く同じである。つまりBRH+BLHは、人工脳梁から伝えられる情報だけで、
BMHおよびMHの存在や状態を推測するしかできないのが解る。つまり、伝え
られた情報をBRH+BLHの中でMHの痛みに変換して初めて、「自分の心」
はMHの痛みを感じる、とせねばならなくなる。ところがBRH+BLHの中に
は、MHの感覚領域など存在しない。ゆえに「自分の心」は、MHの痛みを感じ
得ない、と結論せねばならない。
 こう考えると良い。図3-2の状態を、BRH+BLHとBMHの【接続状態】
と呼ぶ。仮に人工脳梁を切断して、BRH+BLHとBMHとを分離したとする。
ただし人工脳梁の切り口からBRH+BLHに、今でもBMHがMHの痛みを訴
えているかのようなニセ情報を、人工的に流し込んでやる。BMHの方にも、今
でもBRH+BLHに接続されているかのようなニセ情報を、人工脳梁の切り口
から人工的に流し込む。本当は、BRH+BLHとBMHとの間に、もはや相互
作用は何も無い。しかし、BRH+BLHにもBMHにも、今だに3つの脳半球
が対等に接続されているかのように錯覚させている。これをBRH+BLHとB
MHの【擬接続状態】と呼ぶ。この【擬接続状態】でBRH+BLHに随伴する
「自分の心」は、MHの痛みを感じるはずが無い。そのような機能は持たないか
ら。だったら、今再び 図3-2の【接続状態】にしても、すなわち、人工脳梁で
BRH+BLHにBMHを接続し、BMHがMHの痛みを訴える情報をBRH+
BLHに送っても、やはりBRH+BLHに随伴する「自分の心」は、MHの痛
みを感じるはずが無い。なぜならBRH+BLHに随伴する「自分の心」は、人
工脳梁から送られて来る情報が、BMHからのものなのか、それともニセ情報な
のかを識別できず、今再びBMHが接続された事実に気付けないから。
 物質的には、図3-2 すなわち、3つの脳半球BRH,BLH,BMHが対等
な関係に接続された、BRH+BLH+BMHという全く同じ状態である。それ
なのに「自分の心」がMHの痛みを感じるかどうかで、はっきり異なる2つの状
態が存在し得る。いかにもこの差は、非物質的実体「霊魂」の状態差であるかの
ように見えてならない。すなわち、次のような説明である。

            【霊魂説による説明】
 ・もし自分の「霊魂」が、3つの脳半球(BRH+BLH+BMH)
  全体に広がって相互作用できるなら、「自分の心」は、RHの痛み
  をBRHで、LHの痛みをBLHで感じるのと同様、MHの痛みを
  BMHで感じ得る。この時BMHは「自分の脳の一部」となる。
 ・もし自分の「霊魂」が、2つの脳半球(BRH+BLH)だけに広
  がり、BMHとは相互作用できなかったなら、たとえ3つの脳半球
  が物質的に対等に接続されていても、「自分の心」は、RHの痛み
  をBRHで、LHの痛みをBLHで感じるだけであり、MHの痛み
  を感じ得ない。この時BMHは、「自分の脳(BRH+BRH)に
  接続された、ただの異物」に留まる。

以上を【第三の腕のパラドックス】と名付ける。



 ★★★ BMHをBRH+BLHのどこに接続するか? ★★★


 まず第一に補足説明しておくべきことは、

  具体的にBMHを、BRH+BLHのどこにどう接続するのか?
  (接続する場所など有るものか!)

という反論はあまり重要ではない、という点である。要するに、

  脳(および身体)を「2」から「3」へと拡張した時に、「心」も
  「2」から「3」へ拡張される、と断言して良いだろうか?

という抽象論で十分だからである。
 【心・脳同一説】の立場なら、脳(および身体)が「2」から「3」へ拡張さ
れると、必然的に「心」の方も「2」から「3」へと拡張されることになるだろ
う。一方【霊魂説】の場合には、たとえ脳(および身体)が「2」から「3」へ
と拡張されても、「霊魂」が「2」のままであれば「心」も「2」のままである。
「心」が「3」に拡張されるためには、「霊魂」が「3」に拡張されなければな
らない。その点を鋭く突いているのが、このパラドックスなのである。
 もちろん「第三の腕」ではなく「第三の足」でも良いし、右手5本の指を6本
に増やすと考えて「第六の指」で考えても良い。「第六の指」なら、現在の脳の
中で似たような構造を持つ指の感覚領域が5つ並んでいるところを、あと1つ増
やして6にするという意味で、いくらか想像し易いかもしれない。

                 ***

 どうしても BRH+BLH→BRH+BLH+BMH の拡張が想像しにくい
と感じるなら、BRH→BRH+BLH の拡張を考えても良い。すなわち「1」
から「2」への拡張である。まず、正常な脳B(=BRH+BLH)を、2つの
部分B1(=BRH)とB2(=BLH)が接続されたものと解釈し、B2の方
を切り捨てたB1だけの状態を想像し、これをスタート地点と考える。このB1
とB2を接続して「1」から「2」へと拡張する時、「心」の方も「RH1本の
感覚だけを持つ心」から「RH,LH2本の感覚を持つ心」に拡張されるだろう
か?と問えば良い。言うまでもなくこれは、第2章でn=2とおいた場合の「思
考実験」と全く同じになる。
 「RH1本の感覚を持つ心」と「LH1本の感覚を持つ心」とを融合して「R
H,LH2本の感覚を持つ心」を作り出すためには、B1とB2が「局所的相互
作用」を用いてどれほど親密に情報交換してもダメであり、B(=B1+B2)
全体を「非局所的相互作用」で結び付ける何かが必要であることは、すでに説明
した通りである。



     ★★★ 脳の還元性と心の非還元性 ★★★


 このパラドックスの面白い点は、精神現象の《客観的面》すなわち脳や身体の
物質現象について考える限り、何のパラドックスでもないのに、《主観的面》す
なわち「心」「意識」「自我」について考えると、途端にパラドックスを生じる、
という点である。《客観的面》について考えるだけなら、何も問題は生じない。

  3つの脳半球BRH,BLH,BMHが対等な関係に接続されてい
  るのなら、3本の腕に関する行動も対等になるだろう。 ...(1)

これで終である。ところが《主観的面》について考えると、深刻なパラドックス
となる。

  「自分の心」は、RH,LH,MH3本の腕の感覚を持てるだろう
  か? それとも、RH,LH2本のままだろうか?   ...(2)

3本と考える理由も有れば、2本と考える理由も有る。どちらも間違ってはいな
い。しかも明らかに両者は、異なる状態ではないか!?
 これは、「脳」すなわち《客観的面》が全体の機能を各部分の機能の総和に還
元できる【還元的システム】であるのに対し、「心」すなわち《主観的面》はそ
れのできない【非還元的システム】である、という違いから来ている。

(「脳」の方も量子力学が絡むと、【還元的システム】であるという表現は確率
的にしか言えなくなるが、近似的には十分言えると思われる。例えば量子効果の
ため、確率1/2でニューロンを流れるか流れないかに分岐する電子があったと
しよう。1個の電子というミクロな視点に立てば、流れるか流れないかははっき
りした違いである。しかし、このような電子が10の10乗個集まったマクロな
視点に立つと、何度実験を繰り返しても、「半分の約5×10の9乗個の電子が
流れる」という全く同じ現象になることが、統計的に極めて高い確率で言える。
脳の機能を論じる時に、量子力学は無視して古典物理学で十分間に合うのではな
いか?というのは、こういう意味である。)

                 ***

 まず「脳」に関しては、次の等式が成立する。

  (BRH+BLH+BMH)の機能
     =(BRH+BLH)の機能+(BMH)の機能 ...(3)
  BRH+BLHとBMHが、光速の限界を伴う「局所的相互作用」
  で影響を及ぼし合いながら発揮する機能の和が、そのまま、BRH
  +BLH+BMH全体の機能に等しい。

左辺と右辺は、全く同一の状態を「全体として見るか、部分の和と見るか」とい
う解釈の違いに過ぎない。従って、図3-2を見ながら「(3)の左辺と右辺のど
ちらが正しいか?」を問うのは無意味である。左辺とは、実は右辺のことであり、
右辺は同時に左辺でもある。よって、どちらの解釈をしても(1)を満たす。
 では、「心」の方はどうだろう? 図3-2の状態で、もし自分の「霊魂」が3
つの脳半球BRH+BLH+BMH全体と相互作用できれば、3本の腕の感覚を
持つ「自分の心(3)」が作れるが、もし自分の「霊魂」が2つの脳半球BRH
+BLHだけとしか相互作用できなければ、たとえ3つの脳半球が対等に接続さ
れていても、2本の腕の感覚しか持てない「自分の心(2)」のままだ、と論じ
た。しかし後者の場合でも、BMHにはMHの感覚を得ている「半人前の心」が
随伴していると考えて良いはずだし、「自分の心(2)」と「半人前の心」とは、
人工脳梁を通して親密に情報交換している。これ全体を「自分の心(3)」だと
解釈すれば、結局のところ、前者も後者も同じものになるのではないか?
 ところが「心」の方は不等式なのである。

  「自分の心(3)」
        ≠「自分の心(2)」+「半人前の心」  ...(4)
  BRH+BLHに随伴する「自分の心(2)」と、BMHに随伴す
  る「半人前の心」の2つが、光速の限界を伴う「局所的相互作用」
  でどんなに親密に情報交換し合っても、全体を「自分の心(3)」
  という「1つの心」であるとは見做せない。

それゆえ図3-2を見ながら、「(4)の左辺と右辺のどちらが正しいか?」とい
う深刻な問題が生じたのである。



          ★★★ 一般化 ★★★


 このパラドックスは、本質的に第2章と同じものを、別の角度から捉えたもの
である。重要な内容であるから、問題の核心についてもう一度、一般論として説
明しておこう。
 Bを脳であるとする。ただしBは、正常な人間の脳B=BRH+BLHの場合
だけでなく、これにBMHを接続したB=BRH+BLH+BMHや、片方だけ
の脳半球であるB=BRH,B=BLHなどの場合でも構わない。Bが2個以上
の素粒子で構成されている限り、Bはn(≧2)個の部分B1〜Bnが接続され、
それらが光速の限界を伴う「局所的相互作用」により、互いに影響を及ぼし合い
ながら機能している、と見做すことができる。すなわち、次の(5)と(6)は、
同一の状態を「全体」として見るか、「部分の総和」として見るかという解釈の
違いに過ぎない。状態としては同じものだという意味で、(5)=(6)と表現
しよう。

  脳B全体の機能                   ...(5)

  脳Bを構成する個々のB1〜Bnが、光速の限界を伴う「局所的相
  互作用」により互いに影響を及ぼし合いながら機能している時の、
  B1〜Bnの機能の総和               ...(6)

 そこで今度は「心」について考える。もし「心は脳の機能に他ならない」とす
る【心・脳同一説】が正しいのなら、(5)と(6)とが等しかったように、次
の(7)と(8)も等しいはずである。

  脳B全体に随伴する「1つの心」M          ...(7)

  脳Bを構成しているB1〜Bnに随伴する「n個の心」M1〜Mn
  (M1はB1に、M2はB2に、・・・、MnはBnに随伴する)が、
  光速の限界を伴う「局所的相互作用」により互いに情報交換し合っ
  ている時の、M1〜Mnの総和            ...(8)

しかし、(7)と(8)は単なる解釈の違いではなく、状態そのものが異なる。
そういう意味で、(7)≠(8)と表現する。(7)は、脳B全体が「非局所的
相互作用」で結び付いている状態。(8)は、個々のB1〜Bn内部は「非局所
的相互作用」で結び付いているが、B1〜Bn相互間には「非局所的相互作用」
は無く、「局所的相互作用」だけしか働いていない状態である。

                 ***

 以上が一般論であるが、【第三の腕のパラドックス】の場合には、

  n=2,B=BRH+BLH+BMH,
  B1=BRH+BLH,B2=BMH

と置けば良い。
 B1(=BRH+BLH)とB2(=BMH)とを人工脳梁で接続し、両者の
間にどれほど親密な情報交換が行われようと、それが光速の限界を伴う「局所的
相互作用」である限り、B1(=BRH+BLH)に随伴する「自分の心(2)」
とB2(=BMH)に随伴する「半人前の心」とを融合して、「自分の心(3)」
という「1つの心」にすることはできない。もし、3つの脳半球B(=BRH+
BLH+BMH)全体に「自分の心(3)」という「1つの心」を作り出せると
したら、何かが「非局所的相互作用」で3つの脳半球全体を結び付けねばならな
い。
 これを【霊魂説】の立場で表現すると、

  BRH+BLHに宿っていた自分の「霊魂」が、BRH+BLH+
  BMH全体に広がる

か、あるいは、

  BRH+BLHに宿っていた自分の「霊魂」と、BMHに宿ってい
  たもう1つの「霊魂」が、「非局所的相互作用」で融合する

か、どちらにしろ非物質的な変化が必要、ということになるだろう。



       ★★★ 相互作用説と並行説 ★★★


 たとえ3つの脳半球BRH+BLH+BMHが、対等な関係に接続されていて
も、自分の「霊魂」がBRH+RLHの2つだけとしか相互作用できなかったら、
「自分の心」はRHとLHの2本の腕の感覚しか得られない「自分の心(2)」
のままだ、と論じた。しかし、もし3つの脳半球が対等な関係に接続されている
のなら、MHに針を刺した時にも、自分は「痛い!」と言うはずである。なぜな
ら、RHやLHに針を刺した時には、もちろん「痛い!」と言うのであるから。
もしそうでなければ、3つの脳半球が対等に接続されている、とは言えなくなる
のではないだろうか?
 実は【霊魂説】にも、【相互作用説】と【並行説(平行説)】の2つが存在す
る。その点を説明しよう。

                 ***

 【相互作用説】の場合には、「霊魂」と「身体(脳)」とが物理的相互作用を
し合う、と考える。つまり、人間がどう行動するかは、「霊魂」と「身体」の両
方を含めた相互作用によって決定され、「身体」だけの物理的メカニズムでは決
定できない。そうすると、RHやLHに針を刺した時には「痛い!」と言うのに
対し、MHに針を刺した時には「痛くない」と言えるかもしれない。3つの脳半
球は物質的には対等であるが、「霊魂」の方は3つの脳半球に対等に宿っている
訳ではないので、MHの時にだけ行動に差が出ても矛盾ではない。

                 ***

 一方【並行説】の場合には、こうは行かない。この説は、「身体」と「霊魂」
の間に物理的相互作用は無い、と考える。「身体」は「身体」だけで、厳密な物
理法則に従って行動する、と考える。「霊魂」はただ、「身体」の物理状態に対
応した「心理状態」を体験するだけである。従って、3つの脳半球が物質的に対
等な関係にあるのなら、行動もまた3本の腕に関して対等でなければならない。
つまり、RHやLHに針を刺した時に「痛い!」と言葉で表現する以上、MHに
針を刺した時にも「痛い!」と言葉で表現することになる。たとえ「霊魂」は、
BRH+BLHだけと相互作用し、BMHとは相互作用していない場合において
も、である。
 にも拘らず「自分の心」は、自分の「霊魂」がBMHと相互作用していない限
り、MHの痛みを感じていない。つまり、RHやLHが「痛い!」と言う時には、
このような行動としての《客観的面》に、実際に痛みを感じている《主観的面》
が随伴しているが、MHが「痛い!」と言う時には行動としての《客観的面》だ
けであって、《主観的面》は随伴していない、という意味である。
 しかし、これは奇妙な事態である。本当はMHの痛みを感じていない事実を、
自分は意識できるのだろうか? もし意識できるとしたら、「痛くない」と言葉
で表現しようとしても、身体が意志に反して「痛い!」と言ってしまうという、
心・身ばらばらの状態となってしまう。逆にもし意識できず、MHの痛みをも感
じているかのように錯覚するのだとしたら、RHやLHの痛みでさえ全く同様な
錯覚だと考えられ、結局「心」すなわち《主観的面》のすべては錯覚だ!という
「不可知論」に陥ってしまうだろう(第4章)。
 そもそも【並行説】は、「物質」以外に「霊魂」という非物質的な実体の存在
を主張していながら、それを決して物理的に実証できないことをも、同時に主張
している。おまけに、我々人間が明らかに「霊魂」の実在を感じ、「霊魂」が実
在するかのように行動したとしても、それらすべてが「身体(脳)」の物理的メ
カニズムだけで説明できる、というのである。それゆえ【並行説】は、哲学にお
いては成立し得ても、自然科学においては無意味な仮説と見做すべきかもしれな
い。