第5章
量子力学は心の統一性を説明できない?


           (C) Sumio Baba 2000


        ★★★ 心の謎と量子力学 ★★★



 人間の脳をマクロなスケールの「非局所的相互作用」で結び付ける何かが存在
しない限り、脳で心(精神現象の《主観的面》,「クオリア(qualia)」)は作り
出せない。量子力学で用いる波動関数は、いわゆる「非局所性」を持つ事実がよ
く知られているが、これは「非局所的相互作用」ではない。「非局所的相互作用」
とは、空間内の異なる位置にあるものどうしが、空間的距離をゼロにするまで接
近することなしに及ぼし合う相互作用である。物質粒子や光子の波動関数は、い
わゆるシュレディンガー波動方程式に従い、重ね合わせの原理が成立する限り、
この「非局所的相互作用」を含んでいない事実を示し、心の統一性が要求するの
は「非局所性」ではなく「非局所的相互作用」の方であることを明らかにしよう。

                 ***

 現在の量子力学には「観測問題」という、解決済みか未解決かもはっきりしな
い問題が存在するため、量子力学そのものを改良する必要が有る、と考える人も
いる。しかし、現在の量子電磁力学などは、波動関数の「非局所性」の中に「非
局所的相互作用」を含まない定式で、理論値と実験値が極めて高い精度で一致し
ている。今さら「非局所的相互作用」を取り入れるのは、量子力学を破壊する恐
れが有る上、相対性理論によれば、超光速の情報伝達が可能となって、因果律を
崩壊させ、すべての物理法則が無意味になってしまう恐れも出て来る。物理学者
の大半は、「非局所的相互作用」だけは理論の中に取り入れたくない、と考えて
いるのが現状であり、相対性理論と量子力学の統一が困難である最大の原因も、
この点に有ると言えるだろう。
 逆に、現在の量子力学が正しく、物質粒子や光子は「非局所的相互作用」をし
ないとするなら、脳全体をマクロな「非局所的相互作用」で結び付けている、物
質粒子でも光子でもない何ものかの存在を、結論せねばならなくなる。この場合、
物質粒子や光子は、量子力学(シュレディンガー波動方程式)および相対性理論
に従うが、「心」だけは物理法則を超越できることになるかもしれない。そして
「心」こそが、物質粒子や光子の波動関数を収縮させる原因であるという説明が、
最も合理的な解釈になるだろう。
 この章は、量子力学の「非局所性」と、心を作り出すために必要な「非局所的
相互作用」の違いを明確にするのが目的である。



    ★★★ 非局所性と非局所的相互作用の違い ★★★


 システムSをn(≧2)個の部分S1〜Snが接続されていると解釈する時、
次の[A]と[B]を厳密に区別することから始めよう。

                [A]
  Sの内部に「非局所性」は有っても、S1〜Sn相互間に「非局所
  的相互作用」は存在しない。
                 ↓
  ばらばらのS1〜Snには無い性質や機能が、Sを構成している時
  にはS全体の中に「創発」することを、第三者は認識できるが、個
  々のS1〜Snは、現在自分がSを構成しているのかそれともばら
  ばらで(あるいは単独で)存在しているのかを識別できない。

                [B]
  S内部に「非局所性」が有るだけでなく、S1〜Snが「非局所的
  相互作用」で結びついている。
                 ↓
  現在S1〜SnがSを構成しているのか、それともばらばらで(あ
  るいは単独で)存在しているのかを、第三者が識別できるだけでな
  く、個々のS1〜Snが必然的にそれを識別し、どちらの状態にあ
  るかで、その性質や機能を変えてしまう。

 例えば、一人の人間の脳Bという物体は、約140億個のニューロン、10の
27〜28乗個もの物質粒子(分子、原子、素粒子)から構成されており、3次
元空間内に広がりを持っている。これをばらばらの素粒子に分解した時には、も
はや脳ではなくなってしまう。つまり脳という物体は、これら多数の素粒子を特
殊な空間内位置関係に配置した時、どの部分にも無かった形状や機能がそれら全
体の関係性の中に「創発」したものであり、一種の「非局所性」である。第三者
は、それらの物質粒子が現在「脳を構成している」のか「ばらばらに分解されて
いる」のかを容易に識別できるが、脳Bを構成している個々の部分はどうだろう
か? これが重要な問題点である。



     ★★★ 古典物理学的決定論を仮定すると ★★★


 まずは量子力学を含まない、古典物理学の範囲で考えよう。脳Bをn(≧2)
個の部分B1〜Bnに分割したとする。そのまま放置したのでは切断面の環境が
変化してしまうので、全体の機能が損なわれるのは当然である。そうならないよ
うに、Bを構成して正常な機能を発揮していた時と全く同じ「初期状態」および
「周囲からの局所的相互作用」の2つを、個々のB1〜Bnに、人工的に与えて
やると想定する。もし「古典物理学的決定論」が正しいとするなら、個々のB1
〜Bnの機能はこの2つだけで完全に決定するため、Bを構成していた時と全く
同じ機能を発揮することになる。すなわち個々のB1〜Bnは、自分が現在「脳
を構成している」のか、それとも「ばらばらに分解されている」のかを識別でき
ない。逆にもしこの時、個々のB1〜Bnがなぜかばらばらに分解された事実を
知ってしまい、正常なB状態のように機能しないとすれば、その時は「非局所的
相互作用」により、個々のB1〜Bnは、自分以外のn−1個が近接していない
事実を知ったことになる。
 S1〜Sn相互間に「非局所的相互作用」が無く、個々のS1〜Snの機能が
その「初期状態」と「周囲からの局所的相互作用」の2つだけで決定する時、S
を【還元的システム】と呼ぶ。「全体の機能が、個々の部分の機能の総和に還元
できる」という意味である。個々のS1〜Snの機能がこの2つだけで決定せず、
S1〜Sn相互間の「非局所的相互作用」にも依存する時、Sを【非還元的シス
テム】と呼ぶ。古典物理学を正しいとする限り、脳Bは【還元的システム】であ
る。そして、【還元的システム】で「心」は作り出せないことは、第2章で論じ
た通りであるが、もう一度復習しよう。

                 ***

 第三者は、約140億個のニューロン、10の27〜28乗個の物質粒子が、
「脳を構成している」のか「ばらばらに分解されている」のかを容易に識別でき
るため、「ばらばらに分解されている」時には無かった性質や機能が「脳を構成
している」時には「創発」した、と認識することができる。これは《客観的面》
としての機能であるが、《主観的面》にはこれが言えない。なぜなら個々のB1
〜Bnは、現在自分が「脳Bを構成している」のか、それとも本当は「ばらばら
に分解されている」のに、いかにも脳Bを構成しているかのように、人工的に機
能させられているだけなのか、を識別できないからである。「ばらばらに分解さ
れている」時のB1〜Bnに随伴する「n個の心」をM1〜Mnとすると(Bk
にMk;k=1,2,・・・ ,n)、今一度正常なB状態に戻しても、M1〜Mn
はばらばらのままで「1つの心」Mに融合できない。個々のB1〜Bn(M1〜
Mn)は、今再び正常なB状態に戻された事実に気付けず、今でも「ばらばらに
分解されている」と錯覚している、と表現すれば理解し易いだろう。B1〜Bn
を個々のニューロン、個々の素粒子にまで小さくすれば、そこに「心」は何も随
伴しないだろう。つまり、脳B全体に「1つの心」Mという統一性を産み出すた
めには、B全体をマクロな「非局所的相互作用」で結び付ける何かが要求される。
果たして量子力学の中に、それが存在するだろうか?



       ★★★ 量子力学が絡むと ★★★


 量子力学では、観測していない時には様々な状態が重ね合わせられたまま時間
発展し、観測した時にどの結果が得られるかは、確率的にしか予想できない。し
かもいわゆる「不確定性原理」により、位置座標と運動量を同時に正確に測定す
ることはできない、などの理論的限界も有る。だから「初期状態」と「周囲から
の局所的相互作用」を全く同じにしようとしても、必ずプランク定数くらいの不
確定性が付きまとうし、1つの原因から多数の結果を生じる可能性が出て来る。
 すべての可能な状態に複素数の重みを付けて重ね合わせたままで記述し、その
時間発展を定めるのがシュレディンガー波動方程式である。初期状態ψ(t0)
から任意の時刻tにおける状態ψ(t)を求めるだけなら、量子力学も「決定論」
的である。しかし、ψ(t0)やψ(t)自身が様々な状態の重ね合わせである
から、時刻tにψ(t)を観測した時、その中のどの測定値が得られるかは確率
的にしか予想できず、1つに定まらない。従って個々のS1〜Snに対し、Sを
構成している時と全く同じ「初期状態」および「周囲からの局所的相互作用」を
与えても、個々のS1〜Snがどう機能するかは、一意的には決定できない。す
なわち量子力学が絡むと、【還元的システム】という概念は確率的にしか成立し
得ない。しかしだからと言って、S1〜Sn(B1〜Bn)相互間を「非局所的
相互作用」が結び付けている訳ではない。その理由は、量子力学では様々な状態
が「線形」に重ね合わせられていて、それぞれの時間発展は独立しており、互い
に相互作用している訳ではない、という事実である。その点を詳しく説明しよう。
 ここでは、波動関数がシュレディンガー波動方程式に従い、線形の重ね合わせ
の原理が成立するという事実だけを使用し、観測する時になぜ波動関数が収縮す
るのか?という「観測問題」は、取り敢えず無視して話を進める。

 
 
       ★★★ 状態の重ね合わせ ★★★


 まず、量子力学では1個の素粒子(Xとする)の状態を、波動関数で表現する。
物理量として何に注目するかで様々な表現方法が有るが、特に重要なのは、位置
座標=(x,y,z)の関数ψ()、および、運動量=(px,py,pz)
の関数φ()である。
 ψ()の方は、素粒子Xが位置座標1=(x1,y1,z1)に存在する
「粒子」状態に複素数ψ(1)の重みを付け、位置座標2=(x2,y2,
z2)に存在する「粒子」状態に複素数ψ(2)の重みを付け、・・・ これらを
すべてのについて線形に重ね合わせたものである。従って、素粒子Xの位置座
標が1である確率密度が |ψ(1)|2である確率密度が|ψ(2)|
・・・ で求められる。
 φ()の方は、素粒子Xが運動量1=(p1x,p1y,p1z)である
「波」 状態に複素数φ(1)の重みを付け、運動量2=(p2x,p2y,
p2z)である「波」状態に複素数φ(2)の重みを付け、・・・ これらをすべ
てのについて線形に重ね合わせたものである。従って、素粒子Xの運動量が
1である確率密度が |φ(1)|2 である確率密度が |φ(2)|
・・・ で求められる。
 ψ()とφ()とは、同一状態についての2つの表現方法であり、いわゆ
るフーリエ変換/逆変換の関係にあるため、一方が得られれば、それがどんな形
をした関数であろうと、もう一方は計算だけで求められる。素粒子Xを「粒子」
として、その位置座標を正確に測定しようとすると、運動量の方は不確定に
なる。逆に、素粒子Xを「波」として、その運動量を正確に測定しようとすると、
位置座標の方が不確定になる。つまり、ψ()が3次元物理空間の中で狭い
領域に縮んでいれば、これは「粒子」に近い状態であるが、この時φ()の方
は3次元運動量空間の中で広い領域に広がる。逆に、φ()が3次元運動量空
間の中で狭い領域に縮んでいれば、これは「波」に近い状態であり、ψ()の
方は3次元物理空間の中で広い領域に広がる。これがいわゆる「不確定性原理」
であり、このようにして量子力学では、1個の素粒子を、「粒子」でもあり「波」
でもある、と解釈できることになる。

                 ***

 運動量1=(p1x,p1y,p1z)である「波」は、3次元運動量空間内
では、すべての確率1が点1=(p1x,p1y,p1z)だけに集中したデル
タ関数によりφ()=δ(1)と表されるが、これをフーリエ変換する
と、3次元物理空間内では、ψ()=exp{i1・}で表される複
素数の平面波となる。ただし1・=p1x・x+p1y・y+p1z・z
は、1 との内積を表す。(規格化はせずにおく。1 は定数、は変数で
あることに注意。)(=h/2π。hはプランク定数。)
 逆に、位置座標1=(x1,y1,z1)に存在する「粒子」状態は、3次元
物理空間内では、すべての確率1が 点1 =(x1 ,y1 ,z1)だけに集中
したデルタ関数によりψ()=δ(1)と表されるが、これをフーリエ
逆変換すると、3次元運動量空間内では、φ()=exp{−i1/
で表される複素数の平面波となる。ただし1=px・x1+py・y1+
pz・z1は、1の内積を表す。(規格化はせずにおく。は変数、
は定数であることに注意。)
 つまり、ψ()=exp{i1・}で表される状態は、3次元運動
量空間内で運動量が1という一定値を取り、3次元物理空間内では−∞<x<
+∞,−∞<y<+∞,−∞<z<+∞ に広がる複素数の「波」であるが、こ
れは、位置座標がである「粒子」状態に ψ()=exp{i1・
という重みを付け、3次元物理空間内すべての点について重ね合わせたもので
ある。すなわち不確定性原理において、→0, →∞の極限に相当し、

  1つの「波」状態は、無数の「粒子」状態の重ね合わせである。

と言える。
 逆に、φ()=exp{−i1/}で表される状態は、3次元物理空
間内で位置座標が1という一定値を取る「粒子」であるが、これは、運動量が
である「波」状態に φ()=exp{−i1/}という重みを付け、
−∞<px<+∞,−∞<py<+∞,−∞<pz<+∞ に及ぶ3次元運動量
空間内のすべて点について重ね合わせたものである。つまり、→0,
→∞の極限であり、

  1つの「粒子」状態は、無数の「波」状態の重ね合わせである。

もまた真である。
 運動量がで一定である個々の「波」は、3次元物理空間内では、−∞<x<
+∞,−∞<y<+∞,−∞<z<+∞ に広がる複素数の「波」である。とこ
ろがこれに φ()=exp{−i1/}という重みを付けすべての
について重ね合わせると、位置座標が1 の点だけに確率1が集中して「粒子」
となり、それ以外の点では無数の「波」が打ち消し合って0になってしまう。
 逆に、位置座標がである個々の「粒子」は、3次元運動量空間内では、−∞
<px<+∞,−∞<py<+∞,−∞<pz<+∞ の様々な運動量の「波」
を含んでいる。ところが、これに ψ()=exp{i1・}という重
みを付け、3次元物理空間内すべての点について重ね合わせると、運動量
の「波」だけが確率1で残り、それ以外の運動量の「波」はすべて打ち消し合い、
消滅する。何とも不思議なものである。

                 ***

 1個の素粒子Xの波動関数(一般に複素数)が脳全体に広がることは、有り得
るかもしれない。しかし、それが脳全体を「非局所的相互作用」で結び付けてい
る、と考えてはならない。粒子としての性質が強い電子などの「フェルミオン」
だけでなく、波としての性質が強い光子などの「ボソン」も、相互作用する時に
は1個の点粒子として「局所的相互作用」をするだけである。
 一人の人間の正常な脳Bを、n(≧2)個の部分B1〜Bnが接続されている
と解釈する。そして次のような ψs(t)とΨs(t)、ψk(t)とΨk(t)
[k=1,2,・・・ ,n]を考える。

             ψs(t)とΨs(t)
  時刻t0において、素粒子Xの波動関数がB全体(またはBの中の
  マクロな領域)に広がっている時の、素粒子Xの波動関数ψs(t)
  およびB全体の状態Ψs(t)。

             ψk(t)とΨk(t)
  時刻t0において、素粒子Xの波動関数がBkだけに広がっている
  時の、素粒子Xの波動関数ψk(t)およびB全体の状態Ψk(t)。
  時刻t0において、Bkの内部でψk(t)=ψs(t)、Bkの
  外部でψk(t)=0とする[k=1,2,・・・ ,n]。

1個の素粒子Xを表す波動関数を小文字のψで、それを含む脳B全体の状態を大
文字のΨで表す。すると、次の「重ね合わせの原理」としての表現が成立する。

  ψs(t) = ψ1(t)+ ψ2(t)+
                ・・・ + ψn(t)  ...(1)
 [Ψs(t) = Ψ1(t)+ Ψ2(t)+
                ・・・ + Ψn(t)  ...(1)]

 もし時刻t0に、素粒子XがB1〜Bnのどの部分に存在するかを何らかの方
法で観測したとすると、その時点で波動関数は収縮し、ψ1(t)〜ψn(t)の
どれか1つ[Ψ1(t)〜Ψn(t)のどれか1つ]になる。すなわち、

  ψr(t) = ψ1(t) or ψ2(t) or
                ・・・ or ψn(t)  ...(2)
 [Ψr(t) = Ψ1(t) or Ψ2(t) or
                ・・・ or Ψn(t)  ...(2)]

sは「重ね合わせ(superposition)」、rは「収縮(reduction)」を意味する。
1,2,3,... ,nの値を取る変数kと混同しないよう注意。
 ここで重要なのは、(1)が量子力学に特有の、いわゆる「線形」の重ね合わ
せであり、個々のψ1(t)〜ψn(t)[個々のΨ1(t)〜Ψn(t)]の時間
発展が、それぞれ独立しているという点である。例えばψ1(t)[Ψ1(t)]
は、(1)のように他のn−1個と重ね合わせられている時も、(2)のように
単独で存在する時も、シュレディンガー波動方程式から導かれる時間発展は、全
く同じものになる。つまり、(1)のようにn個の状態が重ね合わせられていて
も、ψ1(t)〜ψn(t)の間[Ψ1(t)〜Ψn(t)の間]に相互作用は何も
無い事を意味する。

                 ***

 ψs(t)やψk(t)[k=1,2,・・・ ,n]は、時間変化に注目している
ため、時間tの関数であるように表現しているが、厳密には空間座標=(x,
y,z)の関数でもあるから、正確には、ψs(,t)やψk(,t)と表
すべきものである。時刻tの方をt=t0に固定すると、ψs(,t0)やψk
,t0)で表現される。ψk(,t0)はBkの内部でだけψs(,t0)
に等しく、Bkの外部では0であるような値を取る、と定義した。
 ψs(,t0)やψk(,t0)[k=1,2,・・・ ,n]の時間発展を求
める時は、まずこれをフーリエ変換し、運動量=(px,py,pz)とt0の
関数であるφs(,t0)やφk(,t0)[k=1,2,・・・ ,n]として
表現する。これだと、(2)のように単独で存在するのか、それとも(1)のよ
うに他のn−1個と重ね合わせ状態にあるのかを問わず、シュレディンガー波動
方程式により、時刻t0から任意の時刻tにおけるφs(,t)やφk(,t)
[k=1,2,・・・ ,n]が計算できる。その上でそれをフーリエ逆変換すると、
任意の時刻tにおけるψs(,t)やψk(,t)[k=1,2,・・・ ,n]、
すなわち(1)や(2)の中のψs(t)やψk(t)[k=1,2,・・・ ,n]
の時間発展が求められる。
 フーリエ変換には「線形性」[f:(A+B+ ・・・)=f:A+f:B+ ・・・]
が成立するので、ψs(t)のフーリエ変換をφs(t)、ψk(t)のフーリ
エ変換をφk(t)[k=1,2,・・・ ,n]とすると、(1)から次の(3)
が導ける。

  φs(t) = φ1(t)+ φ2(t)+
                ・・・ + φn(t)  ...(3)

これは、(1)と(3)が空間座標=(x,y,z)について恒等式であるば
かりでなく、運動量=(px,py,pz)および時間tに関しても、恒等式で
あることを示している。つまり、時刻t0において脳B全体に広がる素粒子Xの
波動関数ψs(t)を、個々のB1〜Bnだけに広がるn個の状態ψ1(t)〜
ψn(t)の線形の重ね合わせで表現すると、任意の時刻tにおいて(1)が成
立するということ、つまり、全体ψs(t)は部分ψ1(t)〜ψn(t)の和
に等しいことを保証している。
 もちろんこれは理論上の話であって、実際に計算を行うことはまず不可能だろ
う。なぜなら、素粒子Xの波動関数の時間発展を計算するには、脳Bを構成する
10の27〜28乗個もの他の素粒子たちの影響をも、ポテンシャルUという形
ですべて考慮せねばならないからである。要は、

  仮に時刻t0における、脳Bを構成するすべての素粒子の波動関数
  の初期値が与えられれば、あとはシュレディンガー波動方程式を連
  立方程式として解くだけで、任意の時刻tにおけるすべての素粒子
  の波動関数が求められる

ということ。そしてその計算において、

  (1)の左辺ψs(t)[Ψs(t)]の計算は、右辺ψ1(t)〜
  ψn(t)[Ψ1(t)〜Ψn(t)]のように分解して計算した上
  で総和を取ったものに等しい

ということである。

                 ***

 Ψ1(t)において、B1の中の電子がこの素粒子Xと「局所的相互作用」す
ることは有り得る。Ψ2(t)において、B2の中の電子がこの素粒子Xと「局
所的相互作用」することも有り得る。しかし、Ψ1(t)とΨ2(t)の間には、
何の相互作用も無い。それゆえ、B1の中の電子とB2の中の電子が、この素粒
子Xの波動関数の「非局所性」を利用して「非局所的相互作用」することもでき
ない。これが、波動関数の「非局所性」を利用して「超光速の情報伝達」ができ
ないことの、1つの説明である。
 いま、(2)のようにΨ1(t)〜Ψn(t)が単独で時間発展している状態
を考え、「心は脳の機能に他ならない」とする【心・脳同一説】の立場に立とう。
そして、Ψ1(t)に随伴する「心」m1 ,Ψ2(t)に随伴する「心」m2 ,
・・・,Ψn(t)に随伴する「心」mnという「n個の心」m1 〜mnの存在を
想定しよう。個々のmk[k=1,2,・・・ ,n]が「1つの心」という統一性
を持つのか、あるいは、それ自体が複数の心の集合なのかは、敢えて問わずにお
く。仮に「心」など何も無かったとしても、記号だけを与えておくことはできる
だろう。たとえこれらのΨ1(t)〜Ψn(t)を(1)のように重ね合わせて
も、「n個の心」m1 〜mnは「1つの心」mに融合できず独立したままである。
なぜなら 個々の Ψ1(t)〜Ψn(t)(m1 〜mn)は、互いに何の相互作
用もせず、現在自分が(1)と(2)のどちらの状態にあるのか、識別できない
からである。それを識別できるのは第三者だけである。すなわち量子力学の「非
局所性」は、初めに区別しておいた[A]と[B]のうち、まさに[A]の方で
あるのが判るだろう。
 nを大きく取り、B1〜Bnを小さくすれば、個々のΨ1(t)〜Ψn(t)
における素粒子Xを、どこまでも点粒子に近付けることができる。例えばBの存
在する空間領域を、1辺の長さdの3次元格子状に仮想分割して、それらの微小
立方体の空間領域をB1〜Bnとし、その上でd→0の極限を考えると良い。つ
まり、たとえ素粒子Xの波動関数が脳B全体(あるいは脳Bのマクロな領域)に
広がっても、それが脳Bを「非局所的相互作用」で結び付けて「1つの心」とい
う統一性を産み出す効果は、何も無いのが解る。



        ★★★ 波動関数の漏れ出し ★★★


 B1〜Bnを3次元空間内の点に近付くよう小さく取れば、時刻t0における
素粒子Xは、個々のψk(t) の中でどこまでも点粒子に近付く。しかし、時間
tの経過とともに、ψk(t) の中に収まっていた素粒子Xの波動関数は、Bk
の外部にも漏れ出し、より広い領域へと広がり続け、いつまでも点粒子のままで
は存在し得ない。そこで次のように考える。
 まず時刻t0に素粒子Xが、Bkの中に存在する脳B全体の状態をGkとする
[k=1,2,・・・ ,n]。Gkにおける素粒子X波動関数の具体的表現が、n個
のψk(t0)であった。その後の時刻t1=t0+凾狽ノ、n個のψk(t0)
がどう変化するかは、シュレディンガー波動方程式が決める。それをψk(t1)
とし、一般にこれはB1〜Bn全体に広がり得ると考え、これをもう一度、B1
〜Bnのn個の部分に空間分割し、それらを ψk→1(t1)〜ψk→n(t1)
としよう。2番目の位置をk'で表すなら、ψk→k'(t1)[k'=1,2,・・・ ,
n]である。そしてこの過程を経た脳B全体の状態を Gk→k'で表す。
 さらに時刻t2 =t1+凾狽ノn個のψk→k'(t1) がどう変化するか
は、シュレディンガー波動方程式が決める。それをψk→k'(t2)とし、これ
もB1〜Bn全体に広がり得ると考えてB1〜Bnのn個の部分に空間分割し、
それらをψk→k'→k”(t2)[k”=1,2,・・・ ,n]としよう。3番目の
位置がk”である。この過程を経た脳B全体の状態をGk→k'→k”で表す。
 以下同様 t3=t2+凾煤Ct4=t3+凾煤C・・・ ,tw=tw−1+凾
について、このような波動関数の空間分割を続けると考え、tw=t0+w凾
としよう。脳B全体に素粒子Xの波動関数が広がった状態での、時刻t=t0か
ら時刻t=twまでの脳B全体の状態変化は、Ψs(t0)→Ψs(tw)で表
されるが、これをn個の状態の重ね合わせ、すなわち Gk→k'→k”→ ・・・
に分解できたことになる(これを「個々の過程G」「n個の過程G」などと表
現する)。
 個々の過程Gにおいて、素粒子Xは常に、限りなく古典物理学的な「粒子」に
近い状態である。しかも、ある時刻tuから時刻tu+1=tu+凾狽ノおける
状態を導く時、時刻tuにおけるn個の個々のGは、互いに独立してn個に分
裂するだけであり、自分以外のn−1個の存否や状態には何の影響も受けない。
 さらにこれは、1個の素粒子Xから、脳Bを構成するすべての素粒子(N個の
素粒子)にも、拡張することができる。素粒子Xの状態がn個の状態の重ね合わ
せであり、かつ、素粒子Yの状態もまたn個の状態の重ね合わせである時、素粒
子Xと素粒子Yの2個全体の状態は、それらの積を取ることになり、全部でn
個の状態の重ね合わせで表現される。脳B内の1個の素粒子Xについて考えたこ
とは、脳B内のN個の素粒子についても同様に考えられるはずである。素粒子X
をn個の過程Gに分解できたので、N個の素粒子の場合には、nのN乗すな
わちnNw個の過程に分解できることになる。これを「個々の過程」あるいは、
「nNw 個の過程」と表現しよう。

                 ***

 念のために、ある時刻tuにB1〜Bnのどれか1つだけに広がっていた素粒
子Xの波動関数は、時刻tu+1=tu+凾狽ノはB1〜Bn全体に広がる、と
して話を進めたが、実際にはそうではないかもしれない。例えば時刻t0にB1
だけに波動関数の広がった状態G1は、時刻t1=t0+凾狽ノはその波動関数
がB1〜B2には広がっても、B3〜Bnには広がらないかもしれない。その場
合には、G1からG1→1〜G1→2には分裂するが、G1→3〜G1→nとい
う過程は、実際には起こらないことになる。
 ファインマンの経路積分によれば、1個の光子が点Pから点Qへと直線的に移
動するように見える現象も、実は、点Pからあらゆる経路を通って点Qへ到達す
る過程の重ね合わせである、と見做される。光子を3次元空間内で完全に1個の
点だとすると、不確定性原理により、その運動量が全く不確定になる。つまりこ
の光子は、3次元空間内であらゆる向きに運動している可能性を持っており、そ
れがいつの時点でも言えるため、曲がりくねった経路も可能になる。ところが、
その経路の作用に応じた複素数の位相を付けて重ね合わせる時、殆どの経路は打
ち消し合って消滅し、点Pから点Qへ至る直線的な経路(および、それにごく近
い経路)だけが、高い確率で残る。その結果、光子は殆ど直線的な経路だけを選
んで進むように見える。だから、ここで考えた「nNw個の過程」の殆どは、
重ね合わせる時に「干渉」によって消滅すると考えるべきだろう。
 さらに量子力学では、同種の素粒子は区別が無意味で、2個の同種の素粒子を
交換しても、「ボソン」の場合はψがψのまま、「フェルミオン」の場合はψが
−ψに変わるだけである。それゆえ、「nNw個の過程」の中には重複したも
のも数多く存在するだろう。
 このように、「nNw個の過程」の中には、無視すべきもの、重複したもの、
早い段階で重ね合わせにより消滅してしまうもの、などが数多く存在すると思わ
れるが、それは重要ではない。とにかくこのような過程の分割をすると「個々の
過程」では、脳B内のすべての素粒子が古典物理学的「粒子」に近い状態とし
て振る舞い、かつ、それらnNw個の過程の間には何も相互作用が無く、独立し
て時間発展が求められる、という点が重要なのである。

                 ***

 B1〜Bnを限りなく3次元空間内の1個の点に近付ければ、(1)の右辺の
個々のψk(t)[k=1,2,・・・ ,n]は、時刻t0においてどれも、Bk
内部で0でない1個の数、Bk外部では0として扱える。しかし、B1〜Bnが
完全に3次元空間内の1個の点だと、ψk(t)はどれも、Bkの内部と外部の
境界において不連続だから、微分不可能となり、運動量の不確定さが凾吹ィ∞と
なって計算もできなくなる。だから実際には、わずかながらB1〜Bnに3次元
的体積を持たせる。個々のψk(t)も、わずかな3次元空間内の広がりを持ち、
かつ微分可能なものを考えることになる。そうすれば理論的には、時刻tuにお
けるn個のGが、時刻tu+1=tu+凾狽ノnu+1個のGに発展する過程
を、計算できることになる。その上で、古典物理学的には十分「粒子」と見做せ
るくらい、B1〜Bnの体積(3次元格子の1辺の長さ)を0に近付ける、と考
えておこう。



        ★★★ 波動関数の干渉 ★★★


 時刻t=t0からt=twまでの脳過程Ψs(t0)→Ψs(tw)を、互い
に相互作用しない「nNw個の過程」の重ね合わせに分解し、しかも個々の過
程の中で、脳B内のすべての素粒子を古典物理学的な「粒子」に近付ける方法を
考えた。しかし、これら「nNw 個の過程」は 完全に独立しているかという
と、実はそうではない。量子力学特有の「干渉」効果により、強め合って確率を
大きくする状態や、逆に打ち消し合って確率を小さくする状態などが出て来る。
しかし、波動関数の「干渉」もまた、「非局所的相互作用」とは異なるのである。
 典型的な2重スリットの実験を考えよう。時刻t0に光源から、1個の光子X
が放出される。この状態には、すでに存在位置や運動量の不確定性が含まれてい
るため、時刻t1(t0<t1)にスリットの左右どちらの穴も、確率1/2ず
つで通る可能性が有る、とする。さらにそれぞれが5つずつ(確率1/10ずつ)
に分岐し、時刻t2(t0<t1<t2)にスクリーン上の5個の点S1〜S5
に到達するとしよう。
 1個の粒子の状態を表す波動関数ψは、一般に複素数の波で表現されるが、半
波長の奇数倍ずれるとψが−ψに変わり、波長の整数倍ずれるとψがψに戻る。
そこで、S3の位置は左右の穴から等距離にあるが、S2とS4の位置は左右の
穴からの距離が光子Xの波長の半分ずれており、S1とS5の位置は左右の穴か
らの距離がちょうど光子Xの1波長分だけずれている、としよう。すると、S2,
S4の位置では、左右の穴から出て来た波動関数が打ち消し合って消滅し、S1,
S3,S5の位置では、左右の穴から出てきた波動関数が強め合う。その結果、
光子XはS1,S3,S5のどこかに高い確率で現れ、S2,S4の位置には殆
ど現れない。これが「干渉」である。
 時刻t0には1つの状態だったのが、時刻t1には2つの状態の重ね合わせと
なり、さらに時刻t2には10個の過程の重ね合わせになった。しかし「干渉」
により、2対は消滅し、3対(すなわち3つの状態)だけが残った。脳Bの過程
を、「nNw個の過程」の重ね合わせに分解して考えたが、これらの中にも
「干渉」によって、強め合うものや打ち消し合うものが多く含まれているだろう。
1つの状態がn個に分岐する過程は、独立したn個の過程の重ね合わせであり、
それらの間に相互作用は無かった。しかし、逆にn個の過程が「干渉」により1
つの状態に融合する時はどうだろうか?

                 ***

 この「干渉」効果もまた、脳全体に「1つの心」という統一性を作り出せない
事が、次のように示せる。
 例えば、光子Xが波動関数として左右の穴両方を通り、「干渉」を起こしてス
クリーン上の点S1に到達した状態を|S1(L±R)>、右の穴をふさぎ、光子
Xが左の穴だけを通ってスクリーン上の点S1に到達した状態を|S1(L)>、
左の穴をふさぎ、光子Xが右の穴だけを通ってスクリーン上の点S1に到達した
状態を|S1(R)>、とする。もし、スクリーンに到達する前に光子Xが左右ど
ちらの穴を通るかを観測すると、2つの状態の間に、観測装置というマクロな物
体において差異が生じるため、スクリーン上では「干渉」が起きなくなる。
 |S1(L)>および|S1(R)>の2つの過程は、時刻t1においては、スリ
ットの左右どちらの穴を通るかという点で、光子Xの存在位置が異なっているが、
時刻t2にはスクリーン上のS1という全く同じ位置に到達したため、何の違い
も無くなり、どちらの穴を通って来たかを知る方法はもはや存在しない。だから
こそ「干渉」を起こし得るのである。だとしたら、時刻t2におけるこの状態を
どんなに詳しく調べてみても、過去の過程が3つの中のどれだったのか(左の穴
を通ったのか、右の穴を通ったのか、両方を通ったのか)は、決して知り得ない。

                 ***

 これと同様な過程が脳の中で生じたとする。時刻t0には1つの脳状態であっ
た|B(t0)> が、時刻t1 には|BL(t1)>と|BR(t1)>という2つ
の状態に分岐し(|BL(t1)>≠|BR(t1)>)、その後再び時刻t2 に、
全く同じ状態へ変化し、|BL(t2)>=a|BM(t2)>、|BR(t2)>=
b|BM(t2)>となった。そして「干渉」を起こし、(a+b)|BM(t2)>
→|BM(t2)>となったとする。|BL(t2)>と|BR(t2)>は、何も相
互作用していない。単独で時間発展して来たが、たまたま時刻t2には全く同じ
状態に達したため、区別することが無意味になり、|BM(t2)>になったので
ある。だとしたら、次のような説明が成立し得るだろうか?

  |BL(t1)>→|BL(t2)>=a|BM(t2)>
                   →|BM(t2)>  ...(4)

  |BR(t1)>→|BR(t2)>=b|BM(t2)>
                   →|BM(t2)>  ...(5)

  という個々の過程には「心」(意識・自我)は随伴しない。

  |BL(t1)>+|BR(t1)>→|BL(t2)>+|BR(t2)>
    =a|BM(t2)>+b|BM(t2)>=(a+b)|BM(t2)>
                   →|BM(t2)>  ...(6)

  という「干渉」過程に「心」(意識・自我)が発生する。

この説明はおかしい。なぜならこれら3つは、過程においてこそ異なるが、時刻
t2における状態はどれも|BM(t2)>で全く同じであり、3つのうちどの過
程を経て来たのか不明だからである。仮に、(4)(5)(6)3つの過程を経
て来たそれぞれの脳|BM(t2)>に「何か意識したか?」と質問したなら、3
つとも同じ返事が返ってくるはずである。(4)(5)の場合は「意識しなかっ
た」と答え、(6)の場合だけ「意識した」と答えるような差異は、何も生じ得
ない。

                 ***

 例えば

  ψ1=5ψA+4ψB, ψ2=4ψA−5ψB

である時、ψ1とψ2をこのまま重ね合わせれば

  ψ1+ψ2=9ψA−ψB

となり、ψAは確率が高くなる。もしψ2の位相だけを−ψ2にしてψ1と重ね
合わせれば

  ψ1−ψ2=ψA+9ψB

となり、ψAは確率が低くなる。これが「干渉」であるが、ψA自身の状態およ
びその時間発展は、ψ1,ψ2,ψ1+ψ2,ψ1−ψ2において全く同じであ
り、ψAは 自分がどの環境の中にいるのかを識別できない。<ψA|ψB>=0
(ψAとψBとは直交している、すなわち、ψAかψBかを識別する観測を行う
と、必ずどちらか一方だけが観測され、ψAとψBとが同時に観測されることは
無い、という状況にある)とし、観測した結果、仮にψAが得られたとしても、
ψA自身は、自分が高い確率で確実に起きたのか、低い確率で奇跡的に起きたの
か、そもそも「干渉」が生じたのかどうか、何も知らないのである。
 確かに波動関数の同じものは ψA+ψB=2ψA と強め合うし、符号が逆の
ものは ψA+ψB =0 と打ち消し合う。しかし、この「干渉」は「相互作用」
ではない。しかも2重スリットの「干渉」実験において、ψA+ψB=2ψAや
ψA+ψB=0 が成立するのは、ψAとψBとで 光子Xの存在位置が全く同じ
場合だけである。従って、もしこれを「相互作用」と呼ぶとしても、「非局所的
相互作用」ではなく「局所的相互作用」の方になる。



       ★★★ 波動関数の収縮過程 ★★★


 さらにもう1つ、「波動関数の収縮過程こそが意識である」という解釈にも、
疑問を投げ掛けてみよう。いくつかの状態が重ね合わせられている脳B全体の状
態をΨs(t)、その中の任意の一部をΨ1(t)、それ以外の部分をΨ2(t)
とする。状態の分け方は任意で構わない。そして次の2つの過程を比較しよう。

  t0≦t<t1 の間ずっと ψs(t)=ψ1(t)+ψ2(t)
  で時間発展した後、時刻t1に初めて波動関数が収縮し、ψ1(t)
  となった過程                    ...(7)

  t0≦t≦t1 の間ずっと ψ1(t)で時間発展した過程
                            ...(8)

 もし「波動関数の収縮過程」が「意識」なのであれば、ψ1(t)+ψ2(t)
→ψ1(t) という波動関数の収縮のために、時刻t1に何かを「意識」するの
は、(7)の過程を経た脳だけであり、(8)の過程を経た脳はそれを「意識」
しないはずである。しかし、それはおかしい。なぜなら時刻t1における脳状態
は、(7)の過程を経た場合も(8)の過程を経た場合も、ともに ψ1(t1)
であり、全く同じなのであるから。つまりψ1(t1)の中には、その過去の過
程が(7)だったのか(8)だったのかについての情報が、何も含まれていない。
従って、(7)の過程を経た脳だけが何かを「意識した」と答え、(8)の過程
を経た脳が「意識しなかった」と答えるような差は、何も生じ得ない。
 これは、波動関数の「干渉」が「心」「意識」「自我」の原因では有り得ない、
と説明した論法と同じである。実際「干渉」は、波動関数の「収縮」の一種と見
做すことができる。いずれにしろ、現在の量子力学(シュレディンガー波動方程
式、重ね合わせの原理)が正しいと仮定する限り、「波動関数の収縮過程こそが
意識である」という解釈は成立しないのが解る。



         ★★★ 場の量子論 ★★★


 量子電磁力学などの「場の量子論」では、空間全体に広がる「場」こそが根源
的な実在であり、「粒子」は局所的な場の励起状態であると見做される。空間内
の個々の点は、独立した自由度を与えられた振動子として扱われるが、ハミルト
ニアン(ラグランジアン密度)の中には、個々の点の自立した部分と相互作用部
分が含まれている。例えば、電子と光子の相互作用ハミルトニアンHは、

  H=He+Hr+Hint               ...(9)

で表され、Heは原子内電子の運動を、Hrは電磁振動を、Hintが両者の相
互作用を表す。ラグランジアン密度の中で、相互作用を表す部分は、場の空間微
分の関数となる。空間内の個々の点は、離れた位置にある点の影響を直接受ける
ことは無く、無限小の距離にある点から近接作用だけで影響を受けることになる。
つまり「場の量子論」こそ、すべての物理的相互作用が光速の限界を伴う「局所
的相互作用」だけであることを、大前提としたものである。「場の量子論」では、
消滅・生成演算子により、素粒子の個数変化という現象も扱える。
 光子の場合は電磁場がベクトルであることに注意せねばならないし、電子のよ
うに半整数のスピンを持つ場合には、波動関数が2成分になる、などの違いは有
る。しかし、どちらの場合も波動関数がシュレディンガー波動方程式に従って時
間発展する点、および、波動関数を微小な空間領域に分割しても、全体の時間発
展が個々の部分の時間発展の総和に等しい点だけは、共通している。



        ★★★ マクロ量子効果 ★★★


 脳のメカニズムの説明に量子力学を用いるのが適切かどうか、科学者たちの間
でも、意見の分かれるところである。脳の情報処理は、ニューロン以上のマクロ
な物理現象が支配しており、量子力学のようなミクロな法則を使う必要は無く、
古典物理学で十分だ、と主張する人が多い。超伝導が起きるくらいの低温ならと
もかく、脳ほど高温でノイズの多い物体の場合、量子効果が表面に現れることは、
極めて考えにくいというのが常識である。一方、常温でも、脳の中にマクロな量
子効果が存在し得ることを、「場の量子論」や「ボース・アインシュタイン凝縮」
などの概念を用いて説明する人もいる。
 時刻t0に1つの状態だったのが、時刻t1に素粒子1個の差を持つ2つの状
態の重ね合わせに分裂しても、また時刻t2には差が無くなって同一の状態に戻
り「干渉」を起こすことは、確率的に十分起こり得る。2重スリットの「干渉」
が具体例であった。ところが、時刻t1に生じた素粒子1個の差が、周囲のマク
ロな物体と相互作用し、素粒子N(≫1)個のマクロな差を産み出してしまうと、
時刻t2に差が無くなって再び同一の状態に戻ることは、極めて起こりにくくな
る。1個の素粒子の異なる状態が再び同一の状態に戻る確率を、仮に1/10と
しよう。N個の素粒子が独立して様々な状態にあるとすれば、そのすべてが同一
状態に戻る確率は、ほぼ(1/10)と推定できる。それゆえ Nが10の27
〜28乗に及ぶ脳のようなマクロな物体の場合には、量子力学の「干渉」は無視
でき、古典物理学の範囲で十分ということになる。
 ところが、マクロな量子効果となると、少し話が変わってくる。1個の素粒子
の状態は波動関数ψで表されるが、同一の状態を複数個の素粒子が占めることの
できる「ボソン」の場合、N個の素粒子がすべて同一の状態ψに入ることが可能
となり、全体の状態は Ψ=N1/2ψと表現される。これが「ボース・アイン
シュタイン凝縮」と呼ばれるものである。そしてψψが「粒子の存在確率密度」
であったのに対し、ΨΨ=Nψψ は「粒子数密度」を表すことになる。
 このΨの状態では、N個の素粒子が1個の素粒子であるかのように、全体とし
て「干渉」を起こし得る。ψが「干渉」を起こす確率を仮に1/10とすると、
Ψが「干渉」を起こす確率も1/10であり、(1/10)ではない。従って、
1個の素粒子が「干渉」を起こすのと同じくらい高い確率で、マクロな「干渉」
を起こし得る。しかも運動量やエネルギーは1個の素粒子のN倍であるから、N
が大きくなるにつれ、ニューロン以上のマクロな物理現象に対しても、十分影響
を及ぼせる可能性が出て来る。もしそうであれば、脳の機能の中に、古典物理学
では説明できず、量子力学を用いて初めて理解できるような現象が存在するかも
しれない。その可能性は有り得る。

                 ***

 しかし、たとえΨが脳全体に広がっても、それが脳全体をマクロな「非局所的
相互作用」で結び付けている訳ではない。1個の素粒子の場合には、それがB1
〜Bnのどこに存在するかで、ψをn個の状態の重ね合わせに分解した。N個の
素粒子の場合には、それぞれの素粒子がB1〜Bnのどこに存在するかで、Ψを
個の状態の重ね合わせに分解する。個々の状態の時間発展は独立していて、
互いに相互作用は無いし、B1〜Bnを小さくすれば、n個の状態すべてにお
いて、N個の素粒子は限りなく「点粒子」に近付く。
 先ほど、「nNw個の過程」なるものを考えた。これは、脳Bの中にマクロな
「ボース・アインシュタイン凝縮」が生じている時もいない時も、同様に通用す
る。それゆえ、たとえ脳の機能を説明するのに、古典物理学では不十分で量子力
学が必要であったとしても、やはり量子力学では、脳全体に「1つの心」という
統一性が発生する謎を説明できないのである。



      ★★★ 第三者による「干渉」認識 ★★★


 2重スリットの実験で、1個の光子Xがスクリーン上のS1に到達しても、こ
の光子X自身は、自分が「干渉」を起こしたのかどうかを知り得ない。しかし、
多数の光子を用いて同じ実験を繰り返し、殆どの光子がS1,S3,S5の地点
にばかり到達すると、これは偶然とは考えにくい。

  「干渉」によってS2,S4の地点では打ち消し合い、S1,S3,
  S5の地点では強め合っているのではないか?

と推測できる。これと同様に脳の中でも、1個の素粒子では「干渉」が起きてい
るのかどうか判らなくでも、多数の素粒子を見れば、明らかに古典物理学では説
明できない、量子力学特有の「干渉」効果が発見できる可能性は有る。
 しかし、その「干渉」が「意識」を産み出すとは考えられない。仮に脳内で多
数の素粒子が「干渉」を起こしたとしても、個々の素粒子は、自分が「干渉」を
起こしたのかどうかも知らなければ、他の素粒子が「干渉」を起こしているのか
どうかも知らない。もしそれを知り得る何かがいるとしたら、脳を構成するどの
素粒子でもなく、第三者の立場から、脳を構成する多数の素粒子たちの位置関係
を認識できる者でなければならない。すなわち、その脳を第三者の立場から見て
いる人間である。
 人間が2重スリットの「干渉」実験をする時も同じである。多数の光子がS1,
S3,S5の地点ばかりに到達するのを知覚・認識するためには、その人の脳内
の多数のニューロン、多数の素粒子の共同作業が必要である。しかし、それらの
関係性を認識できるのは、脳内のどの素粒子でもなく、第三者の立場からその人
の多数のニューロン、多数の素粒子を「非局所的相互作用」で結び付けている何
かなのである。脳を構成する個々のニューロン、個々の素粒子たちは、今自分が
脳を構成しているのか、ばらばらに分解されているのかすら、何も知らない。

                 ***

 1次元の問題で、1個の素粒子Xの位置座標xと運動量pを考えよう。この素
粒子Xの波動関数ψは、そのx座標がx1,x2,x3,・・・ である様々な状態
ψx1,ψx2,ψx3,・・・ の重ね合わせであると同時に、その運動量pが、
p1,p2,p3,・・・ である状態ψp1,ψp2,ψp3,・・・ の重ね合わせ
でもある。我々は素粒子Xのx座標を 凾=xmax−xmin の範囲内で知
ることができ、必要が有れば 凾→0の極限に近付けることもできる。この時、
運動量pの方は 凾吹≠垂高≠−pmin の範囲であり、不確定性原理から、
凾吹/凾 である。
 ψp1,ψp2,ψp3,・・・ の時間発展は独立しており、これらの間に相互
作用は無い。いわばこれらは別宇宙の存在であり、電子や光子などシュレディン
ガー波動方程式に従い、重ね合わせの原理が成立するものでは、決して結び付け
ることはできないはずである。しかもこれらの波は、−∞<x<+∞の範囲に広
がっている。我々人間が、素粒子Xのx座標の不確定さを凾にまで収縮させる
ことができるのは、人間の「心」が、シュレディンガー波動方程式や重ね合わせ
の原理を超越した何らかの作用で、凾垂フ範囲の様々な運動量の波を結び付け、
それらの存在を同時に認識しているからではないのか? あるいは自分の「心」
が、ψp1,ψp2,ψp3,・・・ 全体に広がった状態である、と表現しても良
い。

                 ***

 そこで、あくまで仮説ではあるが、2つの異なる脳状態Ψ1とΨ2とを、いわ
ゆる「霊魂」と呼ばれるような何かが結び付け、「心」M12を作り出している
としてみよう。結び付けるというのは、M12が、Ψ1に随伴する「心」M1と
Ψ2に随伴する「心」M2の独立した状態の和ではない、という意味である。
 Ψ1とΨ2との差がプランク定数未満の時は、ψ1+ψ2全体を1個の「霊魂」
が結び付けられるが、それ以上の差が生じると「霊魂」はどちらか一方に「収縮」
するか、または「分裂」する、と考える。M12は、M1やM2とは異なるから、
M12がM1やM2に「収縮」する時、あるいはM1とM2に「分裂」する時、
その過程こそが「心」「意識」「自我」である、との説明が成立する。またM1や
M2の視点に立てば、この過程こそが、ψ1+ψ2→ψ1,ψ1+ψ2→ψ2と
いう、波動関数の「収縮」過程に見えるはずである。


 
          ★★★ 結論および考察 ★★★



 以上、量子力学で用いる波動関数には、確かに「非局所性」と呼ばれる性質は
有るけれども、「心」を作り出すために必要な「非局所的相互作用」は含まれて
いない事実を説明した。量子力学の特徴は、

  観測しないと、いくつかの異なる状態が重ね合わせのまま時間発展
  していく


という点であり、

  1つの「現在(時刻t0)」が多数の「未来(時刻t1)」に分岐し、
  かつ、多数の「過去(時刻t−1)」から1つの「現在(時刻t0)」
  が生まれる

と言える。しかし、どちらの過程も「1つの心」という統一性を産み出す効果を
持ち得ないように思われる。個々の状態は、他の状態の存否と無関係に時間発展
するため、他の状態の存否を知ることもできないからである。
 これらの議論は、もっぱらシュレディンガー波動方程式(および、線形の「重
ね合わせの原理」)に基づいていた。しかし、実は現在の量子力学の中に、すで
にシュレディンガー波動方程式では説明できない現象が存在する。それが「観測
問題」であり、観測における「波動関数の収縮」と呼ばれるものである。

                 ***

 波動関数の奇妙さは、それが「数学的仮想」と「物理的実在」の両方の性質を
持つ点にある。1個の光子の波動関数は、2重スリットの実験で、左右両方の穴
を通る状態の重ね合わせとなる。この時、どちらの穴を通っているかを観測して
明らかにすると、必ずどちらか一方だけを通っていて、その瞬間に他方の状態は
消滅する。本当は初めから一方だけを通っていたのだが、それを知らなかったか
ら、両方の穴を通る状態という「数学的仮想」の存在を想定しただけだ、と考え
たくなる。しかし、それならなぜ、どちらを通ったか観測しない時、1個の光子
が波として両方の穴を通ったとしか思えない「干渉」を起こすのか? 明らかに
それは「物理的実在」ではないか? もしそう考えるなら、観測した瞬間に波動
関数の各部分が「非局所的相互作用」により超光速で収縮し、多数の状態から1
つの状態に変化するように見える。
 フォン・ノイマンは、人間の「意識」こそが波動関数を収縮させると考え、こ
れを量子力学に従わない非物理的な「抽象自我」という、特別な扱いをした。し
かし、大半の物理学者は「人間の心といえど、脳の物理現象に他ならず、物質粒
子や光子と同じ法則に従うのであるから、心を特別扱いする訳にはいかない」と
いう大前提の上で「波動関数の収縮」を説明しようと試みており、すでに数多く
の理論が存在する。仮にそれらの理論が「波動関数の収縮」を説明できたとして
も、「心」の持つ「非局所的相互作用」を取り入れていない以上、「心」そのも
のは説明できない。
 逆に「心」が「非局所的相互作用」を持つ事実を素直に受け入れるなら、それ
こそが「波動関数の収縮」に関係している可能性が大きい。我々の「心」は「生
きた猫」や「死んだ猫」を見ることはできても、両方を同時に見ることは無い。
「生きた猫を見ている脳状態」をψ生 ,「死んだ猫を見ている脳状態」をψ死 と
しよう。自分の「心」(霊魂)は、ψ生 全体やψ死 全体を「非局所的相互作用」
で結び付けることはできるが、 ψ生+ψ死 全体を「非局所的相互作用」で結び
付けることはできない、ということである。
 箱を開け、猫が生きているか死んでいるかを観測する時、脳状態がψ生+ψ死
の重ね合わせになるのを「霊魂」が妨げ、どちらか一方だけに状態を限定すると
考えてみよう。そうすれば「霊魂」こそが波動関数収縮の原因であるし、どちら
の状態を選ぶかを決める「隠れた変数」でも有り得る。あるいは「霊魂」の方が、
ψ生 全体を「非局所的相互作用」で結び付ける状態と、ψ死 全体を「非局所的
相互作用」で結び付ける状態の2つに、分裂するのかもしれない。そうすれば、
エヴェレットの「多世界説」も成立し得る。
 「心」の中に「非局所的相互作用」の存在を認めるなら、物質粒子や光子の中
にそれを取り入れるのは、無謀であるように思われる。物質世界の「因果律」を
破壊してしまうであろうから。現在の大成功している量子力学の枠組みを壊さず、
理論の拡張という形で「非局所的相互作用」を取り入れる方法も、試みとしては
面白い。しかしその場合、「非局所的相互作用」を持つ「補助場」を導入するの
なら、結局のところ「霊魂」の導入と同じことになってしまうかもしれない。

                 ***

 いずれにしろ、「心」の持つ「非局所的相互作用」がどのようなものなのか、
数式で表現する必要がある。「心」は物理学の因果律を超越し得るのか?、また
それは「テレパシー」「予知」「透視」「念力」などの超常現象を起こし得るの
か?、さらに人間の死後も「心」は脳(身体)を離れて存続し得るのか?、等々、
「心」には興味深い未解決問題がたくさん残っている。