2003.09.18 馬場純雄
              (C) SumioBaba 2003

                  [SB002]
 「客観的面」(関係論的側面)と「主観的面」(実体論的側面)とを
              混同してはならない

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 次のような思考実験はどうでしょうか? ここでもまず、[SB001]に書
いた[A]と[B]を正しいと仮定して話を進めます。

[A] 脳内の物理的相互作用は、すべて光速の限界を伴う「局所的
相互作用」であり、空間的距離を飛び越えた「非局所的相互作用」
などは存在しない。

[B] 心(クオリア、コギト、内観、世界2、主観的体験)は脳の機能で
あり、脳以外の実体(ホムンクルス、霊魂)などは存在しない。

 一人の人間の脳Bが、特定の機能X(時刻t0からt1まで)を発揮してい
る時、そこに随伴する心をMとします。例えば映画を見ている時を考え
ましょう。映像を見、音声を聞き、ストーリーを楽しみ、ポップコーンを
味わう、・・・といった様々な機能を発揮しつつも、全体として「1つの心」
という統一感を感じる心Mが、その時の脳Bの機能Xに随伴しています。
 このBを、n個(n≧2)の部分B1-Bnに分割します。ただし、各Biにはそ
れをすっぽり包み込む形で装置Diが接続され、正常なB状態で機能X
を発揮していた時と全く同じ「初期状態」および「周囲からの局所的相
互作用」の2つが、人工的に与えられるとします(i=1,2,... ,n)。BiとDiと
を併せてSiと呼びます。異なるSiとSj(i≠j)の間では、「局所的相互作
用」を用いた情報伝達は一切行いません。にも拘わらずB1-Bnは、正
常なB状態で機能Xを発揮している時と全く同様に機能することになり
ます([A]と[B]の仮定より)。

(脳科学が究極まで進歩し、機能Xにおいて、個々のニューロンがイン
パルスを発火するタイミングがすべて解っていると考えましょう。もちろ
ん、時刻t0におけるB1-Bnの「初期状態」および、時刻t0からt1まで
B1-Bnが「周囲から受ける局所的相互作用」も、すべて解明されている
とします。そうすれば、装置D1-DnからB1-Bnに、どういうタイミングで
どういう「局所的相互作用」を与えれば良いかも前もって解っている訳
ですから、そのように装置D1-Dnをプログラムしてさえおけば、S1-Sn
相互間においてリアルタイムで情報交換する必要は、一切無くなる訳
です。)

 S1-Sn相互間に「局所的相互作用」は何も有りません。にも拘わら
ず、B1に随伴する心M1の状態がS1(=B1+D1)内部だけで決定できず、
S2-Snの存在や状態にまで依存してしまうと考えるなら、M1は「非局
所的相互作用」でS2-Snの影響を受けていることになってしまいます。
「非局所的相互作用」の存在を認めないのら、B1に随伴する心M1、B2
に随伴する心M2、・・・、Bnに随伴する心Mnというn個の部分的な心
M1-Mnの状態は、互いに自分以外のn-1個の存在や状態には何の
影響も受けず、独立している、と考えねばなりません。
 ところがそうすると、今再びB1-Bnを元通り接続して正常なB状態に戻
し、この状態で機能Xを再現したとしても、B1-Bnに随伴する心M1-Mn
は独立したままで、1つの心Mに融合できないという矛盾が生じてしまい
ます。なぜなら個々のB1-Bn(M1-Mn)は、現在自分が正常なB状態に
あるのかそれともB1-Bnに分割されているのかを識別できず、自分以
外のn-1個が本当に存在しているのかどうかさえ、知り得ないからです。
個々のB1-Bn(M1-Mn)は、再び接続された事実に気付けず、今でも分
割された状態にあると錯覚している、と表現すれば理解し易いでしょう。

 より厳密に言えばこうです。[A]と[B]の仮定により、M1-Mnはそれぞ
れB1-Bnの機能であり、B1-Bnの機能は、それぞれの「初期状態」お
よび「周囲からの局所的相互作用」の2つだけで決定します。正常なB
状態で機能Xを発揮している時と、B1-Bnに分割した状態で機能Xを再
現している時とを比べると、B1-Bnに与えられる「初期状態」および「周
囲からの局所的相互作用」の2つは全く同じですから、B1-Bnに随伴す
るM1-Mnの状態も、全く同じになります。B1-Bnに分割した状態で機
能Xを再現している時に、M1-Mnが互いに独立しているのなら、正常な
B状態で機能Xを発揮している時も、M1-Mnは独立していることになり
ます。
 もちろんB1-Bnは、個々のニューロン、個々の分子・原子・素粒子に
まで小さく分割することができ、個々のニューロン、個々の分子・原子
・素粒子に心など随伴していないでしょう。やはり、脳Bのマクロな領域
を「非局所的相互作用」で何かが結び付けないと、心は何も作り出せ
ない、との結論になります。

 結論としては、やはり[A]と[B]のどちらかが間違いだということです。
[A]が間違いというのは、脳を構成している物質粒子や光子の中に、現
代物理学では認められていない「非局所的相互作用」が存在している、
という意味です。[B]が間違いだというのは、文字通り、非物質的実体
「霊魂」こそが脳のマクロな領域を「非局所的相互作用」で結び付けて
いる、という意味です。

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 精神現象には2つの側面が有ります。第三者の立場から他人の言
動や脳機能を五感で観察し、心を持つかのように振る舞う機能の有
無を判断するのが「客観的面」。自分自身の心の中として捉えるクオ
リア、コギト、内観、世界2、主観的体験などと表現されるのが「主観的
面」です。どちらについて議論しているのかを混同しないことが大切で
す。
 まずは「客観的面」について考えましょう。脳Bを個々のニューロン
B1-Bnに分割した場合、個々のニューロンは、インパルスを発火する
か否かという単純な機能しか持ちません。これらを140億個ばらばら
に与えられたとしても、高度な情報処理機能など、どこにも見い出せ
ません。ところがこれらを、正常な脳Bという独特な構造に絡み合わ
せると、B全体の中に高度な情報処理機能が作り出されます。第三
者は、ばらばらのニューロンB1-Bn状態と正常な脳B状態の違いを
五感で認識できるので、ばらばらのニューロンB1-Bn状態ではどの
部分にも存在しなかった高度な機能が、正常な脳B状態ではB全体
の中に「創発」される、と見なします。一部だけを見ていても、それが
全体の中でどういう役割を持っているのかは定まらず、全体を見た時
に初めてその部分の機能が定まる、という「文脈依存性」と呼ばれる
性質も確かに有ります。それでいて、全体を何かが「非局所的相互
作用」で結び付けているという意味ではありません。「客観的面」はそ
れで良いのです。
 ところが「主観的面」の方は違います。ばらばらのニューロンB1-Bn
状態で心が随伴していないのなら、これらを正常な脳Bの状態に戻し
て、B1-Bnがどんなに親密に相互作用しても、それが「局所的相互作
用」である限り、「主観的面」としての心は作り出されていません。Bi
の機能やMiの状態が、Biの「初期状態」と「周囲からの局所的相互作
用」の2つだけでは決定せず、「非局所的相互作用」のため、他のBjの
機能やMjの状態(i≠j)にも不可避的な影響を受けて初めて、脳Bに統
合された心Mが作り出される、と考えざるを得ません。

(ここでは、「客観的面」と「主観的面」という表現で区別しておきます
が、「関係論的側面」と「実体論的側面」という言葉を用いる人もいる
ようです。殆ど同じ区別です。)

                   まとめ

 「客観的面」の機能は、脳Bの個々の部分B1-Bnには無い性質や
機能が、B全体の中に作り出されることも有るし(「創発」)、B1だけを
見ていても、それがB全体の中でどういう役割を持っているかが決定
せず、B全体を見た時に初めてB1の役割が判明することも有る(「環境
依存性」「文脈依存性」)。それでいて、脳B全体を何かが「非局所的
相互作用」で結び付けていることを意味しない。

 「主観的面」(クオリア)の方は、個々の部分B1-Bnに「心」(クオリア)
が何も随伴しないのなら、正常な脳Bの状態でB1-Bnがどれほど親
密に相互作用しようと、それが「局所的相互作用」である限り、B全体
に「心」が発生する(「創発」)ということは有り得ない。個々の部分B1-Bn
に何も無い「心」が、B全体に発生するというのなら、直ちに、脳B全体
を何かが「非局所的相互作用」で結び付けていることを意味する。

以上