2003.10.27 馬場純雄
              (C) SumioBaba 2003

                  [SB005]
           [A]と[B]の少なくとも一方は間違い

                  ******

 [SB001]で、次の2つのうち、少なくとも一方は間違いだ、と結論しま
した。

[A] 脳内の物理的相互作用は、すべて光速の限界を伴う「局所的
相互作用」であり、空間的距離を飛び越えた「非局所的相互作用」
などは存在しない。

[B] 心(クオリア、コギト、内観、世界2、主観的体験)は脳の機能で
あり、脳以外の実体(ホムンクルス、霊魂)などは存在しない。

この点について、もう一度4つの場合に分け、詳しく説明してみます。


              (1) [A]も[B]も正しい。

 仮に[A]と[B]の両方を正しいと仮定すると、次の[D]が導かれる、と
主張しました。

[D] 脳B内部の任意の一部であるB1の機能および、B1に随伴する
心M1の状態は、B1の「初期状態」および、B1が外部との境界面より
受ける「周囲からの局所的相互作用」の2つだけで決定し、残りの部
分B2(=B-B1)の物理状態には直接依存しない。

この[D]においてB1は、脳Bを構成している個々のニューロン、個々の
分子・原子・素粒子にまで小さく取ることができます。個々のニューロ
ン、個々の分子・原子・素粒子に「心」(クオリア)が随伴するとは思え
ません。つまり[D]は、[A]と[B]の両方が正しいとすると「心」(クオリア)
は存在し得ない、と主張しています。実際には、脳Bには立派に心M
が随伴していますから、この(1)は正しくない、と判断します。

 [D]の主張している事は、そんなに非常識な事ではありません。現代
物理学の常識である[A]を仮定すると、宇宙空間内の任意の物体(ま
たはその一部)をB1とする時、B1の機能(物理状態の時間発展)は、
B1の「初期状態」および、B1が受ける「周囲からの局所的相互作用」
の2つだけで決定します(取り敢えず、量子力学を考えない古典物理
学的決定論の立場で)。脳Bも例外ではありません。B1を脳B全体とし
ても良いし、B1を左脳または右脳としても良いし、B1を1個のニューロ
ン、1個の分子・原子・素粒子とした場合にも言えることです。物理法
則のこのような性質を「要素還元主義」(全体の機能を、個々の部分
の機能に分解して解析することができる)と呼べるでしょう。現代物理
学の大きな特長です。

 ところが、脳Bに随伴する心Mの方は、どうもこれが通用しないように
見えます。脳B全体に随伴する心Mの状態を解析する時に、個々のニ
ューロンB1-Bnに随伴する心M1-Mnの状態を解析してみても、個々の
B1-Bnには心など何も随伴していないように見えるばかりで、心Mの解
析には何の役にも立たないでしょう。逆の表現もできます。1個のニュ
ーロンB1の機能は、B1の「初期状態」および「周囲からの局所的相互
作用」の2つだけで決定するはずなのに、B1に随伴する心M1の状態は、
B1の機能だけでは決定できず、脳Bの残りの部分B2(=B-B1)の機能や
物理状態にも依存しているように見えるからです。
 この場合、第三者が「客観的面」として、B1単独には無い機能をB(=
B1+B2)全体の中に見出すだけなら、別に問題は有りません。1個の部
品に高度な機能は無くても、多数の部品を組み立てた機械全体に高
度な機能が構成されるということは、よくあることです。ところが、「主観
的面」すなわち「クオリア」としての心M1の状態が、B1の機能(すなわち、
B1の「初期状態」および「周囲からの局所的相互作用」の2つ)だけで
決定できず、B2の機能や物理状態にまで依存するというのだから、た
だ事では有りません。現代物理学の常識に反し、

   B1はB2から、「局所的相互作用」以外に、「非局所的相互作
   用」(俗に言う「テレパシー」?)も受けている(すなわち[A]が誤り)

と考えるか、あるいは、

   心Mの方は、脳Bのように「要素還元主義」の成立する物質と
   は全く異なる非物質的実体でできている(すなわち[B]が誤り)

と考えるか、どちらかが必要になってしまいます。


            (2) [A]が誤りで、[B]は正しい。

 [B]が正しいということは、脳以外に非物質的実体(ホムンクルス,霊魂)
が存在する訳ではなく、あくまで「心」(クオリア)は脳が産み出す、という
意味です。その上で[A]が誤り、すなわち脳を構成する物質粒子や光の
中に、実は「非局所的相互作用」が存在しているのだ、という仮説です。
もちろん、現代物理学の常識に真っ向から反発する主張です。
 ニュートンは重力を、空間的距離を飛び越えて作用する遠隔作用だと
考えていたようですが、アインシュタインの相対性理論により、重力もま
た、光速で空間を伝わり、距離ゼロまで接近して初めて作用できる「局
所的相互作用」だと考えねばならないことが判りました。電磁気力も同
様です。重力を伝える素粒子が「重力子」であり、電磁気力を伝える素
粒子が「光子」です。さらに量子力学によると、波動関数が空間内で十
分に局所化し、粒子と見なせる時には「重力子」「光子」、波動関数が空
間内で局所化せずに広がり、干渉など波の性質が無視できない場合に
は「重力波」「光波」とも呼ばれ、「粒子」であると同時に「波」でもある、と
解釈されます。
 量子力学の中には、「状態の重ね合わせ」、「観測による波動関数の
収縮」、「量子干渉」、「波動関数の絡み合い」、「EPRのパラドックス」、
「経路積分」、「ボース・アインシュタイン凝縮」、「対称性の自発的破れ」、
・・・ 等々、古典物理学には無かった奇妙な性質がいろいろ現れます。
私自身、それらの概念をどの程度正確に理解できているのか、自分で
も自信が持てません。ただ、これらを特徴付けている「非局所性」という
性質は、量子力学の中に確かに有るようですが、「非局所的相互作用」
とは別概念です。空間的距離を飛び越えて情報を送るという意味での
「非局所的相互作用」は、量子力学の「非局所性」の中にも無い、という
のが量子力学の常識的解釈のようですし、私もそう考えます。

 この(2)によると、脳Bの一部B1の機能(物理状態の時間発展)は、B1
の「初期状態」およびB1が受ける「周囲からの局所的相互作用」の2つ
だけでは決定せず、B1が受ける「周囲からの非局所的相互作用」にも
依存し、この3つで初めて決定することになります。それゆえ、[B]の「心・
脳同一説」(心は脳の機能に他ならない)により、B1に随伴する心M1の
状態もまた、これら3つに依存することになります。
 B1は、脳Bの残りの部分B2(=B-B1)からも当然「非局所的相互作用」
を受けると思われます。従って、B1に随伴する心M1の状態も、B1の機
能(B1の「初期状態」およびB1が受ける「周囲からの局所的相互作用」
の2つ)だけでは決定できず、残りの部分B2を併せたB全体の機能に依
存することになり、[D]を避けることができる訳です。


             (3) [A]は正しく、[B]が誤り。

 [A]が正しいということは、現代物理学が説明する通り、脳Bを構成す
る物質粒子や光の中には「非局所的相互作用」は存在せず、すべての
物理的相互作用は、光速以下で空間を伝わり、距離ゼロまで接近して
初めて作用し合う「局所的相互作用」だけである、ということです。その
代わりに、[B]が誤り、すなわち脳B以外に非物質的実体(ホムンクルス,
霊魂)が存在しており、これが「主観的面」としての「心」(クオリア)を作り
出している、という仮説です。
 なぜ「ホムンクルス」が必要となったのかを、もう一度考えてみましょう。
それは、脳Bをn個の部分B1-Bnが接合されていると解釈した時、個々
のB1-Bnはみな、「自分は自分のことしか知らない」という独我論状態に
あり、脳B全体の状態を認識できる主体がどこにも存在していないから
です([A]を正しいとする限り)。
 「喜んでいる時の脳状態」と「悲しんでいる時の脳状態」とを比較してみ
ます。個々のニューロンをB1-Bn(n=140億)とすると、1個のニューロンB1
は、自分が「喜んでいる時の脳状態」を構成しているのか、それとも「悲
しんでいる時の脳状態」を構成しているのか、あるいは、自分1個だけ取
り出されて人工的装置D1に接続されているのかを、決して知り得ません
(B2-Bnも同様)。ところが自分の心は、何らかの方法で自分の脳が「喜
んでいる時の脳状態」にあるのか、それとも「悲しんでいる時の脳状態」
にあるのかを知り、それに応じて、実際に喜んだり悲しんだりしています。
つまり自分の心は、どのニューロンの視点でもない第三者の客観的視
点から、140億個のニューロンの関係性を認識しているように見えます。
だから自分の心は、脳B以外の第三者の視点に立つ「ホムンクルス」で
なければならない、という訳です。

 では「ホムンクルス」の存在さえ認めてしまえば、「非局所的相互作用」
は不要になるでしょうか? ここで思い出すのが、「ホムンクルス」の無限
後退のパラドックスです。もし「ホムンクルス」が、我々の身体や脳と同じ
物質でできているとすると、「ホムンクルス」の脳状態を知るため、もっと
小さな「ホムンクルス2」が「ホムンクルス」の脳の中に存在せねばならな
くなります。さらに「ホムンクルス2」の脳には、もっと小さな「ホムンクルス
3」が、・・・ という無限後退です。
 実は、それを断ち切るのが「非局所的相互作用」なのです。「ホムンク
ルス」は、我々の知っている物質ではなく、「非局所的相互作用」を持つ
何かでできていると考えましょう。この「ホムンクルス」が脳B全体を「非
局所的相互作用」で結び付けた結果、「ホムンクルス」の各部分に、脳B
全体の持つ情報が入ってくると考えます。「ホムンクルス」をH、B1-Bnに
対応する部分をH1-Hnとするなら、

   H1にはB1の情報だけ、H2にはB2の情報だけ、・・・、HnにはBn
   の情報だけ、が入ってくる

ではなく、

   個々のH1-Hnのどれ1つを見ても、B1-Bn全体の情報および、
   H1-Hn全体の情報が入ってくる

という意味です。脳Bの場合は、「各部分B1-Bnが、自分は自分のことし
か知らない」でしたが、「ホムンクルス」Hの場合には、「各部分H1-Hnの
どれもが、ホムンクルスH全体のことを知っている」になります。そうすると、
もっと小さな「ホムンクルス2」を考える必要は無くなり、無限後退を避ける
ことができます。

 ライプニッツは、人間の心を「モナド(単子)」と呼んでいます。この言葉
は、「心」なるものが、様々な機能(クオリア)を持ちながらも、1個の素粒
子のように分割不可能である性質を表現したものです。「1個のモナドは、
一か? 多か?」と問うてみましょう。もし「モナド」が、電子のような1個の物
質素粒子であったとすると、「一」という統一性は持てますが、その中に
「多」としての様々な機能を詰め込むことはできません。逆に「モナド」が、
多数の物質素粒子を空間内に配置した状態であるとすると、「多」という
性質は持てますが、今度は個々の部分が「自分は自分のことしか知らな
い」ため、ばらばらに分裂してしまい、「一」という統一性の方が持てなくな
ります。「モナド」は「一でもあり、多でもある」、あるいは「一の中に多が有
る」という状態でなければなりません。これは、物質素粒子の集合体であ
る脳Bでは作り出せない性質だと思います([A]を正しいと仮定する限り)。
この奇妙な性質を、私は「モナドのパラドックス」と呼んでいます。
 このパラドックスをを超克するためには、個々の部分が何らかの意味
で、全体のことを知っている必要が有るように感じます。個々の部分の
中に、全体の情報が有る、・・・ 

   「心」は、一種の「フラクタル」構造を持つ

と言えるのかもしれません。


                (4) [A]も[B]も誤り

 [B]が誤りだというのですから、脳B以外に非物質的実体(ホムンクルス,
霊魂)が存在する、と考えます。しかも[A]の方も誤りだというのですから、
物質や光の中にも「非局所的相互作用」が含まれている、という考えです。
両方否定する必要は無いので、あまり気が進まない仮説ですが、一応可
能性だけは有ります。

以上