2004.12.18 馬場純雄
              (C) SumioBaba 2003

                  [SB018]
     意識科学において「科学的」であるとはどういう事か?

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 意識科学において「科学的」であるとはどういう事か?について、私見
を述べさせて頂きます。

 よく次のような主張をする人がいます。

   [心・脳同一説](心は脳の機能である)という立場を取るのが
   「科学的」な態度である。
   [霊魂説](心は霊魂の機能である)という立場は「非科学的」
   「宗教的」な態度であり、科学者は無視すべきだ。

私はこの主張に賛成できません。もし、「霊魂は実在しない」という科学
的証明がすでに存在するのであれば、それを受け入れず、[霊魂説]を
主張し続けることは、確かに「非科学的」「宗教的」でしょう。しかし、「霊
魂」の実在は、現在のところ、実証も反証もされていません。それゆえ
私は、次のように主張します。

   [心・脳同一説]にしろ、[霊魂説]にしろ、まだ科学はどちらも
   実証・反証できていないのだから、勝手な思い込みで[霊魂説]
   を拒絶するという先入観・偏見を捨て、両方の可能性を冷静に
   検討するのが、本当の意味での「科学的」な態度である。

 数学の未解決問題にチャレンジする場合、必ず2つの方法が有ります。
1つは「解を発見しようとする試み」であり、もう1つは「解が存在しないこ
とを証明しようとする試み」です。もちろんどちらの試みも、立派に数学と
して認められるのは当然です。
 ところが「脳・心問題」においては、事態が異常です。「心を脳機能で説
明しようとする試み」の方は、立派に科学的研究だとして認められるのに、
「心は脳機能で作り出せないことを証明しようとする試み」の方は、直ち
に「非科学的」と決め付けられ、論文の発表さえ認められません。いわば、
科学者の方が、「霊魂など絶対に存在しない!!」と説く宗教([唯物教][心・
脳同一教])を盲信してしまい、冷静な判断力を失っているのです。
 確かに、「オッカムの剃刀」(思考経済の法則)という考え方は尊重すべ
きです。できるだけ余分なものを導入せず、数少ない要素ですべてを説
明したい、という考えです。もし、「脳」だけで「心」の謎がすべて説明でき
るのなら、「霊魂」などという余計なものは導入しない方が賢明でしょう。
しかし、「クオリア」について考える時は、それが「脳」だけで説明できるの
か、それとも「霊魂」が実在するのか、可能性はちょうど半々くらいで考え
られるべきだと思います。なぜなら現在のところ、「クオリア」が「脳」だけ
で説明できるのかどうか、全く不明だからです。

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 それから、科学者の「タテマエ」と「ホンネ」の二重構造にも、呆れてしま
います。科学の「タテマエ」として、有名な言葉が有ります。

   実証なき主張、何物も容認せず。
   実証された主張、何物も拒絶せず。

これは、実証科学の大原則と言えるもので、これこそ「科学的」という言
葉の真の意味だと思います。逆に、実証なき主張をあっさり受け入れた
り、実証された主張を拒絶するような態度こそが、「非科学的」「宗教的」
だと言えます。
 にも拘わらず、科学者の「ホンネ」は正反対です。どんなに自説の間違
いを証明されても、それを認めない人がいかに多いことか!! さらに、こち
らの主張が正しいことをどんなに証明して見せても、受け入れない人は
絶対に受け入れません。将棋の対局に例えるなら、負けそうになると盤
をひっくり返して「自分は負けていない!!」と主張するような人です。こうい
う人とは、いくら議論してもムダです。負けた時には「負けました」と素直
に認めることが、将棋対局者に必要な最低限のモラルでしょう。科学論
争でも事情は同じです。

 この20年余り、私はあちこちの学会に入会・退会を繰り返して来ました。
そして、次の事実を悟りました。

   科学の「学会」とは、「宗教団体」の一種である。
   科学者こそ、最も「宗教的」な人間であり、自分の「信仰」に反す
   る事は、たとえそれが科学的実証を伴った真理であったとしても、
   絶対に受け入れない。

私は「宗教団体」には興味が無いので、現在どの「学会」にも所属していま
せん。
 しかし、科学者のやるべき事は、自分が良い研究をして発表すればそれ
で終わり、という訳ではありません。発表しただけでは、それが正しいのか
間違っているのか、まだ不明です。他人の研究に対して、それが正しいの
か誤りかを的確に判断し、良いものは良いとみんなで公認し合うことが必
要です。その時初めて、科学は一歩前進するのですから。
 日本の科学者は、未だに、海外で公認された研究を模倣することが中心
です。独創的な研究を発表する人は殆どいないし、独創的な研究に意見を
言える人も殆どいないように思われます。これからは、日本人も独創的な
研究をして発表すべきだし、自分の意見を言い合って、それが正しいのか
どうかを見極める力が必要です。外国の科学を輸入するだけでなく、自分
たちの力で、新しい科学を作り出すべきだと思います。
 その場合、たとえ相手が自分の大嫌いなライバルであったり、自分が解
けない問題を自分より若い人が解いてしまったような場合でも、良いものは
良いと素直に認めねばなりません。そのへんのモラルを身に付けるのも、
「科学的」と呼ばれるために絶対必要な条件だと思います。現在、日本人
の科学者に一番欠けている点ですが。

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 [心・脳同一説]に疑問を投げかけ、[霊魂説]の方が正しいのではないか?
と主張する論法を、すでに2つ示しました。もう一度要点をまとめておきます。

                  [論法1]
   現在の物理学を正しいと仮定すると・・・・
   脳Bの任意の一部B1の機能は、B1の「初期状態」およびB1が
   受ける「周囲からの局所的相互作用」の2つで決定するはずな
   のに、B1に随伴する心M1の状態は、この2つだけで決定せず、
   残りの部分B2(=B-B1)の機能にも依存している。
   B1はB2から、現在の物理学では認められていない「非局所的
   相互作用」で影響を受けている、と考えるか、あるいは、脳Bに
   随伴する「霊魂」の中でB1とB2の持つ情報が混ざり合っている、
   と考えるしかない。
                  [論法2]
   現在の「自分」の身体(脳を含む)を構成している原子1-Pが、
   新陳代謝で外部の原子1'-P'に入れ代わっていくのは、一向に
   構わない。ところが、現在の「自分」(原子1-P)のコピーである
   「自分'」(原子1'-P')を作ってもらっても、「自分」は「自分'」の身
   代わりに死んでも良いとは感じない。
   新陳代謝の場合には、身体の物質が原子1-Pから原子1'-P'に
   入れ代わっても、「自分」の「霊魂」は存続しているから主観的
   自己同一性の保存を感じ、一方、コピー人間「自分'」を作った
   場合には、「自分」の「霊魂」は「自分」(原子1-P)の方に存在し
   たままなので、「自分'」(原子1'-P')をあくまで他人だと感じるの
   ではないか?

 [論法1]の方では、念のため、「脳を構成している物質や光の中に、非局
所的相互作用が存在する」と「霊魂が実在する」の2つの可能性を示して
おきました。しかし、私の意見としては、「物質や光の中に非局所的相互
作用が存在する」という可能性は、限りなく小さいと思います。
 現代物理学は、大変厳密な理論と実験の上に成り立っており、「非局所
的相互作用」など存在しない、という定式で、大成功しています。理論値と
実験値が恐るべき精度で一致しているため、これが間違っているとは思
えません。さらに、ニューロンを流れるインパルス電流、学習によるシナプ
ス結合の強化、神経伝達物質と受容体、・・・ など、脳の物理的メカニズ
ムのどれを見ても、すべてが「局所的相互作用」だけで構成されている事
実が、一目瞭然という気がします。
 一方、「霊魂が実在する」の方は、科学者たちが勝手に間違いだと思い
こんでいるだけで、その証拠は殆ど無いように思います。心の状態が脳の
機能に大きく依存しているのは間違いありませんが、脳がすべてだという
証拠は、どこにも無いように思うのです。だとすると、[論法1]も[論法2]も、
同じく「霊魂が実在するのではないか?」と主張していることになります。

 「経験科学」に絶対は無いので、数学のように厳密な証明とは言えませ
ん。[心・脳同一説]よりも[霊魂説]の方が正しいのではないか?と考える根
拠を挙げているだけです。これらを、説得力の有る論証だと見なすか、説
得力を感じないから無視するかは、読んで下さった方の自由です。
 ただあくまで私は、「宗教的信仰」ではなく「科学的論証」として、これら
の根拠を挙げたつもりです。[霊魂説]=「非科学的」「宗教的」という先入観
を捨て、今一度[霊魂説]を主張する側の根拠について、真剣に検討して
頂きたいと切望する次第です。

以上