2004.01.02 馬場純雄
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                  [SB019]
            経験科学における立証責任

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 「経験科学」における「立証責任」の問題について考えてみます。

 まず、数学のように、すべての公理と変形規則が明記できる厳密な学
問では、ある命題を証明しようとする場合、証明する側がすべての「立証
責任」を負います。例えば、「すべての自然数nについて・・・が成立する」
という命題を証明したと主張する人が、実際には偶数nについてだけ証明
し、奇数nについては何も考えていなかったとしたら、その時点で、証明は
不完全、と判断されるでしょう。奇数nの中に反例が存在するかどうかに
は無関係に、です。
 ところが「経験科学」の場合、公理と変形規則が不明確な場合が多く、
ある命題の証明が、すべての場合を考えているのかどうか判断できない
のが一般的です。この場合には、裁判における「立証責任」と同様に、証
明する側にしろ反論する側にしろ、何かを主張する側がその「立証責任」
を負う、とするしか方法は無いように思います。
 まず、誰かが何かを証明したと主張する場合、その人が「立証責任」を
負います。証拠が出せなければ、その主張は通りません。ある程度説得
力の有る証拠が出せた時に、その主張は一応認められる、と考えます。
 一方、それに反論しようとする人は、反論を根拠付けるための「立証責
任」を負います。説得力の有る証拠が出せれば、その反論は認められま
すが、証拠が伴わない反論は通りません。
 証明に間違いが有る場合は、必ず誰かがそれを指摘し、周囲の人々も
その誤りを理解することになるでしょう。誰も間違いを指摘できない場合、
その証明はどうも正しいらしいと、誰もが認めるようになっていくでしょう。
K・ポパーが指摘するように、「経験科学」の仮説は、どこまでも信憑性を
高めて行くことはできても、絶対的に正しいと断言できる事は有り得ませ
ん。これが「経験科学」における真理の探求方法だと思います。

 私は、[心・脳同一説]よりも[霊魂説]の方が正しいのではないか?と主張
するため、その根拠として、[SB018]に書いた[論法1]と[論法2]を挙げまし
た。もちろん「経験科学」における論証ですから、これだけで「霊魂は実在
する!!」と即断する訳にはいきませんが、それなりに説得力を持つと思う証
拠を挙げているつもりです。
 ですから、反論して下さる方も、ただ単に「錯覚に決まっている」とか「霊
魂など存在するものか、バカバカしい」と拒絶するのではなく、きちんと証
拠を挙げた上で反論して下さることを希望致します。それこそが「科学論
争」のルールだと思いますし、「反論できないけれど、認めもしない」という
態度こそ、典型的な「宗教的信仰」だと思うからです。

以上