2004.01.12 馬場純雄
(C) SumioBaba
2004
[SB021]
心の空間的・時間的な非局所性について
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[心・脳同一説]に疑問を投げかけ、[霊魂説]の方が正しいのでは?と
主張する論法を、すでに2つ挙げました。[論法1]と[論法2]は、一見全く
異なる論法のように見えますが、実は、心の脳内非局所性を3次元空
間内で扱ったのが[論法1]、1次元の時間の方向で扱ったのが[論法2]
で、同じ問題を別の角度から論じたものです。
まず[論法1]について。
[A] 脳内の物理的メカニズムはすべて「局所的相互作用」によるもの
であり、「非局所的相互作用」は存在しない。
[B] 心は脳の機能であり(心・脳同一説)、非物質的実体「霊魂」など実
在しない。
この[A]と[B]を仮定すると、脳Bをn個の部分B1-Bnが接合されていると
解釈する時、それらに随伴する心M1-Mnは独立したままで、決して「1
つの心」Mに融合できない、と論じました。B1-Bnを個々のニューロン、
個々の分子・原子・素粒子にまで分解すると、心M1-Mnは無になってし
まうはずです。実際には、脳Bには立派に統合された「1つの心」Mが随
伴しているので、背理法により、[A]と[B]の少なくとも一方は間違いだ、
と結論しました。この場合、脳Bを、3次元空間内でB1-Bnに分けること
を考えています。
ところが、それを拡張し、脳Bの機能を4次元時空内における多数の
素粒子の世界線ネットワークBと見なし、このBを任意のB1-Bnに分解
した時にも同じことが言える、と説明しました。もちろんBを、時間の方
向にn個の部分B1-Bnに薄切りに分割する場合にも、同じことが言えま
す。実は、それが[論法2]の本質なのです。
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「自分」の脳の時刻t0からtnまでの機能をBとし、これを、B1(t0からt1
まで)、B2(t1からt2まで)、B3(t2からt3まで)、・・・、Bn(tn-1からtnまで)の
n個が時間の方向に接続されている、と解釈します(t0<t1<t2<・・・<tn)。
[A]と[B]を仮定すると、やはり、B1-Bnに随伴する心M1-Mnは、互いに
独立していることになります。
そこで例えば、「自分」のコピー人間をn-1人作ります。「自分'」「自分''」
「自分'''」・・・と呼びましょう。そして、M1-Mnをn人の人間で分担する事を
考えます。まず、「自分」の脳でB1(t0からt1まで)を作り出してM1を発生
させ、次に、「自分'」の脳でB2(t1からt2まで)を作り出してM2を発生させ、
さらに、「自分''」の脳でB3(t2からt3まで)を作り出してM3を発生させ、・・・
という状況を考えましょう。すると、
一人の人間「自分」がM1→M2→M3→・・・という連続した体験
をしている
のか、それとも、
「自分」はM1だけ、「自分'」はM2だけ、「自分''」はM3だけ、・・・
を体験している
のかを、M1-Mnのどれもが判断できなくなります。だとしたら、
一人の「自分」が時刻t0からtnまで生き続ける
ところを、
「自分」が時刻t0からt1まで、「自分'」が時刻t1からt2まで、「自
分''」が時刻t2からt3まで、・・・、n人の独立した自分が少しずつ
分担して生きる
で置き換えても、心M1-Mnの状態は全く同じなのだから、どちらでも良
いはずではないか? という反論が考えられます。
ところが我々人間の素直な本心として、どうしてもそうは感じない事実
が有ります。1分後に「自分」と「自分'」のどちらかが殴られる場合を考
えましょう。もし「自分」が殴られれば「自分」は痛みを感じます。もし「自
分'」が殴られれば「自分」は痛みを感じません。第三者の立場から見れ
ば、どちらが殴られても同じことかもしれませんが、「自分」にとっては、
痛みを感じるか感じないかという、大きな違いが生じるように思います。
この事実こそ、時刻t0の「自分」の視点から見ると、時刻t1の「自分」は
同一人物なのに、時刻t1の「自分'」の方はただの他人だと感じている証
拠です。この問題、どう考えるべきでしょうか。
実はこの反論、[A][B]を仮定したため、Bを時間方向のB1-Bnに薄切
りした場合にもM1-Mnは独立している、と考えたのでした。そうすると、
確かに「自分」と「自分'」の区別は無意味ということになりますが、我々
は本心として、そうは感じていません。だからこそ、[A]と[B]の少なくとも
一方は間違いだ、という事実を示唆しているのです。つまり、Bを時間方
向のB1-Bnに薄切りにした場合にも、何かがB全体を「非局所的相互作
用」で結び付けているため、Bに随伴する心Mは、B1-Bnに随伴する独
立したM1-Mnの総和ではないということです。
M : 「丸」と「四角」を同時に知覚している心
M1 : 「丸」だけを知覚している心
M2 : 「四角」だけを知覚している心
とする時、Mは、M1とM2の独立した和とは異なります。同様に、
M : 時刻t0に「丸」を知覚し、時刻t1に「四角」を知覚する心
M1 : 時刻t0に「丸」だけを知覚する心
M2 : 時刻t1に「四角」だけを知覚する心
とした場合にも、Mは、M1とM2の独立した和とは異なるのです。ただし、
どちらの場合も、知覚している「丸」や「四角」が異なるのではありませ
ん。2つの知覚が「1つの心」という統一性で結び付けられているかどう
か、の違いです。
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B・リベットの実験を思い出しましょう。手に針を刺すと、0.01秒くらいで
その情報は脳に到達しますが、脳が痛みを感じている状態に達するに
は、さらに0.5秒近くもかかるそうです。針を刺してから0.3秒くらいたった
時点で脳に直接刺激を与え、痛みを感じる状態に達するのを妨害する
と、手の痛みを感じなくなるからです。それなのに私たちは、手に針を刺
してから0.5秒後に痛みを感じるのではなく、殆ど針を刺したのと同時に
痛みを感じている、という奇妙な事実が有ります。まるで心は、手に針を
刺した時点において、0.5秒後に脳が痛みを感じる状態に到達するのか、
それとも0.3秒後に妨害されて到達できないのかを、すでに予知して知っ
ており、妨害が入らない場合にだけ、針を刺した時点から痛みを感じ始
めるように見えます。
この奇妙な現象については、[霊魂説]を取らない説明もいくつか有る
ようです。例えば、自分の手に針を刺されているのを見る場合にも、目
から入った光の情報が脳に入ってから心が見るまでに、同じく0.5秒かか
るのでは?、と考えることもできます。
しかし、「非局所的相互作用」を持つ「霊魂」を考えるなら、この現象は
当然と思われます。針を刺した時点での脳状態の中には、その0.5秒後
に痛みを感じる状態に到達するのかどうかという情報は、存在しません。
ところが「霊魂」の方は、4次元時空内で脳の一部、すなわち、
「直径10cmの球」X「時間の厚み0.5秒」
くらいの4次元超体積V4内部を「非局所的相互作用」で結び付けている
ため、このV4内部のあらゆる点が、V4全体の情報を持っている、と考
えます。すると、針を刺した時点での「霊魂」の中には、0.5秒後に脳が
痛みを感じる状態に到達しているのかどうかの情報が、すでに入ってい
ることになります。だから、0.5秒後に脳が痛みを感じる状態に到達する
場合にだけ、「霊魂」は、針を刺した時点から痛みを感じ始める、という
訳です。というより、約0.5秒の時間的厚みを持った脳機能V4全体に非
局所的に、「手の痛み」というクオリアが随伴するのでしょう。
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脳が何かの機能を発揮するためには、必ずいくらか時間の厚みが必
要です。脳の機能単位と言われる1個のコラムは、数千個から1万個く
らいのニューロンで構成され、それが特定の機能を発揮するためには、
0.1秒から1秒くらいの時間がかかるようです。つまり、最小でも、数千個
のニューロンを、0.1秒くらいの時間的厚みで、何かが「非局所的相互
作用」により結び付けている、と考えることができます。
現在の自分の心Mに関与しているn個のコラムをB1-Bnとし、それらに
随伴する心をM1-Mnとすると、これらもまた「非局所的相互作用」により、
もっとマクロな心Mに結び付けられ(bindingされ)ねばなりません。自分の
心Mは、M1-Mnのどれか1つではなく、どれでもある、という視点だから
です。結び付け方には、何段階もの階層性が有るように感じます。
時間の方向も同様に考えられます。自分の好きな音楽を聴いている
時の心Mを、0.1秒ずつの短い時間内の心M1-Mnに分解すると、個々の
M1-Mnは、ドレミファソラシドのどれか1つを聞いているだけです。独立
したM1-Mnのままだと、これが何の曲かさえ認識できなくなるので、や
はり「非局所的相互作用」でこれらを結び付け、Mに融合することが必
要です。この曲のサビの部分が特に好きで、サビの部分は5秒続くとし
ましょう。サビの部分に聞き惚れている時のクオリアは、約5秒間の脳
機能全体に非局所的に随伴するのであって、0.1秒間の独立したクオリ
ア50個の総和には、還元できないと思います。
「自分の心」は、一瞬一瞬で決定していると感じる部分も有りますが、
現在の「自分の心」(t0)は、一瞬後の「自分の心」(t1)と不可分に結びつ
いている部分が必ず存在し、それゆえ、いくら時間が経過しても、「自分
の心」という同一性を保持するように実感するのではないでしょうか。あ
るいは、様々な時間間隔で融合した部分も有るのかもしれません。1秒、
1分、1時間、1日、・・・ 一生全体を融合している部分も有り、それゆえ
自分は、何十年たっても自分を同一人物だと実感する、と考えることも
できます。
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さらに、「クオリアは脳で作れない」という私の主張がもし正しいなら、
「クオリアとは何だろう?」と考察する機能も、脳の中には無いと思います。
クオリアを作り出す機能は無いのに、クオリアについて考える機能だけ
は脳の中に有る、というのも変だからです。だとすると、人間が何かを考
える時、すべてが脳機能、というのではなく、「霊魂」と脳の共同作業だっ
たり、「霊魂」単独の機能だったり、という可能性も有ります。
[心・脳同一説]の立場に立つと、現在の自分が過去を思い出したり、
未来を予想したりする心の機能も、すべては現在の自分の脳機能だと
いうことになるでしょう。しかし、もし「非局所的相互作用」を持つ「霊魂」
が実在するとしたら、記憶の想起や未来の予想も、全く異なるメカニズム
によるのかもしれません。短期記憶が長期記憶に変わる際、脳の海馬
が重要な働きをしていることが知られていますが、長期記憶の方は、脳
の中ではなく「霊魂」の中に貯蔵される、とは考えられないでしょうか。
もちろんこれらは、あくまで推測の域を超えませんので、その解明はこ
れからの課題です。
以上