2004.01.27 馬場純雄
              (C) SumioBaba 2004

                  [SB023]
             第三の腕のパラドックス

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 ホームページ「心は脳で作れない?」
http://homepage3.nifty.com/BABASUMIO/
の第三章に書いている「第三の腕のパラドックス」について、説明します。
人間の脳は、身体の感覚を感じる主体ではなく、身体の受けた物理的
刺激に関する情報を心に伝達するための「通路」でしかない、という事実
を示唆します。

 人間の脳は、左右2つの脳半球から成り、右腕の感覚領域は左脳の
中に、左腕の感覚領域は右脳の中にと、交叉して存在するそうです。自
分の右腕、左腕、左脳、右脳に、次のように記号を付けます。 

    RH : 右腕(Right Hand)
    LH : 左腕(Left Hand)
    BRH : 右腕の感覚領域(Brain of Right Hand = 左脳)
    BLH : 左腕の感覚領域(Brain of Left Hand = 右脳)

対応関係の方を重視しているので、左脳がBRH、右脳がBLHと逆表現に
なっている点に注意して下さい。
 さてここで、第三の脳半球と、それに神経でつながる第三の腕を用意し
たとします。これにも記号を付けましょう。

    MH : 第三の腕(Middle Hand)
    BMH : 第三の腕の感覚領域
                (Brain of Middle Hand = 第三の脳半球)

そしてこのBMHを、人工脳梁を用いてBRH+BLHに接続し、3つの脳半球
を対等な関係にしたとします。MHに針を刺すと、BMHが痛みを感じてい
る時の興奮状態になります。果たしてこの時、「自分の心」は、MHの痛み
を感じるでしょうか? また、もし感じるとしたら、どこでそれを感じるのでし
ょう? BMHの中でしょうか? BRH+BLHのどこかでしょうか? それとも自分
の「霊魂」でしょうか?

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 まず、「霊魂」の存在を否定する[心・脳同一説](心は脳の機能に他なら
ない)の立場に立つと、当然次のように考えねばなりません。

             [心・脳同一説]による説明
    「自分の心」は、RHの痛みを、その感覚領域を持つBRHで感
    じ、LHの痛みを、その感覚領域を持つBLHで感じる。同様に
    「自分の心」は、MHの痛みを、その感覚領域を持つBMHで感
    じる。

3つの脳半球は物理的には対等な関係ですから、[心・脳同一説]を支持
する限り、BMHだけを仲間外れにすることはできず、BMHも「自分の脳の
一部」になる、と考えるしか有りません。そうでないと、BRH+BLHとBMHと
の間に、何か「非物質的」な違いが有ると、認めたことになってしまうから
です。

 ところがこの全く同じ状態に対し、もう1つの解釈が成立します。「自分
の心」の存在領域はあくまでBRH+BLHの2つだけであり、BMHを「そこに
接続された、ただの異物」と見なしてみましょう。するとBMHは、MHの受
けた刺激に関する情報を、BRH+BLHに伝えてくれるための、ただの「通
路」に過ぎません。つまりBRH+BLHは、人工脳梁から伝えられる情報だ
けで、そこに何が接続され、どういう状態にあるのかを推測することしか
できません。つまり、伝えられた情報を、BRH+BLHの中でMHの痛みに変
換して初めて、BRH+BLHに随伴する「自分の心」はMHの痛みを感じる、
とせねばならなくなります。ところがBRH+BLHの中には、MHの感覚領域
など存在しません。ゆえに「自分の心」は、MHの痛みを感じ得ない、と結
論することになります。

 (こう考えると解り易いと思います。BRH,BLH,BMHを対等な関係に接続
した状態を「接続状態」と呼びましょう。人工脳梁を切断して、BRH+BLH
とBMHとを再び分離したとします。ただし、人工脳梁の切り口からBRH+
BLHに、今でもBMHがMHの痛みを訴えているかのようなニセ情報を、人
工的に流し込んでやるとします。BMHの方にも、今でもBRH+BLHが接続
されているかのようなニセ情報を、人工脳梁の切り口から流し込みます。
本当は、BRH+BLHとBMHとの間に、もはや相互作用は何も有りません。
しかし、BRH+BLHにもBMHにも、未だに3つの脳半球が接続されているか
のように錯覚させています。これを、BRH+BLHとBMHの「擬接続状態」と
呼んでおきます。
 この「擬接続状態」でBRH+BLHに随伴する「自分の心」は、MHの痛みを
感じるはずが有りません。BRH+BLHは、そのような機能を持たないから
です。だとしたら、今再び「接続状態」に戻しても、すなわち、人工脳梁で
BRH+BLHにBMHを接続し、BMHがMHの痛みを訴える情報をBRH+BLH
に本当に送って来ても、やはりBRH+BLHに随伴する「自分の心」は、MH
の痛みを感じるはずが有りません。なぜならBRH+BLHに随伴する「自分
の心」は、人工脳梁から送られて来る情報が、BMHからのものなのか、
それともニセ情報なのかを識別できず、今再びBMHが接続された事実に
気付けないからです。)

 物質的には、3つの脳半球BRH,BLH,BMHが対等な関係に接続された、
BRH+BLH+BMHという全く同じ状態です。それなのに、「自分の心」がMH
の痛みを感じるかどうかで、はっきり異なる2つの状態が存在します。い
かにもこの差は、非物質的実体「霊魂」の状態差であるように見えます。
すなわち、次のような説明です。

               [霊魂説]による説明
    もし自分の「霊魂」が、3つの脳半球(BRH+BLH+BMH)全体に
    広がって相互作用できるなら、「自分の心」は、RHの痛みを
    BRHで、LHの痛みをBLHで感じるのと同様、MHの痛みをBMH
    で感じる。この時BMHは、「自分の脳の一部」になる。
    もし自分の「霊魂」が、2つの脳半球(BRH+BLH)だけに広がり、
    BMHとは相互作用できなかったなら、たとえ3つの脳半球が物
    質的に対等に接続されていても、「自分の心」は、RHの痛み
    をBRHで、LHの痛みをBLHで感じるだけであり、MHの痛みを
    感じ得ない。この時BMHは、「自分の脳(BRH+BLH)に接続さ
    れた、ただの異物」に留まる。

 以上の論法を[第三の腕のパラドックス]と名付けます。[心・脳同一説]
の立場に立つと、2つの解釈の違いを説明する方法が見付からない、と
いう意味でパラドックスです。[霊魂説]の立場に立つと、その違いは「霊
魂」の状態差であるとして、きれいに説明可能です。

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    具体的にBMHを、BRH+BLHのどこにどう接続しろというの
    か?(接続する場所など有るものか!!)

という反論は、あまり重要ではありません。要するに、

    脳(および身体)を「2」から「3」へと拡張した時に、心も「2」か
    ら「3」へ拡張される、と断言して良いだろうか?

という抽象論で十分だからです。
 [心・脳同一説]の立場なら、脳(および身体)が「2」から「3」へ拡張され
ると、必然的に心の方も「2」から「3」へと拡張されることになるでしょう。
一方、[霊魂説]の場合には、たとえ脳(および身体)が「2」から「3」へと拡
張されても、「霊魂」が「2」のままであれば心も「2」のままです。心が「3」
に拡張されるためには、「霊魂」が「3」に拡張されねばなりません。その
点を問題にしているのが、この論法なのです。
 どうしても、
    BRH+BLH → BRH+BLH+BMH
の拡張が想像しにくいと感じるなら、
    BRH → BRH+BLH
の拡張を考えましょう。すなわち「1」から「2」への拡張ですが、これは、
すでに[論法1]で説明した、脳BをB1-Bnに分割する思考実験の、n=2の
場合と同じになります。

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 もっと重要な反論が有ります。

    もし「霊魂」がBRH+BLHだけと相互作用し、BMHと相互作用
    できなかったら、RH,LH2本の腕の感覚しか持てないと言うが、
    本当にBRH+BLH+BMHが対等な関係に接続されているのな
    ら、MHに針を刺した時にも「痛い」と言うはずである。RH,LH
    に針を刺した時には「痛い」と言うのに、MHに針を刺した時
    にだけ言わないとすると、BRH,BLH,BMHが対等な関係に接
    続されていないことになるのでは?

[霊魂説]にも大きく分けて、[相互作用説]と[並行説]の2つが有ります。ど
ちらの立場を取るかという問題です。

 まず[相互作用説]は、身体(脳を含む)と「霊魂」とが物理的相互作用を
行うと考えます。つまり、人間がどう行動するかは、身体と「霊魂」の両方
を含めた相互作用によって決定され、身体だけの物理的メカニズムでは
決定できません。そうすると、RHやLHに針を刺した時には「痛い」と言う
のに対し、MHに針を刺した時には「痛くない」と言えるかもしれません。
3つの脳半球は物質的には対等ですが、「霊魂」の方は3つの脳半球に
対等に宿っている訳ではないので、MHの時にだけ行動に差が生じても、
矛盾ではありません。

 一方、[並行説]の場合にはこうは行きません。この説は、身体と「霊魂」
との間に、物理的相互作用は無い、と考えます。身体は身体だけで、厳
密な物理法則に従って行動すると考えます。「霊魂」はただ、身体の物理
状態に対応した心理状態を体験するだけです。
 従って、3つの脳半球が物質的に対等な関係にあるのなら、行動もまた
3本の腕に関して対等でなければなりません。すなわち、RHやLHに針を
刺した時に「痛い」と言うのであれば、MHに針を刺した時にも「痛い」と言
うことになります。たとえ「霊魂」が、BRH+BLHだけと相互作用し、BMHと
は相互作用していない場合においても、です。つまり、RHやLHが「痛い」
と言う時には、そのような言動としての「客観的面」に、「主観的面」として
実際に痛みを感じるクオリアが随伴しているのに対し、MHが「痛い」と言
う時には、そのような言動としての「客観的面」だけであり、「主観的面」す
なわち痛みというクオリアは何も随伴していない、という意味です。
 しかし、これは奇妙です。本当はMHの痛みを感じていない事実を、自分
は意識できるのでしょうか? もし意識できるとすると、「痛くない」と言葉で
表現しようとしても、身体が勝手に「痛い」と言ってしまうという、心身ばら
ばらの状態になってしまいます。RHやLHが「痛い」と言う時には、そんなこ
とは有りませんから、3本の腕に関する対称性を保つためには、それを意
識できない、と考えねばなりません。しかし、それを意識できず、MHの痛
みも感じるように錯覚してしまうとすると、RHやLHの痛みも同様な錯覚だ
と考えられ、「主観的面」すなわちクオリアのすべては錯覚だ、という主張
が通ってしまうでしょう。
 そもそも[並行説]は、物質以外に「霊魂」という非物質的実体の存在を
主張していながら、それを決して物理的に実証できない事をも、同時に
主張しています。おまけに、我々人間が明らかに「霊魂」の実在を感じ、
「霊魂」が実在するかのように行動したとしても、それらすべてが、「霊魂」
を無視した身体の物理的メカニズムだけで説明できる、と主張します。そ
れゆえ[並行説]は、哲学では成立し得ても、経験科学においては無意味
な仮説と見なすべきかもしれません。

以上