2004.02.05 馬場純雄
              (C) SumioBaba 2004

                  [SB025]
           [馬場の仮説]と[新・馬場の仮説]

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 [SB007]で、多数の心M1-Mnが「1つの心」Mに融合されるための原理と
して、[馬場の仮説]なるものを挙げました。

                 [馬場の仮説]
心M1と心M2(M1≠M2)の間で、「M1→M2」(M1が存在する時は、必ずM2
も存在する)、かつ、「M2→M1」(M2が存在する時は、必ずM1も存在する)
という関係が「自然法則(=物理法則+心理法則)的必然性」で成立している
時、M1とM2は融合して「1つの心」Mとなる。

そして、「M0→M1」,「M0→M2」,「M0→M3」,・・・は成立していながら、その逆
「M1→M0」,「M2→M0」,「M3→M0」,・・・は成立していない、ということが有り
得るだろうか?、もし有れば、M0とM1,M2,M3,・・・の関係は、ちょうど「神」と
「人間」の関係に等しいのでは?、と書きました。
 「M0→M1」とその逆である「M1→M0」の両方が成立している時、M0とM1
とは「融合状態」にある、と表現します。一方、「M0→M1」は成立していなが
ら、その逆「M1→M0」は成立していない場合、M0とM1を「半融合状態」と呼
んでおきます。あくまで仮説に過ぎませんが、一人の人間の心Mを説明す
る場合にも、この「半融合状態」を考えることが非常に有効だと思います。

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    M : 「丸」と「四角」を同時に知覚している心
    M1 : 「丸」だけを知覚している心
    M2 : 「四角」だけを知覚している心

とする時、Mは、M1とM2の独立した和ではありません。では何が違うので
しょう? 常識的に考えて、MはM1とM2とを部分として含むように思えます。
Mの中の「丸」を知覚している部分をM1'、「四角」を知覚している部分をM2'
としましょう。[馬場の仮説]を正しいと考えると、M1'とM2'とは「非局所的相
互作用」によって不可避的な影響を及ぼし合った結果、「M1'→M2'」と「M2'
→M1'」の両方が成立していることになります。一方「M1→M2」と「M2→M1」
は、どちらも成立していないからこそ、M1とM2は独立しているのです。つま
り、
    M1'≠M1, M2'≠M2

だと考えねばなりません。しかし、知覚している「丸」や「四角」は全く同じも
のなので、できれば、

    M1'=M1, M2'=M2

と考えたいところです。

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 そこで、M1'=M1, M2'=M2 は素直に受け入れることにし、M1とM2を結び
付けてMにするため、もう1つの心M0なるものを考えます。

    M0 : 「丸」も「四角」も直接知覚してはいないが、「丸」と「四角」
       の2つを知覚していると認識している心

ただし、M0,M1,M2が独立しているのでは、やはりMを説明できません。M0,
M1,M2のどの視点に立っても、Mとは異なるからです。それゆえ、ここでも
M0,M1,M2が「非局所的相互作用」で結び付けられた結果、「M0→M1」,「M0
→M2」だけは成立し、その逆は成立していない、と考えてみましょう。そして、
MをM0の視点だと見なします。

    MはM0の視点、ただし、M1←M0→M2

Mの視点に立つということは、M0の視点に立つことです。ところが、「M0→
M1」,「M0→M2」が成立しているので、M0は同時にM1でもあり、M2でもあり
ます。すなわちMは、M0であり、M1でもあり、M2でもあります。一方、逆の
「M1→M0」,「M2→M0」は成立していません。つまり、M1はM1であって、M0
やM2の存在や状態を知らないし、M2はM2であって、M0やM1の存在や状
態を知りません。
 こう考えると、M1とM2は独立していながら、それでいてM0が両者を結び
付け、

    Mは、M0であり、M1でもあり、M2でもある

という状態がうまく説明できるように思います。様々な部分を持ち、複雑な
構造を形成していながら、それでいて全体で「1つの心」Mという統一性が作
り出せることになります。

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 もし、「M0→M1」,「M0→M2」だけでなく、逆の「M1→M0」,「M2→M0」までが
成立しているとすると、M1→M0→M2、すなわち「M1→M2」だし、M2→M0→
M1、すなわち「M2→M1」です。M1とM2とは独立しているという前提に反して
しまうため、やはり、

   「M1'→M2'」,「M2'→M1'」   M1'≠M1,M2'≠M2

で置き換えねばならなくなります。しかも、結局M0,M1,M2のすべてが互いに
必要十分の関係となってしまい、階層構造が無意味になってしまいます。矢
印を一方向にだけ成立するとした場合にのみ、M1とM2とが独立したまま複
雑な階層構造が構成でき、これが心Mの階層構造と統一性を産み出してい
る、とは考えられないでしょうか。以上を、[新・馬場の仮説]と名付けておきま
す。

                 [新・馬場の仮説]
「M0→M1」,「M0→M2」,「M0→M3」,・・・、さらに「M1→M11」,「M1→M12」,「M1
→M13」,・・・、「M2→M21」,「M2→M22」,「M2→M23」,・・・、「M3→M31」,「M3
→M32」,「M3→M33」,・・・ 等、一方向の矢印によって複雑な階層構造が形
成される時、矢印で直接結びついていない2つの心は互いに独立していなが
ら、M0の視点に立つと、それらすべてを融合した「1つの心」Mとなる。

 この場合で言うと、「M0→M1」,「M0→M2」は成立していますが、その逆で
ある「M1→M0」,「M2→M0」は成立していません。また、M12とM23との間に
は、「M12→M23」も「M23→M12」も成立していませんから、M12とM23とは直
接何の結びつきも無く、独立しています。それでいて、M0の視点に立つと、
M1でもM2でもあるし、さらにそれらはM12でもM23でもあるのです。
 Mをn個の心M1-Mnが「非局所的相互作用」で結びついたものであるとし
て説明する時、

    あらゆるMi (i=1,2,3,・・・,n)とあらゆるMj (j=1,2,3,・・・,n)の間に
    「Mi→Mj」かつ「Mj→Mi」が成立せねばならない

という条件は、あまりにも厳しすぎると思います。しかも、M1-Mnのどの2つ
も互いに必要十分の関係で結びついていることになり、階層性は無くなって
しまい、すべてが並列していることになってしまいます。M12とM23とは、「M0
→M1」,「M0→M2」のところですでに枝分かれしているのですから、「M12→
M23」も「M23→M12」も成立していないと考える方が自然だと思います。
 両方向の矢印が存在してはいけない、という意味ではありません。例えば
「M12→M13」かつ「M13→M12」が成立している時、M12+M13全体を「1つの
心」M12と見なせます。そうすれば、階層構造を表現する時に必要なのは、
一方向の矢印だけ、ということになります。

以上