2004.03.05 馬場純雄
              (C) SumioBaba 2004

                  [SB027]
        コピー人間の思考実験における注意点2つ

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 コピー人間の思考実験を行う場合に、注意すべき点を2つ挙げておき
ます。

                  第一点

 まず、「自分」のコピー人間「自分'」を作った場合を想像し、「自分」と
「自分'」とを同一人物だと見なすべきかどうか?、どちらが本来の「自分」
なのか?、・・・等を考察する時、オリジナルの「自分」の視点に立って考
えるのは有意味ですが、コピーの「自分'」の視点に立って考えるのは無
意味になる場合が多いので、注意が必要です。なぜなら、「自分'」の方
に、「自分の心」と全く同じ機能・構造を持つ「自分'の心」が本当に発生
するかどうか、不明だからです。

    脳も完全にコピーしたと想定するのだから、「自分の心」と
    全く同じ機能・構造を持った「自分'の心」が、「自分'」の脳
    に発生するはずだ。

と決め付けると、その時点で[心・脳同一説]を仮定してしまったことにな
ります。この仮定の上で「[心・脳同一説]が正しく、[霊魂説]は間違いだ」
と主張しても、それは、「[心・脳同一説]を仮定すると[心・脳同一説]は正
しい」と主張するだけのトートロジーとなり、無意味です。

 逆に[霊魂説]を仮定すると、

    たとえ脳まで完全にコピーしても、記憶は「霊魂」が持つの
    だから、「自分'の心」は「自分の心」と同じ記憶を持たない。

といったことも考えられます。しかし、この仮定の上で「[霊魂説]が正しく、
[心・脳同一説]は間違いだ」と主張しても、同じく、「[霊魂説]を仮定する
と[霊魂説]は正しい」と主張するだけのトートロジーとなってしまい、無意
味です。

 実際にどうなるのかは、コピー人間を作ってみないと判りません。


                  第二点

 次に、私の論法に反論する人がよく用いる手法なのですが、どちらが
「自分の心」でどちらが「自分'の心」なのかを判断できない状況を示し、

    だから、「自分の心」と「自分'の心」の区別は無意味なのだ。

と主張しても、私の論法の誤りを指摘したことにはならない、という点で
す。どちらが「自分の心」でどちらが「自分'の心」なのかを判断できない
状況は、私自身いくらでも示せます。そうではなく、私の主張はこうです。

    どちらが「自分の心」でどちらが「自分'の心」であるかを
    はっきり区別でき、両者の区別は重要だと実感できる状
    況が1つでも存在すれば、「自分の心」と「自分'の心」の
    区別は有意味である。

[質問A][質問B]の考察から、そういう状況が少なくとも1つは存在する
ことを、すでに示したつもりです。

 何かを判断するためには、適切な情報と心の判断機能が必要であり、
どちらか一方でも欠けていると、判断は下せません。だからといって、
区別そのものが無意味、という訳ではないのです。
 例えば、2つの箱のどちらかに「本物のモナリザ」が、他方に「偽物の
モナリザ」が入っていても、どちらが本物なのかという情報が無ければ、
私はどちらが本物なのかを判断できません。たとえ知っていても、私が
眠っている時に質問されたら、やはり判断ができません。だからといっ
て、「本物のモナリザ」と「偽物のモナリザ」との区別は、無意味どころか、
極めて重要です。

                  具体例(1)
 「自分」のコピー人間「自分'」は、記憶まで完全にコピーされる、と考え
てみましょう。すると、コピーを作った直後の「自分」も「自分'」も、自分が
オリジナルなのかコピーなのかを、自力で判断できないことになります。
 これこそ、自分がどちらなのかを判断するための情報が不足しているか
らであって、「自分」と「自分'」の区別が気意味という訳ではありません。
必要な情報が与えられれば、「自分」も「自分'」も、自分がどちらなのか
を知り得ます。
 さらに、次の質問を思い出しましょう。

   これから「キミ」をA室に入れ、そのコピー人間「キミ'」を作って
   B室に入れた後、どちらか一方を殺す。どちらを生かし続けて
   欲しいか?

A室に入れられる「自分A」とB室に入れられる「自分B」が「対称レベル」
であり、この質問を受けている「自分M」が「メタレベル」です。「自分A」や
「自分B」は、自分がオリジナルかコピーかを判断できなくても、「メタレベ
ル」の「自分M」の視点に立てば、必要な情報が与えられているので、

   「自分A」の方を生かし続けて欲しい

と答えることができます。

                  具体例(2)
 [SB020]の最後に書いた問題を思い出しましょう。タイムマシンを用いて、
自他の概念を崩壊させる反論です。
 私は今、控室におり、これを「自分M」とします。A室とB室に、私そっくり
な人間が一人ずつ入れられており、それらを「自分A」、「自分B」とします。
3人の自分がいる訳ですが、「自分A」と「自分B」のどちらか一方は、「自
分M」のコピーであり、もう一方は、明日の「自分M」がタイムマシンで強制
的に今日に連れ戻された状態だ、と教えられました。そして、どちらか一
方を殺さねばならないが、どちらを殺すかを「自分M」が選ばねばならない、
としましょう。「自分M」には、「自分A」と「自分B」のどちらが「自分M」の将
来であるのか、どちらがただのコピーなのかを、判断することができませ
ん。だったら、その区別も無意味なのでしょうか。
 そんな事は有りません。情報不足のため、どちらがどちらなのかを「自分
M」は判断できませんが、その区別は極めて重要です。
 似たような状況は、他にも有り得ます。例えば、私は足がしびれていて、
左足を伸ばしているのか曲げているのかも、判らなくなっているとします。
私の目の前に、二本の丸太が転がっています。どちらか一方は、ただの丸
太、もう一方が私の左足です。私の身体につながっているのはどちらかを、
じっくり見てみれば、あるいは、それらを叩いてみれば、左足はどちらなの
かが判ります。しかし、それをしなければ、瞬間的にどちらが自分の左足な
のか判らない状況は有り得るのです。だからといって、丸太と左足の区別
が無意味なのではありません。

以上