2004.11.28 馬場純雄
(C) SumioBaba 2004
[SB034]
「ウィグナーの友人」の観念論的解釈
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物質世界の状態が「客観的」だという常識を、徹底的に疑ってみます。
いわゆる「ウィグナーの友人」と呼ばれる問題です。
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私の友人が、マンガ本を読みながら私の前を歩いているとします。1個
のサッカーボールが、友人の頭をめがけて飛んで来ました。私はすでに
この事実を知っていますが、友人は気付いていません。サッカーボール
は見事に友人の頭を直撃し、友人はひっくり返ってしまったとします。こ
の時、私はついついこう考えてしまいます。
サッカーボールが友人の頭めがけて飛んで来たという事実
は、友人が知っているか否かとは無関係に、「客観的」に
決定していた。たまたま友人は、サッカーボールがぶつかる
まで、それを知らなかっただけだ。
私自身も、この友人と似たような経験が有ります。また、見知らぬ土地
に旅行した場合、私は初めてその風景を見ているのに、私が見た時に決
定したという感じではなく、その土地の人にとってはずっと昔から決まって
いたようだし、そう話してくれます。そういう経験から、ついつい物質世界
は「客観的」なのだと考えたくなります。
私の心が知らなくても、物質世界の状態は「客観的」に決定
している。(量子力学の不確定性原理が許す範囲内で。ある
いは、「隠れた変数」が存在しており、不確定性原理さえ無
視して、すべての素粒子の位置と運動量も厳密に)。
私の心は、その中のほんの一部を、知覚した時に知る。
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ところがこの常識を、徹底的に疑ってみることが可能です。サッカーボ
ールが当たった友人は、当たる前、マンガ本に熱中しており、サッカーボ
ールの存在に気付いていませんでした。この時点での友人の心身の状
態を固定したまま、外界の状態を全く別の状態で置き換えても、友人の
身体と外界との間で物理法則を満たし得るような、そんな外界はいくつも
考えられます。その中には、サッカーボールが飛んで来ていない外界も
存在するでしょう。友人の心にとっては、サッカーボールが頭を直撃する
まで、「サッカーボールが飛んで来ている世界」と「サッカーボールが飛ん
で来ていない世界」の重ね合わせのままだった、と考えることもできるの
です。
「多世界説」を考えましょう。あらゆる世界の集合をWとし、W1とW2に分
けます。
W1: 友人の頭をサッカーボールが直撃する世界の集合
W2: そうでない世界の集合
私は、サッカーボールが友人の頭にぶつかる前に、サッカーボールを
知覚したので、その時点で私の知覚する世界は、W→W1という限定を受
けています。
一方、友人の方は、サッカーボールが当たるまでW=W1+W2という重ね
合わせの中にいるとします。そして、サッカーボールが友人の頭を直撃す
る時(あるいはしない時)、友人は初めてサッカーボールの存否を知覚した
ことになり、この時点でW→W1とW→W2とに分岐すると考えます。こう考え
ても、何も矛盾は無いと思います。
ただし私は、サッカーボールを知覚した時点でW→W1という世界の限定
を受けているため、その後、W2に配属される友人を見ることは有りません。
だからついつい、私がサッカーボールを知覚した時点で、友人にとっても
W→W1という世界の限定が起きていたのだと、決め付けてしまう訳です。
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量子状態の観測においても同様です。物体Pの量子状態を|P+〉と|P-〉
の重ね合わせにします。
まず私が時刻t1にどちらなのかを観測したら、|P+〉だったとします。私
の心にとっては、時刻t1の時点で|P+〉+|P-〉→|P+〉という状態の収縮が
起きたと考えます。
ところが友人は、少し遅れて時刻t2(>t1)にそれを観測するとしましょう。
この場合、時刻t2に至るまで、すなわち時刻t1からt2の間も、友人の心
にとっては|P+〉+|P-〉という重ね合わせのままで、時刻t2に初めて|P+〉に
収縮した、と考えることができます。つまり、時刻t1からt2の間、友人にと
っては、|P+〉である可能性と|P-〉である可能性とが、50%ずつで重ね合わ
せられているという事です。そして時刻t2に観測した時、|P+〉と|P-〉とに
分岐します。
ところが私は、時刻t1の時点で|P+〉+|P-〉→|P+〉という状態の収縮を経
験していますから、|P-〉に配属される友人を、|P+〉に配属ずみの私が知
覚することは有りません。本当は、友人は、時刻t2の観測で|P+〉と|P-〉の
両方に50%ずつの確率で分岐しているのに、すでに|P+〉に配属ずみの私
は、|P+〉に配属される友人だけしか知覚できません。すなわち私には、
友人が観測すると、100%の確率で結果が|P+〉であるように見えてしまい
ます。だからこそ、
私が時刻t1に観測した時点で、物体Pの状態は、
|P+〉+|P-〉→|P+〉
という波動関数の収縮を起こしていた。
友人は時刻t2まで、それを知らなかっただけだ。
友人にとっても、波動関数の収縮は、時刻t1に起きていた。
という幻想を抱いてしまう訳です。
私は時刻t1に観測したから、その時に物体Pの状態は|P+〉に
収縮した。
友人は時刻t2に観測したから、その時に物体Pの状態は|P+〉
に収縮した。
とするのが、一番合理的な解釈だと思いますが、どうでしょう?
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量子力学にはいろいろな解釈が有ります。
心が知覚しなくても、物質世界の状態は「客観的」に決定して
いる
とする[実在論]。
心が知覚していない時、物質世界は何も実在していない
とする[観念論]。その中間で、
心が知覚する以前、物質世界の状態は決定していないが、
一度誰かが知覚すると、その時点で誰にでも共通する「客
観的」な実在になる
とする考え方。
ミクロな差異は様々な状態が重ね合わせのままで存在し
得るが、その差異がマクロに増幅されると、誰も観測しな
くても、どれか1つの状態だけが誰にでも共通する「客観
的」な実在になる
とする考え方。・・・などなど、様々です。
ここで考えたのは、徹底的に[観念論]的な解釈です。もちろん、あくまで
仮説の域を超えませんが、これを[量子観念論仮説]と呼んでおきます。
[量子観念論仮説]
私の心Mの中に、外界の点P(4次元時空内に広がりを持つ
領域Pでも良い)の物理状態がPaかPbかという情報が存在
しない時、私の心Mにとって点P(領域P)の物理状態は、Pa
とPbの重ね合わせのままである。
私の心Mにとって、Pa+Pb→Pa または
Pa+Pb→Pb という
波動関数の収縮を起こすための必要十分条件は、点P(領
域P)の物理状態がPaなのかPbなのかという情報を、私の
心Mが持つことである。
他人の心M'がその情報を持っている場合、他人の心M'にと
っては、PaかPbに収縮しているが、それは私の心Mには無
関係。
[この解釈に反するような量子力学の実験結果が、すでに有るようでした
ら、教えて下さい。本当に反しているかどうか、検討してみます。]
以上