2004.12.05 馬場純雄
(C) SumioBaba
2004
[SB037]
[観念論]の立場だとパラドックスは解消する?
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[SB031]-[SB036]によりいよいよ準備が整いましたので、私が出した
問題提起に、私自身で1つの答を出してみます。その要点は、
パラドックスの原因はすべて、[実在論]の立場を仮定した
ことにあり、[観念論]の立場を取れば、パラドックスはきれ
いに解消するのではないか?
というものです。これが唯一の解決法だという訳ではないので、あくまで
仮説に過ぎませんが。
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まず最初の[SB001]で示した問題提起はこうでした。
[問題提起]前半
私の脳Bの任意の一部をB1、残りの部分をB2(=B-B1)と
する。B1とB2とがどんなに親密に「局所的相互作用」して
いようと、「非局所的相互作用」がB=B1+B2全体を結び付
けない限り、B1の機能(B1の物理状態の時間発展)および
B1に随伴する心M1の状態は、B2の存否と無関係に、B1
の「初期状態」および「周囲からの局所的相互作用」の2
つだけで決定してしまう。
[「非局所的相互作用」が無いとすると、B2を切り捨てて、
人工的装置D1で置き換えても、B1に全く同じ「初期状態」
および「周囲からの局所的相互作用」を与えてやると、B1
に接続されているのがB2かD1かに関係なく、B1の機能と
M1の状態は決定してしまう。]
B1は、Bを構成する個々のニューロン、個々の分子・原子
・素粒子に取ることもできる。すなわち、「非局所的相互作
用」が存在しなければ、脳Bに随伴する心Mは、個々のニ
ューロン、個々の分子・原子・素粒子にまで分解して消滅
することを意味する。
現実には、大量の情報を持ちながら「1つの心」という統
一性を持った心Mが脳Bに発生しているので、脳B全体を
結び付ける「非局所的相互作用」が確かに存在している。
この点は、そのまま受け入れるしか無いと考えます。
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さらに[SB029][SB030]で、次の指摘をしました。
[問題提起]後半
「非局所的相互作用」が脳B全体を結び付けて心Mを発
生させている場合と、「非局所的相互作用」がB1だけを
結び付けて心M1を発生させている場合とで、脳B全体の
機能(Bの物理状態の時間発展)に何も差が生じないとす
ると、私の心がMなのかM1なのか、自分で判断できなく
なり、私の心がMなのかM1なのか無なのかの区別自体
も、無意味になってしまう。
それを避けるためには、Bの「初期状態」および「周囲か
らの局所的相互作用」の2つが全く同じでも、私の心が
Mの場合とM1の場合とで、Bの機能や私の言動に、差が
生じなければならない。
この[問題提起]後半は、[SB034]で示した[量子観念論仮説]を取ると、
きれいに説明ができます。
[量子観念論仮説]
私の心Mの中に、外界の点P(領域P)の物理状態がPaか
Pbかという情報が存在しない時、私の心Mにとって点Pの
物理状態は、必然的にPaとPbの重ね合わせである。
他人の心M'にPaかPbという情報が存在すれば、他人の
心M'にとっては、PaまたはPbに決定しているが、それは
私の心Mには無関係。
しかもその説明は、かなり驚くべきのもです。結論を先に書くと、こうで
す。
友人が私の脳B=B1+B2を観察する限り、Bの「初期状態」
と「周囲からの局所的相互作用」の2つが同じなら、私の
心がB全体に随伴するMの場合と、私の心がB1だけに随
伴するM1の場合とで、Bの機能(Bの物理状態の時間発展)
は全く同じものになる。だから友人は、私の心がMなのか
M1なのか無なのかを知り得ない。
ところが私自身の視点に立つと、私の心がMの場合とM1
の場合とで、私の脳Bの機能(Bの物理状態の時間発展)
は異なるし、私の言動にも差が生じる。
一見矛盾しているようですが、[量子観念論仮説]は自ずと[多世界説]
を要求します。友人の知覚する世界、私の心Mが知覚する世界、私の
心M1が知覚する世界、の3つは異なるため、こういう事態が生じるの
です。
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友人の視点に立つと・・・
私の脳B=B1+B2を、友人はじっくり観察しており、B1は|B1a〉という状
態であり、B2は|B2a〉という状態であることを知っているとしましょう。脳
B全体の状態はこれらの積で、|B1a〉|B2a〉と表現されます。
私の心がB全体に随伴するMの場合も、私の心がB1だけに随伴する
M1の場合も、友人は私の脳Bの状態を|B1a〉|B2a〉であると知覚し、そ
の時間発展も2つの場合で全く同じですし、私の言動にも差が生じませ
ん。つまり友人は、私の心がMなのかM1なのか無なのかを知り得ませ
ん。
私の心Mの視点に立つと・・・
MはB=B1+B2全体に、すなわち、|B1a〉|B2a〉で表される脳Bの状態に
随伴する心です。従ってMの状態も、|B1a〉|B2a〉の時間発展だけで決
定されるものとなります。この点は、友人と同じです。
私の心M1の視点に立つと・・・
問題はこの視点です。M1はB1だけに、すなわち、|B1a〉で表されるB1
の状態だけに随伴する心です。従ってM1の状態は、|B1a〉の時間発展
だけで決まります。
ところが、友人の視点やMの視点と、決定的に異なるところが有ります。
M1は、B1の状態が|B1a〉である事は知り得ても、B2の状態が|B2a〉であ
る事は知り得ない、という点です。
B=B1+B2全体の機能を、4次元時空内において多数の物質粒子や光
子の世界線が絡み合った世界線ネットワークBであると解釈します。B1
の部分をそのままの状態に固定し、B2の部分を全く異なる世界線ネット
ワークB2'で置き換え、しかもB1とB2'との間で、運動量やエネルギー等
の保存則を満たすようにできます。B2の物理状態は、B1との境界でこれ
らの接続条件を満たさねばならないため、何でも良いという訳にはいき
ませんが、B1の物理状態を|B1a〉に固定しても、B2の物理状態が|B2a〉
だけに決定することは無く、B2の状態は、他にも、|B2b〉,|B2c〉,・・・の可
能性が有り得ます。|B1a〉にとって、|B2a〉だけでなく、|B2b〉,|B2c〉,・・・も
接続可能だということは、|B1a〉の中に、B2の物理状態が|B2a〉,|B2b〉,
|B2c〉,・・・のどれなのかという情報が存在しない、ということです。
ここで[量子観念論仮説]を思い出して下さい。B1に随伴するM1にとっ
てB2は外界であり、その状態が|B2a〉,|B2b〉,|B2c〉,・・・のどれなのかと
いう情報を、M1は持ちません。すなわち、
M1にとってのB2の状態は、|B2a〉,|B2b〉,|B2c〉,・・・のどれか
1つに決定しているのだけれども、M1はそれを知らない
ではなく、
M1にとってのB2の状態は、必然的に、|B2a〉,|B2b〉,|B2c〉,・・・
すべての重ね合わせでなければならない
です。これが[量子観念論仮説]の主張している事です。
Mの視点に立つと、私の脳B=B1+B2の状態は、|B1a〉|B2a〉
でした。ところが、
M1の視点に立つと、私の脳B=B1+B2の状態は、必然的に、
|B1a〉(|B2a〉+|B2b〉+|B2c〉+ ・・・
)
=|B1a〉|B2a〉+|B1a〉|B2b〉+|B1a〉|B2c〉+
・・・
となります。Mの視点に立った時と、M1の視点に立った時とで、脳Bの
状態が異なるのですから、その状態が時間発展していくうちに、機能に
差が生じ、私の言動にも差が生じるのは当然、という訳です。これで、
[問題提起]後半の謎が説明できました。
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我々は、物質世界の状態を「客観的」なものであると信じているところ
が有ります。つまり、B2の状態が|B2a〉であるという事実は、友人にとっ
ても、私の心Mにとっても、そして私の心M1にとっても、誰にでも共通な
「客観的」事実だと思い込んでいます。そうすると、私の心がMの場合も
M1の場合も、私の脳Bの状態は|B1a〉|B2a〉であり、その時間発展は全
く同じものとなって、私の心がMなのかM1なのか、自分でも判断できない
ことになり、私の心はすべて錯覚だ、という結論に至ってしまいました。
これは何を意味するのでしょう?
量子力学にはいろいろな解釈が可能ですが、物質世界の「実在性」
「客観性」を少しでも仮定する立場を、[量子実在論仮説]と呼びましょう。
[量子実在論仮説]
物質世界の状態は、誰一人知覚していない時も、「客観的」
に実在する。
あるいは、
誰かに知覚されるまでは実在していないが、一度誰かに知
覚されると、誰にでも共通する「客観的」実在になる。
あるいは、
ミクロな差異はまだ実在になっていないが、それがマクロな
差異を産み出した時、誰一人知覚していなくても、誰にでも
共通する「客観的」実在になる。
・・・・・・・
などなど、いろいろな立場が有るようです。
どれでも構いません。私の心M1にとって、M1が情報を持たないB2の
物理状態までが|B2a〉に決まっていると考えると、私の心は錯覚である
という結論に至ったのでした。つまり、[問題提起]後半は、[量子実在論
仮説]が、理論的に成立し得ない事を示している、と解釈できるのです。
一方、[量子観念論仮説]の場合は異なります。友人や私の心Mの視
点に立つと、私の脳B=B1+B2全体の物理状態に関する情報を持ってい
ますから、私の脳Bの状態は|B1a〉|B2a〉ですが、私の心M1の中にはB2
の物理状態に関する情報が無いため、M1の視点に立つと、私の脳Bの
状態が必然的に、|B1a〉(|B2a〉+|B2b〉+|B2c〉+ ・・・
)になります。この
違いが重要です。そうすると、[問題提起]後半は、きれいに説明できま
した。
これは一種の「不確定性関係」だと考えます。例えば、1個の素粒子の
「位置座標」を正確に定めた粒子状態を考える時、その「運動量」は必
然的に不確定性無限大になります。「運動量も決まっているのだけれど、
それを知らないだけ」というのではありません。1個の電子のスピンのz
成分が+に決定している状態を考える時、x成分の+-は必然的に不定に
なります。「x成分も決まっているのだけれど、それを知らないだけ」とい
うのではありません。
その理由として、素粒子の「位置座標」が正確に定まった粒子状態は、
あらゆる「運動量」を持つ波状態の重ね合わせだから、という説明がで
きます。スピンのz成分が+に決定している状態は、x成分が+と-の状態
の重ね合わせです。同様に、次のような解釈が合理的です。
B1の|B1a〉という状態だけに随伴する心M1は、|B1a〉|B2a〉に
随伴する心Maa、|B1a〉|B2b〉に随伴する心Mab、|B1a〉|B2c〉
に随伴する心Mac、・・・ の重ね合わせの状態で初めて作り
出せる心である。
これを、[脳と心の不確定性仮説]と呼んでおきます。
逆に言うと、「M1の視点に立っていながら、B2の状態も|B2a〉に決まっ
ていると仮定する」ことは、「1個の素粒子の位置座標が正確に決まっ
た粒子状態を考えていながら、運動量の方も正確に決まっていると仮
定する」、あるいは、「1個の電子のスピンのz成分が+である状態を考え
ていながら、x成分も+だと仮定してみる」というのと同じ間違いをしてお
り、それゆえに「自分の心は錯覚だ」という結論に至った、という訳です。
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「多世界説」を取り、物理法則が許し得るすべての世界の集合をWとし
ます。友人の心と、私の心Mは、Wを、
W1: |B1a〉|B2a〉である世界の集合
W2: そうでない世界の集合
に分けた時の、W1の重ね合わせの中にいます。私の心M1だけは、それ
と異なり、Wを、
W1: |B1a〉である世界の集合(|B1a〉|B2a〉または|B1a〉|B2b〉
または|B1a〉|B2c〉・・・である世界の集合)
W2: それ以外の世界の集合
に分けた時の、W1の重ね合わせの中にいます。
Mの住む世界は、|B1a〉|B2a〉だけに限定されていますが、M1の住む
世界は、|B1a〉|B2a〉以外に、|B1a〉|B2b〉や|B1a〉|B2c〉や・・・に発展して
行く可能性を併せ持つため、私の脳Bの機能や私の言動に差を生じさ
せることになります。
ただし、友人の住む世界は、Mと同じ|B1a〉|B2a〉だけに限定されてい
ますから、|B1a〉|B2b〉や|B1a〉|B2c〉・・・に時間発展して行く私を、友人
は決して知覚できません。友人が知覚できるのは、|B1a〉|B2a〉に限定
された私だけです。だから友人は、私の心がMなのかM1なのか無なの
かを知り得ません。
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この説明の面白い所は、「自由意志」の説明にもそのまま使える点で
す。
私の心は、常に私の脳B全体に随伴するMだという訳ではなく、むしろ
殆どの場合、Bの一部B1に随伴するM1でしょう。B1という部分も、特定
の領域だけに定まっておらず、狭い部分だったり広い部分だったりしな
がら、Bのあちこちの部分に移り変わっていると思われます。
友人は、私の脳B=B1+B2全体の物理状態を詳しく観察し、その状態
が|B1a〉|B2a〉であることを知覚できます。詳しく調べれば調べるほど、
Bの機能は各部分が機械的に「局所的相互作用」しつつ、決定論的に
時間発展していくのが観察できます。不確定性原理により、プランク定
数くらいの不確定性は残るものの、プランク定数はあまりにも小さいた
め、そこに「自由意志」が入り込む余地など無さそうに見えます。
つまり、[量子実在論仮説]の立場を取ると、B1に随伴する私の心M1
にとっても、私の脳Bの物理状態は、あらゆる部分がプランク定数程度
の不確定性以外すべて決定していることになり、
自由意志は錯覚ではないのか?
と言いたくなります。
ところが、[量子観念論仮説]の立場を取ると、全く事情が異なります。
B1だけに随伴する私の心M1の立場に立つと、私の脳Bの物理状態は
必然的に、|B1a〉(|B2a〉+|B2b〉+|B2c〉・・・)ですから、|B1a〉|B2a〉だけに
限定されておらず、|B1a〉|B2b〉や|B1a〉|B2c〉・・・など、様々な状態へと
時間発展する自由度を持っています。これがまさに「自由意志」だと解
釈できる訳です。
友人は、私の脳の物理状態を、B1だけでなくB2の方も詳しく観察して
その状態を知っている視点に立っているため、私の心の自由度は殆ど
無くなって見えます。私の心M1は、B1の状態は知っていてもB2の状態
を知らない視点に立っていますから、その分、私の心の自由度が増し
て来ます。これが[脳と心の不確定性仮説]です。
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B1の、|B1a〉という状態だけに随伴する私の心M1にとって、脳Bの状
態は|B1a〉|B2a〉ではなく、|B1a〉(|B2a〉+|B2b〉+|B2c〉・・・)でした。
まず、B1の|B1a〉という状態だけに随伴する私の心M1が、B=B1+B2全
体に広がる心Mになる時、B2の状態は|B2a〉,|B2b〉,|B2c〉,・・・の可能性
が有ります。|B2a〉だったとしましょう。私の心Mは、B全体の|B1a〉|B2a〉
という状態に随伴する心となります。
次にこのMが、B2の状態|B2a〉だけに随伴するM2に収縮したとします。
M2の視点に立つと、今度はB1の状態が、|B1a〉+|B1b〉+|B1c〉・・・という
不確定状態になり、脳B全体の状態は、(|B1a〉+|B1b〉+|B1c〉・・・)|B2a〉
で表されます。
さらに私の心M2が、B=B1+B2全体に広がるMになるとします。B1の状
態は、|B1a〉,|B1b〉,|B1c〉,・・・の可能性が有ります。今度は|B1b〉だった
としましょう。すると私の心Mは、B全体の|B1b〉|B2a〉という状態に随伴
する心になります。
さらにもう一度、B=B1+B2全体の|B1b〉|B2a〉という状態に随伴する私
の心Mが、B1だけに随伴する心M1に収縮したとすると、私の心はB1の
|B1b〉という状態だけに随伴する心M1になります。
B1の|B1a〉という状態に随伴する私の心M1が、M1→M→M2→M→M1
という伸縮だけで、B1の|B1b〉という状態に随伴する私の心M1に変化で
きることになります。
「多世界説」では、物理法則が許し得るあらゆる世界の重ね合わせを
考えます。その中には、ある世界w1(時刻t0)と、それが時間発展した世
界w1(時刻t1)も含まれています。
私の知覚する世界w1が、時刻t0からt1まで時間発展した
というのは、
私の心が知覚する世界が、世界w1(t0)から世界w1(t1)へ
と変わった
というのと同じです。多世界の中で、私の知覚する世界が、あの世界か
らこの世界へと次々に移り変わって行くのが、私の心が体験する「時間
の流れ」であるという訳です。
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Mは、「非局所的相互作用」がB=B1+B2全体を結び付けて発生させて
いる心です。M1は、「非局所的相互作用」がB1だけを結び付けて発生
させている心です。そしてMを、こう解釈することもできます。
Mは、B1に随伴する心M1が「非局所的相互作用」で、B2か
らも情報を読みとっている状態
結局のところ、「非局所的相互作用」がB=B1+B2全体を結び付けてい
るのか、それともB1だけを結び付けているのかという違いが、Bの状態
を|B1a〉|B2a〉にするか、それとも|B1a〉(|B2a〉+|B2b〉+|B2c〉・・・)にする
か、という違いを作り、私の脳Bの機能や私の言動に差を産み出してい
ることになります。やはりその違いを産み出しているのは、「非局所的
相互作用」だったという訳です。
以上