2005.03.30 馬場純雄
(C) SumioBaba
2005
[SB038]
物理的に検出不可能な「非局所的相互作用」や「霊魂」は、
実証科学としては無意味(3)
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[SB029][SB030] の続きです。
[SB030]の中で、私の左脳をB1、右脳をB2としました。B1とB2が正常に
接続されたB=B1+B2の状態で、私の左腕に針を刺すと、私の心Mは、右
脳B2で左腕の痛みを感じ、左脳B1の言語機能で「左腕が痛い」と発声す
ることができます。
私の心Mの実感として、私は自分の左腕が痛いかどうかをはっきり識別
し得るし、痛い時には「左腕が痛い」、痛くない時には「左腕は痛くない」
と正しく言語表現できるものと感じています。左腕の痛みを感じるのも私
自身だし、それを言語表現するのも私自身であり、両者は同一人物だか
らです。
ところが脳B=B1+B2の方は、そうではありません。これを[BとMの不一
致]と呼びました。B1は、自分が正常な脳B=B1+B2の状態にあるのか、そ
れともB2を人工的装置D1で置き換えられたB1+D1の状態なのかを、「局
所的相互作用」だけでは判断できません。B2の方も、自分が正常な脳B=
B1+B2の状態にあるのか、 それともB1を人工的装置D2で置き換えられた
B2+D2の状態なのかを、「局所的相互作用」だけでは判断できません。
だ
から、[A](「非局所的相互作用」は存在しない)を仮定すると、たとえB1+D1
の状態でも、 人工的装置D1からB1へ、いかにもB2が左腕の痛みを訴え
ているかのようなニセ情報を流し込んでやると、
本当はB2など存在してす
らいないのに、B1は「左腕が痛い」と発声してしまうことになったのでした。
私の心Mは、B1かB2かどちらか一方の視点ではなく、B1でもありB2でも
あるような視点、あるいは、第三者の立場からB1+B2全体を見渡している
ような視点に立っているのが解るでしょう。
B1+D1の状態で、B1が「左腕が痛い」と言語表現してしまうと、自分が本
当に左腕の痛みという クオリアを感じているのか、それともクオリアなど
感じていないのに、B1が自動機械として「左腕が痛い」
と発声しているだけ
なのか、自分でも判断できないことになり、
心(クオリア)はすべて錯覚だ!!
という主張が成立してしまいました。
そこで、逆を仮定してみましょう。つまり私は、自分が左腕の痛みを感じ
ているかどうかを確実に知り、 感じている時には「左腕が痛い」、感じてい
ない時には「左腕は痛くない」と、正しく言語表現できる
と仮定してみます。
すると、正常な脳B=B1+B2の状態で左腕に針を刺した時、B1は「左腕が
痛い」と発声することになります。B1+D1の時、B1は「左腕は痛くない」と
発声することになります。B1+B2の場合とB1+D1の場合とで、B1に与えら
れる「初期状態」と「周囲からの局所的相互作用」は全く同じ、と考えてい
ます。それなのにB1の機能に差が生じるというのですから、B1の機能(B1
の物理状態の時間発展)は、B1の「初期状態」と「周囲からの局所的相互
作用」の2つだけでは決定せず、B2とD1の物理状態の差にも、「非局所的
相互作用」で影響を受けていることになります。
「非局所的相互作用」が物質粒子や光子の中に存在すると考えるなら、
[A](「非局所的相互作用」は存在しない)が誤りです。非物質的実体「霊魂」
がB=B1+B2全体を「非局所的相互作用」で結び付けていると考えるなら、
[B](「心・脳同一説」)が誤りです。どちらの場合も、その「非局所的相互作
用」は左脳B1の機能に影響を及ぼせるのですから、物理的に検出可能な
ものということになります。
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全宇宙をBとし、私の身体(もちろん、脳を含む)をB1、残りの部分をB2=
B-B1としましょう。B1の表面外部に微小厚さeの表面膜領域Beを考え、
B2からBeを除いた領域をB2-Beで表します。e→0の極限で、BeはB1と
B2の境界面になり、B2-BeはB2になります。私の身体B1に随伴する私
の心をM1とします。
もし[A](「非局所的相互作用」は存在しない)を仮定すると、B1が相互作
用すなわち「局所的相互作用」するのはBeだけです。
B2-Be→Be→B1
という「局所的相互作用」の連鎖は当然有り得ますが、その場合もB1が
「局所的相互作用」するのはBeだけであって、B2-BeとB1とが「局所的相
互作用」している訳ではありません。だから、B2-Beの部分を全く異なる
物理状態D1-Beで置き換えたとしても、B1に与えられる「初期状態」とB1
がBeから受ける「局所的相互作用」の2つが全く同じであれば、B1の機
能(B1の物理状態の時間発展)も同じになります。
<1>
B1の機能(B1の物理状態の時間発展)は、B1の「初期状態」
および、B1がBeから受ける「局所的相互作用」の2つだけで
決定し、B2-Beの物理状態には無関係。
これが[A](「非局所的相互作用」は存在しない)を仮定して言えることです。
さらに[B](「心・脳同一説」)を仮定すると、
<2>
B1に随伴する心M1は、B1の機能(の一部)である。
です。この<1>と<2>から、必然的に次の<3>が言えます。
<3>
心M1は、B1の「初期状態」および、B1がBeから受ける「局所
的相互作用」の2つだけで決定し、B2-Beの物理状態には無
関係。
簡単な三段論法です。
逆に、<1>を正しいとした上で、<3>の否定を仮定してみましょう。
<3>の否定
心M1は、B1の「初期状態」および、B1がBeから受ける「局所
的相互作用」の2つだけでは決定せず、B2-Beの物理状態
にも依存する。
すると直ちに、<2>の否定が得られます。
<2>の否定
心M1はB1の機能ではない。
これは[霊魂説]です。自分の「霊魂」が、私の身体B1だけに収まりきれず、
外界B2とも直接相互作用しているため、私の心M1がB2-Beの物理状態
にも依存してしまい、B1の機能だけでは決定しない事を意味しています。
今の話では、私の身体(脳を含む)がB1でしたが、全宇宙Bの任意の一
部をB1とした場合にも、同じ事が言えます。
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このように、<1>を仮定した上でさらに<2>を仮定すると、必然的に<3>
が導かれます。逆に、<1>を仮定した上で<3>を否定してみると、必然的
に<2>の否定が導かれます。これは論理的必然性です。ただし、ここで
問題になるのは、
<1>を仮定していながら、<3>を否定してみることに、意味は
有るか?
という点です。これが、この[SB038]の主題です。
B2-Beの中の点P(時間・空間内に広がりを持つ領域Pでも良い)の物理
状態が、Paの時とPbの時の2つの場合を考えます(Pa≠Pb)。これら2つ
の場合において、私の身体B1に与えられる「初期状態」および、B1がBe
から受ける「局所的相互作用」の2つは全く同じだとすると、<1>の仮定か
ら、B1の機能(B1の物理状態の時間発展)、すなわち私の脳機能や言動
は全く同じになります。
それなのに、<3>の否定、すなわち、私の身体B1に随伴する心M1だけ
は、点Pの物理状態がPaかPbかにも依存して、違った状態になると考え
ても、それは無意味ではないでしょうか? なぜなら、他人はもちろん、私
自身さえ、その違いに気付けないと思われるからです。
まず他人は、私の心M1の状態を直接覗き込むことはできないので、私
の身体B1の物理状態から、私の心M1の状態を推測するだけです。点P
の物理状態がPaの時もPbの時も、私の身体B1の機能(B1の物理状態の
時間発展)は、B1の「初期状態」と、B1がBeから受ける「局所的相互作用」
の2つだけで決定し、全く同じなのですから、私の心M1の状態も同じと判
断するでしょう。
さらに私自身も、2つの場合で脳機能や言動が全く同じだというのです
から、私の心M1の状態に差が有ることなど、私自身認識できないはずで
す。そして、私自身が認識できない私の心M1の差異は、差異として扱う
事自体が無意味だと思われます。
点Pの物理状態がPaの時とPbの時とで、私の心M1の状態が異なると
という区別が有意味であるためには、何が必要でしょうか? 少なくとも私
自身がその違いを認識し、現在の自分の心M1がどちらなのかを言葉で
表現するなど、心M1の差異が私の言動の差異、すなわち、私の身体B1
の機能(B1の物理状態の時間発展)の差異を産み出すことが必要だと思
われます。すなわち、
<1>を仮定していながら、<3>を否定してみるのは無意味。
<3>を否定してみる場合、それが有意味であるためには、<1>
も否定することが必要。
と言えるのではないでしょうか。
ただし、これは論理的必然性ではありません。例えば[SB029]でも書い
たように、[霊魂説]の中の[並行説]の場合には、
<1>を正しいとした上で、<3>を否定してみる
ことも可能です。ただし、<3>が正しいのか、<3>の否定が正しいのか、
他人はもちろん、自分自身でも不可知になってしまうので、哲学的(形而
上学的)解釈としては成立しても、実証科学としては無意味、という意味
です。
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最後に、念のため一言加えておきます。[SB002]で書いたように、「主観
的面」(実在論的側面)の議論を、「客観的面」(関係論的側面)の議論と混
同したり、すり替えたりしないよう、注意が必要です。
例えば[SB004]の「伝言ゲーム140億」のように、140億人の人間1人1人
が一個のニューロンの役割を演じ、全員で脳機能をシミュレートしている状
況を考えましょう。その中の1人の人間が私B1であり、他の人々をまとめて
B2、私を含む全員をB=B1+B2とします。
これら140億人の人間による脳機能のシミュレーションを、この中の誰で
もない客観的視点から見ている人、すなわち、140億人の人間すべての
存在や状態を知覚し、それらの関係性を知り得る人は、140億人の人間1
人1人の中には存在しない複雑高度な情報処理機能が、140億人の人間
B全体の中に構成されていることを認識できます(創発)。また、私B1の機
能(B1の物理状態の時間発展)は全く同じでも、B2の機能が変われば、B
全体の機能も、例えば「喜んでいる時の脳状態」から「悲しんでいる時の
脳状態」のように、変わることが有り得ます。B全体の機能はどんなものな
のか、その中でのB1の役割が何なのかは、B1だけを見ていても判らず、
B2を含むB=B1+B2全体を見て初めて判る、ということです(文脈依存性)。
ただし、これらはすべて、「主観的面」ではなく「客観的面」についての議
論なのです。
「主観的面」の議論は全く異なります。私の心M1を考えましょう。すでに
<1>と<2>から<3>を導いたように、[A]と[B]を仮定すると、M1はB1の機能
(の一部)であり、B1の「初期状態」とB1が外部表面膜領域Beから受ける
「局所的相互作用」の2つだけで決定し、B2-Be(e→0の極限でB2そのも
のに近づく)の物理状態には影響を受けません。B全体の機能が「喜んで
いる時の脳状態」をシミュレートしているのか、それとも「悲しんでいる時の
脳状態」をシミュレートしているのかという違いが有ったとしても、私の身
体B1に与えられる「初期状態」とBeからの「局所的相互作用」さえ全く同
じならば、B1の機能および私の心M1の状態は同じものとなり、私は自分
が「喜んでいる時の脳状態」と「悲しんでいる時の脳状態」のどちらをシミュ
レートしているのかを、知る事さえ有りません。これが「主観的面」の議論
です。
両者を混同したり、すり替えたりしないよう、注意して下さい。
以上