2005.05.15 馬場純雄
(C) SumioBaba
2005
[SB040]
北斗七星の心
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「主観的面」と「客観的面」(「実在論的側面」と「関係論的側面」)の違い
をはっきりさせるため、北斗七星の心なるものを考えてみます。
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北斗七星全体をB、これを構成する7個の星をB1,B2,・・・,B7とします。
地球から見ると、これら7個の星の位置関係が、ちょうど「ひしゃく」の形
に見えます。
このように、B1,B2,・・・,B7の中のどれか1つという「主観的」な視点で
はなく、B1,B2,・・・,B7のどれでもない「客観的」な立場に立ち、B1,B2,・・・
,B7の存在と関係性を認識できる視点から、B全体の形状・機能・性質等
を論じるのが、「客観的面」(「関係論的側面」)です。
一方、これらB1,B2,・・・,B7から構成される北斗七星B全体に、「ひしゃく
の心(?)」Mが随伴しているのだろうか?というのが、「主観的面」(「実在論
的側面」)についての議論です。
ここで言う「心」とは、デカルトの言う「コギト」、心理学で言う「内観」、K・
ポパーの言う「世界2」、D・チャルマースの言う「主観的体験」、・・・を意味
しています。
「客観的面」として、B1,B2,・・・,B7が「ひしゃく」の形に並んでいるからと
いって、「主観的面」の方も、北斗七星B全体に「ひしゃくの心」Mが随伴し
ているのだ、とは言えません。両者は全く別の議論です。
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北斗七星B全体に「ひしゃくの心」Mが随伴している、と断言は
できないが、「ひしゃくの心」Mが随伴していない、とも断言でき
ないではないか?
という反論を考えましょう。大半の科学者は、
この問題は、経験科学としては解決できないのではないか?
科学で解決できないのなら、哲学的(形而上学的)に、どう解
釈することもできるのではないか?
という疑問を持っているようです。B全体にどんな心が随伴していると考え
ようと、それが正しいかどうかを確認する方法など無いように思えるから
です。
私はこの問題に対し、「相互作用」の有無という観点から考察します。
すると、一見解けないと思えた問題が、解けてくるのではないか?と主張
します。
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まず、7個の星B1,B2,・・・,B7相互間に「相互作用」が全く無かったとし
ましょう。B1だけに随伴する心M1なるものを考えてみます。もちろん、M1
がどんな心かはさっぱり見当が付きませんし、それを確かめる事もでき
ません。M1は無かもしれません。しかし、1つだけはっきり言える事が有
ります。
B2,B3,・・・,B7がB1と何も「相互作用」していないのであれば、
B2,B3,・・・,B7の存否や物理状態は、B1に随伴する心M1に、
何の影響も及ぼせない。
という事です。「なぜ?」と問われても答えようが無いので、これを「相互
作用」の定義だと考えましょう。
[相互作用]の定義
「相互作用」なしに影響は及ぼせない。(影響を及ぼしている
時には、必ず何らかの「相互作用」が存在する。)
では次に、B2だけはB1と「相互作用」しているけれども、B3,B4,・・・,B7
はB1と「相互作用」していない場合はどうでしょう? この場合、B1に随伴
する心M1の状態を考える時、B1がB2から受ける「相互作用」は考慮せ
ねばなりませんが、B1と「相互作用」していないB3,B4,・・・,B7の存否や
物理状態は無関係、ということになります。
B3,B4,・・・,B7はB1とは「相互作用」していないけれども、B2とは「相互
作用」している場合はどうでしょう? B3→B2→B1,B4→B2→B1,・・・,B7
→B2→B1のように、B2を間にはさみ、B3,B4,・・・,B7は間接的に、B1と
「相互作用」していることになります。
しかしこの場合も、B1の物理状態や心M1を考える時、考慮すべきなの
はB1がB2から受ける「相互作用」だけで良い、というのが、現在の物理
学です。
・・・→物体W→物体X→物体Y→物体Z
という「相互作用」の連鎖が存在する時、もし物体Zの物理状態に影響を
及ぼすのが物体Yだけでなく、物体Xも、物体Wも、・・・とどこまでも遡るの
であれば、物体Zの物理状態を計算で求めることなど、不可能になってし
まうでしょう。実際には、物体Y→物体Zの部分を考慮するだけで物体Zの
物理状態を計算できるのが、現在の物理学です。その理由は、現在の
物理学における「相互作用」がすべて、「局所的相互作用」で構成されて
いるから、と言えます。
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現代物理学においては、すべての物理的相互作用は、光速以下で空
間を伝わり、距離ゼロまで接近して初めて及ぼし合える「局所的相互作
用」だと考えます。そうすれば、1個の粒子は、他の粒子がぶつかって
来た時にだけ影響を受けることになり、ぶつかっていない粒子とは「局所
的相互作用」していないので、影響を受けません。つまり、1個の粒子の
運動を考える時、直接ぶつかって来た他の粒子からの影響だけを考えれ
ば良い訳です。
もし、空間的距離を飛び越えて及ぼし合う「非局所的相互作用」が存在
すると、1個の粒子の運動に、ぶつかってもいない全宇宙の粒子が影響
を及ぼすことになり、やはり計算不可能な物理学になってしまいます。さ
らに相対性理論に反し、現在から未来へだけでなく、現在から過去へと
影響を及ぼす事も可能になり、タイムパラドックスのような、因果律の破
壊という問題も生じます。だから物理学は、何とかして「局所的相互作用」
だけで理論を作りたい訳です。
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さて、現代科学の常識に従い、次の[A]と[B]を正しいと仮定します。
[A] すべての物理的相互作用は「局所的相互作用」であり、「非局所的
相互作用」は存在しない。
[B] 非物質的実体「霊魂」は存在しない。
北斗七星を構成する1個の星B1の表面外部に、B1をすっぽり包み込
む微小厚さe(→0)の表面膜領域Beを考えます。Beは、B1周辺の空間領
域を意味しており、物質が詰まっていても良いし、ただの空間でも構いま
せん。(e→0の極限で、Beは、B1と外部との境界面になります。)
そうすると、必ずB1は、外部からの影響を、Beから受ける「局所的相互
作用」という形で受けることになります。たとえB1が、B2,B3,・・・,B7すべ
てと「相互作用」している場合でも、B2→Be→B1,B3→Be→B1,・・・,B7→
Be→B1という形を取ります。
そしてこの場合、「客観的面」について、システム論的な議論をする時
には、ついつい、
B2,B3,・・・,B7はB1と「相互作用」している
と表現し勝ちなのですが、B1が物理的に「局所的相互作用」しているの
は、実はBeだけなのです。従って、B1の物理状態や心M1に影響を及ぼ
せるのは、Be→B1の部分の「局所的相互作用」だけです。B2,B3,・・・,B7
は直接B1と「局所的相互作用」していないので、その存否や物理状態は
B1の機能やM1の状態に、影響を及ぼせません。これが「主観的面」につ
いての議論です。
仮に、B2,B3,・・・,B7を消滅させても、人工的装置D1を用いて与えられる
Be→B1部分の「局所的相互作用」さえ全く同じであれば、B1は、自分の
周囲にB2,B3,・・・,B7が存在しているのか、それともD1で置き換えられて
いるのかを、知ることさえできません。
すなわち、B1に随伴する心M1の状態は、B2,B3,・・・,B7の存否とは無
関係に、B1の「初期状態」と、B1がBeから受ける「局所的相互作用」の
2つだけで決定します。B1+Beの領域だけでは、「ひしゃく」の形など構成
していないので、M1は「ひしゃくの心」Mではありません。
他のB2,B3,・・・,B7に随伴する心M2,M3,・・・,M7ついても同様です。それ
ぞれが、自分を含む微小厚さe(→0)の外部表面膜領域Be内部だけで決
定するため、北斗七星B全体に「ひしゃくの心」Mが発生することは有りま
せん。
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以上は、[A]と[B]を正しいと仮定すると、必然的に導ける結論です。
逆に、もし北斗七星B全体に「ひしゃくの心」Mが随伴し、それが、B1に
随伴する心M1、B2に随伴する心M2、・・・、B7に随伴する心M7の独立し
た和ではないというのであれば、[A]と[B]のどちらか一方は誤り、という
ことになります。すなわち、B1は表面膜領域Beを通過しない形でB2,B3,
・・・,B7から「非局所的相互作用」を受けている([A]が誤り)か、あるいは、
北斗七星B全体を「霊魂」が「非局所的相互作用」で結び付けている([B]
が誤り)かです。
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最後に、まとめ。
「相互作用」という言葉の解釈に、注意が必要なのが判りました。「客
観的面」についてシステム論的な議論をする場合には、システムの各部
分の中を、どういう道筋で情報が伝わって行くかが、重要な意味を持ちま
す。だから、
B3→B2→(Be→)B1
という「相互作用」の連鎖による情報の流れが存在する時、これを、
B3とB1が「相互作用」している
と表現することも有りますし、もちろん、間違いではありません。
一方、「主観的面」について考える時には、
B1が「局所的相互作用」しているのはBeだけであり、B2や
B3がB1と「局所的相互作用」しているのではない。
と表現しました。これも正しいのです。
つまり、「相互作用」という言葉をシステム論的に使用する場合と、物
理学的に使用する場合とでは、意味が異なる訳です。物理学的に使って
いることを強調するために、ただの「相互作用」ではなく、「局所的相互作
用」という言葉を使った次第です。
例えば「力」という言葉もそうです。物理学で用いる「力」と、生物学で
用いる「生命力」などと言う時の「力」と、人文科学で用いる「権力」「行動
力」「学力」「忍耐力」「愛の力」などと言う時の「力」は、それぞれ微妙に
異なっています。
「相互作用」という言葉をシステム論的に用いているのか、それとも物
理学的に用いているのかを混同すると、「主観的面」についての議論を
「客観的面」についての議論と混同する原因になるので、注意が必要で
す。
以上