2005.06.28 馬場純雄
(C) SumioBaba
2005
[SB043]
「ミクロな差→マクロな差」は波動関数を収縮させない?
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量子力学観測問題を論じた本の中に、よく次のような主張が見ら
れます。
[主張]
ミクロな差(例えば、一個の光子が二重スリットの左穴を
通ったか、右穴を通ったか)をマクロな観測装置で観測し
なければ、左穴を通った状態と、右穴を通った状態とは、
重ね合わせのままで時間発展し、スクリーン上で干渉を
起こし得る。
しかし、マクロな装置で、どちらの穴を通ったかを観測し、
「ミクロな差→マクロな差」となった時点で、それを人間の
心が観測するか否かとは無関係に、どちらか一方の状
態が消滅し、残りの一方の状態だけに、波動関数が収
縮するのだ。
これが、量子力学観測問題の代表的な解釈だと思われます。科学
者たちは、人間の心を脳の機能だと決め付けており、V・ノイマンの
「抽象自我」のように、人間の意識だけを量子力学(シュレーディン
ガー波動方程式)に従わない特別な何かだと考えることを避ける傾
向が有ります。それゆえ、敢えて人間の心による観測とは無関係に、
「ミクロな差→マクロな差」という過程で、波動関数の収縮を説明し
ようとする訳です。しかし、これが正しいと決め付ける理由は有りま
せん。
例えば、この[主張]を裏付ける理由として、次のような[根拠]を指
摘する人がいます。
[根拠]
ミクロな差(一個の光子が二重スリットの左穴を通ったか、
右穴を通ったか)をマクロな観測装置で観測すると、人間
の心がこの観測装置を知覚しなくても、もはや光子は、ス
クリーン上で干渉縞を作らなくなる。
つまり、人間の心が知覚していなくても、「ミクロな差→マ
クロな差」という過程で、2つの状態のうち一方は消滅し、
他方の状態だけに波動関数が収縮しているからだ。
確かに、この[根拠]の前半は事実のようです。しかし、だからといっ
て、「ミクロな差→マクロな差」が波動関数収縮の原因かどうかは不
明です。マクロな差になっても、まだ2つの状態は重ね合わせのまま
であり、どちらなのかを人間の心が知覚した時点で初めて波動関数
が収縮する、と考えることもできます。その点を説明してみましょう。
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量子力学では、2つの物体PとQが相互作用すると、状態の重ね合
わせや干渉の有無を、物体Pと物体Qとで単独には考えることができ
なくなり、2つを合体させた物体PQ全体で考えねばなりません。
まず、光子が左右どちらの穴を通ったか、観測しない場合です。時
刻t0に光源を出た光子をP(t0)とし、これが時刻t1に左穴を通る状態
をPL(t1)、時刻t1に右穴を通る状態をPR(t1)とします。さらにこの光子
が、時刻t2にスクリーン上の点S1に到達している状態をPS1(t2)とし
ましょう。(t0<t1<t2)。
時刻t0に光源を出た一個の光子P(t0)が、時刻t1には、左穴を通る
状態PL(t1)と、右穴を通る状態PR(t1)の重ね合わせとなり、時刻t2に、
スクリーン上の点S1で合流します。つまりこの状態PS1(t2)は、この
光子が左右どちらの穴を通って来たかという違いが消滅した状態で
あり、その区別ができないがゆえに、点S1で干渉を起こします。
左穴を通った場合の光路長と、右穴を通った場合の光路長との差
が、光子の波長の整数倍だと強め合い、半整数倍だと打ち消し合い
ます。これを多数の光子について行うと、スクリーン上の点S1,S3,S5,
・・・には多くの光子が到達して明るくなり、点S2,S4,S6,・・・には光子
が集まらずに暗くなり、いわゆる干渉縞を作り出します。
では、光子が左右どちらの穴を通ったかを、マクロな観測装置で観
測し、かつ、人間はまだそれを見ていない場合はどうでしょう?
マクロな観測装置Qは、正常に作動するものとします。もし時刻t1に
光子の状態が左穴を通っているPL(t1)なら、観測装置Qは、それをマ
クロに表示した状態QL(t1)になります。これを全体として、PLQL(t1)と
表現します。もし時刻t1に、光子の状態が右穴を通っているPR(t1)な
ら、観測装置Qは、それをマクロに表示した状態QR(t1)になります。こ
れを全体として、PRQR(t1)と書きます。
先程の[主張]と[根拠]は、ミクロな差がマクロな差に増幅された時点
で、PLQL(t1)とPRQR(t1)のどちらか一方は消滅し、どちらか一方だけ
が存在する状態になっている、と考えています。しかし、そうではなく、
まだこの2つの状態は重ね合わせのままである、と考えることもでき
るのです。
ただし、PLQL(t1)とPRQR(t1)とが干渉を起こすためには、このまま
ではダメです。この後いつか(時刻t3としておきます)、両者の物理状
態が全く同じ状態に回帰することが必要です。それがどういう状態か
は不明なので、X(t3)と書きましょう。もし、
PLQL(t1)→X(t3), PRQR(t1)→X(t3)
という時間発展が生じて、このX(t3)がPLQL(t1)とPRQR(t1)のどちらか
らの時間発展なのか判らなくなった場合に初めて、干渉が起こります。
2つの過程PLQL(t1)→X(t3), PRQR(t1)→X(t3)のうち、どちらか一方
だけが起きたと考えて、X(t3)の生じる確率を計算しても、実際にX(t3)
が起きる確率の方は、それよりもあまりにも大きいか、逆にあまりにも
小さく、片方の時間発展だけでは説明できない現象が観測された時、
両方からの時間発展が干渉を起こしたのだろうと、判断されることにな
るでしょう。つまり、光子のミクロな差PL(t1)とPR(t1)が、観測装置を巻
き込んだマクロな差PLQL(t1)とPRQR(t1)に増幅されても、どちらか一
方が消滅する訳ではなく、時刻t3までずっと重ね合わせのままだった、
という訳です。
ただし、一度マクロな差を生じたPLQL(t1)とPRQR(t1)とが、時刻t3に
全く同じ状態に回帰する確率は、無限小と言えるくらいに小さいでしょ
う。一個の素粒子が、一度異なる状態の重ね合わせになった後、再び
同じ状態に回帰する確率を、仮に1/10だとすると、N個の素粒子から
構成されるマクロな物体に同じ事が起きる確率は、ほぼ、1/10のN乗
くらいになると予想されます。Nは、10の20乗から30乗という数です。
だから、
一度マクロな差を生じると、その後、2つの状態が干渉す
る確率は殆どゼロになる
というのは正しいですが、
マクロな差を生じた時点で、どちらか一方が消滅する
と言えるかどうかは不明なのです。
[結論]
ミクロな差(一個の光子が二重スリットの左穴を通るか、
右穴を通か)をマクロな観測装置で観測することにより、
「ミクロな差→マクロな差」となっても、それを人間の心が
知覚しなければ、波動関数が収縮したかどうかは不明。
マクロな差を生じても、2つの状態は重ね合わせのまま
時間発展して行き、どちらなのかを人間が知覚した時に
初めて波動関数が収縮する、と考えることもできる。
[補足説明1]
量子力学観測問題に対する1つの説明として、「NMA理論」が挙げ
られます。
この理論では、重ね合わせになっているいくつかの異なる状態の中
のどれなのかをマクロな観測装置で観測すると、異なる状態の間の
干渉がほぼゼロになっていくことを、いわゆる「密度行列」を使って説
明するものです。つまり、この理論では、
波動関数が収縮する
という言葉を、
重ね合わせになっている異なる多数の状態の間に、干渉
が無くなる
という意味で用いており、
重ね合わせになっている多数の状態のうち、どれか1つだ
けが残って他の状態は消滅する
という意味ではありません。ですから、
マクロな装置で観測することにより、異なる多数の状態の
間に干渉は無くなったが、1つだけを残して他の状態は消
滅したのではなく、みなずっと、重ね合わせのままで存在
している
と考えることもできるし、消滅する理由が示されない以上、他の状態も
重ね合わせのまま存在し続けている、と考えるのが自然です。
こように、「波動関数の収縮」という言葉をどういう意味で使っている
のか、それ自体が人それぞれ微妙に異なっている場合も有るので、注
意が必要です。
[補足説明2]
最近、量子コンピュータの実現可能性が、興味を持たれるようになっ
ています。
量子コンピュータでは、「0」か「1」か、の2つだけでなく、「0と1の重ね
合わせ」を含む3つの状態のどれかを表す「Qビット」を用います。全部
でnビットの情報を扱えるとし、量子コンピュータBの中の、各Qビットを
表す部分をB1-Bnとします。B1-Bnのn個のQビットが、どれも「0と1の
重ね合わせ」であれば、全部で2のn乗個の状態を重ね合わせにし、
一回の操作で、2のn乗個の状態すべてを並行処理することになります。
nが十分大きくなると、B1にとって、B2-Bnは十分マクロな物体でしょ
う。しかし、B1がB2-Bnと相互作用したからといって、「0と1の重ね合わ
せ」であったB1が、「0」または「1」のどちらかに波動関数の収縮を起こ
す、とは考えません。B2-Bnの部分で、2のn-1乗個の状態の重ね合わ
せになっているのを、さらに「0と1の重ね合わせ」であるB1が相互作用
することにより、全部で2のn乗個の状態の重ね合わせになる、と考え
ているのです。
つまり量子コンピュータもまた、
「ミクロな差→マクロな差」は、波動関数を収縮させる原因
ではない
という前提の上に成り立っているように思われます。そうすると、
観測という行為の中の、何が波動関数を収縮させるのか?
という未解決問題が、いよいよ神秘的な謎として、解決を迫られること
になります。
以上