2005.07.13 馬場純雄
              (C) SumioBaba 2005

                  [SB044]
           M1とM2の「独立」「融合」の定義

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 [SB007]の中で、2つの心M1とM2(M1≠M2)が融合して「1つの心」M
になるための条件として、[馬場の仮説]なるものを挙げました。

                 [馬場の仮説]
    心M1と心M2(M1≠M2)の間で、「M1→M2」(M1が存在する
    時は、必ずM2も存在する)、かつ、「M2→M1」(M2が存在す
    る時は、必ずM1も存在する)という関係が「自然法則(=物理
    法則+心理法則)的必然性」で成立している時、M1とM2は
    融合して「1つの心」Mになる。

そして、これはあくまで仮説の域を越えず、証明はできない、と書きまし
た。その理由は、そもそも2つの心M1とM2が「独立」および「融合」して
いるという言葉の定義が、不明だったからです。
 そこで、論点先取になりますが、逆にこれを「独立」および「融合」の定
義にしてしまえば、証明の必要なしに、公理のように使えることになりま
す。

                 「融合」の定義
    心M1と心M2(M1≠M2)の間で、「M1→M2」(M1が存在する
    時は、必ずM2も存在する)、かつ、「M2→M1」(M2が存在す
    る時は、必ずM1も存在する)という関係が「自然法則(=物理
    法則+心理法則)的必然性」で成立している時、M1とM2は、
    「1つの心」Mに「融合」している。

                 「独立」の定義
    心M1と心M2(M1≠M2)の間で、「M1→M2」(M1が存在する
    時は、必ずM2も存在する)と、「M2→M1」(M2が存在する時
    は、必ずM1も存在する)という関係が、「自然法則(=物理法
    則+心理法則)的必然性」でどちらも成立していない時、M1
    とM2は互いに「独立」している。

 これらの中間の状態が、果たして存在し得るか否かは不明ですが、念
のため、次の定義もしておきます。

              「半融合」「半独立」の定義
    心M1と心M2(M1≠M2)の間で、「M1→M2」(M1が存在する
    時は、必ずM2も存在する)、または、「M2→M1」(M2が存在
    する時は、必ずM1も存在する)という関係のどちらか一方だ
    けが、「自然法則(=物理法則+心理法則)的必然性」で成立
    している時、M1とM2は「半融合」「半独立」している。

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 [SB024]で論じた[右脳不在のパラドックス]を思い出してみます。まず、
現代科学の常識とされる次の2点を正しいと仮定しました。

                    [A]
    すべての物理的相互作用は、光速以下で空間を伝わり、
    距離ゼロまで接近して初めて及ぼし合う「局所的相互作用」
    であり、空間的距離を飛び越えて及ぼし合える「非局所的
    相互作用」など存在しない。

                    [B]
    心は脳の機能なのであって、非物質的実体「霊魂」など実
    在しない。

 私の左脳をB1、右脳をB2とし、言語機能はB1に、左腕の感覚領域は
B2に存在するとします。両者が接続された正常な脳B=B1+B2の状態で、
私の左腕に針を刺すと、私の心Mは、右脳B2で左腕の痛みを感じ、左
脳B1で「左腕が痛い」と言語表現できます。
 そこで、右脳B2を切り捨てます。ただし、左脳B1に人工的装置D1を接
続してB1+D1の状態にし、いかにも右脳B2が左腕の痛みを訴えている
かのようなニセ情報を、D1からB1に流し込んでやります。(正確には、正
常な脳B=B1+B2の状態でB1が「左腕が痛い」と言語表現していた時と
全く同じ「初期状態」および「周囲からの局所的相互作用」を、D1からB1
に与えます。理論上、それが必ず可能であることは、[SB006]で説明した
[プラネタリウムの原理]参照。)
 するとB1は、B2の不在に気付けず、「左腕が痛い」と言語表現すること
になります。左腕の感覚領域を持つ右脳B2は、もはや存在していないの
に、です。この時、私の心Mは、左腕の痛みを感じているのでしょうか?、
いないのでしょうか?

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 この質問に対する答は、「感じている」「感じていない」と分ける前に、
まずこう説明すべきです。

    B1に随伴する心をM1、B2に随伴する心をM2とすると、
    たとえ正常な脳Bの状態で、B1とB2とがどんなに親密に
    相互作用していても、それが「局所的相互作用」である限
    り、B2(M2)が存在しない状態で、B1(M1)の機能だけを作
    り出すことができる([プラネタリウムの原理]→[SB006])。
    つまり、B1に随伴する心M1は、自分がB1+B2の状態にあ
    ってB2(M2)が近接して存在するのか、それとも自分が
    B1+D1状態にあってB2(M2)は存在しないのかを、知ること
    ができない。M1とM2を逆にしても、同じ事が言える。
    すなわち、M1→M2(M1が存在する時は、必ずM2も存在す
    る)も、M2→M1(M2が存在する時は、必ずM1も存在する)も、
    どちらも成立していない。従って、M1とM2とは「独立」して
    おり、M1にとってM2は「他者の心」であるから、その状態
    も存否も知ることができない。

これが的確な答えだと思います。

    自分の心Mが、左腕の痛みを感じているのかいないのか、
    自分でも判断できないとは、どういうことだ!?

という質問に対し、こう答えた訳です。

    自分の心にとって、自分でその状態を判断できる範囲だけ
    が「自分の心の範囲内」である。
    自分の心がその状態を知り得ない領域は、すなわち「自分
    の心の範囲外」である。

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 もちろん、これが正しいとすると、私の心Mはどこまでも分裂していき
ます。B1を、さらに2つの部分B11とB12とが接続されたB1=B11+B12
だと解釈すると、正常なB1の状態でも、B11に随伴する心M11とB12に
随伴する心M12とは、独立していることになり、・・・・、以下同様。脳B
を、個々のニューロン、個々の分子・原子・素粒子であるB1-Bnが接合
されていると解釈した場合にも、B1-Bn相互間の相互作用が「局所的
相互作用」である以上、個々のB1-Bnに随伴する心M1-Mnは独立して
いるのであって、脳B全体に随伴する心Mなど錯覚であり、初めから存
在しなかった、という結論に達してしまいます。

 この結論を避けるためには、[A]と[B]のどちらか一方を否定することが
必要です。M1とM2とが「非局所的相互作用」による不可避的な影響を
及ぼし合い、M1→M2(M1が存在する時は、必ずM2も存在する)やM2→
M1(M2が存在する時は、必ずM1も存在する)という関係が生じ、片方だ
け単独では存在し得ない状態に達することで初めて、「1つの心」Mに
「融合」した、と考えねばなりません。
 ちょうど「人」という漢字は、二本の棒が互いに支え合っていて、どちら
か一方を取り除くと他方は倒れてしまい、一本だけで立ち続けることは
できない、というのに似ています。
 M1→M2(M1が存在する時は、必ずM2も存在する)ということは、M1の
状態を知ることで、M2の存在と状態が判明するということですから、M2
の存在と状態に関する情報が、何らかの形で、M1の中に入っているこ
とを意味します。[A]と[B]を正しいと仮定すると、物質である脳B=B1+B2
のB1とB2間では、決して起こりえない事です。

    M1という部分の中に、M全体の情報が入っている

という一種の「フラクタル構造」をどう解明するかが、心の謎解明の本質
だと思います。

以上