2005.08.21 馬場純雄
              (C) SumioBaba 2005

                  [SB050]
              部分と全体の相補性

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 自分の心Mが持つ様々な情報を、n個の変数(0か1か、でも良いけれ
ども、 ここでは実数値としておく) x1,x2,x3,・・・,xnで表したとし、これら
をn次元空間内の座標だと見なすと、1つのMの状態は、このn次元空
間内の一個の点P
    P=P(x1,x2,x3,・・・,xn)
を定めます。
 x1,x2,x3,・・・,xnを様々に変化させると、Mは様々な状態を取れます
が、これはn次元空間内で、点Pが様々な位置を取ることに対応します。
Mの取り得るすべての状態、M,M',M'',M''',・・・の集合を集合{M}、それ
らをすべて含んでいるこのn次元空間を、空間{M}と呼んでおきます。

 次のように問うてみましょう。

    空間{M}内の一個の点Pの座標x1,x2,x3,・・・,xnは、点P自
    身が持つ情報か? それとも、空間{M}が持つ情報か?

 一個の点Pだけ与えられても、空間{M}の方が与えられなければ、す
なわち、点Pが空間{M}内のどのへんに位置するのかを教えられなけれ
ば、x1,x2,x3,・・・,xnという座標の値は不明です。つまりx1,x2,x3,・・・,xn
という情報は、点P自身が単独で持つ情報ではありません。
 逆に、空間{M}だけが与えられても、その中のどこに点Pが存在するか
を教えられなければ、x1,x2,x3,・・・,xnの値は不明です。もちろん、空間
{M}のどこかに点Pは存在するはずなのですが、それを特定してやる時
に、その位置座標という情報が発生するのです。つまり、x1,x2,x3,・・・
,xnという情報は、空間{M}の方に単独で存在する訳でもありません。
 すなわち、結論はこうです。

    x1,x2,x3,・・・,xnという情報は、空間{M}と点P(すなわち、私
    の心Mの状態)との「関係」の中に存在する。
    「全体の中の部分」という構図を認識できる視点に立った
    時に初めて、「全体」と「部分」との関係性の中に、x1,x2,x3,
    ・・・,xnという情報が発生し、私の心Mという「意識」を産む。

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 以上の考察は、いわば、私の心Mが持つ「意識」とは、

    MがMを認識する

ではなく、

    {M}がMを認識する

ではないのか?、という意味深い内容を示しています。

 [SB047]で、「裏意識」という概念を考えました。「Mである」が「表意
識」である時、「Mではない、ではない」が「裏意識」です。両者は一枚
の紙の表裏と同様、分離不可能な関係にあります。「Mである」を意
識できるためには、「Mではない」すなわち「非Mである」をも意識でき
る事が必要であり、「Mである」と「非Mである」の違いを、私が認識で
きる事が前提になっています。そして、

    非M(=M',M'',M''',・・・)ではなく、Mである

という意識こそが、

    {M}がMを認識する

の意味なのです。

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 こう考える時、

    量子力学における波動関数の収縮過程こそが「意識」で
    ある

という説明は、大変深い内容を持っているように感じます。すべての意
識を重ね合わせると、それらは打ち消し合って「無意識状態」になって
おり、その中のどれか1つだけが選び出される時に、「意識」が発生す
る、という説明です。
 しかも、選び出された1つの状態そのものに「意識」が有るのではな
く、多数の状態の重ね合わせから1つの状態が選び出される過程にこ
そ、「意識」が随伴すると考えることもできます。

 「表面」という概念を考えましょう。もちろんこれは、「面」の一種であ
り、2次元的存在です。ところが、「表面」が存在するということは、必
然的に、3次元的立体の存在を示唆しています。なぜなら、3次元的
立体の内部と外部の境界を決めているのが、他ならぬ「表面」なので
すから。

    「表面」という2次元的広がりが存在する時は、必ず3次
    元的立体が存在している
    3次元的立体が存在しない時は、「表面」も存在し得ない

先程の命題とよく似ています。

    Mが存在する時は、必ず{M}が存在している
    {M}が存在しなければ、Mも存在し得ない

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 これまでの科学では、時間・空間の広がりと、その中に多数の物体
が存在し、互いに「局所的相互作用」で影響を及ぼし合いながら、その
物理状態が時間発展していく様子を、我々人間の心は有りのままに
知覚・認識できる、という暗黙の前提が存在していました。
 しかし、[SB046][SB047][SB048]で論じた通り、

    2つ以上の事物の存在と関係を、我々人間は認識できる

という事実こそが、実は何よりも不思議な事なのです。個々の部分が
「自分は自分のことしか知らない」というのでは、2つ以上の部分の存
在を認識できる主体は発生しません。2つ以上の事物の存在と関係を
認識できるためには、何らかの意味で個々の部分が、全体の状態を
知り得ることが必要です。これは、「局所的相互作用」だけでは決して
作り出せない状態であるように思われます。
 (2つ以上の部分の存在と関係を認識できる、メタ立場にいる「ホムン
クルス」を考えても、「ホムンクルスの脳(心)の部分と部分の関係は、
誰が認識できるのだ?」、という無限後退が生じるだけで、本質的な解
決にはなりません。)

 私の心Mが自分の複雑な状態を認識できるためには、Mの部分であ
るM1,M2,M3,・・・の状態とその関係とを、認識できることが必要です。
と同時に、私の心Mは、私の心Mとは異なるすべての心M',M'',M''',・・・
の集合である集合{M}の存在まで、何らかの意味で認識できなければ
ならないというのです。
 これまでの科学では、全く問題として意識されることも無かった大問
題が、ここに見え隠れしています。

    「意識」とは常に、多数の「部分」M1,M2,M3,・・・から成る
    「全体」Mであると同時に、
    「全体」である集合{M}の中の1つという「部分」Mでもある。

 これは、心Mが一種の「フラクタル構造」をしている事を示唆していま
す。「フラクタル」とは、自分Mの一部分であるM1の中に、M全体の情
報が含まれているような構造です。だから、「部分」であるM1は、何ら
かの意味で「全体」Mの事を知っているし、「部分」Mは、何らかの意味
で「全体」{M}の事を知っている訳です。

 東洋思想で強調される「トランスパーソナル(超個的)な意識」や、「万
人の心は、潜在意識でつながっている」などという考えも、意識の本質
を言い当てている可能性が有ります。
 量子力学でも、「多世界説」のように、自分が知覚できる世界の他に、
無数の異なる世界の存在を仮定した方が、物理現象をより合理的に
解釈できる、という指摘が有ります。実際に観測される世界は「全体」
の中の「部分」だけであっても、「部分」が存在し得るためには「全体」
が必要である事が、理論的に要求される場合も有る訳です。

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    私の心は、なぜM(あるいはM',M'',M''',・・・)であって、その
    部分M1,M2,M3,・・・でもなければ、{M}全体でもないのか?

これが問題です。量子力学でも似たような状況が出てきます。それを
参考にして考えましょう。

 一個の粒子の運動量pがp1=(px1,py1,pz1)に決定している「波」状態
は、位置座標が様々な値r1,r2,r3,・・・である「粒子」状態の重ね合わせ
です。これらの「粒子」状態に適当な重みを付けて重ね合わせると、様
々な運動量を持つ「波」状態p1,p2,p3,・・・の中のどれか1つを作り出す
ことができます。これを、

    M(,M',M'',・・・)は多数の部分M1,M2,M3,・・・から成る ・・・(1)

に例えましょう。
 ところが逆に、一個の粒子の位置座標がr1=(x1,y1,z1)に決定してい
る「粒子」状態は、運動量が様々な値p1,p2,p3,・・・である「波」状態の
重ね合わせです。これら個々の「波」は、どれも全宇宙空間に広がった
ものですが、適当に重みを付けて重ね合わせると、r1以外の位置では
すべての「波」がうち消し合って消滅し、確率1がr1の位置だけに集中し
て、位置座標r1だけに存在する「粒子」を作り出します。これを、

    M1(,M2,M3,・・・)は多数の部分M,M',M'',・・・から成る ・・・(2)

に例えましょう。
 (1)を見ると、「全体」はM,M',M'',・・・の方であり、M1,M2,M3,・・・の方
が「部分」ですが、(2)を見ると逆転しており、M1,M2,M3,・・・の方が「全
体」なのであって、M,M',M'',・・・の方が「部分」になっています。

 例えば、

    M=「丸い赤」を知覚している心
    M1=「丸」を知覚している心
    M2=「赤」を知覚している心

とする時、

    Mは、M1とM2を重ね合わせたものである       ・・・(3)

と考えることができます。
 一方、

    M1=「丸」を知覚している心
    M=「丸い赤」を知覚している心
    M'=「丸い青」を知覚している心
    M''=「丸い黄」を知覚している心

とする時、

    M1は、MとM'とM''を重ね合わせたものである     ・・・(4)

と解釈することもできるのです。MとM'とM''は、形は「丸」で共通してい
るため、3つを重ね合わせても、「丸」の部分は残ります。ところが色の
部分は、M,M',M''でどれも異なり、「赤」「青」「黄」を重ねることになりま
すが、これらを色の三原色であって、3つ重ねると色は消失する、と考
えましょう。そうすると、(4)の解釈になるのです。

 心の奇妙な謎を、(3)として説明せず、(4)として説明する事も可能だと
すると、「部分と全体の相補性」こそが、その謎を解くカギになるかもし
れません。

以上