要 約
[1] 新陳代謝における自己同一性保存の謎
人間の身体を構成する物質は、新陳代謝により、少しずつ外部の物質に入れ代
わっていく。脳も例外ではない。現在の自分の身体を構成する物質を(もちろん
脳を含め)原子1〜Pと呼ぼう。1年もすると、これらの物質は、脳を含め、殆
どが外部の物質である原子1'〜P'に入れ代わる。もし自分の身体に自分の「霊
魂」が宿っていて、身体の物質の新陳代謝にも拘らず、一生「霊魂」の方は存続
するとしたらどうだろう? 自分の「霊魂」は、原子1〜Pの身体の中に存在す
る状態から、原子1'〜P'の身体の中に存在する状態になる。結果的に、自分の
身体(原子1〜P)のコピー(原子1'〜P')を作り、自分の「霊魂」をオリジ
ナルの身体(原子1〜P)からコピーの身体(原子1'〜P')に移し入れるのと
同じ効果が生じるはずではないか?
次の質問を想像しよう。
キミ(原子1〜P)のコピー(原子1'〜P')を作ってあげるから、
オリジナルのキミの方が身代わりに死んでくれないか? そうすれば、
コピーのキミに1億円をあげよう。
もちろん答は「ノー」である。「絶対にオリジナルの自分(原子1〜P)の方を
生かし続けて欲しい!」と答えるだろう。では、次の質問ならどうか?
現在キミの身体は原子1〜Pで構成されているが、新陳代謝により
1年後には、完全に外部の原子1'〜P'に入れ代わる。脳も例外で
はない。実はこれから1年間、キミの老廃物の中から原子1〜Pを
すべて拾い集め、1年後にそれらを用いて、キミ(原子1'〜P')
のコピー(原子1〜P)を作る。その後、どちらか一方を殺さねば
ならないのだが、キミ(原子1〜P)とキミ(原子1'〜P')のど
ちらを生かし続けて欲しいか? 今、キミ自身で決めてくれ。
これだと、「原子1'〜P'に代わってしまった身体の方を生かし続けて欲しい」
と、答が逆転するのではないだろうか?
[2]意識を構成する非局所的相互作用
一人の人間の正常な脳Bを、n(n≧2)個の部分B1 〜Bn に分割した状
態を想像する。各Bkは装置Dkに接続され、Bを構成して特定の機能を発揮し
ていた時と全く同じ「初期状態」および「周囲からの局所的相互作用」が、Dk
からBkへ人工的に与えられる(k=1,2,.... ,n)。Bk+Dk をSkと
呼ぶ。S1〜Snの間では、現在の物理学で知られている「局所的相互作用」を
用いた情報伝達は、何も無い。しかし個々のB1〜Bnは、正常なB状態で機能
を発揮していた時と全く同様に機能する。この時、彼の「心」Mすなわち《主観
的面》はどうなっているのか?
(1)
今でもB1 〜Bn 全体に「1つの心」Mが随伴している。
もしこう考えるなら、今でも「非局所的相互作用」でB1〜Bn全体を結び付け
ている何物かの存在を認めねばならなくなる。
(2)
BkにMk(k=1,2,.... ,n)という部分的な「n個の心」
M1〜Mnが、互いに独立して随伴している(M1〜Mnの中には、
殆ど「心」と認められないものも含まれる)。
もしこう考えるなら、もう一度B1〜Bnを接続して正常なB状態に戻しても、
「n個の心」M1〜Mnは「1つの心」Mに融合できないことになる。客観的視
点に立てば、現在B1〜Bnが分割されているか接続されているかを、容易に識
別できる。だから《客観的面》に関する限り、分割されている時にはB1〜Bn
の機能も分割されていたが、再び接続してB状態に戻されると機能も統合され、
B1〜Bnのどの部分にも無いより高度な機能がB全体の中に「創発」される、
と認識できる。しかし《主観的面》の方は、再びB1〜Bnを接続してB状態に
戻しても、M1〜Mnは「1つの心」Mに融合できない。なぜなら個々のB1〜
Bnは、それらが再び接続された事実に気付けず、今でもそれらが分割されてい
ると錯覚しており、自分以外のn−1個が本当に存在するのかどうかも知り得な
いからである。「n個の心」M1〜Mnを「1つの心」Mに融合するためには、
一種の「非局所的相互作用」が要求される。
(3)
(2)が正しいが、(2)は同時に(1)でもある。
nを約140億とし、Bを個々のニューロンB1〜Bnに分割する場合を考えよ
う。もし(3)が正しいのなら、もはや何の「局所的相互作用」も無いこれらの
ニューロン全体に、今でも「1つの心」Mが随伴していることになってしまう。
これは明らかに間違いである。
[3]第三の腕のパラドックス
「自分の心」は左右2本の腕の感覚を持っているが、右腕RHの痛みを感じる
領域は左脳BRHの中に、左腕LHの痛みを感じる領域は右脳BLHの中にと、
交叉して存在するらしい。そこで、第三の腕MHがつながっている第三の脳半球
BMHを用意し、人工脳梁を用いて、3つの脳半球BRH,BLH,BMHを対
等な関係に接続したところを想像しよう。
MHに針を刺すと、BMHが興奮し、その情報をBRH+BLHにも伝えて来
る。この時「自分の心」は、第三の腕MHの痛みを感じるだろうか? もし感じ
るとするなら、「自分の心」はどこでそれを感じるのだろう? BMHか? B
RH+BLHのどこかでか? それとも自分の「霊魂」か?
もしBMHを「自分の脳の一部」と解釈するなら、「自分の心」は、RHの痛
みをBRHで、LHの痛みをBLHで感じるのと同様、MHの痛みをBMHで感
じる。もしBMHを「自分の脳(BRH+BLH)に接続された、ただの異物」
と解釈するなら、「自分の心」は、MHの痛みを感じ得ない。この違いは、「自
分の霊魂の相互作用できる領域が、3つの脳半球(BRH+BLH+BMH)全
体に及ぶのか、それともあくまで2つ脳半球(BRH+BLH)だけに留まるの
か」の違いではないのか?
[4]右脳不在のパラドックス
自分の左腕に針を刺すと、右脳がその痛みを感じ、その情報は脳梁を通って左
脳にも伝えられ、左脳の中に有ると言われる言語中枢の機能により、自分は「左
腕が痛い!」と言葉で表現できる。もし右脳を切り取って捨ててしまうと、たと
え左腕に針を刺しても、左脳の中の「自分の心」は、左腕の痛みを感じなくなる。
もはや右脳は存在しないのだが、脳梁の切り口から左脳へと人工的に、今でも
右脳が左腕の痛みを訴えているかのようなニセ情報を流し込んでやったとしたら、
どうだろう? 左脳は、
今でも右脳が存在して左腕の痛みを実際に感じ、その情報を伝えて
来ている
のか、それとも、
もはや右脳は存在しておらず、いかにも右脳が左腕の痛みを訴えて
いるかのような、ニセ情報を流し込まれているだけ
なのかを識別できない。そして、前者の場合と同様に後者の場合でも「左腕が痛
い!」と言葉で表現するだろう。本当は左腕の痛みなど感じていないのに、いか
にも感じているかのように錯覚する、ということになる。
脳Bを2つの部分B1とB2に分け、B2の方を切り捨てるものとしよう。今の
話では、B1は左脳、B2は右脳だったが、B1はどんなに小さく取ることもで
きる。脳Bの1/2でなく、1/10、1/100でも良いし、ニューロン1個、
電子1個でも構わない。本当はB2を切り捨てていながら、今でもB2が接続さ
れているかのようなニセの物理的作用を人工的にB1に与えてやると、B1はB2
の不在に気付けない。B1に随伴する「心」M1は、自分がB2に随伴する「心」
M2の機能を失っている事実に気付けず、今でも自分を、正常なBに随伴する正
常な「心」Mだと錯覚し続ける。B1が1個のニューロン、1個の電子である時、
M1は「心」としての性質など何も持たないだろう。
脳Bの各部分の機能が、その「初期状態」および「周囲から受ける局所的相互
作用」の2つだけで決定すると仮定すると、「心すなわち《主観的面》はすべて
錯覚だ」という主張が成立してしまう。逆に「心は錯覚ではない」として、その
存在を認めるのなら、
「心」は脳機能とは異なり、「初期状態」と「周囲から受ける局所
的相互作用」だけで、その機能は決定しない
と考えざるを得ない。
[5]量子力学は心の統一性を説明できない?
脳は極めて乱雑で、超伝導が起きる超低温に比べればはるかに高温であるため、
脳機能を説明する時には、ミクロな量子効果は無視し、古典物理学の範囲で考え
て十分だ、と主張する人が多い。確かにその通りである。しかしもっと重要な論
点は、量子力学で用いる波動関数には、「非局所性」と呼ばれる性質は有っても
「非局所的相互作用」は含まれていない、という事実である。
1個の素粒子の波動関数が脳全体に広がることは、有り得るかもしれない。し
かし、それが脳のマクロな領域を「非局所的相互作用」で結び付けている、と考
えてはいけない。粒子としての性質が強い「フェルミオン」だけでなく、波とし
ての性質が強い「ボソン」も、相互作用する時は1個の点粒子として「局所的相
互作用」をするだけである。
正常な脳Bの状態を、n(n≧2)個の部分B1〜Bnが接続されている、と
解釈しよう。時刻t=t0において、1個の素粒子Aの波動関数が脳B全体に広
がっているB全体の状態をψS(t)とする。これは、時刻t=t0において、素
粒子Aの波動関数がBkだけに広がっているB全体の状態ψk(t)[k=1,2,
.... ,n]をすべて重ね合わせたものと見做せる。
ψS(t)=ψ1(t)+ψ2(t)+ ・・・ + ψn(t) ...(1)
もし何らかの方法で、時刻t=t0に素粒子AがB1〜Bnのどこに存在するか
を観測すると、どれか1つの状態に波動関数が収縮する。すなわち、
ψR(t)=ψ1(t)or ψ2(t)or ・・・ or ψn(t) ...(2)
重要なのは Schrodinger 波動方程式で求められる個々のψ1(t)〜ψn(t)の
時間変化が互いに独立している、という点である。例えばψ1(t)の時間発展は、
(2)のように独立して存在する時と、(1)のように他のn−1個と重ね合わ
せられている時とで、全く同じである。つまり、(1)のようにn個の状態が重
ね合わせられていても、個々のψ1(t)〜ψn(t)の間に相互作用は何も無いこ
とを意味する。
(2)の状態において、ψ1(t)に随伴している「心」m1 ,ψ2(t)に随伴
している「心」m2 ,・・・ ,ψn(t)に随伴している「心」mnという「n個の
心」を考えよう。たとえこれらを(1)のように重ね合わせたとしても、「n個
の心」m1〜mn は「1つの心」Mに融合できない。なぜなら個々のψ1(t)〜
ψn(t)の間に相互作用は何も無く、個々のm1〜mnは、自分が(2)と(1)
のどちらの状態に置かれているのかを、識別できないからである。nを大きく取
り、個々のB1〜Bnを小さくすれば、個々のψ1(t)〜ψn(t)における素粒
子Aは、どこまでも点粒子に近付く。つまり、たとえ素粒子Aの波動関数が脳B
全体に広がっても、それが脳B全体を「非局所的相互作用」で結び付け、「1つ
の心」Mという統一性を産み出す効果は何も無い、ということになる。
さらに、観測における波動関数の「干渉」や「収縮」も、「心」「意識」「自我」
の発生を説明できない。例えば
ψ1=5ψA+4ψB ,ψ2=4ψA−5ψB
の時、
ψ1+ψ2=9ψA−ψB ,ψ1−ψ2=ψA+9ψB
となり、「干渉」によってψAの重みは、大きくなったり小さくなったりする。
しかしψA自身の状態およびその時間変化は、ψ1 ,ψ2 ,ψ1+ψ2 ,ψ1−ψ2
どの環境にいる時も全く同じである。さらに aψA+bψB→ψA という「収縮」
が起きたとしても、結果として生じたψAの中には、aやbがいくらだったのか
という情報は、何も残っていない。a=1,b=0だったとすれば、「収縮」な
ど起きていないことになる。つまりψAは、たった今「収縮」が起きたのかどう
かも知らない。
このように、波動関数の「干渉」や「収縮」の有無は、ψAでもψBでもない
第三者の立場でのみ議論できるものであり、ψA自身はその有無を知ることもで
きないのであるから、ψAに「心」を生じさせる効果を持たない。