「人間の聖性について ─ バタイユとアガンベン」 岡崎宏樹
聖性に関するバタイユの思考の核心を、アガンベンとの比較において炙り出す。剥き出しの生が、嫌悪と恥ずかしさを超える脱自的「交流」を、主体たちにもたらすことは可能か。筆者は自らの体験を振り返り、この問いに可と答える。(400字×45枚程度)
「純粋な赦しを巡って」 作田啓一
無条件の赦しは可能か。不可能だ。だがそれなしには不純な赦しも実現しない(デリダ)。純粋な赦しには純粋な正義が対応する。本論は純粋な赦しの底に苦悩の共有を見る。(400字×50枚程度)
「〈なること〉とは何か ─ ドゥルーズ−ガタリの動物への生成変化」 藤井奈津子
子供たちはさかなやくらげ、いせえび、等々に〈なって〉、非日常的身体に興じる表現者となった。 ─ 鳥山敏子の教育実践、「なってみる」授業の本質を、ドゥルーズ−ガタリの生成変化の概念により明らかにする。生活力とは異なる「生きる力」の呈示。(400字×55枚程度)
「幻想において交錯する二つの視角 ─ E.T.A.ホフマン『砂男』をめぐって」 平田知久
個別的身体とそれにもとづく主観性をもつこととなった近代の主体は、幻想を内包する現実の中に生きなければならない。この現実を生きる方途を、ホフマンの表現技法のうちに見いだす。(400字×60枚程度)

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