ホウ酸塩の毒性について

インターネットで次のような記事に出会いました。よく質問される問題ですので、私なりにコメントしたいと思います。

スライム作りをしていたら、1人のお母さんから「先生、ホウ酸が毒だということをご存じないのですか?」とすごい剣幕で詰間されて、あわてたという話を聞きました。ホウ酸は、小学校の溶解実験の材料として、また、家庭ではうがい薬や洗眼用の消毒薬として長い間使われてきた薬品です。私は今までホウ酸による事故のことは知りませんでした。殺菌作用があるのですから、人にも全く無毒ということはないでしょうが、それほど神経質にならなくてもよいだろうと思いましたが、念のため調べてみました。「7才以下の子供では、5g以下でも死に至ることがある」という記述に出会い、驚いてしまいました。このほかに、「ホウ酸は、多量に飲み込むと有毒で致死量は約20gである」

高中他『化学教材薬品』(三共出版、1975)、「ホウ酸は、ゴキブリ殺しによい」と書いてある本もありました。ホウ砂やホウ酸を使うときには、その毒性の程度を知った上で、薬品の管理に注意する必要があると思います。

           

1.ホウ素の化学

ホウ素は原子番号5の元素で、自然界には酸素と結合したホウ酸塩の形で存在します。ホウ酸とホウ砂がよく知られています。

ホウ素はアルミニウムの仲間で、普通は3価の結合をします。たとえばホウ酸はB(OH)3です。
しかし、場合によっては電子を1個受け取って4価の結合もします。この場合は、電子論で言いますと炭素と同じSP3混成軌道をとり、結合は正四面体結合になります。一つの化合物の中に3価と4価の原子が混在するのが普通です。簡単な計算法として、4価の原子の数は陽イオンの数と同じと考えればOKです。ホウ砂の化学式はNa2B4O710H2Oです。陽イオンはナトリウム2個ですから、4個のホウ素原子のうち2個は4価です。さて、4価のホウ素原子は、水酸基(-OH)を2個以上もつ有機化合物と強固なキレート結合を形成する性質があります。ポリビニルアルコール(PVA)の水溶液にホウ砂を混ぜてスライムを作る実験は、多数の-OH基を持つPVA子とホウ素とのキレート結合で分子間に架橋ができる現象を利用したものです。



2.ホウ酸塩の生理作用

動植物の細胞中には微量のホウ酸塩が存在します。最近の研究で、ホウ素は、代謝や骨の健康、脳の機能に関係することが明らかにされ、写真のようにホウ素サプルメントも発売されています。ホウ素は植物の生育にも欠かせません。特に野菜や果実の栽培には重要で、日本でも年間3000トンのホウ砂が肥料として散布されています。ホウ素は動植物にとって必須ですが、過剰に摂取すると危険です。生物は、細胞内で栄養分を燃やしてエネルギーに変えています。これを代謝といいます。代謝をスムースに進めるのは、酵素と補酵素の役割です。酵素は複雑なタンパク質ですが、補酵素は糖やアミノ酸が結合した単純な構造です。糖は多数の水酸基を含むため、ホウ酸塩とキレート結合を形成します。細胞中のホウ素濃度が高まると、大部分の補酵素がキレート結合により活性を失い、代謝反応がストップします。こうなると、生物は死を免れません。
例外は、哺乳動物です。哺乳動物では、血液に溶けた過剰のホウ酸塩は、腎臓の働きで体外へ排出されます。このため、哺乳動物に対するホウ酸塩の毒性は微弱です。これに対して、昆虫のような下等動物や微生物は、過剰なホウ酸塩を摂取すると致命的です。ホウ酸塩は目の洗浄や、化粧品の防腐剤に使われますが、これは微生物を殺しながら人体には悪影響のないホウ酸塩の性質を利用したものです。



3.ヒトに対するホウ酸塩の急性毒性

ホウ酸塩は、ヒトに対しどれくらい毒性があるか? 人間を使って実験できないので、動物を使います。ネズミ(ラット)20匹にホウ酸の入った食事を与えます。最初の実験で5匹が死んだとします。次の実験では、もう少しホウ酸を増やします。15匹死にます。このようにして半数のラットが死ぬ体重1kgあたりのホウ酸の量を決定し、これを半数致死量(LD50)といいます。代表的なホウ酸塩のLD50値を表1に示します。表から、ホウ酸塩の半数致死量は、体重60kgの成人でおおよそ200gと推定されます。これは食塩の値とほぼ同じです。

                 


          表1 経口急性毒性(ラットLD
50

化学物質 化学式科 LD50(g/kg) ヒト(60kg)の半数致死量(g)
ホウ酸 BO 3.0〜4.0 180〜240
ホウ砂 NaB4O ・ 10H 4.5〜6.0 270〜360
DOT Na13 ・ 4H 2.55 153
食塩 NaCL 3.75 255


致死量には、半数致死量のほかに、最小致死量があります。最小致死量は、動物実験から推定しますが、ホウ酸塩や食塩のように長い歴史のある物質では、過去の事故例から推定されることもあります。このため、冒頭引用しました記事のように、いろいろな“致死量”が存在することになります。



4.ホウ酸塩が原因の死亡事故

イギリスの医師、ジョセフ リスターは、1860年代、外科手術に消毒薬を使用する道を拓き、近代外科医術の父と仰がれました。リスターは、最初、消毒薬に石炭酸を使いましたが、医師も患者も石炭酸の激しい副作用に悩まされました。リスターが、石炭酸に代わる消毒薬の一つとして発見したのがホウ酸でした。ホウ酸は無色無臭、毒性も微弱で扱いやすく、全世界の病院で粉末のまま、あるいは水溶液として傷口の手当に用いられました。

が、思いがけない事故も発生しました。
第一は、病院でホウ酸とミルクを間違える事故で、多数の新生児が犠牲になりました。
第二は、重症の火傷やおむつかぶれの消毒にホウ酸を使用した事故です。ホウ酸は正常な皮膚からは吸収されませんが、傷ついた皮膚からは吸収されます。長期間にわたり傷口からホウ酸が体内へ吸収され、死亡事故につながったものです。

ホウ酸の消毒薬としての使命は70年ほど続き、やがて新しい、より特異的に作用する消毒薬に代わりました。同時に、病院でのホウ酸の事故もなくなりました。

人間に対する毒性が微弱で腐敗菌の繁殖を押さえるホウ酸塩は、食品保存剤としても広く使用されました。軍隊の糧食はもちろん、一般向けのマーガリン、バター、クリーム、ベーコン、ハムにも0.5%程度のホウ酸が添加されていました。ホウ酸のメリットは、塩漬けや砂糖漬けのように食品の味を損なわないことです。食品保存剤としてのホウ酸塩は、20世紀後半、急速に使用が制限され、今日、法律で許可された用途はEUでのキャビア用保存剤のみです。

しかし、東南アジアの中国系社会では、今日でもうどんや餅にホウ砂を添加する風習が根強く残っているようです。当局の厳しい取締りにもかかわらず、高濃度のホウ砂を含んだ食品が販売され、抵抗力の小さい幼児が犠牲になることもあるようです。




5.ホウ酸塩の事故を防ぐために

“化学物質毒性ハンドブック”,丸善(1999)によりますと19811985の期間に米国メリーランド州とワシントンDCの中毒センターに782例のホウ酸塩中毒事故が報告されています。うち780例は短期間のホウ酸塩摂取で、88.3%は無症候性でした。残り11.7%は、嘔吐、腹痛、下痢、嗜眠、頭痛、ふらつき、発疹などの症状が現れています。6才未満の幼児のうち21例が推定致死量2g以上を摂取し、成人では8例が推定致死量15g以上摂取しましたが、いずれも重い毒性症状は現れませんでした。

この報告は、死亡例の多かった20世紀前半と異なり、事故の原因が、病院から家庭での誤飲誤食に代わっていることを示唆しています。事故を防ぐためには、ホウ酸塩を含む薬剤を幼児の手の届かない場所に保管することが最も重要です。




応急処置

ホウ酸塩を飲んでしまったら、どうしたらよいでしょうか。U.S.Borax社の化学物質安全データシートの情報をまとめました。参考にしてください。

家庭での処置:少量(茶さじ一杯)をのみこんだ程度なら、健康な大人には害はありません。もっと多量にのみこんだ場合は、コップ2杯の水を飲ませ、医師の診断を受けてください。

医師への注意:大人が数グラムのホウ酸塩を飲んだ程度の事故なら、様子を見るだけでよいでしょう。これ以上の量をのみこんだ場合は、正常な腎機能の維持を心がけながら、我慢してでも水分を摂らせて下さい。胃洗浄は症状のひどい患者にだけ行います。血液透析は大量のホウ酸塩を一時にのみこんだ場合や腎機能障害を持つ患者にだけ行ってください。






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