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評価とは


前田 悠


この数年、多くの人と同様に日本が一種の閉塞状況にあると私も感じている。 それがどのようにして解消されてゆくかについては、私ごとき者に良い考えがあるわけではないが、 そのような状況をもたらしている原因については、いくつかのことを感じている。中でも痛切に感じている二点がある。 その一つは、重要な問題において、対立する主張が飛び交っているだけで、それらが噛み合って問題の本質が議論されることが 少ないことである。これについては、別な機会に論じたいと思う。もう一つは、決定する立場にある組織の構成員の中に「目利き」 が少ないことである。私にとって「目利き」とは、物事の本質を見抜き、業績、人物の評価を的確に行う人である。自己の持つ情報を、 讒言や中傷に惑わされず、批判的かつ理性的に吟味し、その結果に基づく主観的な価値判断を持って、自己の外の世界の評価に向う人で ある。マスコミが伝える諸種の審議会や私が見聞できるいろいろな組織の意思決定において、評価を下すべき立場の人が、主観的な評価が 出来ず、評価を放棄して「横並び」を志向する場合や、客観的と称して数値化できる資料を無批判に偏重した評価を下す場合が多いようで ある。そして、更に問題なのは、そのような決定が無責任であることに無自覚なことである。的確な評価が存在しない組織では玉石混淆の 状態となり、「石」は「玉」を駆逐して「石」の再生産が起こり、組織疲労が進行する。

以下に大学の教育と研究について「評価」に関係して日頃思っていることを述べたい。
国立大学の独立行政法人化を間近に控え、大学に関する議論が新聞などマスコミを賑わせている。大学卒業生の学力に経営者の8割以上 が不満を持っているという(朝日新聞2003年1月4日)。この問題の議論はこの小文の本筋からはずれるため別な機会に譲る。ここで指摘し たいことは次の点である。企業は新入社員の実力に不満を持ちながら、他方では有能な若者が採用されないという状況があり、採用側の評 価能力が問われている面がある。個々の学生や指導教官が玉石混淆の状態に近い現状では、有名大学の「箱」に頼る評価のみでは満足な採 用は望めないだろう。上述の不満が、採用側が「目利き」を揃えた結果の不満であるかどうかの検証が必要である。

大学の人事における研究・教育の評価は難しいものであって、ある程度の客観的・定量的な尺度は可能であろうが、それのみに基づく 評価は無責任となり易く危険である。このような客観的評価と、「目利き」の主観的な評価を併用することが重要であろう。研究業績の評 価にしても、たとえば「Nature」 に論文があるから優秀だと判断するのでなく、その論文の内容が評価できることが必要である。有名な 雑誌に掲載される論文の総てが優れた内容であるとは限らないから、「箱」に頼っていれば正しい評価が出来るなどという楽な話ではない 。また、人事の目的は優秀な業績を選ぶのではなく、優秀な人を選ぶことである。単独で行った業績でない限り、複数の著者の論文に基づ いて、個々の人物の能力を評価することは容易な作業ではない。有名雑誌という「箱」に頼る評価や業績の評価のみに終始している現実が 氾濫している。ある大学の外部評価報告書の中に、「教育とは異なり、研究の評価は容易で確立されているから・・・」といった趣旨の文 章を発見して、私は唖然としたことがある。因に、この評価委員会の理系委員は全国的に高名な学識経験者から構成されていた。

研究費配分については、評価機関の中で、総ての分野において常に「目利き」が担当しているという幸運な状況でないかぎり、 重点配分する部分と下支えする部分の「複線化」が絶対に必要である。そして、前者には主観的と客観的(機械的)の二種類の評価を併 用した厳格な審査をして、さらに結果責任を問う。後者については、分野を限定せず、客観的な尺度のみで機械的に評価して配分するこ とが望ましい。勿論、人事、研究費を問わずいかなる評価においても、評価者を評価し、その責任を問うことが出来るシステムが同時に 必要である。どのような制度でも、必ず運用が腐敗してくるものだが、その時「単線」であれば、腐敗した分野で優れた研究者が餓死す ることになり、そのもたらす被害の大きさは致命的となろう。複線化の重要性は、この被害を少なくするための必須の制度として存在す ることにある。尤もらしい説明の下に、研究費の重点配分が華やかであるが、すでに特定のグループ(質は玉石混淆)に集中しすぎてい る弊害が顕在化している。科学研究費の基盤研究とか、大学の校費など、「無印」の研究費が未だ細々ではあっても維持されているのは 救いである。「無印良品」は研究の世界でも貴重である。

この小文の一部は日本化学会コロイド界面化学部会ニュースレター Vol. 28 (2003) に掲載されたものである。掲載紙面の性格と分量 制限のため、中途半端なものとなったことに不満を感じていた。今回、大幅に加筆、削除を含む改訂をしたので、題目も変更した。
(2002年12月)
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