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ルーブル美術館
〜ルーブルのふたつの超大作〜
ルーブルは収蔵作品30万点を誇る世界で最も有名な博物館です。
丸一日をかけても、長い回廊に並ぶ絵画や彫刻の数々の
半分も見ることはできないし、ましてやこれほどの規模の博物館の
全体像をつかむには何日も通わなくては無理でしょう。
ここでは、ルーブル美術館にある二つの超大作を見ることにします。

ダヴィッド「ナポレオンの聖別式」(1807年)
とてつもなく大きなこの絵は、ルーブルの呼び物の一つになっている。
正確には、「パリのノートルダムにおける教皇ピウス七世による
ナポレオンの聖別式と、ジョセフィーヌの戴冠」とよばれます。
中央右手に立つナポレオンが、ひざまずき手を合わせるジョセフィーヌに
冠を下ろそうとする瞬間が描かれているこの絵が「ナポレオンの戴冠」といわれるのは
当初ナポレオン自身が自らの頭上に冠を載せる場面を描くはずだったのだが
後ろの椅子にひかえ祝福のポーズをとるローマ教皇に不敬が過ぎるとして
ジョセフィーヌの戴冠に変えられたからといわれます。
この絵には150名近くの人物が、それぞれ肖像として描かれていて
皇帝の母は二階の中央に席を占め、その上の段には芸術家・文学者がひしめき
これを描いたダヴィット自身も点描されています。
小男で知られたナポレオンは実際よりもいささか大きく描かれているそうです。
左から光が差し込み、皇帝ナポレオンを照らし出し、
150名近い人物の視線がナポレオン一人に注がれ
皇帝を中心とした戴冠の儀式の場にハイライトが集中していて
この歴史的な、ドラマティックな瞬間をきわだたせています。
いわゆる新古典主義の結晶がここにあります。
モニュメンタルで高貴なものこそ美しいとする感受性の大いなる規範です。
こうした大構図は、ダヴィットひとりで完成されたわけではなく
建築部分や左隅のブルジョワ達は、それぞれ弟子たちに任されたといわれます。
クリュニー修道院がアトリエとして使われたのですが、
モデルとなった人たちは皆われこそは
タブローのもっとも枢要な位置を占めようとしたといわれます。

ベロネーゼ「カナの婚礼」(1563年)
ルーブルで最も大きな絵は、ベロネーゼのこの「カナの婚礼」で、
幅9,9メートル、高さ6,66メートルあります。
この「カナの婚礼」は、ナポレオンの北イタリア侵攻の戦利品として、
1798年、ベネチアからフランスにもたらされたものです。
これほどの大きさの絵なので、画布は額縁からはずされてぐるぐる巻きにされ
大木を運ぶようにしてマルセイユ経由でパリまで運ばれたといわれます。
1815年、ナポレオンが帝位を失うと、ナポレオン軍が諸外国から持ち出した
5000点にのぼる美術品の返還を求める交渉が行なわれました。
フランスはベネチアの求めに応じて、サンマルコ寺院の玄関を飾る青銅の馬、
ティツィアーノやティントレットの絵は返したのですが、
「カナの婚礼」は手放しませんでした。
「大きすぎて運べない」というのが理由でしたが、
同じベロネーゼの作品で「カナの婚礼」より大きい
「レビ家の饗宴」の返還には同意しているので説得力がありません。
ところが、ベネチアはイタリア諸都市の反対にもかかわらず
フランスの言い分を認めたので、この作品は今もこうしてルーブルにある。
「カナの婚礼」はもともとベネチアの聖ジョルジョ・マッジョーレ修道院の
食堂を飾る絵として製作されたものです。
「カナ」はイエスが結婚式に招かれた町であり、イエスはここで
ただの水をぶどう酒に変えるという最初の奇跡を行なう。
イエスは聖母マリアと並んで画面の中央にいますが、
左側のテーブルの一団に比べるとあまり目立ちません。
左側のテーブルには、ドイツ皇帝、フランス王とその妃
トルコの大王などの名士がずらりといるからです。
中央の楽隊は、ベロネーゼ本人を含むベネチアの画家たちです。
ベロネーゼの絵は宗教的深みに欠けるとの評価がなされていますが
「カナの婚礼」を注文した修道院自体が、
ベネチアの有力者が莫大な持参金で老後を優雅に過ごす僧院であったので、
まさに注文どうりの作品なのかもしれません。

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