イギリスの大貴族

ロンドンとマドリッド、バルセロナを観光で訪れる。

ロンドンでは、3連泊して大英博物館、ロンドン塔、
ウエストミンスター寺院、セント・ポール大聖堂、
バッキンガム宮殿などお決まりの観光だったが
ハイライトは、ブレナム宮殿でのレセプション。


ブレナム宮殿(正面)

ブレナム宮殿は、第2次世界大戦を勝利に導いた首相である
ウィンストン・チャーチルの生家であり、世界遺産にも登録されている。

ブレナム宮殿は、チャーチル家の初代モールバラ公爵
18世紀のスペイン継承戦争で大きな戦果をあげた
報償として国家の予算で建てられた大邸宅である。
その敷地は、成田空港の4倍といわれる広大な面積を持つ。


ブレナム宮殿(裏庭)

ブレナム宮殿は、オックスフォードの北のウッドストックにあり
第2次大戦中は国家秘密情報部の拠点になっていた。

「英国を征服した暁には、チャーチルが生まれたブレナム宮殿に住む」
とヒトラーは豪語していたため、この場所はドイツの空爆はないと
考えたイギリス政府は、ロンドンからここに拠点を移したといわれる。

チャーチルは、1940年から45年まで首相を務め、
1951年から55年までの4年間、再び国政を担った。

それから10年後の1965年1月24日、
チャーチルはロンドンの自宅で死去(81歳)した。

葬儀はエリザベス女王臨席のもとセント・ポール大聖堂で行なわれ、
そのあと列車でブレナム宮殿に運ばれて、近くの墓地に埋葬された。


ウィンストン・チャーチル

チャーチル家は、元来の本姓はスペンサーであり、
スペンサー家は1603年に貴族(男爵)になっている。

「格別の功績」もなかったものの「イギリス随一の現金の所有者」
として爵位を得たといわれるが、17世紀のスチュアート王朝は、
金銭と引き換えに爵位が乱発された時代として悪名が高かった。

スペンサー家の現在の当主スペンサー9世伯爵は
1997年に事故死したダイアナ元王太子妃の弟です。

元王太子妃ダイアナ・スペンサーの離婚から事故死までの過程で
ジャーナリズムはこれを王室とスペンサー伯爵家の対立
といった構図でとらえていたことがあった。

「今の王室は生粋のイギリス貴族ではないが、スペンサー伯爵家は
先祖をさかのぼれば500年前のジェイムズ1世の親戚にあたる
由緒正しい家柄である」と報じたところもあったが、これは
現在の王室が1714年にドイツからわたってきた
ハノーヴァー王朝の末裔であることを踏まえたもの。


モールバラ公爵夫妻


19世紀初頭にバッキンガム宮殿となって今日に至る建物は、
もともとバッキンガム公爵のタウン・ハウスだったことはよく知られている。
また、モンタギュー邸はのちに大英博物館となっているように
ロンドンでの貴族の大邸宅(タウン・ハウス)はとにかく豪華だった。

しかし、かつては世界に君臨した大英帝国の象徴のイギリス貴族も
20世紀になってからは、相続税・土地税制に大きな打撃を受けている。

ラッセル、ボンド、グロブナー、サヴォイなどの貴族の大邸宅は
今は改築や解体されて、ホテルや大使館などに用途を変えている。

あるいは、豪壮なカントリー・ハウスを観光客に解放して、
入場料を収入源の一部にしている貴族も多くいる。

ダイアナさんの実家では、伯爵自らが邸宅を案内し
伯爵夫人は土産物を売っているという。

週に何日間か日を決めて、パーティ会場として貸し出し
広大な領地の管理費の一部にしているところもある。
今回のパーティ会場となったブレナム宮殿もそうであり、
ちなみに、その費用は約9万ポンド(約1800万円)だった。


ブレナム宮殿の湖畔にて


イギリスには、「ナショナル・トラスト」というものがある。
イギリスにある美しい自然と歴史的建造物を
国民自身の手で保護、管理し、公開して行こうという目的で
1895年に非営利の法人として設立されたものである。

ナショナル・トラストは、カントリー・ハウスの保存に乗り出している。

ナショナル・トラスト法では、カントリー・ハウスの所有者が
館や領地をナショナル・トラストに寄贈する代わりに
相続税などが免除され、寄贈者と子孫は館の一画に住める。
但し、館や領地は1年のうち一定期間公開を義務づけられ
本来の状態を保つために定期的にナショナル・トラストの
監査を受ける必要がある、ということになっている。




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