消しゴム研究室
プリーストーリーを知っていますか?




☆消しゴムがどうやって発展してきたか、勉強したくなりました☆
☆久しぶりに図書館に通ったりして、調べてみましたぁ☆
☆図書館って懐かしい香りのする落ち着ける場所ですね☆

☆さて、ここで問題です☆

←はMIKANが通った図書館の写真です☆
☆ここはどこの図書館でしょう?(難問でしょ)☆
☆答えは、写真をクリックしてね☆

☆それはそれとして・・・☆
☆ご一緒に消しゴムの歴史を覗いてみませんか☆
☆ではでは、初めて物語から・・・☆

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ゴムを発見したのは誰?


消しゴムの歴史を見る前に、ゴムの初めてを見てみましょう。
天然ゴムは、熱帯地方を原産とするゴムの樹から採れる、乳状の樹液(ラッテックス)を処理して作られるそうです。
ゴムの樹を切ると出るあの白い液体のようなものですね。
天然ゴムは昔、中南米のマヤ等の諸地域で利用されていました。
そのゴムと言う物質をヨーロッパに紹介したのは、あの有名なコロンブスなのです。
新大陸を発見をしたコロンブスは、1493年の第2回目の航海で、西インド諸島のヒスパニオラの人々(カリブ海の島の人々)が、ゴムの球で遊んでいるのを目撃しました。
そうです、コロンブスが紹介するまでヨーロッパにはゴムは存在していなかったのです。
そして彼の大発見の後、世界を支配したスペインやポルトガルの人々によって「天然ゴム」がヨーロッパにもたらされていきました。



消しゴムは「発明」ではなく「発見」だった


それからの天然ゴムの活用はゴム球だけではありませんでした。
その代表例は、我が愛する「消しゴム」としての利用です。
ゴムの樹から採った樹液を乾燥し固めて作った物を「消しゴム」として使ったのでした。
18世紀になると、天然ゴムで摩擦すると紙に書いた鉛筆の文字が、他の方法を使用する(それまでは小麦パンを使っていたそうです)より、ずっと良く消えることが発見されます。
その発見者が、イギリスの化学者ジョセフ・プリーストーリーその人でした。
1770年、プリーストーリーは、ラテックス(ゴムの樹の樹液)を加熱し固めたものが、字を消し去る性質(消字性)を持っていると発見したのです。
同年に出版された『Familiar Introduction to the Theory and Practice of Perspective』と言う書物の序文で、プリーストーリーはその発見を述べているそうです。
その2年後の1772年にはイギリスで始めて角砂糖の大きさの消しゴムが発売されました。
間もなくフランスでも使用され、1775年にはフランスの文房具店でも小さい立方体の消しゴムが販売されるようになります。
こうして、「消しゴム」はイギリスからフランスにさらに全ヨーロッパから全世界へと広まっていきました。



プリーストーリーって、こんな人


ジョセフ・プリーストーリー(Joseph Priestley=1733年3月13日〜1804年2月6日)はイギリスの化学者であり神学者でもある人です。
彼は「消しゴム」の発見者ですが、そのほかに「酸素」をも発見した人として有名です。
1755年に非国教会派の牧師になり、1761年からはウォリントン(Warrington)の学校で解剖学、天文学、自然科学を教える科学者でもありました。
1766年、ロンドンでフランクリン(あの有名な雷が電気であることを証明した人ですね)に会ったのがきっかけで電気の研究を行うようにもなります。
1767年には『History and present state of electricity』を著して、金属表面の放電によって生じる「プリーストーリーの輪」を説明しました。
(この辺になると難しくてMIKANにはちんぷんかんぷんですが)
主に気体の研究をした人で、二酸化炭素を水に溶かした「ソーダ水」を発明したのを皮切りに、「一酸化窒素」、「二酸化窒素」、「塩化水素」、「アンモニア」、「二酸化硫黄」などの気体を次々に発見します。
1774年夏には、酸化第二水銀を加熱することで得られる気体が燃焼を激しくすることを発見し、その気体の中でハツカネズミが長生きすることも発見しました。最も有名な「酸素」の発見です。今健康志向で有名になった活性酸素もここで証明されてるらしいです。
その他、緑色植物や藻類の細胞が光を受けて酸素を出す「光合成」も発見しました。
これらの重要な発見をしたプリーストーリーは『気体化学の父』と称され近代化学の扉を開く鍵となったのです。
本来神学者で非国教会の牧師だった彼はフランス革命を支持していました。
科学書『誤りと迷信という古い建物を爆破して』と言う書物を出版したことにより、「火薬プリーストーリー」とあだ名されて、教会の爆破を計画しているとウワサが広まってしまいます。
1791年、国教会に扇動された暴徒によって邸宅、図書、実験器具を焼かれて全てを失ってしまったプリーストーリーは、1794年にアメリカに渡ります。
そして、ペンシルバニアに定住し、静かな余生を送りました。



日本語ではゴム・英語ではラバー?


日本語で「ゴム」と言うと次の3つに大別することができます。

1.普通は、ゴム製品あるいはその原料のゴムをさします。
2.ガムシロップのような糖分の食べ物や切手の裏の糊であるアラビアゴム(Arabbic gum)もゴムと言います。これは水に溶けますがアルコールには溶けません。
3.チューインガムのような、ガム(gum)もゴムと言います。この種のガムはアルコールには溶けますが水には溶けません。

英語では、1.をラバー(rubber)と言い、2.3.をガム(gum)と言います。

日本に始めて入ったゴムはアラビアゴムで、生薬として1631年には市販されていました。その当時すでにgumを「ゴム」と発音していたようです。
ゴム製品が輸入されたのは1845年のペリーが将軍に献上したのが始まりとされています。
この時、ゴム製品もアラビアゴムと同じ仲間だと誤解されてしまったっため、どちらも「ゴム」と発音するようになってしまいました。



ゴム(rubber)と言う言葉の由来


昔はゴムのことを「カウチューク」と呼んでいました。
これは、『涙を流す木』と言う意味の原住民語から由来したものだそうです。
ドイツ語のKautsuhuk、フランス語のcaoutchoucがこれに当たり、アマゾン流域での原住民語、caa(木)とo-chu(涙を流す)から来ています。
「カウチューク」(caoutchouc)「ラバー」(rubber)と言い換えられるようになったのは、あの有名なプリーストーリーのお陰です。
消しゴムを発見したプリーストーリーが、『字をこすり取る』の意味の「ラブアウト」(rub out)と呼んだことによるのです。
すなわち、「消しゴム」が「ゴム」の語源になったのです。
「ゴム」(rubber)には消すと言う意味が込められているのですね。
「消しゴム」はやっぱり「ゴム」の代表選手なのです。



消しゴムと鉛筆どっちが先に生まれたの?


鶏と卵みたいな話ですが・・・
これは、「紙に書いた鉛筆の文字を消したくて消しゴムが生まれた」となりそうです。
ごくごく自然な成り行きのようですが・・・
本当に、どう頑張っても「消しゴムが最初!」とは絶対に言えないのでしょうか?



では、鉛筆はいつ生まれたの?


1564年に、イギリスのカンバーランド山脈のボローデル山で「黒鉛」が発見されました。
その黒い物質は柔らかく、擦ると文字や絵が書けました。
人々はその黒鉛を削ったり、手が汚れないように黒鉛に布を巻いたりして文字を書くようになったのです。 そう、これこそ鉛筆の卵、筆記用具が生まれた瞬間なのです。そして、
1566年にイギリスで黒鉛を木片にはさんで用いたのが鉛筆の起源とされています。
その後・・・
1760年にドイツのカスパー・ファーバーが黒鉛の粉に硫黄を混ぜて溶かしそれを固めて棒状にしました。
1795年にはフランスのニコラス・ジャック・コンテが硫黄の代わりに粘土に黒鉛を混ぜて、それを高温で焼き固めて芯を作ります。 ここで、今使われている鉛筆の原型が生まれたと言っていいでしょう。
さらにコンテは、混ぜ具合を変えて芯の硬度が変化することをも発見しました。
あの「HB」や「H」と言う鉛筆の硬さはここから来ているのです。
そう言えば、デッサン用の鉛筆を「コンテ」と呼びますね。ここに彼の名前が残っているようです。
その後19世紀に、ナポレオンの命令で国を挙げて鉛筆の生産を行うようになります。
こうして世界に鉛筆は広まっていったのです。



消しゴムと言う製品と鉛筆と言う製品


1770年、プリーストーリーが「消しゴム」を発見し・・
1795年に、コンテが現在の鉛筆の原型を作った。
おや?
製品としては、「消しゴム」の方が「鉛筆」より先に出来上がっていた?
この鶏と卵の決着は・・・
「消しゴム」が先!
・・・と断言するのは、思い込み過ぎた発想でしょうかね。

参考:国民百科事典・百科事典ウィキペディア・ゴム協会誌・鉛筆工業会誌・毎日新聞


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