ミステリー、探偵小説というのは、僕は寓話であり神話でありゴシックロマンスであると思っています。
植民地アメリカにて元祖天才ポオがグロテスクとアラベスクの物語の中から理知と詩の二輪を兼ね備えた探偵小説を発明した。それが父祖の国イギリスに移ってシャーロック・ホームズが誕生した。そして遥か後の現在、東洋の島国日本において探偵小説は絢爛たる花を咲かせている。現在これほど本格ミステリーやらアンチ・ミステリーやらが幅を利かせている国は他にないと思われます。
これは京極夏彦『鉄鼠の檻』に出てきた禅の発展を思わされます。インドの釈迦に発した禅は中国の達磨により基本を完成され、後に日本で独自の発展を遂げる。
さて、ミステリーが他の小説と異なる最大の特色としては、少なくとも本格という分野については、読者がポオ以来の全ての探偵小説を読み込んでいるものと仮定されているということだと思います。ミステリーはやたら約束事が多い形式で、例えば館ものならグリーン家の○○とか、叙述のトリックならアクロイド形式とか。実際にそれだけ古いものも読まれています。歌舞伎や能のような伝統芸能、あるいは本歌取りという形式を織り込んだ短歌のようなものです。
日本探偵小説の歴史の中でも危機といえる時代はありました。昭和30年代からの社会派ブームです。旧来の探偵ものは荒唐無稽と退けられ、リアリズムを口実に社会派もどきの通俗風俗小説が大流行した時代。
だが、その反動のように40年代後半から異端作家ブームが起こりました。夢野久作、小栗虫太郎、久生十蘭といった作家たちが相次いで再評価され、やがてはあの空前の横溝正史ブーム。
その流れの上に昭和50年代の<幻影城>の栄光があります。
泡坂妻夫の「隣の部屋より」というエッセイにはこんなことが書かれています。探偵小説の部屋の様子が変わってきて、奇術の部屋の方に入り浸りになった。小説を書きたいと思ったことがあっても、
「− 従来のトリック主義にこだわらない、新鮮な作品を望む。
しかし、これでは困るではないですか。これから書こうとしている小説は、社会の告発も、人間の業も、問題意識も、何もない、ただトリックや趣向や見立てなどだけにこだわって、頭の中でこね上げられた、昔ながらの探偵小説なのですから。」
そんな昔ながらの探偵小説はこのときに復活したのでした。
そしてさらに平成の新本格が続きます。新本格など大部分が屑ですが、バブルの時代を映した鏡であり、後に京極夏彦を生み出す時代の潮流をつくったことは否定できません。