鮎川哲也の初期短編集。特に第一部第三部の作品は、鮎川哲也が鮎川哲也となる以前の本名中川透や那珂川透、中川淳一、薔薇小路棘麿、Q・カムバア・グリーン等の名義で発表された作品である。ある意味では鮎川哲也らしくない作品が満載で、鮎川初心者向けではない。創元推理文庫の『五つの時計』『下り”はつかり”』のあとにどうぞ。
本格ものの作者として知られる鮎川哲也だが、一方でメルヘン系統のものもある。本書にも収録されている「地虫」や「絵のない絵本」がその代表だが、本書で作者の初期にはそれが少なからぬ割合を占めていたことがわかる。
「月魄」は満洲のハルビンを舞台にした幻想短編。亡くした恋人への思いがやるせない。
「影法師」もハルビン近郊の話。一人の女を親友同士で争った顛末。自分の分身を目撃するという怪奇味が強い。
「雪姫」は「地虫」のロマンチック振りと見事なまでに対になる。ダンスサークルで醜貌の学生のパートナーとなって踊るためにいつもやってくる謎の女性。その正体がとある事件のために明らかになるがそれが破滅を呼び起こす。
もっと異色なのはSF色の強い怪獣小説「怪虫」。巨大な芋虫が集団で暴れて東京を大パニックに陥れる。その出現の仕方や怪虫への対処など、実に懐かしの東宝特撮映画の人間ドラマを見るよう。後編が書かれなかったのは惜しい。
「怪虫」の主人公の理学士とカメラウーマンのカップルが再登場したのが「冷凍人間」。冷凍庫に入れられて殺されたはずの男の死体が消失し、悪漢どもが帽子とオーバーが凍りついた冷凍魚のような男に殺されていく。
まるで往年のSF犯罪ドラマ『怪奇大作戦』のよう。このシリーズが二作にとどまったことが惜しまれる。
「マガローフ氏の日記」は小栗虫太郎や香山滋風の秘境ミステリを氏も試みたもの。古いオルゴールを分解して出てきたロシア語の手記という発端。マンモスがいまだに生息するらしいシベリアの辺境という設定。それなのになんでこんな理に落ちた話になってしまったのだろう。ちょっとがっかり。
鮎川流ハードボイルド「他殺にしてくれ」は格好いいのか情けないのかよくわからない。
他にもヒッチコック劇場のノベライズ「ダイヤルMを廻せ」、
登場人物すべてが外国人で外人名義で発表された「山荘の一夜」、
ユーモア短編など珍しいものばかり。
巻末の「ジュピター殺人事件」は「むかで横丁」とともにSRの会の会誌<密室>に掲載された連作。
「むかで横丁」の執筆者が宮原龍雄・須田刀太郎・山沢晴雄の関西勢で、山沢は解決編に星影龍三を登場させた。
「ジュピター殺人事件」の方は、かつて『渦潮』で<宝石>の百万円懸賞を鮎川の『ペトロフ事件』と競った藤雪夫、鮎川哲也、そして狩久(→こちら)の関東勢。
藤雪夫の発端篇では、帰省したはずの青年がアパートの自室で死体として発見される。無残に傷つけられた死体の顔はローマ神話の主神ジュピターの石膏の面で覆われていた。
この事件を後に鮎川作品の名脇役となる田所警部が担当することになる。
鮎川の発展篇では重要な容疑者のアリバイが崩されるが解明には近づかない。事件現場で目撃されていた謎の男が音楽喫茶店に再び現れ姿を消す。
そして狩久による解決篇。真犯人の正体と動機は狩のデビュー作「落石」を連想させる実に思い切ったものだった。本格ものと捉えたら不満が残るかもしれないが、これはありだと思う。
同人誌でありながらも気合のこもったものが寄せられていたこの時代の熱気を感じさせられた。
私自身が鮎川作品については遅れてきた読者であるが、この巨匠の多面性に驚嘆させられる。作家にとって最大の供養はその作品が読まれることであるのだから、もっともっと読み継いでいきたいと思う。