鮎川哲也編アンソロジーの中で最難関の一つ。これも追悼の一環として読んでみる。やはり鮎哲のアンソロジーで読んだ二編を除いた全てが初読。
仁科透「Fタンク殺人事件」の事件現場は、内容量に応じて高さが上下する石油タンクの屋根という特殊な場所で、そこがふちから非常に低くて高度差があるときに落ちたと思われる製油所の工務課員の死体が発見された。会社の体面もあり事故として処理された事件だったが安全係主任が不審点を追っていく。
些細な手がかりによって二転三転する構成は見事。いかにも鮎川哲也好みの本格短編である。ただ、特殊な場所を用いた何かがあると思うと肩透かし。
この作は<宝石><週刊朝日>推理短編共同募集の一回目に佐野洋や樹下太郎を凌いで第一席。この作者はこれ一作限りの人かと思っていた。ところが『日本ミステリー事典』によると鮎川アンソロジーで再評価されたことを切っ掛けとして長編数作を発表したとのこと(→作品目録)。全然知らなかったので驚いた。
渡辺剣次「非常階段」は興信所の所長が非常階段から転落死した事件で、容疑者は興信所の所員、女秘書、恐喝を受けていた上流夫人の三人に絞られた。だがどの容疑者も屈強な被害者を突き落とせるとは到底思えなかった。
着想は面白いのだが元がテレビドラマの台本ということであっさり終わってしまって惜しい。
渡辺剣次は氷川瓏の実弟。
江戸川乱歩の『十字路』の執筆協力をしたことが知られ、日本探偵作家クラブでも長年裏方として働いた。定年退職後にいよいよ作家活動に入ろうとしたが、評論書一冊とアンソロジー四冊を世に出したところで逝去。13シリーズと言われるアンソロジーは非常に優れた選定である
(→作品目録)。
飛鳥高「孤独」では、文部政務次官就任を控えた代議士に「血塗られた部屋にて死ぬ」との脅迫状が届き、それが実現される。代議士の死体が発見されたのは引越しの荷物の中にあった大型金庫で、その内壁には死者の血がべったり塗られていた。現場となった海辺の別荘は本土と島とに別れるが居合わせた人々にはみなアリバイが成立した。この奇妙な状況が物理的にも心理的にも解き明かされ強い感銘を残す。タイトルもシンプルだがよい。
飛鳥高の短編集が四十年ぶりに刊行されたのはまだ記憶に新しい。本作はその『飛鳥高名作選 犯罪の場 本格ミステリコレクション1』(河出文庫:2001)にも収録されていない貴重品である
(→作品目録)。
双葉十三郎「星屑殺人事件」は、ジャズの名曲「星屑(スター・ダスト)」演奏中にクラリネット奏者が突然倒れた。
バンド内部での殺し合いを主人公の新聞記者は連立方程式のように解く。
毒殺ものとしては並の出来。
作者は戦前から映画評論家として活動したが戦後の一時期に集中して本格短編を書いたという。「密室の魔術師」はアンソロジー収録頻度が多い
(→作品目録)。
藤雪夫「アリバイ」では、カフェの女給を殺したとして逮捕された兄の無実を証明してほしいとその妹が菊地警部に懇願する。
東京からこの地新潟に休暇で来ていた菊地だったが、彼女の信念にほだされて三日の期限付きで解決に乗り出す。
犯人が仕掛けたトリックはたいしたものではないが、容疑者の無実を証明するために理化学的な特殊な知識が援用される。工学博士である作者の面目躍如。
藤雪夫は1950年の<宝石>百万円コンクールに『渦潮』で一位入選してデビュー。二位が鮎川『ペトロフ事件』、三位が島久平『硝子の家』だった。1956年の講談社書下ろし長編全集では『獅子座』を投じたが、鮎川『黒いトランク』に破れた。
晩年に娘藤桂子との合作でこれらの長編を刊行したが、1984年死去。
鮎川哲也とは「ジュピター殺人事件」の合作もある長年の旧友であった
(→作品目録)。
藤沢恒夫「そんな筈がない」では、衆人環視の中デパートの屋上から一人の女性が飛び降りた。誰もが自殺だと思った中、老刑事は「そんな筈がないわ」という若い女性の声を聞く。才気煥発の女子大生探偵滝口康子の初登場。
さほど特色があるわけではないが軽本格としては悪くない。
作者は戦前からの普通小説の作家だが、このシリーズが十編近くあるという。
島久平「鋏」は、伝法探偵の事件簿の一編。元夫を尋ねてきた前妻が、今の妻が電話を借りにいっている僅かなうちに消え失せた。芦屋の高級住宅地で、しかも真昼間にいったい何が起こったのか。
伝法探偵は関係者の心理に目を向ける。雲をつかむような事件がこれしかありえない真相に一瞬で収束する。うまい。
島久平も今年になって短編集が出て、デビュー作『硝子の家』に加えてかなりの作品数が読めるようになった(→作品目録)。折角だから早く読まなくては。
小谷龍一郎「闇に浮かぶ家」では、主人公の推理作家は温泉で奇妙な話を聞いて興味を抱く。敗戦間近い昭和二十年、一軒の家がそこに住んでいる夫婦と共にある日突然消えてしまったというのだ。現場まで行って確かに何かあると感じた彼は本格的な調査を始める。そして……。
この時代のこの時でしか成立し得ないトリック、そして動機。
実に大仕掛けでびっくりしたが、話自体はやるせない。
この作品は<文学地帯>という同人誌に掲載されたもの。
北村龍一郎「魔女を投げた男」は、中編といえる長さ。画家に金を貸した高利貸しが部屋の前で待っていたが、赤いドレスの女が入ったのを見たにもかかわらず画家は殺され女は消えていた。自分が疑われると思った金貸しは謎の人物野間狂作に助けを求める。
つかみどころのない事件で金貸しの言葉を信じて動く野間と相棒の新聞記者はいよいよ混迷に入る。だが、個性的な探偵役はそこにないものに着目して見事に真相を探り当てる。
あのトリックの初出がこの作品ならなかなかたいしたものだ。
作者は<宝石>に三編だけ掲載作があるアマチュア作家。
鮎川アンソロジーは決して定番に偏らず、鉄道ものでも怪奇ものでも本格ものでもなかなか光の当たらず埋もれてしまった作品、作家こそを収録して再評価している。これもミステリーに対する愛情ゆえである。
このアンソロジーは全三巻であり、私も『紅鱒館の惨劇』は持っておらず長年探している。同じ版元だった『怪奇探偵小説集』が三回も刊行されているにも関わらずこちらは一回限りで、
ここでしか読めない作品、作家も多いのでなんとか復刊してもらえないものか。
以下、残り二巻の内容だけ記しておく。
『殺意のトリック 幻の傑作・本格推理集』(1979)