本来なら今号は海外ミステリを特集する番なのでここに小特集を挟んでみました。バークリーに関しては、長編が五編しか訳されていないので大特集の組みようがない。でも、バークリーは、私が海外で二番目に好きな作家なのです。
アントニイ・バークリー(一八九三−一九七〇)。英国作家。彼を知ったのは、短編「偶然の審判」(乱歩編『世界短編傑作集3』)ででした。
ある老放蕩家に送りつけられた一箱のチョコレート。それを譲り受けた男の妻が毒死した。一見単純な事件の裏には実に緻密な計略が潜んでいたのでした。
一昔前の世界短編十傑には必ず入る作品で、バークリーのお抱え探偵ロジャー・シェリンガム(無礼な男だそうだ)が活躍します。一読したとき、なかなか気の聞いた話だなと思ったものの心服するには至りませんでした。しかし、(74)『毒入りチョコレート事件』には無条件降伏してしまいました。
シェリンガムを会長とする犯罪研究会。弁護士、女流劇作家、推理作家、女流作家、及び無名氏の六人で構成される。彼らが挑んだ謎は、「偶然の審判」と全く同じ設定。なんだ、水増し長編かと思って読んでいたら、シェリンガムの発表は四番目であの素敵なトリックも使われてしまう。あれよあれよのうちにそれも覆され、アンカーの無名氏の手により意外な真相へ到達。はっきり言ってとんでもない話です。犯人の名が解ったのは終りから十一行目なんだから。
バークリーはこの作品において一つの事件に対して六つの解決を示しました。与えられた事実からは一つの推論しか引き出せないとか、作者のひいき探偵の出す推論だけが必ず正解だとか、そんな台詞に伺えるようにこの話は従来の本格推理小説自身に向けられた刃に他なりません。
シェリンガムはこの事件以外にも幾度も苦杯を舐めているそうです。変な作者を持つと登場人物も苦労しますな。一方、無名氏の方は、実はアンブローズ・チタウィックという立派な名前があって、次の『ピカデリーの殺人』では堂々主役を張っています。これはもう一つだったが。
さて、バークリーは先に見られるように本格物の枠を破る方向に進んでいき、遂には分身フランシス・アイルズを生み出しました。アイルズ名義では二つの犯罪心理小説が有名です。
(154)『殺意』の主人公は、細君の尻に敷かれながらも若い娘といちゃつく田舎医者。ある切っ掛けから妻を亡きものにせんとし、完全犯罪を謀る。あまりに小市民的な人物が人の生命など歯牙にもかけぬ魔王のような男に変貌してゆく。こんな恐ろしさは他に類例を知りません。
それにしてもこの結末。初読以来今に至るまで誉めたものか貶したものか決めかねているくらいだから大概じゃありません。裁判(トライアル)と誤判(エラー)の問題を二重に皮肉っています。
もう一つは『レディに捧げる殺人物語』(これは米題。英題では『犯行以前』)。夫が殺人をも犯したことのある性格異常者であることに気付いた妻が、彼を恐れながらも愛さずにはいられないその葛藤を描いたものです。本当に何度も言うようだが、ヒッチコックの馬鹿野郎!
でも、本格推理小説の神髄は遊び心にありと信ずる私は、重厚真面目なアイルズより軽妙洒脱なバークリーの方が好きです。
バークリー名義の後期の作品(86)『トライアル&エラー』にはチタウィック氏が副主人公格で出演しています。
不治の病に罹ったトッドハンター氏は、残り少ない余命を有益な殺人を犯すことにより人類に貢献しようと決意する。ダニのように有害な人間を抹消しようというのだ。彼はある女優を標的に選んだ……。だが、逮捕されたのは無実の男。氏は自分が殺したと主張するが警察は相手にしない。かくて、有罪判決を求めてトッドハンター氏の試行錯誤(トライアル&エラー)が始まった。
逆さま裁判の着想が愉快です。目出度く有罪判決確定後の一幕が抱腹絶倒でした。しかし、ユーモアに裏打ちされながらも作者の掲げた命題は読者に重く迫ってくるのです。
それから彼はディテクション・クラブのリレー長編二つに参加しています。『漂う提督』ではとりを務め、前の人たちが好き勝手していたのを見事にまとめています。『警察官に聞け』では、セイヤーズと探偵役を交換して事件に当たり、ピーター卿は途方もない犯人を指摘し、シェリンガムは例によって失敗するという結果に終っています。
バークリーにはまだまだ傑作があるようです。せめて、あの坂口安吾が唯一度だけ犯人捜しに成功し、完璧な作品だと絶賛した『第二の銃声』ぐらいはいつか読みたいものです。